金魚の庭

美里

文字の大きさ
34 / 44

しおりを挟む
「本気?」
 思わず口から出てきた明らかな愚問に、佐山はわずかに口元をほころばせた。
 「あんな声で電話をしてきたのは、あなたでしょう。」
 あんな声というのがどんな声なのかが、私には分からなかった。だからもう分かるふりをするのはやめて、両手ですっぽり顔を覆った。今自分がどんな顔をしているのかも、もう分からなかった。
 「私のこと、嫌いでしょ?」
 「嫌いだったら、あんなに家にお訪ねしませんよ。」
 「嫌がらせじゃなかったの。」
 「あなたの方がよっぽど私をお嫌いみたいだ。」
 「嫌いよ。」
 「なぜ?」
 「なんででも。」
 随分長い沈黙の後、佐山は真っ直ぐに前を見てハンドルを握ったまま、ぽつりと言った。
 「あの人に関わる全てのものが、私は好きですよ。」
 私はどうしようもなく悲しい気持ちになって、顔を覆った手の中にいくつか涙をこぼした。
 「私は嫌い。」
 泣き声で呻くと、佐山は子供をなだめる大人の声で、そうでしょうね、とだけ言った。 
 そして片手を伸ばして私の髪を撫で、式は海外で挙げましょうか、などと言う。
 「海の側がいいですね。あなたには潮風と白いドレスがよく似合いそうだ。」
 その呑気を装った声を聞いていると、無性に泣けた。子供の私をなだめる役割の佐山には、それくらいの事はちゃんと分かっていたのだろう、変わらない調子で挙式のプランを提案し続けてくれた。
 「イタリアの海辺の田舎町なんてどうですか? 知人が先年式を挙げたのですが、結婚式を挙げるためにあるみたいな、真っ白い石造りの町並みがあるんです。あなたはお色直しにも長い式にも興味はないでしょうから、式自体はささっと済ませてしまえばいい。そしてドレス姿で馬車に乗って町を観光しましょう。夕方には浜辺に出て、夕陽を見ましょうね。映画から出て来たみたいな、クラシカルな石の町ですよ。あなたにきっとよく似合う。」
 佐山の穏やかな声を聞きながら、私は身も世もなく泣いた。16歳になったばかりの夜だった。泣き続ける私を乗せて車を走らせ続けた佐山は、夜も明けかける頃になってようやく湖の近くの小さなホテルに部屋を取り、私を寝かしつけた。
 佐山は多分、一睡もせずにホテルの葡萄色の肘掛椅子に座っていたのだと思う。翌日の昼過ぎに私が目を覚ますと、佐山はじっと座ったまま窓の外に広がる湖を眺めていたから。
 正午を少し過ぎたところだというのに、やけにか細い陽光のかろうじて浮かび上がる、水にさらされ過ぎた人骨みたいな男の姿。あの光景を私は生涯忘れないだろう。
 それから半月後、あの湖ってどこだったの? と、真っ白い石造りの町並みを並んで馬車に揺られながら訊くと、佐山は珍しく声をたてて笑い転げた。家々に反射する眩いばかりの陽光が、色の無い男の肌にも黄金色を映していた。
「山中湖ですよ。山梨県の。」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

還暦の性 若い彼との恋愛模様

MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。 そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。 その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。 全7話

17歳男子高生と32歳主婦の境界線

MisakiNonagase
恋愛
32歳の主婦・加恋。冷え切った家庭で孤独に苛まれる彼女を救い出したのは、ネットの向こう側にいた二十歳(はたち)と偽っていた17歳の少年・晴人だった。 「未成年との不倫」という、社会から断罪されるべき背徳。それでも二人は、震える手で未来への約束を交わす。少年が大学生になり、社会人となり、守られる存在から「守る男」へと成長していく中で、加恋は自らの手で「妻」という仮面を脱ぎ捨てていく…

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

処理中です...