観音通りにて・母親

美里

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 蝉は、二週間前と同じように、遠慮の欠片もない動作で病院に上がり込んだ。
 「婆、いるか?」
 私は、蝉の無遠慮さが老女を怒らせるのではないかと心配しながら、蝉の着流しの袖に隠れるみたいにして上り框に立っていた。
 建物の一番奥、以前お母さんが運ばれていった部屋から出てきた老女は、やはり歳の分からない確かな足取りでこちらへやってくると、神経質そうに眉をしかめ、蝉と私をゆっくり数秒ずつ睨み付けた。
 「いづみ、迎えに来た。」
 蝉はその視線にも全く動じない。多分、特別怒っているとか不機嫌だとかいうこともなく、これは老女のいつもの態度なのだろう。
 「そこだよ。金は?」
 「払うよ。香織、先に入ってろ。」
 蝉が、老女に示されたすぐ傍らの部屋のドアを開けて、私を半ば押し込んだ。どれくらいの金がやり取りされるのか見たかった気もするけれど、お母さんに会うのが先決だ。私は大人しく部屋に入った。
 そこは、蝉の部屋と同じかもっと狭いくらいの畳敷きで、真っ白い布団が一組み敷かれていた。その中に埋もれるみたいに、お母さんが眠っている。顔色は、まだ悪い。でも表情は険しくはなく、私が夜中に目覚めては眺めていた、お母さんの寝顔だった。
 よかった。生きている。
 心の底から安堵した。
 背中越しに、蝉と老女が何かやり取りしている気配を感じる。でも、そんなものにはもう、構っていられなかった。お母さんの寝顔を見た時に、私の心はすっかり決まっていたのだ。
 「……お母さん。」
 お母さんを起こさないように、そっと囁きかけて、お母さんの枕元に膝をつく。細く灯された豆電球の橙色の光が、私の膝先を暖かな色で染めていた。
 「お母さん。」
 確かめるように、彼女を呼ぶ。もう生きてはいけないと彷徨っていた私を拾ってくれた、たったひとりのひと。蝉が言ったように、鳥のひなが、はじめて見る生き物を親って信じてついていく、そんなものだとしても構わない。
 「お母さん、地獄の底までついてくわ。もう、離れない。」
 声は、極限まで細めた。お母さんは、眠っていた。それなのに、お母さんの閉じられた瞼の隙間から涙が一雫あふれ、つうっと横へ流れて消えた。
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