観音通りにて・女衒

美里

文字の大きさ
2 / 26

しおりを挟む
男がマリを連れて行ったのは、予想通りと言っていいのか、観音通りだった。
 戦後赤線として栄え、売春禁止法が出た後も格安で女の『観音様』が拝める通りだ。
 マリがねぐらにしているスラムとは、徒歩数分の場所にあるのに、随分雰囲気が違う。
 道はきちんと舗装されているし、西洋風のしゃれた街灯が等間隔に並んでいる。街灯と街灯の間には木造の平屋が肩を並べているのだから、多分街娼たちは街灯の下で客を引き、長屋の中で身体を開くのだろう。
 マリだって、15にもなれば観音通りの存在は知っている。同じ屑物ひろいをしていた少女たちの中にも、ある程度の年齢になったら観音通りに河岸を変える者は多かった。
  早朝の人っ子一人姿の見えない観音通り。その外れの長屋の一室が男の住処だった。ごく狭い部屋だ。板張りの床と壁、形ばかりの台所、部屋の隅には盥とタオル、万年床。
 多分男が実際に暮らしているのはこの部屋ではなく、ここはどこかから拾ってきた女を一時的に置いておくための部屋なのだろう、と、マリは思った。
 「まず、きれいにしないとなぁ。」
 ほとんど独り言みたいに言った男は、銀色でところどころへこんだ盥を拾い上げ、台所の蛇口に薄緑色のホースをつけると、どぼどぼと湯を注ぎ始めた。
 マリは、逃げ出すタイミングは今かもしれない、と男の横顔を窺ったのだが、男はしっかりとマリのことを凝視していた。
 鋭い刃物で切り込んだような、すっきりと切れ長い目だったが、妙な迫力があった。
 逃げられない。
 マリはここまでついてきた自分の迂闊さに舌打ちした。
 けれどそこまで本気で慌てなかったのは、親もなければ財産もない、自分みたいななにも持たない人間を、どこか一か所に無理やり留めておくなんて不可能だと知っていたからだ。わずかな隙でもあれば逃げ出すし、その際に別に惜しむものなんかない。
 盥を湯で満たした男は、白いタオルをそこに浸すと、マリを手招きした。
 警戒心はもちろん解かぬまま近寄ると、男はマリの顔をほかほかのタオルで覆ってそっと拭った。
 恥ずかしいくらいに、タオルが茶色く染まる。
 「ああ、やっぱり美人だ。」
 茶色いタオルには目もくれぬまま、男は肩を揺らして笑った。
 そしてマリにぼろぼろの外套やたセーターやらを脱ぐように促してくる。
 マリは一瞬躊躇したが、どう考えても今この場で男から逃げることはできそうになかったので、そろそろと服を脱ぎ、裂け目だらけの半袖シャツ一枚になった。
 男はマリが薄着になっても全く目の色を変えなかった。顔を拭った後の笑みを浮かべたまま、男は献身的にマリの垢と埃でまんべんなく染まった身体を拭いた。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

17歳男子高生と32歳主婦の境界線

MisakiNonagase
恋愛
32歳の主婦・加恋。冷え切った家庭で孤独に苛まれる彼女を救い出したのは、ネットの向こう側にいた二十歳(はたち)と偽っていた17歳の少年・晴人だった。 「未成年との不倫」という、社会から断罪されるべき背徳。それでも二人は、震える手で未来への約束を交わす。少年が大学生になり、社会人となり、守られる存在から「守る男」へと成長していく中で、加恋は自らの手で「妻」という仮面を脱ぎ捨てていく…

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

踏み台(王女)にも事情はある

mios
恋愛
戒律の厳しい修道院に王女が送られた。 聖女ビアンカに魔物をけしかけた罪で投獄され、処刑を免れた結果のことだ。 王女が居なくなって平和になった筈、なのだがそれから何故か原因不明の不調が蔓延し始めて……原因究明の為、王女の元婚約者が調査に乗り出した。

処理中です...