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蝉は、顔をこわばらせる私を見て、ふざけるみたいにひらひらと手を振って見せた。
 「女が好きな女なんて、珍しくない。きょうだいで睦み合うことだって、珍しくない。だから、お前たちのやってることだって、そう珍しくはないよ。」
 懐から取り出した煙管に火をつけ、煙をゆったりと吐き出しながら、蝉はさらに言葉を続けた。
 「俺は、もう20年近くここにいる。見慣れたよ。ちょっと変わった欲情なんて。」
 欲情、と、蝉は言った。
 愛でも恋でもなく、欲情と。
 だから私は、蝉の言葉を認められなかったのかもしれない。
 黙って。
 声にはならなかった。唇だけで、そう呻いた。
 黙って。私と紅子がどうやって傷つき、苦しみ、嘆き、ここまで流れてきたのか、知りもしないくせに、分かったような口をきかないで。
 蝉は、私の唇を呼んでいた。だから、肩を軽くすくめ、分かったよ、と吹けば飛ぶような態度で言った。
 「俺はなにも知らない。なにも分からない。お前たちは特殊で異常だ。それでいいんだな?」
 頷くことも、首を振ることもできず、私は両手を固く握りしめてそこに突っ立っていた。ここに来てから伸ばして染めた爪が、皮膚に刺さって痛んだ。
 お前たちは特殊で異常。
 ずっと悩んで縛られてきた言葉だった。
 お前たちは特殊でも異常でもないよと、その言葉がほしかったはずだ。
 それなのに、見慣れたと言われれば、心は頑なに反発する。私達をそんな言葉でくくるなと。
 自分で自分が分からなかった。 
 「金を貯めろよ。」
 蝉が言った。その声は、軽かった。いつものように。けれど、軽さの向こうになにかがあった。そのなにかは、優しさだとか、思いやりと呼べるもののように感じられた。
 「金を貯めて、どこにでも行け。もっと遠くに。お前たちが異常でも特殊でも受け入れてくれるところに。」
 私が意地を張るからだ。蝉は、いや、この通りは、私達を確かに受け入れてくれるのに、私がそれを受け入れられないから、蝉はこんなことを言う。
 「……行くわ。」
 声は掠れた。新しく広がる世界に怯える子どもみたいに。
 「お金貯めて、もっと遠くに。」  
 煙管を咥えた蝉は、確かに笑った。いつものあのにやにや笑いではなく、確かに。 
 私はその表情を見て、溢れるように泣きたくなった。
 だけど、プライドの問題でそんなことはできず、ただ頭を下げて、食堂を出た。
 

 
 
 
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