観音通りにて・駆け落ち、その後

美里

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あの朝、私は絶望していた。生まれた時からずっと暮らしてきた村を、そして両親を捨てたのだ。これから先どうしていいのか分からず、不安でもあった。でも、隣には紅子がいた。私たちは手を取り合い、肩を寄せ合って、歩いた。
 でも、今朝から私はひとりだ。本当のひとり。自分の半身すら失って、ひとりで歩かなくてはいけない。
 絶望は、深かった。これから先どうしていいのかは見当がついているのに、不安もあの朝より大きかった。
 紅子を失って、私はどうしたらいい。
 そのとき、ふわりと紅子が口を開いた。
 「一緒に死のうって、言うと思ったわ。」
 どきりとした。 
 それを考えなかったわけではないから。
 でも、私には紅子を殺すことができそうになかった。単純に、紅子には死んでほしくないから。
 永遠に、生きていてほしい。それがたとえ、つらく苦しい修羅の道であっても、紅子には、永遠に生きていてほしい。
 「……ごめんね。」
 私は、かろうじてそれだけ言葉を絞り出した。
 一緒に死ぬことさえできず、ここであなたを放り出して、ごめんね、と。
 すると紅子は、笑った。薄く赤い唇の端を軽く持ち上げ、ふふふ、と笑った。それは、見慣れた紅子の表情だった。まだあの村にいた幼い頃、いたずらなんかしては紅子はこうやって笑った。
 「いいのよ。」
 いいの、と、紅子は繰り返す。
 「銀子は、銀子だけは、私になにをしてもいいの。」
 じわり、と、視界が歪み、涙が滲んだのが分かった。
 そうだった。紅子は、紅子だけは私になにをしてもいいのと同じように、私も紅子になにをしてもいいのだ。
 忘れていた。あの村を出てから、心も身体もすり減らし過ぎて、すっかり忘れていた。
 ありがとう、と言うのもおかしな感じだし、愛している、なんて今更言えない。私はこの場にふさわしい言葉を必死で探したのだけれど、なにも思い浮かばなかった。
 だから黙ったまま、紅子と唇を合わせた。
 あの村で、全てに怯えながらした行為を、今はこんなにものびのびとすんなりできることが、どこか不思議でさえあった。
 私達の唇は、完全に同じ形と同じ温度をしていた。それは、当たり前のこととして。
 紅子が、唇を合わせたまま微笑んだ。私も、自然と同じ顔をしていた。
 「見送るわ。」
 と、紅子が言った。
 「銀子がこの部屋を出るまで見送るわ。」
 頷いた私は、妹の肩をきつく抱いた。妹も同じ力で抱き返してくれた。
 そして私は、着物の裾を裁いて立ちあがった。これが、紅子との最後の別れだとは信じられないくらい、すんなりと。
 さようならも言わなかった。もう二度と会うことはないのに。
 ただ私は紅子の部屋を出た。そして、自分の部屋へ行って荷物をまとめ、借金分の金を部屋の真ん中に置いて、店を出た。
 早朝の観音通りは、夜の喧騒が嘘みたいに静まり返っていた。
 私は大きく一つ息を突き、漢音通りの出口へと歩きはじめた。
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