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一章 バレエ・リゥス (ロシアバレエ団)

2. 名プロデューサー・ディアギレフ

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 ディアギレフはバレエ・リュスの創立者である。
 彼がこのバレエ団を結成したのは二十年前のことで、今ではヨーロッパでこの名プロデューサーの名前を知らない人はいないだろう。
 才能だけではなく、その体格も態度も大きかったから彼が歩くと、人々は道をあけたものだ。

 興行界の帝王とも呼ばれたディアギレフ、彼は若い頃から音楽、文学、美術が好きだった。
 サンクト・ペテルブルグに住んでいた若き日の彼は、パリでのロシア人画家の絵画展を企画した。それが成功して、翌年には音楽祭を開催した。
 こちらも好評で、次にロシアオペラを紹介しようとしたのだが、うまく歌手を集めることができず、バレエに変えたのだった。偶然が運命を変えることはしばしばあるというのは本当である。

 彼はマリインスキー・シアターとインペリア・シアターのバレエダンサーを夏の休暇の時にだけ雇い、パリで踊らせようと考えたのだった。ダンサーはうまく集まった。
 その時の目玉は「クレオパトラ」で、アンナ・パブロヴ、アイダ・ルビィンシュタイン、ミハエル・フォーキンが主役で、十九歳のニジンスキーは奴隷のひとり。この官能的な若き奴隷は禁断の恋をし、ついには殺されてしまうという役どころだった。

 ところが、この東洋的な顔つきのニジンスキーの艶麗なダンスに観客の視線が集中し、火がついた。このバレエはパリの夜を揺るがすほどの人気が出て、切符が手にはいらないほどになった。
 まず上流社会の女性たちが、ニジンスキーに夢中になった。
 ニジンスキーのダンステクニックは天才的だったが、哀愁が漂う容姿と雰囲気が女性の心をしめつけた。
 彼は哀しく、美しい。
 それを見たディアギレフはこれはいけると思い、ヨーロッパで自身のバレエ団を作ろうと考えたのだ。専属のダンサーを雇いバレエ団を結成すれば、年中、興行ができるというものである。

 彼のバレエ団バレエ・リゥスの主役はもちろんニジンスキーで、その演目は「シェエラザード」、「シャモ人の踊り」、「薔薇の精」、「ペトルーシュカ」、どれも大成功だった。

 これらのダンスナンバーは有名で、今でもさまざまなダンサーにより踊られているが、ニジンスキーが踊った動画はない。その時代、すでに映画は作られていたのだが。
 それはディアギレフがニジンスキーのテクニックを正確に撮るには、撮影技術が足りていないと許可しなかったのだ。それは残念なことなのだが、ニジンスキーが伝説のダンサーになった要因のひとつになった。

 パリでは女性たちがニジンスキーの舞台衣装を真似たドレスを着て、シャンゼリゼを闊歩した。
 バレエ・リゥスはヨーロッパの国々からの招待を受けて、英国、ドイツ、オーストリア、ハンガリーへと出かけて行き、各地でブームを巻き起こした。
「バレェ・リウス」の大成功はニジンスキーの魅力によるところが大だが、しかし、それはディアギレフの贅沢な企画の上に成り立っていた。
 バレエ・リゥスは音楽、衣装、舞台装置においても、超一流の芸術家を雇っていたのだ。
 
 音楽について言えば、ディアギレフはストラヴィンスキー、ラヴェル、ドビュッシー、プロコフィエフ、サティなどの作曲家に新曲を依頼した。今では超一流の作曲家だが、当時はまだそれほど有名でなく、彼らはディアギレフによって見出されたとも言える。
 たとえば、ラヴェルがまだ若い頃、ディアギレフはニジンスキーに踊らせるために「ダフニスとクロエ」を依頼し、彼は二年かかって完成させた。それは二、三世紀頃、ロンゴス(ローマ人)の小説がもとになっており、古代ギリシャの海辺で育った少年少女の性の目覚めが描かれている。
 こういう企画や作曲家選びがどれほど才能溢れるものであったか、ぼくは今になってわかる。


 
 ディアギレフは今年、五十七歳になる。
  二週間前にパリでの公演が終わった後、彼はドイツに向けて旅立った。
 彼は休みには各国の美術館を巡ったり、音楽会に行ったり、古美術を集めるのが好きで、その高尚な趣向はよく知られていた。
  彼は実はバレエについては何も知らなかったのだが、そのテイストと凝り方のおかげで、他のバレエ団とは一線を画していた。
 

 ニジンスキーは幼い頃からバレエを学び、九歳の時には国立舞踊学校に入学していた。しかし、ぼくがバレエを始めたのは十五歳で、ダンサーとしては遅いスタートだった。

 故郷のキエフで、ぼくはニジンスキーの二歳年下の妹ニジンスカのダンスを見て感動した。
 ぼくはニジンスキーよりは十五歳年下で、その頃、ニジンスキーはもう踊ってはおらず、でもその名声は聞こえてはいた。
 その彼の妹ニジンスカのダンスを見て、ぼくはダンサーになろうと思ったのだ。

 その思いは熱く、ある日、思い切ってニジンスカ先生のいるバレエ団の門を叩いた。
 ニジンスカ先生は、ダンスを始めるにはぼくは年を取りすぎているし、ダンスの才能もないと思っている様子だった。
 どうにか入学は許されたものの、先生は厳しい人で、ぼくには冷たかった。
 しばらくすると、ニジンスカ先生はパリのバレエ・リュスに戻ってしまった。ぼくはその頃、自分が進む道はバレエのかないと思っていたので、必死で練習に励んだ。練習をしすぎて、足が動かなくなることもあった。

 その三年後、キエフのバレエ団に、パリのニジンスカ先生から電報が届いた。ディアギレフが若いダンサーを探しているというのだ。 そのことをまた聞きしたぼくは、パリに行こうと決めた。
 経験も浅く、選ばれたわけでもないぼくが、どうしてそんな大それたことを考えついたのだろうか。十八歳の若さだとしか言いようがない。革命後のロシアは混乱していて、外国に出るのは不可能に近かったが、ぼくはこれに賭けることにした。

 ぼくは死ぬ思いをして、やっとのことでパリにたどりついた。
 そして運よく、バレエ・リュスにいれてもらえたのだ。
 その後、ディアギレフはぼくを世界中の名前さえ聞いたことがなかった土地にまで連れていってくれた。文化、歴史、芸術、音楽、それだけでなく、人生のこと、マナーのこと、すべて彼から教えられた。

 バレエ・リュス入団してから四年目にチャンスが訪れた時、ぼくは足を痛めていたけれど、死に物狂いでそれに飛びついた。
 そのチャンスにしがみついて、やがてぼくはプリンシパルダンサーになれた。でも、それで喜んでいるわけにはいかない。一度主役の座を射止めたからって、いつまでも主役を張れるわけではないのだ。主役はすぐに入れ替わる。そばで、チャンスをうかがっているダンサーがいる。そのことをぼくはよく知っている。ぼくだって、ぎらぎらした眼をして、あそこにいたのだから。

 ぼくは身体の無理が利くうちに、他のことにも、挑戦したかった。踊るだけではなく、振付もしてみたかった。
 プリンシパルになると、振付をやらせてもらえるのが通常なのだが、ぼくが振付をやらせてもらえたのはただの一度だけ、「レナール(狐)」しかない。もっと長い振付をやってみたかったし、企画にも参加したかった。ディアギレフのぼくに対する関心や期待が薄いように思えていた。

 それに、最近はディアギレフの心がバレエから遠のいているように思えてならない。熱が感じられないのだ。できることなら、ぼくは求められ、心が燃える場所に行って踊ってみたかった。
 そのことを口にしたことはなかったが、感のよいディアギレフはぼくのそんな不義理を察知して、腹をまげてしまったのかもしれない。彼が激情して、ダンサーを解雇した例はいくつもある。
 
 ぼくは将来についての願望はあっても、具体的には、どこからもオファーがきていないのだから、今、ここの仕事を失うと露頭に迷うことになる。
 何も言わないほうが、よいのかもしれない。
 そう怖気づいたその時、ホテルの二階から誰かがハンカチを振っているのが見えた。その人が彼だとはすぐには分からなかった。そこに見えたのが、蠟のような顔色のだらしない恰好をした年寄りだったからだ。
 その老人がディアギレフだと気がついて、ぼくは転がるようにして階段をかけ上がった。わずかに週間の間に、人はこんなに変わるものなのだろうか。
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