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第十二章
腕(かいな)の中のリリアーナ 60 「次は二人きりの時だけにする」
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「構わず先を続けてくれ……」
カイトとリリアーナはアレクセイの言葉を、声に出して繰り返した後に、お互いの顔を見合わせる。
リリアーナが頬を赤らめてパッとカイトから身体を離した。
「カイト……私……」
「今日はもう遅いし、俺は警護の仕事に戻るから、君もベッドに入ったほうがいい」
見るからにリリアーナの身体から力が抜け落ちる。先ほどは勢いもあったのだろう。
彼女の頭のてっぺんにキスを落とすと、寝室の扉を開けてそっと中に押し込んだ。
「おやすみなさい、カイト」
リリアーナの甘やかな声が耳に響く。
彼女が寝室へと消えるのを見届け、カイトは廊下へ出ると扉に寄りかかり、はぁぁ、と深い溜息を吐いた。
「危なかった――」
右手で目を覆い、暫くはそのままでいた。
***
「リリアーナ様おはようございます」
ノックをして、トレーを持ったフランチェスカがリリアーナの寝室に入ってきた。入り口近くのテーブルに置き、部屋のカーテンを開け始める。差し込んでくる光の洪水に、リリアーナが掛布の下でもぞもぞと動いた。
「う……ん……おはようフラン……もう朝……?」
「はい、リリアーナ様。左様でございます。お飲み物は何になさいますか?」
「オレンジジュースをお願い……」
「かしこまりました」
フランはオレンジジュースをガラスのコップに注ぎ、一回り小さいトレーに載せてベッド脇まで運ぶ。起き上がって枕を背にして座るリリアーナに、差し出そうとして……
「リ、リリアーナ様、それは!?」
「え……?」
リリアーナがフランチェスカの視線を追って、自分の胸元に視線を落とした。ネグリジェから覗く首筋から胸元にかけて、数多もの紅い花びらが舞い散り、その軌跡は胸の谷間へと落ちていく。
「ま、まさか……!」
`リリアーナ様の純潔が?‘ とフランの顔にくっきりと書かれ、リリアーナは慌ててふるふると首を横に振った。
「それは、良うございました……」
安堵の溜息を吐いた後に、キッとばかりに目を吊り上げる。
「……つけたのはカイト、ですね!」
素直にコクンと頷いてしまい、" いけない!" とまた急いで首を振ったが、フランチェスカは脱兎の如く走り去った後だった。
特筆すべきは、今にも落としそうにしていたオレンジジュースを、零さずにきちんとサイドテーブルに置いていった事と、もう一人の側仕えのシェリルを手配していった事である。
カイトの心配をしながら、リリアーナはシェリルに着替えさせてもらい、朝食を摂った後に自室でお茶を飲んでいた。
10時にノックの音と共に、カイトが顔を出す。
「カイト」
リリアーナが心配そうな表情を浮かべて、駆け寄った。
「ん……?」
「フランが行ったでしょう?」
「ああ、説教されたよ」
カイトは意に介さない様子で、リリアーナの首元をじっと見た。
「襟が高いから分からないな」
「シェリルが隠れるドレスを選んでくれたの」
「そうか。ちょっと失礼――」
カイトが手を伸ばし、指先を襟元に引っ掛け、軽く引っ張って中を覗き込む。
「うん……これはフランが怒るわけ…」
「カイト!!」
後ろから飛んできたフランの鉄拳を、リリアーナを抱えてひょいと避ける。
「何をするんだフラン。リリアーナ様に当たるじゃないか」
「そんなヘマしないわよ! リリアーナ様が赤くなって固まっているじゃない! あんたこそ何てことをしているの!」
「あっ……」
カイトが見下ろすと、ちょこんと腕の中に収まったリリアーナが、恥かしそうに頬を桜色に染めて、こちらを見上げている。
「可愛い」
チュッとこめかみにキスを落とす。
「違う!!」
スパーンと頭を叩かれた。
「フラン、痛い」
「痛いじゃないわよ。リリアーナ様は恥かしがっているのよ? デリカシーがないわね」
「ああ……。ごめん、リリアーナ。覗いたのは首筋だけだから、大丈夫だと思ったんだ」
「次から気をつけてくれるなら、それでいい」
恥じらいながらも答えるリリアーナにカイトが頷く。
「次は二人きりの時だけにする」
結局、ぺしっ、とまたフランに叩かれた。
***
ルイス王子の帰国の日がやってきた。身体の中の奥深い傷は未だ治癒しておらず、『う~う~』と苦しみながらの帰国である。
国からは宰相が謝罪と、ルイスの迎えを兼ねてやってきていた。
王子とはいえどリーフシュタイン側から見れば罪人と同じ。王族は一人たりとも見送りには加わらず、屈強な騎士ばかりが立ち並んでいる。
「地獄を這いずり回るような痛みだ。早く国に帰りたい。リリアーナ姫はもう諦めた。代わりに自国で可愛い女の子を……」
「何を仰っているのです。これに懲りて、もう、そのような行為はお控えください」
密かに洩れ聞こえる馬車からの声に、カイトが口を引き結び、思わず前に進み出ようとした。
「カイト」
イフリートが呼び止める。
「脅すだけです。本当は殴り飛ばしたいくらいですが、自制します」
「止めないよ。これを持っていくといい」
サイラスに籠を手渡された。
「これは……?」
「大体、リリアーナ姫なんて大した事はなかったんだ」
その時、音高く馬車の扉が開き、黒髪の騎士が入ってきた。
「ひぃいいい!!」
ルイスはボロクソに殴られた記憶が鮮やかに蘇る。
「サー・カイト! 何を!?」
身を呈して庇おうとした宰相を、イフリートが手を伸ばして掴み、外へ引きずり出した。ぱたん、と扉が閉まって馬車は密室となる。
「う、美しいぞ! リリアーナ姫は! 美しいが絶対にもう手は出さない!!」
ダンッ! とカイトが彼の顔の横を拳で突き、バキッと不穏な破壊音と共に、壁がひしゃげたのが分かった。
ルイスは怖くて振り返って見る勇気がない。
カイトが左手に持っていた篭を、鷹揚にルイスに突き出す。彼がぶるぶると震えながら受け取り、カイトの指示通り上にかけてあった布を取り去った。
「これは……魔女の胡桃……」
それは通称、魔女の胡桃。大変美味ではあるが殻が恐ろしく硬く、鉄でできた胡桃割り機の歯さえもやがては砕けてしまうという、いわくつきの胡桃である。
カイトはその中の一個を手に取ると、指先に力を込めた。
「まさか……」
カキッ、とあっけなく、その胡桃は目の前で真っ二つに割れた。割れた胡桃にルイスの目が釘付けになる。
「食え」
「はいぃぃいっ!!」
ルイスは慌てて中の実を取り出し、口に含む。
恐ろしさで味も分からずにただ咀嚼して飲み込んだ。
次から次へとカイトが軽々と割っていくので、ルイスの口の中が胡桃でいっぱいになり、もごもごとまるでリスのような状態になる。
「ちなみに、俺の利き手は右手だ」
右手は自分の顔の横……。ルイスが恐ろしさに震えながらどう答えていいか分からずにいると、カイトが突いていた右手を外し、その手でルイスの頭を掴んだ。
「ラトヴィッジにはリーフシュタインの密偵が潜り込んでいる。お前が幼女に手を出したり、人の道から外れるような事をしたらすぐにでも――」
カイトがグッと右手に力を入れた。
「いででええぇええええっー!!」
顔を近づけてきたカイトが、耳元でそっと呟く。
「頭を割られたくはないだろう……?」
こくこくと、涙を滲ませてルイスは頷いた。
「邪魔をした」
カイトが出て行き、入れ違いに宰相が馬車に戻される。逃げるようにして、馬車は即座に出立をした。
騎士達がせいせいした顔をしている中、サイラスが話しかけてくる。
「カイト、アレクセイ様が密偵を送りこんだ話を、知っていたのか?」
「え? いいえ、はったりです。まずいですね……その密偵に危険が及ばないといいのですが」
「なぁに、アレクセイ様が送り込んだ奴だ。尻尾を出すようなヘマはしないさ」
イフリートがウインクをしたところで、強い風が巻き起こり、砂塵がもうもうと舞い上がった。みんなして上空を見上げると、ドラゴンがいま正に、下り立とうとしているところだった。
カイトとリリアーナはアレクセイの言葉を、声に出して繰り返した後に、お互いの顔を見合わせる。
リリアーナが頬を赤らめてパッとカイトから身体を離した。
「カイト……私……」
「今日はもう遅いし、俺は警護の仕事に戻るから、君もベッドに入ったほうがいい」
見るからにリリアーナの身体から力が抜け落ちる。先ほどは勢いもあったのだろう。
彼女の頭のてっぺんにキスを落とすと、寝室の扉を開けてそっと中に押し込んだ。
「おやすみなさい、カイト」
リリアーナの甘やかな声が耳に響く。
彼女が寝室へと消えるのを見届け、カイトは廊下へ出ると扉に寄りかかり、はぁぁ、と深い溜息を吐いた。
「危なかった――」
右手で目を覆い、暫くはそのままでいた。
***
「リリアーナ様おはようございます」
ノックをして、トレーを持ったフランチェスカがリリアーナの寝室に入ってきた。入り口近くのテーブルに置き、部屋のカーテンを開け始める。差し込んでくる光の洪水に、リリアーナが掛布の下でもぞもぞと動いた。
「う……ん……おはようフラン……もう朝……?」
「はい、リリアーナ様。左様でございます。お飲み物は何になさいますか?」
「オレンジジュースをお願い……」
「かしこまりました」
フランはオレンジジュースをガラスのコップに注ぎ、一回り小さいトレーに載せてベッド脇まで運ぶ。起き上がって枕を背にして座るリリアーナに、差し出そうとして……
「リ、リリアーナ様、それは!?」
「え……?」
リリアーナがフランチェスカの視線を追って、自分の胸元に視線を落とした。ネグリジェから覗く首筋から胸元にかけて、数多もの紅い花びらが舞い散り、その軌跡は胸の谷間へと落ちていく。
「ま、まさか……!」
`リリアーナ様の純潔が?‘ とフランの顔にくっきりと書かれ、リリアーナは慌ててふるふると首を横に振った。
「それは、良うございました……」
安堵の溜息を吐いた後に、キッとばかりに目を吊り上げる。
「……つけたのはカイト、ですね!」
素直にコクンと頷いてしまい、" いけない!" とまた急いで首を振ったが、フランチェスカは脱兎の如く走り去った後だった。
特筆すべきは、今にも落としそうにしていたオレンジジュースを、零さずにきちんとサイドテーブルに置いていった事と、もう一人の側仕えのシェリルを手配していった事である。
カイトの心配をしながら、リリアーナはシェリルに着替えさせてもらい、朝食を摂った後に自室でお茶を飲んでいた。
10時にノックの音と共に、カイトが顔を出す。
「カイト」
リリアーナが心配そうな表情を浮かべて、駆け寄った。
「ん……?」
「フランが行ったでしょう?」
「ああ、説教されたよ」
カイトは意に介さない様子で、リリアーナの首元をじっと見た。
「襟が高いから分からないな」
「シェリルが隠れるドレスを選んでくれたの」
「そうか。ちょっと失礼――」
カイトが手を伸ばし、指先を襟元に引っ掛け、軽く引っ張って中を覗き込む。
「うん……これはフランが怒るわけ…」
「カイト!!」
後ろから飛んできたフランの鉄拳を、リリアーナを抱えてひょいと避ける。
「何をするんだフラン。リリアーナ様に当たるじゃないか」
「そんなヘマしないわよ! リリアーナ様が赤くなって固まっているじゃない! あんたこそ何てことをしているの!」
「あっ……」
カイトが見下ろすと、ちょこんと腕の中に収まったリリアーナが、恥かしそうに頬を桜色に染めて、こちらを見上げている。
「可愛い」
チュッとこめかみにキスを落とす。
「違う!!」
スパーンと頭を叩かれた。
「フラン、痛い」
「痛いじゃないわよ。リリアーナ様は恥かしがっているのよ? デリカシーがないわね」
「ああ……。ごめん、リリアーナ。覗いたのは首筋だけだから、大丈夫だと思ったんだ」
「次から気をつけてくれるなら、それでいい」
恥じらいながらも答えるリリアーナにカイトが頷く。
「次は二人きりの時だけにする」
結局、ぺしっ、とまたフランに叩かれた。
***
ルイス王子の帰国の日がやってきた。身体の中の奥深い傷は未だ治癒しておらず、『う~う~』と苦しみながらの帰国である。
国からは宰相が謝罪と、ルイスの迎えを兼ねてやってきていた。
王子とはいえどリーフシュタイン側から見れば罪人と同じ。王族は一人たりとも見送りには加わらず、屈強な騎士ばかりが立ち並んでいる。
「地獄を這いずり回るような痛みだ。早く国に帰りたい。リリアーナ姫はもう諦めた。代わりに自国で可愛い女の子を……」
「何を仰っているのです。これに懲りて、もう、そのような行為はお控えください」
密かに洩れ聞こえる馬車からの声に、カイトが口を引き結び、思わず前に進み出ようとした。
「カイト」
イフリートが呼び止める。
「脅すだけです。本当は殴り飛ばしたいくらいですが、自制します」
「止めないよ。これを持っていくといい」
サイラスに籠を手渡された。
「これは……?」
「大体、リリアーナ姫なんて大した事はなかったんだ」
その時、音高く馬車の扉が開き、黒髪の騎士が入ってきた。
「ひぃいいい!!」
ルイスはボロクソに殴られた記憶が鮮やかに蘇る。
「サー・カイト! 何を!?」
身を呈して庇おうとした宰相を、イフリートが手を伸ばして掴み、外へ引きずり出した。ぱたん、と扉が閉まって馬車は密室となる。
「う、美しいぞ! リリアーナ姫は! 美しいが絶対にもう手は出さない!!」
ダンッ! とカイトが彼の顔の横を拳で突き、バキッと不穏な破壊音と共に、壁がひしゃげたのが分かった。
ルイスは怖くて振り返って見る勇気がない。
カイトが左手に持っていた篭を、鷹揚にルイスに突き出す。彼がぶるぶると震えながら受け取り、カイトの指示通り上にかけてあった布を取り去った。
「これは……魔女の胡桃……」
それは通称、魔女の胡桃。大変美味ではあるが殻が恐ろしく硬く、鉄でできた胡桃割り機の歯さえもやがては砕けてしまうという、いわくつきの胡桃である。
カイトはその中の一個を手に取ると、指先に力を込めた。
「まさか……」
カキッ、とあっけなく、その胡桃は目の前で真っ二つに割れた。割れた胡桃にルイスの目が釘付けになる。
「食え」
「はいぃぃいっ!!」
ルイスは慌てて中の実を取り出し、口に含む。
恐ろしさで味も分からずにただ咀嚼して飲み込んだ。
次から次へとカイトが軽々と割っていくので、ルイスの口の中が胡桃でいっぱいになり、もごもごとまるでリスのような状態になる。
「ちなみに、俺の利き手は右手だ」
右手は自分の顔の横……。ルイスが恐ろしさに震えながらどう答えていいか分からずにいると、カイトが突いていた右手を外し、その手でルイスの頭を掴んだ。
「ラトヴィッジにはリーフシュタインの密偵が潜り込んでいる。お前が幼女に手を出したり、人の道から外れるような事をしたらすぐにでも――」
カイトがグッと右手に力を入れた。
「いででええぇええええっー!!」
顔を近づけてきたカイトが、耳元でそっと呟く。
「頭を割られたくはないだろう……?」
こくこくと、涙を滲ませてルイスは頷いた。
「邪魔をした」
カイトが出て行き、入れ違いに宰相が馬車に戻される。逃げるようにして、馬車は即座に出立をした。
騎士達がせいせいした顔をしている中、サイラスが話しかけてくる。
「カイト、アレクセイ様が密偵を送りこんだ話を、知っていたのか?」
「え? いいえ、はったりです。まずいですね……その密偵に危険が及ばないといいのですが」
「なぁに、アレクセイ様が送り込んだ奴だ。尻尾を出すようなヘマはしないさ」
イフリートがウインクをしたところで、強い風が巻き起こり、砂塵がもうもうと舞い上がった。みんなして上空を見上げると、ドラゴンがいま正に、下り立とうとしているところだった。
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