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第十二章
腕(かいな)の中のリリアーナ 87
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リリアーナはローズガーデンの入り口で、サファイア達を見失った。迷路のようなそこを探し回るよりは、カイトの元へ戻るべきだろうか――。
悩んでいた時にサファイアの助けを呼ぶ叫び声が聞こえてきた。
(姉様!!)
叫び声を頼りに通路を辿り、サファイア達を見つけ出す。警備の騎士が駆けつけてこない事に疑問を抱きつつ、瞬く間に悪くなっていく目の前の状況に、その場を離れる事ができなくなってしまった。
(酷い……)
サファイアが泣いている――
負けん気が強く、人前で涙を見せた事のないサファイア。
実はロマンチストで、好きな人とのファーストキスを夢見ていたサファイア。
それが無残にも下劣な男に唇を奪われ、媚薬まで流し込まれようとしている。それだけでも我慢ならないのに、ブレンダンがまたサファイアにくちづけようとした。
考えるよりも早く、身体が動いていた。
「汚らわしい! 姉様から離れなさい!!」
突き飛ばすつもりで突進したのにブレンダンはよろけただけであった。非力な自分が口惜しい。
「リ、リリアーナっ!」
気管へ急に空気が入りごほごほと咽せびながら、サファイアは驚きで目を見張った。
「姉様を放しなさい――」
憎しみを込めた目で睨み付けたが、アロイスはリリアーナの登場に呆然としながらも見惚れている。
「ブレンダン、見ろよ……! 本物のリリアーナ姫だぜ! まるで天使が舞い降りたみたいだ……」
アロイスはリリアーナを傍で見ようと、苦しそうに咳き込んでいるサファイアの片手を掴み、引きずるように近付いてきた。まだ上手く呼吸ができないサファイアを、顧みない行為に、さすがのリリアーナも堪忍袋の緒が切れた。
「姉様を放しなさい!!」
非力さを補おうと転がっていた石を掴み、アロイスにつかみかかった。しかし簡単に手首を取られて引き寄せられ、忌まわしい男に抱き締められてしまう。
サファイアを自由にする事はできたが、男性恐怖症のリリアーナはパニックに陥った。
「いっ、いや――!!」
「柔らかくて、可愛くって、いい匂いがする」
アロイスはリリアーナの髪に顔を埋めて至福の境地に至る。サファイアは彼の足を、ピンヒールで力の限り踏みつけた。それでも放さないアロイスに、鋭いヒールで何度もぐさぐさ踏みつける。
「いい加減、放しなさいよ!!」
「それぐらいにしてくれ」
ブレンダンがサファイアを掴んで引き離した。すかさず自分の足を狙うサファイアの攻撃をかわしながら、ブレンダンは笑みを浮かべる。
「勝気な君が好きだけど、アロイスの足がどうにかなってしまうからね。彼は今、大麻のせいであまり痛みを感じないんだ」
「リリアーナを放して!! 私一人で構わないでしょう!?」
「彼はリリアーナ姫にご執心だし、ここで逃がす訳にはいかない」
アロイスの腕の中でぶるぶると震えているリリアーナに、サファイアの胸は後悔でいっぱいになる。
(自分が浅はかな行動に出なければ、リリアーナもこんな目に合わなかったのに……!)
悔いるサファイアの目の前で、アロイスの身体が突然バランスを失った。
「えっ?」
猫のように襟首を掴まれて、背中から引き倒されるアロイス。倒れる直前に腕の中からリリアーナが救い出された。
「ルイス……!」
ルイス王子がリリアーナを腕の中にして立っていた。まだショックで震えているリリアーナが、苦手な自分を怖がらないよう、くず折れない程度に軽く支えている。
下劣な男から救い出され、彼女を思い遣るルイスの気持ちも伝わったのか、リリアーナの震えは治まりつつあった。傍から見ても安心した様子が伺える。
「リリアーナ姫、カイトかラザファムか、とにかく騎士を連れてきてくれ」
「でも、……」
ちらっとリリアーナがサファイアに目を走らせた。
「大丈夫だ。俺の命に代えてもサファイア姫を守る。だから早く呼んできてほしい。自慢じゃないが、腕っぷしには自信がないんだ」
「――分かったわ」
走り出すリリアーナをアロイスが追おうとした。ルイスがすかさず足を引っ掛ける。無様に転んだアロイスが、ブレンダンに向かって叫んだ。
「リリアーナ姫が逃げたぞ! 捕まえないとすぐに騎士が押し寄せてくる!!」
「大丈夫だ。普段うちで使っている手合いを、ローズガーデンの入り口で待機させている。すぐに連れ戻してくれるさ。それよりアロイス、ルイス王子をどうにかしてくれ。俺はサファイア様から手が放せないし」
「俺ばっかり損な役回り……」
「後で極上のやつ(大麻)を渡すからさ」
「はぁ……しようがないか」
文句を言いながら、アロイスが立ち上がった。
***
息せき切ってローズガーデンを出たところで、リリアーナは数人の男に取り囲まれた。従者の格好をしてはいるが、明らかに雰囲気は町のごろつきである。
「言われていたサファイア王女でなくて、リリアーナ王女ですぜ?」
「でもまあ、この慌てっぷりはブレンダン様が関わっているとみて、間違いないだろう」
逃げようとしたリリアーナを首領らしき大男が掴まえた。
「放して!!」
「小動物のように震えて……何とも可愛らしいじゃないか」
手元に引き寄せ今にも手を出しそうな大男に、手下が慌てて注意をする。
「お頭、手を出したらまずいっすよ。ブレンダン様がお怒りになります」
「いいじゃねぇか、ちょこっと味見するぐらい。国の至宝と謳われるリリアーナ姫だ。こんなチャンスはもう二度と巡ってこねぇ」
ねっとりとした厭らしい目付きで見下ろされ、リリアーナはもがきながら怯えて叫んだ。
「いや……! カイト、助けて!!」
『いや、カイト、助けてぇ!』
口真似をする頭に、周囲から下卑た笑い声が上がる。頭は愛らしい姫君にくちづけようと、リリアーナの顎を掴んで唇を突き出した。リリアーナは嫌がって、両手で必死に相手の顔を押し返す。しかし力の差は歴然で、すぐに汚らわしい唇が目の前まで迫ってきた。
リリアーナの眦からは涙が滲み、気も遠くなりかける。
ドゴッ! と鈍い音がして、突然、頭の身体が吹っ飛んだ。
「……へ?」
手下達が見ると、頭がいた場所に黒髪の少年が立っていて、リリアーナを支えている。
「カイト……!」
「遅くなり申し訳ありませんでした」
黒い瞳に浮かぶ、自分を案ずる想いに、リリアーナはほっと安堵し、はらはらと涙をこぼした。そのままカイトの胸に縋り付く。
手下達は呆然として、数メートル先に倒れている頭を凝視した。
「お前、今の見えたか……?」
「うんにゃ、気付いたらガキが立っていた」
「俺は骨が砕ける音なら聞こえた気が……」
「俺達、あいつと戦うの? あれ、ガキになった黒騎士だよな……」
一人の男の声に皆でごくりと唾を飲み込み、カイトに注目をする。その視線を感じたカイトが、周囲にざっと目を走らせた。
「リリアーナ様、デニスとしばしお待ち下さい」
傍に控えていた騎士見習いのデニスに、カイトが目配せをする。デニスとは、ここに来る途中で偶然出くわし、連れてきたのだ。
身体を離そうとするカイトに、リリアーナは束の間取り縋った。カイトが一瞬、眉を寄せてリリアーナをじっと見つめる。
その表情にリリアーナは、はっと我に返り自分を恥じた。敵に取り囲まれ、サファイアの元へも急がなければいけない中、何を、甘えているのだろう。
リリアーナは顔を下に向け、カイトの胸に手を当てて離れようと力を入れた。胸に当てた指先は、微かに震えている。
「こんな時に、ごめんなさ……」
言い終わらぬうちに、強く、腕の中に抱きしめられた。
「謝る事なんかない、怖かったんだろう?」
その言葉に……頬に押し当てられたカイトの胸の温もりに……リリアーナの瞳から、また涙が溢れ出てきた。
「ここはすぐに終わらせる。全てが終わったら、片時も傍を離れないようにする。だから……」
カイトは頬を伝う涙を指先で拭うと、リリアーナのこめかみに優しくくちづけた。
「今はこれで、我慢をしてくれ」
リリアーナは尚も涙をこぼしながら、嬉しそうにコクンと頷いた。
”ここはすぐに終わらせる………”
男達はゆっくりと振り返り、どうにか立ちあがった頭を恐る恐る窺う。
「なに俺の顔色を窺ってやがる!! お前達は戦いもしないで捕まりたいのか!? さっさとぶちのめしてこい!!」
リリアーナにキスはできず、カイトには吹っ飛ばされ、あまつさえキスシーン(こめかみだが)を見せ付けられ、お頭はおかんむりである。
”ぶちのめされるのは自分達の気が………”
とは思いながらも、お頭の命令には逆らえず、やけくそでカイトに襲い掛かった。
カイトは殴りこんできた男の腕を掴むと、体重を下に沈め、その反動で相手を地面に叩きつけた。次の男には肘で鳩尾に一撃を入れ、次いで下から顎を突き上げる。背後の敵には後ろ蹴りを……と、切れの良い技と素早さで、次から次へ敵をなぎ倒していく。見る見る手下の数が減り、それに連れて頭の顔色も悪くなっていった。
(ヤバイ……この強さはもはや人外……)
冷や汗がたらたらと流れ始めた頃には、手下が全員のされていた。
「お頭ぁ……俺達の仇を……」
「お、おう任せろ……!」
その言葉でカイトの殺気が一気に頭へと集中する。
「ひ――っ、」
安請け合いした事を瞬時に後悔する頭。
「お前……さっき無理矢理リリアーナにキスしようとしていたな」
「は……い……」
「――殺す」
(いきなり殺人予告キターーー!!)
カイトの怒気に当てられて、口から魂が抜けてしまいそうな頭は、がばと地面にひれ伏した。
「私が悪うございました! 命ばかりはお助け下さい!!」
「ドゲザ(土下座)かよ!!」
傷だらけの手下からブーイングが上がる中、カイトは溜息を吐く。近付いていき、頭の目の前で足を止めた。
「立て」
「はいっ!」
勢い良く立ち上がった頭の目を、カイトは強く見据えて言う。
「俺は普段、人の謝罪は極力受け入れるようにしている」
「はい」
「だが受け入れないものも幾つかある。特に受け入難いのはリリアーナを悲しませたり、害をなした者からの謝罪だ」
「はい……」
「よって、お前の謝罪は受け入れられない」
「……と、いう事は……」
カイトが組んだ指を鳴らしながら尋ねる。
「かかってきてやられるか? それとも一方的にやられたいか?」
「その二択かい!!」
破れかぶれで突っ込んでいったお頭の意識は、そこでぷつんと途切れた。
「裏拳打ちからの、飛び後ろ廻し蹴り……! お見事でした!!」
デニスが称賛の眼差しを向け、何故か手下達からも拍手が沸き起こる中、カイトはリリアーナの元へ戻る。
すぐにリリアーナを横に抱き上げて言った。
「サファイア様のところへ急ごう」
***
「こいつ……っ、何てしつこいんだ~!」
アロイスがぜいぜい言いながらルイス王子と殴り合いをしている。
「確かに、この王子様はなかなかやるな」
サファイアを腕にしたまま、ブレンダンは呟いた。アロイスは元々腕が立つ。それが大麻を吸った事で、精神が高揚し、身体能力も上がって、いつも以上の強さを見せていた。
しかしルイスはそれに食らいついているのだ。
客観的に見ても、アロイスのほうが実力は上である。けれどルイスからはそれを上回る、執念のようなものが感じ取られ、互角の戦いになっていた。
「サファイア様がよほど大切なのですね」
「お願い、もうやめさせて……!」
「王子の心配ですか? 妬けますねぇ」
しかし急がねばなるまい。自分の手の者が、リリアーナの連れ戻しに失敗をしたようだ。本当だったら、もうとっくに顔を出している時間である。
「サファイア様、一緒に来て頂きます」
「何を言っ……!?」
ブレンダンはサファイアの喉元に、ナイフの切っ先を押し当てた。
「ルイス王子! 大人しくしてくれ! さもないと、愛しい姫君がどうなっても知らないぞ!」
今ではもう、ぼろぼろになっているルイスが、苦渋の表情で動きを止めた。
「アロイス、王子を殴って気絶させろ! どうやら雲行きが怪しくなってきた。サファイア姫を人質にして逃げる!」
「分かった」
アロイスはまずい状態になったと思いつつも、切りが無い殴り合いに嫌気が差していたので、ひとまずはほっとした。思い切り顎を狙って下から上へ殴りつける。ルイスは一瞬よろめいたが、ぐっと拳を握って堪えた。今度は頬をぶん殴る。しかし、まだルイスは耐えている。
「やめて! こんなの酷すぎるわ!!」
ブレンダンは段々イラついてきた。時間が無いのに、何故この王子は倒れない!?
アロイスがまた殴りつけようとした時、サファイアがナイフを持っているブレンダンの手に噛み付いた。
「痛――っ!!」
一瞬の隙に、サファイアは腕の中から逃げ出す。
「この女!!」
腹立ちも露に、ブレンダンがナイフを振りかざした。
「サファイア!!」
ずんっ――と、サファイアの身体に鈍い音が響いた。
悩んでいた時にサファイアの助けを呼ぶ叫び声が聞こえてきた。
(姉様!!)
叫び声を頼りに通路を辿り、サファイア達を見つけ出す。警備の騎士が駆けつけてこない事に疑問を抱きつつ、瞬く間に悪くなっていく目の前の状況に、その場を離れる事ができなくなってしまった。
(酷い……)
サファイアが泣いている――
負けん気が強く、人前で涙を見せた事のないサファイア。
実はロマンチストで、好きな人とのファーストキスを夢見ていたサファイア。
それが無残にも下劣な男に唇を奪われ、媚薬まで流し込まれようとしている。それだけでも我慢ならないのに、ブレンダンがまたサファイアにくちづけようとした。
考えるよりも早く、身体が動いていた。
「汚らわしい! 姉様から離れなさい!!」
突き飛ばすつもりで突進したのにブレンダンはよろけただけであった。非力な自分が口惜しい。
「リ、リリアーナっ!」
気管へ急に空気が入りごほごほと咽せびながら、サファイアは驚きで目を見張った。
「姉様を放しなさい――」
憎しみを込めた目で睨み付けたが、アロイスはリリアーナの登場に呆然としながらも見惚れている。
「ブレンダン、見ろよ……! 本物のリリアーナ姫だぜ! まるで天使が舞い降りたみたいだ……」
アロイスはリリアーナを傍で見ようと、苦しそうに咳き込んでいるサファイアの片手を掴み、引きずるように近付いてきた。まだ上手く呼吸ができないサファイアを、顧みない行為に、さすがのリリアーナも堪忍袋の緒が切れた。
「姉様を放しなさい!!」
非力さを補おうと転がっていた石を掴み、アロイスにつかみかかった。しかし簡単に手首を取られて引き寄せられ、忌まわしい男に抱き締められてしまう。
サファイアを自由にする事はできたが、男性恐怖症のリリアーナはパニックに陥った。
「いっ、いや――!!」
「柔らかくて、可愛くって、いい匂いがする」
アロイスはリリアーナの髪に顔を埋めて至福の境地に至る。サファイアは彼の足を、ピンヒールで力の限り踏みつけた。それでも放さないアロイスに、鋭いヒールで何度もぐさぐさ踏みつける。
「いい加減、放しなさいよ!!」
「それぐらいにしてくれ」
ブレンダンがサファイアを掴んで引き離した。すかさず自分の足を狙うサファイアの攻撃をかわしながら、ブレンダンは笑みを浮かべる。
「勝気な君が好きだけど、アロイスの足がどうにかなってしまうからね。彼は今、大麻のせいであまり痛みを感じないんだ」
「リリアーナを放して!! 私一人で構わないでしょう!?」
「彼はリリアーナ姫にご執心だし、ここで逃がす訳にはいかない」
アロイスの腕の中でぶるぶると震えているリリアーナに、サファイアの胸は後悔でいっぱいになる。
(自分が浅はかな行動に出なければ、リリアーナもこんな目に合わなかったのに……!)
悔いるサファイアの目の前で、アロイスの身体が突然バランスを失った。
「えっ?」
猫のように襟首を掴まれて、背中から引き倒されるアロイス。倒れる直前に腕の中からリリアーナが救い出された。
「ルイス……!」
ルイス王子がリリアーナを腕の中にして立っていた。まだショックで震えているリリアーナが、苦手な自分を怖がらないよう、くず折れない程度に軽く支えている。
下劣な男から救い出され、彼女を思い遣るルイスの気持ちも伝わったのか、リリアーナの震えは治まりつつあった。傍から見ても安心した様子が伺える。
「リリアーナ姫、カイトかラザファムか、とにかく騎士を連れてきてくれ」
「でも、……」
ちらっとリリアーナがサファイアに目を走らせた。
「大丈夫だ。俺の命に代えてもサファイア姫を守る。だから早く呼んできてほしい。自慢じゃないが、腕っぷしには自信がないんだ」
「――分かったわ」
走り出すリリアーナをアロイスが追おうとした。ルイスがすかさず足を引っ掛ける。無様に転んだアロイスが、ブレンダンに向かって叫んだ。
「リリアーナ姫が逃げたぞ! 捕まえないとすぐに騎士が押し寄せてくる!!」
「大丈夫だ。普段うちで使っている手合いを、ローズガーデンの入り口で待機させている。すぐに連れ戻してくれるさ。それよりアロイス、ルイス王子をどうにかしてくれ。俺はサファイア様から手が放せないし」
「俺ばっかり損な役回り……」
「後で極上のやつ(大麻)を渡すからさ」
「はぁ……しようがないか」
文句を言いながら、アロイスが立ち上がった。
***
息せき切ってローズガーデンを出たところで、リリアーナは数人の男に取り囲まれた。従者の格好をしてはいるが、明らかに雰囲気は町のごろつきである。
「言われていたサファイア王女でなくて、リリアーナ王女ですぜ?」
「でもまあ、この慌てっぷりはブレンダン様が関わっているとみて、間違いないだろう」
逃げようとしたリリアーナを首領らしき大男が掴まえた。
「放して!!」
「小動物のように震えて……何とも可愛らしいじゃないか」
手元に引き寄せ今にも手を出しそうな大男に、手下が慌てて注意をする。
「お頭、手を出したらまずいっすよ。ブレンダン様がお怒りになります」
「いいじゃねぇか、ちょこっと味見するぐらい。国の至宝と謳われるリリアーナ姫だ。こんなチャンスはもう二度と巡ってこねぇ」
ねっとりとした厭らしい目付きで見下ろされ、リリアーナはもがきながら怯えて叫んだ。
「いや……! カイト、助けて!!」
『いや、カイト、助けてぇ!』
口真似をする頭に、周囲から下卑た笑い声が上がる。頭は愛らしい姫君にくちづけようと、リリアーナの顎を掴んで唇を突き出した。リリアーナは嫌がって、両手で必死に相手の顔を押し返す。しかし力の差は歴然で、すぐに汚らわしい唇が目の前まで迫ってきた。
リリアーナの眦からは涙が滲み、気も遠くなりかける。
ドゴッ! と鈍い音がして、突然、頭の身体が吹っ飛んだ。
「……へ?」
手下達が見ると、頭がいた場所に黒髪の少年が立っていて、リリアーナを支えている。
「カイト……!」
「遅くなり申し訳ありませんでした」
黒い瞳に浮かぶ、自分を案ずる想いに、リリアーナはほっと安堵し、はらはらと涙をこぼした。そのままカイトの胸に縋り付く。
手下達は呆然として、数メートル先に倒れている頭を凝視した。
「お前、今の見えたか……?」
「うんにゃ、気付いたらガキが立っていた」
「俺は骨が砕ける音なら聞こえた気が……」
「俺達、あいつと戦うの? あれ、ガキになった黒騎士だよな……」
一人の男の声に皆でごくりと唾を飲み込み、カイトに注目をする。その視線を感じたカイトが、周囲にざっと目を走らせた。
「リリアーナ様、デニスとしばしお待ち下さい」
傍に控えていた騎士見習いのデニスに、カイトが目配せをする。デニスとは、ここに来る途中で偶然出くわし、連れてきたのだ。
身体を離そうとするカイトに、リリアーナは束の間取り縋った。カイトが一瞬、眉を寄せてリリアーナをじっと見つめる。
その表情にリリアーナは、はっと我に返り自分を恥じた。敵に取り囲まれ、サファイアの元へも急がなければいけない中、何を、甘えているのだろう。
リリアーナは顔を下に向け、カイトの胸に手を当てて離れようと力を入れた。胸に当てた指先は、微かに震えている。
「こんな時に、ごめんなさ……」
言い終わらぬうちに、強く、腕の中に抱きしめられた。
「謝る事なんかない、怖かったんだろう?」
その言葉に……頬に押し当てられたカイトの胸の温もりに……リリアーナの瞳から、また涙が溢れ出てきた。
「ここはすぐに終わらせる。全てが終わったら、片時も傍を離れないようにする。だから……」
カイトは頬を伝う涙を指先で拭うと、リリアーナのこめかみに優しくくちづけた。
「今はこれで、我慢をしてくれ」
リリアーナは尚も涙をこぼしながら、嬉しそうにコクンと頷いた。
”ここはすぐに終わらせる………”
男達はゆっくりと振り返り、どうにか立ちあがった頭を恐る恐る窺う。
「なに俺の顔色を窺ってやがる!! お前達は戦いもしないで捕まりたいのか!? さっさとぶちのめしてこい!!」
リリアーナにキスはできず、カイトには吹っ飛ばされ、あまつさえキスシーン(こめかみだが)を見せ付けられ、お頭はおかんむりである。
”ぶちのめされるのは自分達の気が………”
とは思いながらも、お頭の命令には逆らえず、やけくそでカイトに襲い掛かった。
カイトは殴りこんできた男の腕を掴むと、体重を下に沈め、その反動で相手を地面に叩きつけた。次の男には肘で鳩尾に一撃を入れ、次いで下から顎を突き上げる。背後の敵には後ろ蹴りを……と、切れの良い技と素早さで、次から次へ敵をなぎ倒していく。見る見る手下の数が減り、それに連れて頭の顔色も悪くなっていった。
(ヤバイ……この強さはもはや人外……)
冷や汗がたらたらと流れ始めた頃には、手下が全員のされていた。
「お頭ぁ……俺達の仇を……」
「お、おう任せろ……!」
その言葉でカイトの殺気が一気に頭へと集中する。
「ひ――っ、」
安請け合いした事を瞬時に後悔する頭。
「お前……さっき無理矢理リリアーナにキスしようとしていたな」
「は……い……」
「――殺す」
(いきなり殺人予告キターーー!!)
カイトの怒気に当てられて、口から魂が抜けてしまいそうな頭は、がばと地面にひれ伏した。
「私が悪うございました! 命ばかりはお助け下さい!!」
「ドゲザ(土下座)かよ!!」
傷だらけの手下からブーイングが上がる中、カイトは溜息を吐く。近付いていき、頭の目の前で足を止めた。
「立て」
「はいっ!」
勢い良く立ち上がった頭の目を、カイトは強く見据えて言う。
「俺は普段、人の謝罪は極力受け入れるようにしている」
「はい」
「だが受け入れないものも幾つかある。特に受け入難いのはリリアーナを悲しませたり、害をなした者からの謝罪だ」
「はい……」
「よって、お前の謝罪は受け入れられない」
「……と、いう事は……」
カイトが組んだ指を鳴らしながら尋ねる。
「かかってきてやられるか? それとも一方的にやられたいか?」
「その二択かい!!」
破れかぶれで突っ込んでいったお頭の意識は、そこでぷつんと途切れた。
「裏拳打ちからの、飛び後ろ廻し蹴り……! お見事でした!!」
デニスが称賛の眼差しを向け、何故か手下達からも拍手が沸き起こる中、カイトはリリアーナの元へ戻る。
すぐにリリアーナを横に抱き上げて言った。
「サファイア様のところへ急ごう」
***
「こいつ……っ、何てしつこいんだ~!」
アロイスがぜいぜい言いながらルイス王子と殴り合いをしている。
「確かに、この王子様はなかなかやるな」
サファイアを腕にしたまま、ブレンダンは呟いた。アロイスは元々腕が立つ。それが大麻を吸った事で、精神が高揚し、身体能力も上がって、いつも以上の強さを見せていた。
しかしルイスはそれに食らいついているのだ。
客観的に見ても、アロイスのほうが実力は上である。けれどルイスからはそれを上回る、執念のようなものが感じ取られ、互角の戦いになっていた。
「サファイア様がよほど大切なのですね」
「お願い、もうやめさせて……!」
「王子の心配ですか? 妬けますねぇ」
しかし急がねばなるまい。自分の手の者が、リリアーナの連れ戻しに失敗をしたようだ。本当だったら、もうとっくに顔を出している時間である。
「サファイア様、一緒に来て頂きます」
「何を言っ……!?」
ブレンダンはサファイアの喉元に、ナイフの切っ先を押し当てた。
「ルイス王子! 大人しくしてくれ! さもないと、愛しい姫君がどうなっても知らないぞ!」
今ではもう、ぼろぼろになっているルイスが、苦渋の表情で動きを止めた。
「アロイス、王子を殴って気絶させろ! どうやら雲行きが怪しくなってきた。サファイア姫を人質にして逃げる!」
「分かった」
アロイスはまずい状態になったと思いつつも、切りが無い殴り合いに嫌気が差していたので、ひとまずはほっとした。思い切り顎を狙って下から上へ殴りつける。ルイスは一瞬よろめいたが、ぐっと拳を握って堪えた。今度は頬をぶん殴る。しかし、まだルイスは耐えている。
「やめて! こんなの酷すぎるわ!!」
ブレンダンは段々イラついてきた。時間が無いのに、何故この王子は倒れない!?
アロイスがまた殴りつけようとした時、サファイアがナイフを持っているブレンダンの手に噛み付いた。
「痛――っ!!」
一瞬の隙に、サファイアは腕の中から逃げ出す。
「この女!!」
腹立ちも露に、ブレンダンがナイフを振りかざした。
「サファイア!!」
ずんっ――と、サファイアの身体に鈍い音が響いた。
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