罪状は【零】

毒の徒華

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第1章 人間と魔女と魔族

第8話 記憶の中の白い魔女

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「なんとなく察しているとは思うけど、力が前の身体より強くなっていたり、色々前との相違点はあると思う。慣れるまでは大変かもしれない」
「そんな説明はされずとも解っている。それに他のことも……不思議と解ってしまう」
「えー! なにそれずるいずるい! ぼくともケイヤクしてよー!」

 レインがバタバタとまた暴れだす。

「あのね、レイン。契約は良いことばかりじゃない。契約した者と離れられなくなってしまうんだよ」

 僕が諭すように言うが、レインはバタバタとせわしなくはためいて話を聞かない。

「ぼくノエルと離れたくないからいいもん!」
「この馬鹿トカゲ、殺すぞ」
「なんだよこのインケン野郎!」
「やめてよもう……二人とも」

 ひとまず、ガーネットをどのようにして、ご主人様の目から逃れてもらおうかということで頭がいっぱいだった。
 言い争いを辞める気配のない二人を見ていた。
 先が思いやられる。
 ガーネットの方を見ながら僕は顔をしかめて考えていると、ガーネットの身体の傷痕が本当に酷いことに目がいった。
 これは致命傷ではなかったのかと思うほどの大きな傷がいくつもある。

 ――いくら魔族とはいえ、こんなに……まして血液を大量に必要とする吸血鬼族なのに……

「なにを見ている」

 僕の視線に気づいたガーネットは、機嫌が心底悪そうだった。
 僕を鋭い目で睨む。
 今にもまた僕に飛びかかってきそうだ。

「あぁ……えぇと……本当に酷い傷だね……よく……生きているというか」
「ジロジロ私の身体を見るな。異端児の分際で。魔女の目つきはどいつもこいつも卑しい目つきをしてる」

 ――喧嘩をやめてほしそうな目で見ているのが解らないかな……

 しかし、レインを殺さずに口喧嘩で済んでいるところは、ガーネットの優しさなのだろうか。
 魔族はもっと簡単に相手を殺したりする種族だと思っていた。

「僕はそんなひどい怪我をして、よく生きているなって思っただけ」
「ふん、知りたいなら答えてやる。これは治療魔術を使う魔女に、死ぬ前に無理やり再生させられたときにできた傷痕だ。そのままであったら確実に死ぬ致命傷の傷だった」

 ガーネットは苛立っているのか自分の唇をかみしめていた。牙が食い込み、僕にも痛みが伝わってくる。
 そして胸に自分の手を当てて傷を押さえた。
 そのしぐさが、僕の胸を痛ませる。どれほどその傷みが壮絶なものだったのか、その片鱗を経験した僕には少しは解る。

「……それって、どのくらい高位の魔女だったか覚えている?」
「かなりの高位魔女だろう。どんな傷も、致命傷でさえたちどころに治した」

 それを聞いて、僕は治癒魔術の高位魔女ならご主人様を治せるかもしれないと思った。魔女と関わりたくないという思いが強すぎて、その点は盲点だった。

 ――待てよ……治癒魔術を使う魔女……?

 ガーネットのその話を聞いて、僕はずっと前の記憶がよみがえってくる。

 ――あの白い魔女……

 僕が魔女の総本部にいたとき、実験にいつも立ち会っていた魔女。その魔女だろうか。どんな魔女だったのかよく覚えていない。
 しかし、ご主人様の治療に協力してくれるわけがないと考える。
 僕の経験からしても、魔女なんて残虐な性格の者しか見たことがない。
 仮に協力させるにしても、どう協力させたらいいかも解らない。

 ――リスクは冒したくない。でも、このままじゃ……ご主人様は……

「その魔女はどんな風だった? 実験に積極的だったとか、外見とか……」
「白い髪に白い法衣の魔女だ。無理やり実験に参加させられているように見えたが……いつも他の魔女に怯えている様だった」

 それを聞いて、僕はかすかな記憶を頼りに思い出した。白い髪、白い法衣。魔女には珍しい治療を生業にしている魔女……。


 ――過去―――――――――――――――――――――


「大丈夫……?」
「…………」
「大丈夫じゃ……ないですよね……」
「……………」
「傷は治っても、心の傷までは治せないんです……ごめんなさい」


 ――現在―――――――――――――――――――――


 ――やっぱりあの魔女か……――

 もしかしたら、協力してくれるかもしれない。
 僕のことを覚えているだろうか。いや、忘れるわけがない。
 協力してくれるかもしれないという、その希望に縋りたい気持ちでいっぱいになる。
 それでも僕は、探しに行きたい気持ち半分と心配で離れたくない気持ち半分だった。




 ◆◆◆




 すっかり遅くなってしまった。

 ――早く帰るって言ったのに、ご主人様怒るかな……

 そう考えると憂鬱だった。
 魔族たちをきちんと異界に送って魔法陣は消した。レインは僕と遊びたいと駄々をこねていたが、なんとか説得してきた。
 なにより問題なのは、吸血鬼族を助ける為に契約を結んでしまったことだ。
 しかも気性が荒く、魔女の血統を無差別に酷く嫌っている。
 最初はただ気性が荒いだけの小物かと思ったが、実際に話をしてみると知性の高さは確かにあり、確かに高位魔族のようだった。
 高位魔族はやはり知能が高い。現代の人間よりは物分かりがよさそうだ。
 ガーネットには僕の生活に全容の話をして言い聞かせた。
 酷く嫌がっていたが魔女に復讐する機会を与えるということと、できるだけ僕はガーネットに合わせ、強要はしないということでようやく納得してもらった。
 契約者で優勢なのは僕なのに、なんでご機嫌伺いをしないといけないのかと頭を抱える。

 ――でも、否応なしに支配したら他の最低な魔女と一緒だ……

 ガーネットは僕から離れすぎると肉体的な苦痛を感じてしまうので、僕と一緒に来てもらうことにした。
 しかし、見た目が明らかに人間のソレとはかけ離れているからと困っていたら

「にゃーん」

 これである。
 変化魔術の魔女の魔術式を憶えていたガーネットが、自身に魔術式をかけて猫になってくれた。
 高位魔族だからできる粗技だ。黒い毛並みに赤い目の猫。猫にしては少し不自然だがこれなら僕の傍に置いても不審はない。
 ただ、猫の声帯の構造上喋ることはできないようで、こうなっているガーネットとは僕から話しかける一方通行な意思疎通しかできない。
 猫の姿をしているガーネットは、あの悪態をついてくる可愛げのなさが嘘のようだった。

 やっとの思いで家の前について、扉を開けようとしたときに中から話し声が聞こえてきたのに気が付いた。

 ――女の人の声だ…………開けない方がいいかな

 何の話をしているかまでは聞こえなかったが、楽しそうに話をしているのは解る。
 その楽し気な声を聞いて胸が痛んだ。

 ――僕といる時はそんな風に話してくれないのにな……

 薬草の籠を玄関の隣に置いて、僕は家から遠ざかった。
 その楽し気な声を、聞きたくなかったから。

 抱かれた記憶や、優しくしてくれた記憶がその反動で僕の心を蝕んでいく。
 僕は家の近くの会話が聞こえないところへ逃げた。
 いつ頃帰ればいいのだろう。早く帰ってこいなんて言っておいて、すぐこれだ。僕は座り込んで心の中で悪態をついた。
 辺りは、もうずいぶん暗かった。暗闇と静寂だ。草木のさざめきが聞こえる。
 ザァ――――……という音。別に何の意味もないその音に、僕は耳を傾けた。
 この音と同じように、ご主人様が何を考えているのか解らない。

「おい、魔女」
「わぁっ!?」

 急に呼ばれて驚いて変な声を出してしまった。ガーネットが吸血鬼族の姿に戻っていた。

「ちょっと、町の近くで吸血鬼の姿はまずいよ」
「うるさい。猫の姿は不自由な上に、お前と話ができないだろうが」

 じゃあ喋る鳥にでもなって話せるようになってくれたらいいのに。と思ったが、そんな口喧嘩をしている気力がない。
 一人になりたかったのに。いうなれば一人で泣きたい気持ちだったのに。
 この先、一生僕は一人にはなれない。
 最初から殺す気はないけれど、この吸血鬼を殺したら僕まで死んでしまう。

「何故家に戻らないんだ?」
「……客人がきているから、邪魔できないからね」
「ふん、とやらか? 魔女が人間を主にするなどとんだ笑い草だ。まして魔女と翼人の混血がとは」

 相変わらずガーネットは僕のことが気に入らないらしく、毒づいている。
 人間は弱い生き物だ。
 魔女にも、魔族にも虐げられ続けている。
 家畜のように扱われている人間に傅かしずくなど、明らかに理解できない事柄なのだろう。

「生き方はそれぞれだよ。こっちに住んでいる者の感覚が理解できないかもしれないけど」

 ガーネットは僕から少し離れて座った。

「何故龍をあの山でかくまっている?」
「怪我をして動けなくなっていたところを見つけたから、保護しているんだよ」
「さっさと異界に帰せばいいだろう」
「異界との行き来は身体に負荷がかかるから、怪我をして弱っている状態でそんなことをしたら死んでしまうよ」

 ガーネットは僕に反論されて気分を害したようだった。
 とはいえ、一人でこんなところで悩んでいるより話し相手がいた方がいい。生意気だし僕に敵意むき出しだけれど、独りで泣いているより誰かが隣にいた方がいい。
 隣とは言っても、結構離れている。
 僕は離れて座っているガーネットを見た。

「そんな警戒しなくても僕は危害を加えたりしないよ」
「魔女は信用できない」

 身体の傷を見れば、どれだけ凄惨な目にあったのかわかる。酷い目に遭ってきたのだから、それは当然と言えば当然だ。
 軽くため息を吐きながら、僕は早く家に帰りたい気持ちと、帰りたくない気持ちが混在していた。
 僕は何の気なしにガーネットの顔を見た。
 綺麗な金髪で僕と同じ紅い目をしている。人間や魔女とは違う妖艶さがある。純粋に美しいと僕は思った。
 一緒にいるのに会話がないとなんだか気まずいと感じる。魔族には“気まずい”という感覚はあるのだろうか。

「ガーネットは、綺麗な目をしているんだね」

 僕は沈黙に耐えかねて他愛もない話を振ってみた。
 相手との距離を縮めるのに相手を褒めるのは常套句だと、先生から教えてもらった。褒められて嫌な気持ちになるわけがないのだから、と。

「気色が悪いことを言うな……正気か?」

 思った以上に冷たい反応をされて少し傷ついた。
 魔族には世間話という概念はあるのだろうかと真面目に考えなければならない。
 褒められて嫌な気持ちになることはどうやらあるようだ。

「そもそも人間などに好意を寄せていることがおかしいのだ。人間など脆弱な肉塊でしかない。魔女そのものがおかしい中でも、お前は群を抜いておかしい」
「……別に、ガーネットには関係ないでしょ」

 ――なに子供みたいなことを言っているんだ、僕は……

 途端に恥ずかしくなって、座ったままの姿勢で自分の腕の中に顔をうずめた。

「人間と魔族の血統の者との間に、子供ができないのは知っているだろう。最初の魔女はほぼ事故のような突然変異で生まれたことくらい知っているはずだ」

 ズキリ……

 心臓の辺りが痛んだ。

「……知ってるよ」

 痛いほど、知っている。

 だから何度ご主人様に抱かれても、僕は子供を身ごもることはない。
 どんなに愛していても、僕はあの人との子供を授かることはできない。ご主人様はそれを知らないだろう。
 魔族血統と人間の間に子供ができないのは、人間の間ではあまり知られていない。

「子供も成せないのに、一体お前はその人間に何故執着するんだ?」
「…………好きだから」
「好き? 意味が解らない」

 異界育ちには解らないだろうか。それとも魔族だから解らないのだろうか。

「好きっていうのはね……相手の事大事にしたいって思ったり、その人の一言一句で一喜一憂したり、ちょっとのことで心配になったり、その人が笑ってくれたら嬉しくなったり、その人のことを独占したいって思ったりとか……――――」

『独占』という言葉を使って、自分で少しハッとした。
 僕は、ご主人様を独占したいのだろうか。

 ――駄目だ。そんなこと。考えることすらおこがましい

 自分の服をギュッと強く握りしめた。

「こっちの風習はよく解らないな。そもそも卑賎《ひせん》な魔女風情や、単なる肉塊のことなど知りたくもない」

 相変わらず友好的じゃないなと心の中で思った。
 知りたくないのなら無理強いするつもりはない。彼には彼の考え方がある。僕には僕の考え方がある。それだけのことだ。
 そう考えている間、ふと彼は変化魔術を憶えてきたくらいの頭脳なのだから、治癒魔術も憶えてきていないのだろうかと思いつく。

「治癒魔術は覚えていないの?」
「あれは高度で難解な術式だった上に、死ぬ寸前の私には覚えることなどできなかった。それに、魔術系統としても珍しい血筋だろう? 私にはできない」

 ――まぁ……そうか

 と、僕は落胆した。
 そう簡単にはうまくいかない。

「……異界の話を聞きたい。翼人がいなくなってから、異界は何か変わったの?」

 なんて世間話だろうかと、自分で振った話題に瞬時に後悔する。
 結末が解っているだけに、ろくでもない方向にしか進んでいかないのにも関わらず、長い沈黙は苦手だった。なんだか、相手が怒っているような気がしたから。
 怒っている相手は苦手だ。
 いつも僕に酷いことをしてくるから。

「……お前は半分翼人なのだろう? 翼人と魔女の混血は翼がないのか?」

 僕の質問を無視して、ガーネットは自らの疑問をぶつけてくる。
 それに対して物申すこともなく、僕は彼の疑問に素直に答えた。

「あるよ。魔術式で身体に翼を隠しているの。翼があったら人間として生活できないから」

 片翼なんだけどね。とは僕は言わなかった。
 僕の身体の模様は翼を隠しているから浮き出ている。もう片方の翼の付け根には大きな傷がついているだけで翼はない。

「質問したのは僕なのに、なんでガーネットが僕に質問するのさ」
「答える義務はない」
「はぁ……わかった。もう帰るよ。猫になって」

 まだまだ、この吸血鬼と過ごす人生の先は長くなりそうだと気が遠くなってきた。
 僕の指示通り、ガーネットは猫の姿になった。
 逆らえないとはいえ、ガーネットが不服そうにしている様子は猫になった状態では解らなかった。

「家の中には入れられないからね?」

「にゃーん」と、その赤い眼の猫は鳴いた。


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