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第3章 渇き
第42話 失った片翼
しおりを挟む母さんが再び魔術式を構築し始め、ゲルダも諦めたように魔術式を構築し始めた。
そこからは、お互いの魔術の撃ち合いとなった。炎、水、鋼、雷、氷、刃、重力、何もかもがめちゃくちゃになる。
僕はその間も針を抜こうと必死になっていたが、針は一向に抜ける気配はない。
どれほどそうしていたか解らないが、僕は考えることを止めていた。
逃げたり、加勢したり、他にも色々選択肢はあったけれど、僕は何が起きているのか自身で処理仕切れずに、目下の痛みを取り除くという目的に走った。
泣きながら僕は抜けない針を痛みと戦いながら手にかけていると、座り込んでいる床の下から植物が生えてきた。
その植物は僕の身体を素早く巻き取ると、尚も高速成長をし続けて僕を空中に掴み上げる形になる。
「いやあああああっ!」
「ノエル!」
母さんは氷の魔術で植物を制止させ、風の魔術で植物を切断し僕を助けてくれた。
でも、この時僕を助けようとしたことが大きな間違いだった。
隙を見せた母さんをゲルダは見逃す筈もなく、無数の針が母さんの心臓を貫いた。
「がはぁっ……!」
「母さん!!」
倒れこんだ母さんは言葉にならない言葉を漏らしながら、痛みに呑み込まれ冷や汗などが吹き出し、心臓部から夥しい血液が溢れていた。
「母さんッ! 母さん!!」
僕は、こんなの悪い夢だと思おうとした。
けれどギュッと目を閉じてもそれは変わることなく、僕の肩は痛いままだし母さんも父さんも血まみれで倒れているし、家はもうめちゃめちゃだった。
「……ノ……エル……」
母さんの手を握ると、もう母さんは動かなくなった。
震えが止まらなかった。
恐怖や、悲しみや、苦痛が混ざりあって目の焦点は合わない。
「魔女と翼人の子供……さっきの凄まじい魔力は子供のものとは思えないわ……その翼のせいね?」
ゲルダは近寄ってきて僕が逃げる間もなく僕の右側の三枚の翼に手をかけた。
「やだぁっ! やめてぇっ!!!」
ぶちぶちぶちぶちぶち……っ!
翼の根本から引きちぎられる痛みは、他のどんな拷問の痛みよりも激しく、喉が切り裂けるほど叫んでいる自分の声も激痛に意識がとられ聞こえない。
僕の意識はそこで途絶えた。
◆◆◆
どれほど時が経ったのか解らなかった。僕は血まみれで泣いていた。
右背中の翼の付け根から夥しく出血している上に、肩に刺さったままの針が痛い。
それに周りは見渡す限り焼け野原になっていた。
ゲルダも、母さんも父さんもいない。木が生い茂っていたはずの場所が四方八方焼き払われ、なぎ倒され、僕の周りに至っては土すら焼き払われていた。
「母さぁあああん!! うっ……うわぁあああ……っ……父さん…………どこ……」
僕は動けなかった。
どうしたらいいか解らなかった。
このまま死んでしまおうとすら、幼いながらに確信していた。そこに誰かが訪れたのは僕が我にかえってから20分くらい経った後だ。二枚一対の翼を持つ老人が血相を変えて現れた。
「これは一体……ノエル、何があったんだ」
僕はその翼人の老人には見覚えがあった。父さんと話しているのを見たことがある。しかしどういう間柄なのかまでは解らない。
「……うわぁ……っ……あぁああぁ……」
「ひどい傷だ……手当てしなければ。ちょっと我慢していなさい。すぐに手当てする」
その老人は僕をゆっくりと抱えあげ、翼をはためかせた。
まるで父さんに抱き抱えられているような気がした。僕は泣きながらただその老人に実を委ね、涙を血まみれの手で懸命に拭っていた。
老人の家につくと、彼は僕の手当てをしてくれた。肩に刺さった針を抜く際に麻酔を施し丁寧に処置して針を抜く。
背中の翼のあった場所の怪我が凄まじく、老人は目を覆いたくなったが懸命に縫合処置をしてくれた。
「これでいい……命に別状はないようだ。よく頑張ったなノエル」
乱れる思考の中、老人の名前を思い出そうとしていたが、よく思い出せない。父さんとあんまり仲良くなかったということは鮮明に覚えているのに。
僕は包帯を巻かれ、うつぶせの状態で横たわっていた。
酷い倦怠感と疲労感で限界を迎え、眠りについた。
◆◆◆
【現在】
僕が我にかえると、そこは魔女の本部の部屋の中だった。
そうだ、僕は魔術をかけられていたんだ。嫌な過去を再体験させられて嫌な汗がじっとりと出ているのを僕は感じていた。
「はぁ……はぁ……悪趣味だな……」
幻術と幻覚から解放されて、目の前の現実を見たときに自然と笑いが込み上げてきた。
「……もう終わり? 最高位魔女会の高位魔女も所詮この程度か。ゲルダに逆らえないわけだ」
「……ふふ、あなたのそういう強気なところ、素敵ね。あたしのものにしてあげる。どうせ翼を移植したらあなたはどうせ不要。だったらあたしのものに――……」
「冗談じゃない。魔女の僕になれって? 僕は僕が認めた人にしか傅かない」
次は何をしてくるのかと身構えた。幻覚に対抗する防御魔術式を僕は頭の中で描いていた。しかし2人の魔女は僕に何もしてこない。
「キャンディス、少し休憩しましょう。魔力を使って疲れたわ」
「う……うん……」
背の低い、顔の造形の崩れ魔女は僕をきつく睨みつけて出ていった。
「っ……はぁ……はぁ……」
僕は魔女二人が出ていった後に、思い切り息を吐きだした。
酷い幻覚を小一時間以上見せられるのは流石に精神的に疲弊した。
ご主人様とガーネットが心配だ。僕は一人になった途端に不安の渦に叩き込まれた。
――くそっ……なんて悪質な魔術だ。おかしな汗が出てくる……
魔女がいる間は弱みを見せられないから緊張していたが、魔女がいなくなった途端にこれだ。
そんなことをしている間にもう一度扉が開いた。
僕は長い髪の隙間から扉の方法を見たら、意外な人物が立っていた。
「シャーロット……?」
「……だ……大丈夫ですか?」
「…………そんなこと聞いてどうするのさ。僕は誓約が果たされたら殺される」
シャーロットは困った表情のまま恐る恐る僕の方に近づいてきた。
「僕のことはいいから、僕の……奴隷を治してくれないか。そうしてくれたら僕のことは好きにしていいから」
僕は再び首を垂れた。長い髪が僕の視界を遮る。赤い髪がカーテンのように僕の視界を赤くする。
「あの……あなたは他の魔女が言うような酷い魔女には思えなくて……」
「……僕はどんなふうに言われているの?」
「……残忍で、非道でキレやすく殺しの天才だと」
「そう……まぁ、遠からずってところかな」
実験台として扱われていたころの僕は、確かにそうだった。
情緒面は未熟で、不安定で、暴走を繰り返した。日々の度重なる実験で精神など健全に保てるわけがない。
「私には……そんな風に見えなかった。本当にあなたが残忍だったら街の人間を助けたりはしなかったでしょう」
人間なんて助けたっけ……そういえば助けたような気がする。
あの人間はあのあと生きて離れられたのだろうか。
「それに……あなたは私を助けてくれるとあのとき言ったじゃないですか」
そう言ったシャーロットの鈴を転がすような声を聞いて、僕は力なく笑って見せた。
その気になったのなら、すぐにでも此処を抜け出してご主人様の治療をしてもらいたい。
「あぁ、助けてやれる。僕なら」
「………でも、助けてほしいのは……私じゃないの。私の……妹を助けてほしい」
シャーロットに妹がいたとは知らなかった。僕は思考を巡らせる。
助けると言ってもどのように助けてほしいのかによって対応できるかどうかが異なる。
「妹?」
「ええ……」
「助けてあげたいけど、今どういう状態?」
「直接会わせてもらえなくて、たまに扉越しで会話するくらいです。元気そうですが……」
それならそこから連れ出せばいいだけだから簡単だろうと僕は考えていた。
「交換条件だよ。僕の治療してほしい人間を治療してほしい。そうしたら僕は妹さんを助けるよ」
「……解りました」
よし、これで無理な誓約書を呑まずに済む。
ガーネットを死なせずに済むと思うと僕は少し気持ちが楽になった。そう考えていた最中、また扉が開く。
扉が開くと僕はヒヤリと心臓を掴まれているような焦りを感じたが、今度も意外な人物が立っていた。
「!」
「契約とは便利だな。お前の位置が正確に解る」
なんでこんなところに。
まさか魔女を何人か殺してきたのだろうか。
いや、返り血などはついていないし、外は大騒ぎになっていない。僕が考えている中、僕の思考は途中で破断する。
その後ろに銀色の髪の彼が立っていたからだ。
「ご……」
『ご主人様』と言おうとしたところ、僕は言葉を飲み込む。
シャーロットの前でそう呼ぶわけにはいかない。それに、なんと声をかけていいか解らない。
ご主人様は磔にされている僕を見て、なにも言わずかけよってきた。解除しようと手を伸ばしたが、やはり魔術でしっかりと拘束されている僕の拘束は解けることはない。
「くそっ……!」
「僕は大丈夫ですから……」
小声でそう言ったものの、ご主人様は諦めようとはしない。
「ノエル、手に持っているものをよこせ」
ガーネットは僕の手から無理矢理に誓約書を奪い取った。
「あ……」
――しまった……
命を捧げる等と書かれている皮をガーネットに奪い取られてしまった。内容がバレたら治療どころではなくなってしまう。
僕はもう駄目だと諦めた。
「……おい、これはなんと書いてあるのだ」
ガーネットは僕の前に魔女の心臓の皮を突きつける。
「え?」
「なんと書いてあるかと聞いている。これが『魔女の心臓』なのは解るが、なんと書いてあるかは解らない。読め」
ガーネットはこちらの言葉を話せても、文字は解らないようだった。不意に一瞬の安堵をしたものの、ご主人様やシャーロットに読まれたらおしまいだ。
「ガーネット、その誓約書を丸めて僕の手に戻して」
「何っ!? 私に命令するなど……許さないぞ……」
彼は言葉では抵抗を見せながらも僕の命に背くことはできず、言われた通り丸めて僕の手に戻した。
「これはもういい。シャーロットが助けてくれると言ってる。ここから逃げよう」
「正気か!? そんな言葉を信じるのか!? こいつは敵の魔女の一人だろう、罠だとは考えられないのか!?」
「罠ではないよ」
「なぜそう言い切れる!?」
「取引だよ。お互い要望がある。僕はシャーロットの妹を助ける。僕は彼の治療をする。この契約書もそうすればなしになる」
「ノエル、また取引か!? この状況で正気か貴様。力で抑えつければいいだろう! 本当に貴様は……」
「駄目だよ。そんな簡単な話でもない。嫌々治療をされても最善は尽くせない」
「そんなことはない。今までだってしっかりと治療を……」
「全力じゃなかったはずだよ。ガーネットのその身体の傷痕、本当はもっと綺麗に治せたんじゃない?」
僕がシャーロットに目配せすると、彼女は気まずそうに眼を泳がせた。
「無理やり実験の為に連続的に治癒魔術を使わされて、集中できない中治療したんじゃないの? 魔女の治療の程度にもムラがある。あれだけ複雑な魔術式はかなり集中していないと質が落ちてしまう」
ガーネットは自分の身体の傷に手を当てた。
歯を食いしばっているのか、ギリギリと歯ぎしりの音が聞こえる。
彼が何が言いたいのかは解っていた。
僕は黙っているご主人様に小声で耳打ちする。
「必ず治させます。ご主人様。もう少し待っていてください」
「…………」
ご主人様は不安そうな、不機嫌そうな表情で様子を見ていた。答えてくれない彼に、僕は不安と悲しみを抱く。
死ぬかもしれない不安よりも、こんなふうに冷たくされることの方がずっと僕は不安だった。
「……シャーロット、妹さんの場所が解るなら今すぐ行こう。こんなところ出るんだ」
「解りました。案内します。でも……あなたは目立ちすぎるので魔女の法衣を着てください」
「待て、取りに行く時間はな――――」
ウイーン……
扉が開いた音が聞こえ、振り返ると魔女たちがいた。
「あらあら、いけないわね。勝手に入ったら」
僕はもう駄目だと唇をかみしめた。
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