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第3章 渇き
第47話 クロエの秘密1
しおりを挟む【ゲルダの部屋】
「俺になんか構っていていいのかよ……」
クロエは自分の身体の上に乗っているゲルダに問う。
ゲルダは全裸で、かろうじてある布は顔を隠すヴェールだけだ。
呪いがそのまま具現化したような爛れを見ると、クロエはソレどころではなくなる為、いつも顔を背けている。
クロエはずっとノエルのことを考えていた。
頭から片時も離れない。
『あのとき』から。
初めてノエルを見た時のことをクロエは忘れられない。
◆◆◆
【クロエの過去】
最初の記憶は、周りの魔女たちの祝福だった。
周りの女たちは全員、俺を甘やかし、常に身の回りの世話を喜んでしてくれた。
「クロエ、あなたは大きくなったらきっとかっこいい男性になるわ。サラサラできれいな髪ね。目元はお父様そっくり」
「本当? 父さんはどこにいるの?」
「お父様は具合が悪くて面会は出来ない状態なの」
「ふーん……」
父さんがいなくても、母さんが誰なのか解らない現状も俺は気にならなかった。
無邪気に笑う自分に、いつも誰もが笑顔で応えてくれる。全員を母親のように感じていた。
俺は自分で何一つすることはなかった。
朝起きて服を着ることも、靴を履くことも、食事を口に運ぶことも、風呂に入るにいたるまで全て周りの魔女がしてくれた。
俺は魔女が人間から解放されたあとの子供だった。
生まれた時から人間は家畜のように働かされているのを見てきたし、それが当たり前だと思っていた。
特に魔女の女王であるゲルダは俺のことをよくかわいがってくれた。
「クロエ、大きくなったらお前は宮仕えをするのよ」
「みやづかえってなに?」
「この城でお前しかできない仕事をするの」
「僕にしかできない仕事?」
俺はそのとき、自分はただ特別な存在で嬉しいとしか思わなかった。
徐々に俺は自分の立場を自覚することになる。
「ノエルはまだ見つからないの?」
「申し訳ございません」
「早く見つけ出しなさい! 死んでいても構わないわ。絶対に見つけ出しなさい」
いつも優しいゲルダが「ノエル」という名前を口にするときは金切り声をだし、キツイ言葉を口にする。
俺はそれが嫌だった。
だからその「ノエル」のことを誰かに聞くことはできなかった。しかしそんなことは些細なことだ。俺は楽しければそれでいいとその名前は忘れることにした。
そうすれば今まで通りの生活に傷がつかない。
俺が12歳になったくらいのことだ。俺は精通というものを経験した。いや、させられたと言った方が正しかっただろうか。
ただわけもわからず、それがなんなのかもわからず、怖かった記憶しかない。
それでも周りの魔女たちはそれを喜んでいた。喜んでいるならいいことなのかもしれない。そう思っていた。
『その意味』が解るまでは。
間もなくしてソレが始まった。
「クロエ、こっちにいらっしゃい」
「クロエ」
「今夜は私のところへきて」
「いい子ねクロエ」
――嫌だ、やめてくれ
「クロエ良かったわ」
「もう少し積極的でもいいのよ」
「クロエ」
「あたしはどうだった? クロエ」
「クロエ」
――もうこんなことしたくない
「可愛いわねクロエ。でもすぐに大人の男になるわ」
「クロエ」
「次の私の順番はいつなの?」
「やっぱり男の方がいいわね」
「クロエ」
――助けて
俺はソレが始まってから1年足らずで恐ろしくて逃げ出した。
必死に逃げて、逃げて、逃げた。
どこに自分が向かっているのかもわからない。
このあとどうなってしまうのかもわからない。
それでも俺は逃げた。
俺は何もない森の木の根元に腰を下ろした。
寒さで衣服を自分がほぼなにも着用していないことに気づくが、俺はどうすることもできなかった。
その状況でずっとアレの光景が目の裏に焼き付いて、思い出すと俺は吐き気がしてきてその場に嘔吐してしまう。
ソレを振り払おうと叫びながら魔力を解放し、手あたり次第薙ぎ払った。周囲10メートル四方の木々は黒く焼けただれ、そこから火が立ち上っている。
「はぁ……はぁ……」
疲れた俺はそこにへたり込む。息を整えようとするが、息を何度も何度も激しく吸い込んでしまってさらに苦しくなってしまう。
「はぁはぁはぁはぁはぁはぁ……ッ!!」
俺は倒れ込み、意識が遠くなっていった。
やけに周りがうるさい。俺はこれからどうなってしまうのか、考えることもできない。
身体を丸めて胸を抑え、自分が倒れている付近の湿った土の匂いを感じた。
――もう、ここで死ぬんだ
そう感じていた俺の身体は急に誰かに触れられた。
――誰だ? 追ってきた魔女……?
霞む視界で俺が最後に見たのは、赤い色だった。
「だ――……?」
――なんだ? よく聞こえない
「だ……――じょう……――しっか……――――」
俺は意識を手放した。
◆◆◆
なんだか暖かい。
火がぱちぱちと音を立てているのが聞こえた。
「――ッ!」
俺は慌てて飛び起きた。
嫌な汗をびっしょりとかいている。
そこがどこなのか解らなかったが、元居た城ではないことは確かだった。どちらかというと城の冷たい青色の配色ではなく、レンガ作りの暖かい暖色の配色だ。
それにやたらと散らかっていて、本が山積みになっている。
「あ……起きたんだ」
突然声が聞こえたので俺は驚いて声のする方向を見た。
そこにいたのは法衣をまとっていない赤い髪の少女。長い赤い髪は整えられているわけでもなく、乱暴に縛ってある印象を受けた。
年齢は自分と同じくらいだろうか。
「ここは……?」
「僕の家」
少女はお湯の桶のようなものから布を取り出し、絞ってから俺に近づいてきた。
俺の身体に触れようとしたときアレがフラッシュバックして、その手を咄嗟に振り払った。
「やめろ!」
バチンと音がして、自分の手も鈍い痛みが残る。
「……痛いよ。汗拭かないの?」
「自分でする」
そう言って布を奪い取って自分の身体を拭こうとするが、そんなことをしたことがなかった俺はうまく自分の身体を拭くことができなかった。
「……あんなところでどうしたの?」
「…………逃げてきたんだよ」
「逃げてきた? どこから?」
「ゲルダの城から……」
俺がそう言うと少女は急に黙り込んでしまった。何も言わない少女に対してわずかな焦燥感を感じる。
「……どうしたの?」
「…………いや、別に。落ち着いたなら出て行って」
急に冷たい態度になった少女に、今度は俺が言葉を失ってしまった。
どこに行ったらいいか解らない。
逃げ続けたらいずれ捕まってしまう。そうしたら俺はまたアレをさせられる。
「嫌だ……助けてよ……」
「駄目だよ。出て行って」
「こらこら、そう冷たくするもんじゃないぞ」
奥から白い髭の長い老人が出てきて、少女に向かってそう言う。少女は不満げにその老人を見つめた。
「でも……」
「まず逃げてきた理由を聞いてみてごらん。そう冷たくするものではない。困ったときはお互い様だろう?」
「…………」
少女は難しい顔をしたが、それ以上は何も言わなかった。
「どうしてゲルダの城から逃げてきたのか、教えてくれるかい?」
「………………恐ろしくて……」
「何が?」
「僕の身体の『ここ』と、他の魔女の『そこ』を繋げ――――」
「ゴホッゴホッ。あぁ、もういい。よくわかった」
俺の言葉を遮って老人は咳き込み、話を中断させた。
「なんのこと?」
「そうだな……まだお前は知らなくていいことだ」
少女はきょとんとして老人に聞いているが、老人は具体的には答えようとしない。
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「まだ子供だろう。まだお前には早いことだ。とにかく、帰りたくないならしばらくはここにいてもいい。しかし、ゲルダの城に帰ることになったとき、私たちのことを彼女たちに話してはいけない。いいね?」
その申し出をいぶかしみながらも受け入れると、老人は優しい笑顔を俺に向けてきた。
「セージ、いいの? 本当に……」
「構わないさ。まだ子供だ」
少女は向き直って俺を見ると、不機嫌そうにその場を去って行った。
俺は一先ず息を吐き出して安心した。
――もうあそこには戻らない
そう固く心に誓った。
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