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第4章 奈落の果て
第111話 謝罪の仕方
しおりを挟む【ガーネット 現在】
叩かれた頬と、ノエルの叩いた手の両方の痛みが残っている。唖然としている内にノエルは走って出ていってしまった。
あんなふうに暴力が嫌いなノエルが、思い切り平手打ちをするという行為に思考がついていかない。
一瞬で自分が勢いに任せて言ってはいけないことを言ってしまったということに気づく。
ノエルは最近自暴自棄気味になっていたが、それでも心を委ねているのはあの主とやらだけだ。
リゾンにもあの男の魔女にも心など許してはいない。
当然身体を許すはずなどない。
そこでふと「私だったらノエルはどうするのだろう」と疑問が浮かぶ。
――私が相手でもノエルは拒否をするのだろうか……
そんなことを呆然と立ちすくしたまま考えている間は、時間が止まっている様だった。
ノエルが飛び出していってから、実際は数秒程度は経っている。
ノエルがあまりに遠くに行ってしまうと私は呼吸がしづらくなり、血が煮え立つような感覚になるが、まだその兆候はない。
それほど遠くにはまだ行っていないはずだ。
「何をしているのだ、ガーネットよ」
吸血鬼族の長のヴェルナンドは呆れたように私に向かってそう言う。
吸血鬼族が好んで着る上等な服を着て身なりを整えている。しわがれた声とは裏腹にヴェルナンドは見過ごすことのできない威圧感を放っている。
私と同じ金色の髪は少し癖があり、後ろで一つに束ねていた。手は骨ばっており筋が浮いている。
「相当にあの混血に熱をあげているようだな。その血走った目ではなにも見えぬだろう」
ヴェルナンドはやれやれといった様子で大広間から出ていこうと私に背を向けた。
「頭を冷やせ。追いかけるのなら、それが済んでからにするがいい」
私が何と反論する前に、カツンカツンと大広間を出ていってしまった。
少しだけ私は息苦しくなってきた。心臓の鼓動が早くなってきた気がする。
――苦しい……
その苦しさは、契約のせいなのだろうか。
それとも……――私の今の気持ちが「苦しい」と感じさせているのだろうか。
ノエルを追いかけようと走り出したものの、私は早々に失速した。
――なんと言葉をかけたらいい……?
「勝手にいなくなるな」「いきなり手を出すなど、何を考えている」「お前の不注意が原因だったろう」「欲情したのは事実だろう」と、いくつもの言葉がよぎるがどれもこれもノエルを責める言葉ばかりだった。
――どんな言葉をかけたらいいか……解らない……
廊下に出ると、血まみれのリゾンを獅子の口で咥えている魔王がいた。リゾンの両腕も蛇の尾で持っている。
ノエルが私の頬を平手打ちし、出ていってしまったことがショックだった私は、もうリゾンへの激しい憎悪など忘却してしまった。
「酷いありさまだが……止血はされている。ノエルがしたのだろう? …………ノエルはどこへ行ったのだ?」
「……走って出て行った。行先は解らない」
「走って出て行った? 何故だ?」
なんと答えていいか答えあぐねていたが、その様子を見て魔王は状況を察したらしい。
「また喧嘩をしたのか…………しかし、ノエルが怒って喧嘩をするのは初めてか?」
私の言葉の端々から的確に状況を把握する魔王に、苛立つ。
「うるさい……あれが勝手に怒って出て行ったのだ」
「本当にそうか? ノエルは理由もなく怒るような性格ではないだろう」
知ったような口を聞く魔王に、私は更に苛立った。
「あいつの何が貴様に解るのだ」
「ほう……お前にはノエルの何が解る?」
「私は……!!」
口火を切ったが、続く言葉が出てこない。
――私は……ノエルの何を知っているのだろう……
セージとのことも私は知らなかったし、どうして主とやらがそこまで好きなのかも解らない、私のことを実際にどう思っているのかもわからない。
私はノエルのことを何も解らない。
まだほんの短い時間しか共に過ごしていない。
色々と話をしていた中で、知ったような気になっていただけだ。
「相手を知るということは、相手が怒る事柄を知るということだと、誰かが言ったものよ」
偉そうに説法を説く魔王に苛立ちながら、魔王を睨みつける他に術がない。
「いつもノエルが謝罪するものだから、仲直りの方法を知らないのだろう」
自分が怒ってもノエルを別段嫌悪することはなかったが、ノエルが私を嫌悪したらどうしたらいいか解らなかった。
自分が相手に嫌悪されようが、今まで一切気にしたことなどなかったからだ。
「…………もし……ノエルが私のことを嫌いになっていたらどうしたらいい……?」
「嫌いになっていたら? はっはっはっはっは!! ガーネットよ……なんというか、お前……初々しいというか、純粋というか……見た目に似合わないそういうところが、ノエルが気にいっているところなのだろうな」
私が真剣に不安に思っているのにも拘らず、魔王は大したことないような問題と笑い飛ばした。
呑気に、尚且つ馬鹿にしたような態度で笑っている魔王に怒りが沸いてくるが、怒号を飛ばす気にならない。
「リゾンを牢に繋ぎに行く。お前もついてこい」
「ノエルを探しに行かねばならん」
「そんな状態で追いかけて、お前はどうするつもりだ? あの温厚なのを怒らせたのだからそう簡単には許してくれぬぞ。少し私の話し相手をしてからでもよかろう」
「異界はノエル一人では危険だ」
「案ずるな。ノエルが一人で外出する際には小鬼どもに見張るように伝えている」
「見張りだと……! 貴様、私たちを信じていないのか!?」
「そう簡単に信じる訳なかろう。嘘をついているようには見えないがな。余程の狡猾な魔女である可能性をそう簡単には捨てられまい。とはいっても、小鬼をつけているのはノエルの身に危険があった場合の連絡係だ。そう殺気立つな」
やはり、魔王は食えない存在だと感じた。
何千年生きているか解らないが、何もかもお見通しかのような態度が気に入らない。
「……ふん、ではさっさと行け」
そう簡単には許してくれないという言葉に尚更不安がよぎる。
魔王の相手などしたくなかったが、確かにこのまま追いかけてもますます険悪になりかねない。
「ノエルが傷や落ちた腕を止血して冷やしてくれていたからまだ付くだろう」
「腕をつけるつもりか?」
「つけたとしても、ろくに動かない可能性が高いがな」
治癒魔術は高等魔術だ。それも使える者が稀少だとノエルが言っていたのを思い出す。
異界では妖精族が使えた筈だが、長であっても精々血管や千切れた細胞、骨同士を繋げる程度だろう。神経を繋げるような緻密で根気のいる魔術は使えないはずだ。
「私は今すぐにでもそいつを殺してやりたい。八つ裂きにしても足りん」
「…………そんなにノエルが大切か」
「契約のせいで一蓮托生なのだぞ。あんなに不注意では困る」
「ノエルはお前がしようとしないことをしているのだ。そう簡単に理解できないだろう」
「なんだ? 私がしようとしないこととは」
「相手を許容し、受け入れ、信じるということだ」
魔王にそう言われ、私は何も反論できなかった。
口を噤んでしまった私を見て、魔王は言葉を続ける。
「ノエルはお前を信じているだろう。信じている相手に、信じてもらえないのは傷つくものだ」
そう言われ、初めてノエルに会った日に主とやらに信じてもらえずに喧嘩になっていたことを思い出した。
必死に説得していたようだが、結局信じてもらえなかったノエルは外で一夜を過ごすことになった。
しかし、諦めたのではなく主とやらはノエルを信じて送り出した。
ノエルはあの人間に対していつも従順だったようだ。
それが町を出て身体を治すものを見つけてくるなどと主張して、譲らなかったその様子に折れたのかもしれないが……。
「察するに、心無い言葉を言ったのだろう。争いが起こるときはいつも猜疑心や嫉妬や傲慢からくるものだ。もう少し、身の振り方を考えないと愛想をつかされるぞ」
「……どうすればいいのか、解らない」
「謝罪すればいい。悪いことをしたと思ったら、謝罪だ。自分の非を認め、悔いていることを伝えるのだ。ノエルも死線をくぐってきた者だ。意固地に突き放すほど子供でもあるまい」
魔王はノエルと私が初めに捕らえられた牢に、リゾンを繋いだ。
腕は妖精族がつけるものかと思っていたが、魔王が魔術式を展開し、リゾンの腕をつけた。
白い魔女が使う程のものではなかったが、腕は一応ついたようだ。そのついた腕にも枷をつける。
「処分はノエルに任せよう。ノエルが下すいかなる処分にも私は異議を唱えない」
「ノエルが殺すと言ったら殺させるのか?」
「勿論そうだ。仲直り方法が解ったのならノエルを追いかけなさい」
私は指示されたことについては不満があったが、言われた通りにノエルのいる方角へと走り出した。
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