120 / 191
第5章 理念の灯火
第119話 憐憫
しおりを挟む口で短剣を咥え、腕に突き刺している最中だ。
彼の白く細い腕から短剣を伝って血が滴り、床に落ちている。
その腕はピクリとも動かず、リゾン本人は特に表情の変化もない。
「無粋な輩どもだな……入るときくらい合図しろ」
「な……なにをしているの?」
こちらの存在を無視して腕に何本も刺さっている短剣を口で咥え、腕を裂くように引く。鋭く白い牙ががっちりと短剣を捕えているのが見える。
痛々しいその姿に僕は眉をひそめずにはいられなかった。
「やめろ!」
ガーネットがリゾンの口から短剣を取りあげた。
近くでリゾンを見ると肉が裂け、骨がむき出しになり、何本も何本もの切り傷が腕にできているのが見える。
あまりのむごさにガーネットも眉をしかめた。
「なんだ? 不躾に入ってきたと思ったら……」
「何をしている!? 正気を失ったか!?」
「腕が全く動かないからな……痛覚もまったくないということを確かめていたのだ。お前たちのおかげでこのざまだ」
リゾンは刺すように冷たい目で僕を見た。怒っているわけではない様子だったが、やけにその言葉に心苦しさを感じざるを得ない。
「リゾン……返事を聞きに来た」
「協力がどうのこうのと言っていたことか? そんなもの願い下げだ」
「……腕、もう動かなくてもいいの?」
「施しを受けるつもりはない!」
語気を強めるリゾンの表情は悔しさがにじんでいる。先ほどまでの冷静な装いは、必死に抑えていただけのようだ。
今にも僕の首元を噛み切らんと牙を向いている。しかし、飛びかかってくる様子はない。
「……施しじゃない。僕は……あなたのこと、正直苦手だし、今は嫌いだけど……腕の件は悪いと思ってるよ」
「とんだ偽善者だ……虫唾が走る!」
会話の途中ながら、したたり落ちている血の量を見るとそのおびただしい量に気を取られ、まともに会話ができるような状態ではなかった。
それは僕も、リゾンもそうだろう。
「リゾン、協力しないということは理解したけど、ただ……その腕は治させてほしい」
「…………この腕が治ったら、貴様に凌辱の限りを尽くしてくれる……それでも私の腕を治すというのか!?」
強がりを言う彼は、僕の目にはあまりにも哀れに見えた。
その憐憫を纏う目でリゾンを見つめると、癇に障ったのか更に彼は表情を険しくした。
「そんなこと、あなたはしないよ」
「必ずそうするさ……まずはお前の両腕と両足を切り落とし、翼を一枚一枚丁寧に引きちぎり、お前が泣いて私に詫びを入れるまでお前の皮を剥がしながら、お前が私の子を孕んでも、何度でも何度でも繰り返してやる……お前が壊れるまでな!」
「…………応急処置をするから、一緒にいこう」
「ふざけるな! 私に触るな!!」
彼の言っていることを、実際に彼はそうするだろう。しかし、このまま見殺しにしていい理由にはならない。
ガーネットがリゾンの身体を押さえ付け、僕は自分の鞄に入っていた応急処置の為の包帯を取り出す。
「貴様っ……!!」
「暴れないで」
強い口調で言っても、リゾンは尚も暴れるのをやめない。
僕は彼の腕の短剣が動かないように固定していく。引き抜いたら余計に出血してしまうからだ。
「意地を張るのはやめて。かなり出血してる……もう意識も朦朧としてるはずだよ」
「魔族はこの程度では死なない!」
「それは嘘。吸血鬼族は他の種族よりも血が必要な筈だよ」
現に、暴れてはいるもののガーネットによってしっかりと押さえられている。
僕はできるだけ手際よく包帯を巻いていった。リゾンの腕はだらりと落ち、冷たい。そもそも身体が血がたりなくなって冷たくなってしまっているのだろう。
リゾンは初めの方は暴れていたが、僕が手際よく処置をするのを見て暴れるのを徐々にやめた。
「このままだと危ない。急ごう、ガーネット」
「本当に連れて行くのか?」
「私は行くなどと言っていない!!」
「連れて行く。ガーネット、担いでいてくれるかな」
「ふん……鬱陶しい……」
ガーネットは文句を言いながらも、リゾンを肩に担ぐように抱える。リゾンは初めは抵抗していたが、やがてやけに大人しくなった。
僕が彼を確認すると気絶してしまっていた。血液の量が相当減っているようだ。
――このままでは危ない……
「急ごう」
「手のかかるやつだ……」
文句をいいながらもしっかりと彼を担いでくれている。素直ではないところや、物の言い方は2人ともそっくりだ。
――なんだか、兄弟みたいだな……
長い階段を降りるときは一段一段降りている場合でもなく、リゾンと一緒に僕を抱え上げ、僕の作った氷の道を木の板に乗って一気に滑り降りた。
一番下に着き、異界の門を開く術式に自分の血を垂らす。
リゾンをちらっと見ると、かなり疲弊している様だった。空間移動の負荷に耐えられるだろうかと考えたが、魔王の子息はそう軟弱ではないだろう。
信じるしかない。
これ以上放っておいてリゾンが自分の身体に負荷をかけたら、それこそ空間移動の負荷に耐えられなくなってしまう。
「リゾン、持ちこたえてよね」
「ふん、コイツなら大丈夫だ」
そのガーネットの言葉は彼への信頼と僕は受け取り、微笑む。
大きな門が開き、僕らはその中へ飛び込んだ。
0
あなたにおすすめの小説
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
【完結】赤ちゃんが生まれたら殺されるようです
白崎りか
恋愛
もうすぐ赤ちゃんが生まれる。
ドレスの上から、ふくらんだお腹をなでる。
「はやく出ておいで。私の赤ちゃん」
ある日、アリシアは見てしまう。
夫が、ベッドの上で、メイドと口づけをしているのを!
「どうして、メイドのお腹にも、赤ちゃんがいるの?!」
「赤ちゃんが生まれたら、私は殺されるの?」
夫とメイドは、アリシアの殺害を計画していた。
自分たちの子供を跡継ぎにして、辺境伯家を乗っ取ろうとしているのだ。
ドラゴンの力で、前世の記憶を取り戻したアリシアは、自由を手に入れるために裁判で戦う。
※1話と2話は短編版と内容は同じですが、設定を少し変えています。
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
王家を追放された落ちこぼれ聖女は、小さな村で鍛冶屋の妻候補になります
cotonoha garden
恋愛
「聖女失格です。王家にも国にも、あなたはもう必要ありません」——そう告げられた日、リーネは王女でいることさえ許されなくなりました。
聖女としても王女としても半人前。婚約者の王太子には冷たく切り捨てられ、居場所を失った彼女がたどり着いたのは、森と鉄の匂いが混ざる辺境の小さな村。
そこで出会ったのは、無骨で無口なくせに、さりげなく怪我の手当てをしてくれる鍛冶屋ユリウス。
村の事情から「書類上の仮妻」として迎えられたリーネは、鍛冶場の雑用や村人の看病をこなしながら、少しずつ「誰かに必要とされる感覚」を取り戻していきます。
かつては「落ちこぼれ聖女」とさげすまれた力が、今度は村の子どもたちの笑顔を守るために使われる。
そんな新しい日々の中で、ぶっきらぼうな鍛冶屋の優しさや、村人たちのさりげない気遣いが、冷え切っていたリーネの心をゆっくりと溶かしていきます。
やがて、国難を前に王都から使者が訪れ、「再び聖女として戻ってこい」と告げられたとき——
リーネが選ぶのは、きらびやかな王宮か、それとも鉄音の響く小さな家か。
理不尽な追放と婚約破棄から始まる物語は、
「大切にされなかった記憶」を持つ読者に寄り添いながら、
自分で選び取った居場所と、静かであたたかな愛へとたどり着く物語です。
異世界に転移したら、孤児院でごはん係になりました
雪月夜狐
ファンタジー
ある日突然、異世界に転移してしまったユウ。
気がつけば、そこは辺境にある小さな孤児院だった。
剣も魔法も使えないユウにできるのは、
子供たちのごはんを作り、洗濯をして、寝かしつけをすることだけ。
……のはずが、なぜか料理や家事といった
日常のことだけが、やたらとうまくいく。
無口な男の子、甘えん坊の女の子、元気いっぱいな年長組。
個性豊かな子供たちに囲まれて、
ユウは孤児院の「ごはん係」として、毎日を過ごしていく。
やがて、かつてこの孤児院で育った冒険者や商人たちも顔を出し、
孤児院は少しずつ、人が集まる場所になっていく。
戦わない、争わない。
ただ、ごはんを作って、今日をちゃんと暮らすだけ。
ほんわか天然な世話係と子供たちの日常を描く、
やさしい異世界孤児院ファンタジー。
公爵家の秘密の愛娘
ゆきむらさり
恋愛
〔あらすじ〕📝グラント公爵家は王家に仕える名門の家柄。
過去の事情により、今だに独身の当主ダリウス。国王から懇願され、ようやく伯爵未亡人との婚姻を決める。
そんな時、グラント公爵ダリウスの元へと現れたのは1人の少女アンジェラ。
「パパ……私はあなたの娘です」
名乗り出るアンジェラ。
◇
アンジェラが現れたことにより、グラント公爵家は一変。伯爵未亡人との再婚もあやふや。しかも、アンジェラが道中に出逢った人物はまさかの王族。
この時からアンジェラの世界も一変。華やかに色付き出す。
初めはよそよそしいグラント公爵ダリウス(パパ)だが、次第に娘アンジェラを気に掛けるように……。
母娘2代のハッピーライフ&淑女達と貴公子達の恋模様💞
🔶設定などは独自の世界観でご都合主義となります。ハピエン💞
🔶稚拙ながらもHOTランキング(最高20位)に入れて頂き(2025.5.9)、ありがとうございます🙇♀️
【12月末日公開終了】これは裏切りですか?
たぬきち25番
恋愛
転生してすぐに婚約破棄をされたアリシアは、嫁ぎ先を失い、実家に戻ることになった。
だが、実家戻ると『婚約破棄をされた娘』と噂され、家族の迷惑になっているので出て行く必要がある。
そんな時、母から住み込みの仕事を紹介されたアリシアは……?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる