罪状は【零】

毒の徒華

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第5章 理念の灯火

第138話 腐った魚みたいな女

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 あれから10日ほど経った。
 全員が難しい表情をしながら目の前の魔術式に向き合っている。

「もう疲れたー! やりたくないー!」

 アナベルはびっしりと文字の書かれた紙に突っ伏して駄々をこね始める。
 シャーロット、アビゲイル、アナベルと僕はカリカリと洋紙に字を書いていた。その紙の量は物凄い量に上っている。
 どれに何が書いてあるか最早記憶にない。部屋中が紙に覆われていた。壁にも所狭しと紙が針で止められている。

「これで何回目だ……アナベル」
「だってぇ……これ超大変じゃない……最初は楽しかったけど行き詰ったら超楽しくない」
「研究ってそういうものでしょ」
「参考文献とか全然ないんだもの。こんなの記憶と経験と知恵を絞り切ったら進むわけがないじゃない」

 文句ばかり言っているが、アナベルの言う通りかもしれない。
 10日ほど魔術式の解析をしているが、なかなか進んでいかない。大体の構造は解るが、細部を突き詰めていくのは途方もない労力がかかってしまう。
 いつになっても話が進んでいかないことに、アナベルだけではなく僕ら全員が消沈していた。

「それに、ずっと休みもろくにとらずにこればっかり。ちょっと休憩させてよ」
「……休憩なら適度にとらせてるでしょ? ご飯も出してるし、睡眠だってとらせてる。人間の奴隷みたいに働かせてるわけでもないんだから、人聞きの悪い」
「あたしは自分の好きな時に休みたいの。ちょっと出てくるわ。あんたも地下に匿ってる色男吸血鬼に食事でも持って行ったら?」

 アナベルは投げやりにそう言うとそそくさと出て行ってしまった。
 まったく困ったもんだと考えながらも、シャーロットたちがかなりやつれた表情をしているのを見ると、僕も無理を強いたかと反省する。

「シャーロット、アビゲイルもしばらく休もう。大分煮詰まってるし」
「そうですね……こんなに大変だったとは思いませんでした」
「2日くらい休みにしようか」
「そんなにですか? 私は大丈夫です。ゲルダに仕えていた時は休みなんてありませんでしたし、アビゲイルも隣にいますし」

 シャーロットが疲れた様子のアビゲイルの頭を撫でると、アビゲイルは笑顔になった。子供だと思っていたが、シャーロットと同じくかなりの秀才だ。
 かなり覚えも早い上に、考えに柔軟性がある。

「こういうのは適度に休まないとね。お風呂でも入って体と心を休めようか」
「そうしましょうか」

 僕らは二階の部屋から出て一階へ降りると、クロエが食事用のテーブルでぐったりとしているのが目に入った。
 僕の姿を見たクロエは息を吹き返したように身体を起こし、僕の方へ走ってくる。

「ノエル!」

 急にクロエに抱き着かれる。

「やめてよクロエ……」
「抱き合うくらいいいだろ?」

 抱き着かれた後に僕がクロエの顔を手で遠ざけるように押すと、彼は剥がされまいと必死に僕にしがみつく。

「お前と会えなくて暇で暇で暇で……俺の相手しろよ」
「僕らが必死に解読してるっていうのに……暇なら術式の解読手伝ってよ」
「俺にはさっぱりわかんねぇって言ってんだろ? そんなことより……今夜くらいお前のベッドで寝――――」
「しない」
「はぁ……じゃあたまには俺と一日過ごしてくれてもいいだろ?」

 ひたすらに駄々をこねるのはアナベルだけではないようだ。しかし、あまりにも粗暴な扱いをするのは得策ではない。
 クロエも僕の計画の重要な協力者だ。

「過ごすって言っても……何するのさ」
「そうだな、ずっと籠ってても退屈してるだろ? 近くの街に馬で行って視察とかどうだ?」

 ろくでもないことを言い出すかと思っていたが、思っていたよりもまともな提案に僕は考え始める。
 確かに最近の魔女の動向も視察も必要だ。

「一理ある提案だと思う」
「だろ? 俺はお前と2人きりでたまにはまともな食事をしながら酒でも飲んで――――」
「クロエ、行ってきてくれない?」
「それから星を眺め――――…………は?」

 話を続けるクロエは先ほどまで嬉しそうだったら表情が一転して不満げに文句を言い始める。

「お前が一緒に行かないなら俺は行かないからな」
「僕はお尋ね者だし、顔の通ってるクロエが視察に行くのが適任だと思う」
「だから! そうじゃなくて! 俺は視察に行きたいんじゃなくて、お前と一緒に過ごしたいんだよ!」

 クロエの意図は解っていたが、やはりただお願いするだけでは彼は叶えてくれそうにない。

「困ったな……何をするにしても色々制約があるし……クロエは城にいた時は暇なときどう過ごしてたの?」
「え…………いや…………」

 強引な態度が一変し、しどろもどろになって目を逸らす。
 暗い影を落としたその表情はそれ以上聞くことを憚られる。

「なに隠すことがあんの? そいつはいつなんときでも城の魔女の性欲処理に使われてたのよ」

 バチバチバチッ!!!

 なにがなんだかわからない内に、アナベルの身体に無数の焦げ跡が残って、彼女の首が床に落ちた。
 その場にいたアビゲイルの目を隠すように、シャーロットがアビゲイルを抱きしめて出て行く。
 落ちた頭部はやはり生きているようでクロエに文句を言った。

「ちょっと……なにすんのよ……」
「言って良いことと悪いことも解らねぇ腐った脳みそしてるようだな!」

 クロエは僕が袖を掴んで止めるのも振り切って、アナベルの頭部を思い切り蹴飛ばした。蹴飛ばした頭部からわずかな血液や肉片が飛び散り、鈍い音を何度か響かせてゴロゴロと転がる。
 アナベルは悲鳴も上げずにそのまま頭だけ着地した。
 見るに堪えないその状況に僕は目を細める。

「クロエ、やめて」
「うるせえ!」

 僕が再び掴んだ裾を、クロエは思い切り振り払う。怒りと悔しさがにじむその表情に、僕は痛ましさを感じずにはいらなれなかった。
 その、僕を振り払った後の僕の顔を見て、傷ついたような顔をしたクロエを見たら尚更そうだ。

「クロエ……ごめん、聞かれたくないことを僕が聞いたから……」
「………………」

 クロエはガリガリと頭を乱暴に掻き、やるせない気持ちをなんとか抑えようとしている様だった。

「お前が謝ることじゃない。あの腐った魚みたいな女が悪い」
「その……僕も昔のことは聞かれたくないから、その気持ちは少しは解るよ。僕も……散々実験されてきたから……」
「おい……よせよ。俺とお前は待遇が全然違う。俺は……まだ、いい方だ。お前の酷い扱いに比べたらな」
「僕の扱いは関係ないよ。心の傷はその人その人によって違う。比較なんてできない。クロエは城から逃げ出す程つらかったんでしょう?」

 僕の言葉にクロエは明らかに動揺したようだ。


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