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第5章 理念の灯火
第139話 責任の所在
しおりを挟む目を合わせられないのか、視線をせわしなく泳がせた後にクロエは目元を押さえる。
「お前……お前のそういうところだぞ……俺に気がないなら、俺に気を持たせるようなことするなよ……」
「……子供のときみたいに冷たく接した方がいいなら、そうするけど?」
「おいおい、よしてくれよ。お前に冷たくされんのだけはつらい」
クロエは苦笑いでそう言う。その目は少し涙ぐんでいるように見えた。
本当は抱擁の一つでもしてやれたらいいかも知れないが、クロエに対してそうできない自分がいる。
「ちょっと、あんたたち。あたしのこと忘れてない?」
アナベルのボロボロになった身体がぎこちなく動き、自分の顎の骨が砕けている頭を持ち上げた。なんとか焼けた首の接合面をくっつけようと位置を調整するが、上手く位置が会わないようだ。
魔術封じをしていても、身体はやはり動かせるらしい。
クロエに気を取られていた僕はアナベルのことを若干忘れていた。
「アナベル……大丈夫?」
何を持って大丈夫と定義されるかどうかが怪しいが、社交辞令としてそう聞いた。
「普通の魔女や人間なら死んでたわ。酷いじゃない。身体を換えるだけならまだしも、これじゃ顔の一部も換えないといけない。この顔気に入ってたのに」
「てめぇが俺のことを知ったような口きくからだ」
「何怒ってんの? 全然理解できない。事実を言っただけじゃない」
どうやらアナベルは相手の気持ちを推し量るのが苦手なようだ。まるで悪気がない。それどころか、自分がズタズタにされても怒る様子もない。
当時は泣き叫んで拒否をしていたが、僕がリサに食べさせたことも今となっては大して気にしていない様子だった。
そういう発達障害があると本で読んだことがある。相手の気持ちが解らなく、いわゆる空気が読めないという状態になる。
本人に悪意がないにも関わらずだ。
「アナベル……悪気はないんだろうけど、事実でも言ったら相手が傷つくこともある。アナベルも過去のこととか……聞かれたくないことあるでしょう? 言われたくないこととか」
「あたしは別にない。家族なんて最初からいなかったし、友達もいない。仕えていたゲルダ様はバケモノになったし、別に大切なものなんてない。ときどき気に入った身体と交換して生きてる。あたしはそれだけ」
そういいつつも、リサに対して並々ならぬ恐怖感を抱いていたことを僕は忘れられない。
アナベルの印象としては酔狂な変態研究者であり神経質そうだと感じたが、今となってはつかみどころのない人物像だと感じる。
謎めいているというべきか、どこか掴み切れない。
「リサのことは?」
「はっ……もう死んだわ。あんなの思い出させないで」
先ほどまで平然としていたアナベルの声が震えている。やはりリサについては特別思うところがあるのだろう。
「なんだお前、リサのことまだ怖いのか?」
――まだ?
クロエはアナベルのことを何か知っている様子だった。
挑発されるとアナベルは見たことがないほどの怒りをその形相に浮かべる。クロエに蹴られて若干歪んだ顔と、焦げた首を懸命に両手で固定している姿がやけに不気味だ。
「怒ってんのか? 事実を言っただけだぜ? お前、ガキの頃リサに散々イジメられたんだろ?」
「なにいってんの、ただの精子製造機のくせに。あぁ、そういえばあんたの父親も精子製造機だったわね」
「ちょっと、2人ともやめ――――」
「相当お前、リサのことが怖いんだなぁ? そうだよな、ガキの頃にずっといじめられ続けた心の傷は早々に癒えるもんじゃねぇよなぁ?」
僕の声が耳に入らない程、過激な言い争いに発展してしまっていった。お互いを口汚く罵り合っている。
クロエもアナベルも僕の制止する声なんてまるで聴いていない。
「本当ね。あんた、ノエルにまだ言ってないんでしょ? セージが殺されたのはあんたが――――」
ドオォォン!!!
アナベルが言い終わる前に、クロエはアナベルを黒こげの炭に変えてしまった。僕が止める隙もなかった。
いつもの魔力の比ではない轟雷だった。
あまりの爆音に僕は耳を押さえてひざを折った。一時的に音が遠くなり、聞こえづらくなる。
黒焦げになったアナベルから、嫌な匂いが立ち込めていた。
僕はその異臭に気分が悪くなって口を押えた。
キィイイイイン……と耳鳴りがする。
「また喧嘩してるの――――キャァッ!」
爆音を聞きつけて入ってきたキャンゼルが叫び声をあげる。それはそうだ。これだけ黒焦げになるほど雷に焼かれて異臭が立ち込めていたら悲鳴も上げる。
「こ……殺したの……?」
クロエは先ほどまでの穏やかな表情などどこかへ失い、険しい表情でキャンゼルを乱暴にどかして出て行った。
僕は反射的にクロエを追いかける。
「クロエ、待って!」
競歩で出て前を行くクロエを僕は必死で追いかけた。外に出ると怯えているシャーロットとアビゲイルがいるのが見えた。
クロエはいつも最後尾をのらりくらりとついてきていたのに、こんなに早く歩けるなんて知らなかった。
歩いていたのでは追い付けない速度だったため、僕は走ってクロエの腕を掴んだ。
ずっと耳鳴りがしていたが、やっと耳が聞こえるようになってくる。
「待って。さっきアナベルが言ったこと、どういう意味? セージが殺されたことについて、クロエは何か関係してるの?」
「…………俺のせいじゃない……」
「……何か知ってるなら言って」
クロエは僕の方に向き直って、何から話したらいいか解らないようなそぶりを見せる。
「それだけはお前に聞かれたくない」
「……さっきは、聞かれたくないことは誰にでもあるって言った。それは嘘じゃないけど、僕に関係してることは別だよ」
「こんな状況で言える話じゃない……お前にはいつか言おうと思ってた……本当だ」
その動揺している様子と、アナベルが確かに言った「セージが殺されたのは」という言葉から、明らかによくない話なのは見て取れる。
「今言って」
「…………始めに言っておくが、わざとじゃない。悪いのは全部ゲルダだ。いいな?」
「……早く言って」
「どうしても……今じゃないと駄目なのか…………」
「クロエ、もったいつけないで。言っておくけど……嘘は通用しないからね」
僕の冷たい声を聞いて、クロエは諦めたようにぽつりぽつりと話し始めた。
やけに戸惑いを抱えながら、一つ一つの言葉がやっと出てきてる様子だった。
「俺は……お前と別れた後に、お前とセージが住んでた……あの家に行ったんだ。数年経った……後にな……それで……」
「…………」
「お前の髪の毛を見つけたんだ…………」
「………………」
「…………」
「どうしたの? 僕の髪の毛を見つけて、それから?」
「…………それを……持って帰ったんだ……」
「それで?」
「……俺は、お前の髪をもったまま寝ちまって…………気づいたらなくなってた……」
「………………」
「追跡魔術だ…………ゲルダはお前の髪の毛を使って……お前の居場所を特定した……」
「!」
「俺は! 献身的にお前を捕まえようとしたわけじゃない! 俺はお前がノエルだって知らなかったんだ! それに、俺は髪の毛を持って帰っただけだ! お前に危害を加えるようなことしてないだろ……? 悪いのは全部ゲルダだ! 俺じゃねぇ!」
クロエが話を進めるうちに、僕は愕然とし、クロエに目を向けられなくなった。
なによりも、クロエが必死に自分の無実を訴えてくる様子を見たときに不愉快さが最大になって僕は話を遮った。
「もういい……」
僕がそう言うと、クロエは尚更焦ったように自己弁護を再開する。
「ノエル、ずっと悪いことをしたと思ってた……許してくれ」
「許してくれって……僕は大切な家族をまた殺されて、散々拷問されたんだよ。その発端を作ったクロエを簡単に許すなんて……」
「なぁ、だから言ってるだろ。俺は……確かに発端だったかもしれないが、悪いのはゲルダだ。俺じゃない。俺はお前が好きだったんだ。今もそうだ。当時、お前と離れ離れになって……お前の一部にだって縋りたい気持ちだったんだ」
その“自分は悪くない”という主張を何度も何度も繰り返されるほど、僕は苛立ちに飲み込まれていく。
そうだ。確かにクロエのせいじゃない。
頭では理解しても、感情がそれに追従しない。
「おい、ノエル」
僕がなんと答えていいか解らずに苛立っていると、ガーネットが慌てた様子で走ってきた。
「何があった? 腐った魔女が黒焦げになっていたぞ」
「あれはクロエがやった」
「……なにがあった?」
「…………少し1人にさせてほしい」
冷静に判断できない。
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「なに? どうした?」
「今は……誰とも話したくない」
僕が振り切るようにクロエとガーネットを置いてその場を立ち去った。後ろからガーネットがクロエを問い詰める声が聞こえる。
僕は足早に歩いていたが、その声を聞きたくなかったので走り出した。
どこへ行くとも解らない、道なき道を。
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