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導かれるように……⑴
しおりを挟む夕刻。
丘の上の教会から出発する最終便のバスに乗り、ロラはこの街一番の繁華街にやって来ていた。
普段ならば、そこから直ぐ住んでいる町に向かうバスに乗り継いで、家に帰るところ。
しかし、今日のロラは、何となく寄り道をしたい気分だった。というのも、今晩夫のテオは、夜勤で家にいないから。
『心配だから、暗くなる前には必ず家に戻ってね? 夜は、出歩いたらいけないよ? ロラは可愛いから、僕は心配なんだ』
同棲を始めた頃、不安げに眉を寄せながら、真剣な目で言ってくれたテオを思い出し、ロラは頬を緩めた。
(『そんなに心配しなくても大丈夫』って言ったら、少し怒ってむくれていたのよね。
『ロラは、僕がどれだけ君を大事に思っているか、分かってない!』とか言って。
月末仕事で遅くなる時は、いつも迎えに来てくれるし。こんなに大切にして貰って、幸せだわ……でも)
久しぶりに、夕焼けに染まる繁華街を歩いてみると、胸が躍る気がした。
(こんな時間に、ここを歩くのも久しぶり。結婚してから、できるだけテオの言いつけを守っていたから。
前は確か、親友のエデンの結婚式の後だったわ。あの時は、予定より少し帰りが遅くなってしまって……でも、折角のお祝い事だから、二人で飲もうと思って、ワインを買いに寄ったのよね……)
そこまで思い出した時、ロラは唐突に不安に襲われた。
(あら? 何かしら? 何だか、胸が苦しい感じがする)
心拍数が上がり、呼吸が乱れる。
これまで そういったことを経験したことが無かったので、ロラはパニックをおこしかけ、その場にうずくまった。
道行く人が、怪訝そうに振り返っているが、気にする余裕はない。
(おかしいわ。だって、今の今までウキウキしていたじゃない。この商店街だって、特に嫌な思い出があるわけじゃ……)
考えながら、それでものろのろと立ち上がり、ロラは近くの街灯の下にあるベンチに座った。
(強いて言うなら、あの時ナイフを買ったアウトドアショップが、この通りの一番奥にあるけれど……)
ロラは、初めて自分が血に塗れて寝ていた時のことを、思い出していた。
(あの時は、何がなんだか分からなくて、慌てて汚れた物を全て水洗いした。
結局、血が落ちなかったシャツだけは、室内で乾したあと、ハサミで細かく切って捨てたのだけど……。
そして、そちらに気を取られるあまり、ナイフは水気を軽く拭き取っただけで、シンクの下に放り込んでしまった。数日後思い出して、元の場所に戻そうと思った時には、少し錆びてしまっていたのよね。
未使用のはずのナイフが錆びていたら、テオが不思議に思うに決まってる。だから、同じ物を買わざるをえなかった)
ロラは思い出しながら、ゆっくり息を吐き出した。
(専門店だから、やっぱり高くて。でも、違うメーカーの物だと、キャンプ用品に詳しいテオには気付かれてしまうかも……そう悩んでいたら、店員さんが型落ちを勧めてくれて安く買えたのよね。あれは、ラッキーだったわ)
考えるうちに、ロラは少しずつ落ち着いてきた。
(どちらかと言えば、成功体験じゃない。そうよ。大丈夫……大丈夫)
自分を安心させるように、ゆっくり呼吸を繰り返す。以前、シスターブロンシュが教えてくれた時のように。
(きっと、寝不足で疲れているんだわ。買い物を終えたら、早めに帰りましょう)
一人でそう決めていると、下げていた視線の先に、女性もののブーツが見えた。
(だれ?)
ロラが顔を上げるより前に、その女性はしゃがみ込む。
「大丈夫ですか? お加減悪いです?」
小柄な、まるで少女と見まごうほど可愛らしい女性が、こちらを覗き込んでいた。
(お人形さんのように可愛らしい方。自然な金の巻き髪に、パッチリとした青いおめめ。どなたかしら?)
「あ、いえ。ちょっと動悸がしただけなの。ありがとう。少し休めば大丈夫だと思うので」
ロラが答えると、女性は心配そうに眉を寄せ、直ぐに両手を合わせて柔らかく微笑んだ。
「でしたら、私のお店で休んでいきませんか?美味しいお茶もサービスしますから」
「いえ……でも」
(困ったわ。キャッチセールスかしら……)
ロラは眉を寄せる。
しかし、女性はあっけらかんと微笑んで、こう言った。
「心配しなくても、無理に商品を売りつけたりしませんよ? 私のお店はハーブティーの専門店なので、お茶は売るほどあるんです」
それを聞き、ロラは顔を上げた。
ロラが座っていたベンチの前、女性受けしそうな真っ白な外壁のそのお店。
扉の上には『サシェ アンジェ』の看板が下げられている。
「あ。私、丁度こちらに行こうと思っていたんです」
女性は、嬉しそうに破顔した。
「まぁっ! それは、丁度良かったですね。神様のお導きかしら? では、中へどうぞ。どんなお茶がお好みですか?」
女性が手を差し出したので、ロラは彼女の優しさに甘えて手をとった。
ゆったりとしたペースで歩いて、二人は店内へと入って行った。
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