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答え合わせ
しおりを挟むここ二、三日の冷え込みが嘘の様な、温かな昼下がり。
修道院の応接室には、差し向かいに座るシスターブロンシュとヴィクトー警部補の姿があった。
二人は、一見すると穏やかな雰囲気で、会話を交わしている。
「では、私どもがお邪魔した日も、いつもの様に、信者の方々のお悩み相談を受けていたのですね?」
「その様な大それたことでは。ちょっとした雑談です」
「ご謙遜を」と軽く笑いながら、ヴィクトーは持参した鞄から写真を取り出し、机に置いた。
「この方とも、お話しされましたか? あの時、礼拝堂にいらっしゃったと思うのですが」
「ええと。雑談の際は、お顔を見てお話ししませんので……でも、うちの信者さんではないので、もしかしたら不眠で悩まれていた方かしら?」
シスターは、考えるように小首を傾げる。
「不眠で……なるほど。その他に、彼女、何かおかしな言動はありませんでしたか?」
「いえ、全く。その時は、確か恋のお話を聞かせて頂いて、楽しかったわ」
宝石のような赤い瞳を陽光に煌めかせて、どこか懐かしむようにシスターは微笑む。
ヴィクトーは、相槌をうった。
「それは、結構なことですねぇ」
「ええ。年齢が近かったのか話も合いまして、その後も何回かお話しに来て下さいました。恋のお話を聞いたり、本を貸して頂いたり。私からもお礼に……」
「こちらの本を、お譲りになったのですね?」
シスターの声を遮り、ヴィクトーは鞄から、ビニール袋に入った美しい装丁の本を取り出した。
口元に笑みを浮かべているが、ヴィクトーの眼光は鋭い。
「彼女の書棚を調べたのですが、この本だけ、他のものと毛色が違いましてね?」
写真の横に置かれた小説を見て、シスターは柔らかく微笑んだ。
「はい。仲の良いシスターのお薦め作品を。とても綺麗な装丁なので部屋に置くだけでも素敵ですし、不眠なら気慰めにもなるかと思って」
ヴィクトーは頷いた。
「その時、彼女に何か、お話しなさいましたか?」
「え?ええ。いつも通りです。貴女にも神のお導きがあります様に、と」
そう言って、シスターブロンシュは、花のように美しく微笑む。
ヴィクトーは、目を細めた。
「シスター。既に報道されていることですのでご存知かと思いますが、彼女は自らの手を血で染め、命を落とした。
彼女は、慎ましく真面目に生きてきた、普通の女性です。一体彼女に、何の咎があって、このような結末を迎えたというのでしょう?」
「まぁ。そうだったのですか? 何分世情に疎く……お気の毒なことです。しかし、それは彼女の選択。他の人には分からない悩みや葛藤もあったのでしょう」
「そう……でしょうかね?」
やるせない思いで眉を寄せるヴィクトーに、シスターは困ったように微笑むと、静かに瞳を閉じた。
「愛する男性のために死ぬのは、至高の快楽という方もいらっしゃいます」
「私には、理解し難い感情ですね」
「私どものように愛を知らない者には、理解が難しいですよね」
シスターは苦笑を浮かべ、ヴィクトーは冷笑を浮かべる。
「大人の都合で、いたいけな子どもを巻き込んだことに関しては?」
「利用したと言うのならば、お互い様ではないですか?」
シスターブロンシュの赤い瞳に、正面から見据えられ、ヴィクトーは小さく息を落とし、立ち上がって頭を下げた。
「……お時間を頂き、有難うございました。シスター ブロンシュ」
「いえ。ヴィクトー刑事。貴方にも、神のお導きがありますように」
◆
「鑑識によると、三日前に惨殺された女性の背中の傷は、これまでの連続殺人事件の被害者のものと同様でした。また、ダニエルの鞄から、この女性の血液が付着したコート、手袋、凶器のナイフが出たことから、連続殺人は、ダニエルの犯行と見て間違いないでしょう。
因みに、今回使われたナイフは、傷跡から、三回目以降の殺人に使われたものと同じものと思われ、今回、ロラ=マテューがダニエルを刺したナイフが、二回目までの殺人に使われたものと同一である、といった見解です。
ロラ=マテューは、夫が殺人犯であったことに気づき、無理心中をはかった、ということで宜しいですかね?」
「被疑者死亡での幕引き。後味の悪いことですね」
眉間を押しながら、ため息を吐きつつ応じる上司に、ニコラは苦笑いを浮かべる。
「それは、まぁ。でも、これ以上被害が増えないのは、喜ばしいですよ」
「そうでしょうかね。私は自己嫌悪で潰されそうですが、仕方なしに、調書をまとめるとしましょう」
「うへぇ。それが一番大変だ」
悶絶するニコラに机の上に、ヴィクトーは持って来ていたファイルを並べ始めた。
「はぁ。あぁ、そう言えば、係長。昨日も教会に行っていたそうですね?
前回行った時は注意喚起をしただけで、大した情報も取れなかったし、また、取る気もなかったようでした。つまり、結局のところ、シスターブロンシュに会いにいっただけですか?
確かに魅力的な女性とは思いますし、心配になるのも分かりますが、仕事中にわざわざ。職権濫用も良いところだ。ねぇ?」
ニヤニヤといやらしい笑いを浮かべるニコラに、ヴィクトーは半眼で答えた。
「だから君は、考えが浅いと言われるのでは?」
「はぁっ?」
怒りを全身で表現するニコラの目の前に、ヴィクトーは、ビニール袋に入れられた小説を取り出して見せる。
「これは、ロラ=マテューの寝室のサイドテーブルに置かれていた小説で、事件の数日前、シスターブロンシュが彼女に譲ったものだそうです。ニコラ君は、読書は好きですか?」
その言い方に、ニコラはムッとしながら答えた。
「好きでは無いですね」
「でしょうね。君が小説を読んでいる姿は、想像できません。ああ、一方的に君を侮辱するつもりはないですよ。かく言う私も、恋愛小説に興味はないので。
参考までに、課の女性に聞いたところ、巷ではハッピーエンドが好まれるそうです」
言いながら、ヴィクトーは手袋をはめてビニール袋から小説を取り出し、ニコラの前に差し出した。
「は? 何の話です?」
ニコラは訝しげに眉を寄せつつ、手袋をはめながら、それを受け取る。
「まぁ、最後の章だけで良いですから、それを読んでご覧なさい」
ニコラは渋々ページをめくり、最後の章を読み始め、数分後眉を顰めた。
「え……これ」
「見た目上バッドエンド。但し、『他の人には理解出来なくとも、この二人は、こうなることが唯一の救いであり、幸せだった』。メリーバッドエンドと呼ばれる終わり方だそうですよ。
まぁ。実際の事件において、殺害された側が真に幸せだったのかは、闇の中ですけどね」
ヴィクトーの見解を聞き、ニコラは混乱した。
「こんな……いや。でも、まさか、これがきっかけで?」
頭を抱えるニコラに、「ここからは仮説ですがね」と前置きして、ヴィクトーは話し始める。
「まず、教会に行った時点で、ロラは夫が連続殺人の犯人であると気づき、悩んでいたと仮定します。
彼女は、騙されやすく、思い込んだら一直線な人だったと、事件後彼女の上司が仰っていました。
その彼女が、精神的に追い詰められた状態で、信頼できる相手から『これが救いだ』と、この本を差し出されたとしたら、どうでしょう」
「それで、作品に沿って犯行に及んだと? 」
「但し、シスターは本を譲っただけ。
運任せな部分も有りますし、殺す様に命じたわけではないですから、教唆を主張しても、まぁ、こちらが負けますね」
ヴィクトーは息を落としながら、本を袋の中にしまい、踵を返して自分の席に戻る。
ニコラは眉間に皺を寄せて、わしわしと頭を掻いた。どうにも理解が追いつかない。
「いやいや! 流石に飛躍しすぎっていうか。シスターは、そういうイメージじゃないでしょ?だって、天使みたいでしたよ?
第一、ロラに夫を殺させて、シスターに何の得が?」
ニコラは、ヴィクトーの推測を否定する方法を模索する。
それに対し、ヴィクトーは、静かに返答した。
「単純に得で考えるならば、教会の運営資金が、信者の寄付で賄われていることが挙げられます。ニコラ君が言っていましたね? この教会は簡素ながらも丁寧に補修されており、調度品は物が良い、と」
「それは……でも、『運営資金のために、人殺しの計画をたてた』なんて、流石に無理がある」
「ええ。私も、それが直接的な理由ではないと考えます。
思い出してみて下さい。我々が教会に行った時のことを。
我々が帰ったあと、シスターは、礼拝堂にいた人々の悩み相談に応じていました。あの時、礼拝堂に居たのは、ロラの他は、連続婦女殺人事件の被害者遺族だけです。
彼女の信じる神は、果たしてどちらの味方をしたのでしょう? 」
「でも、それなら我々に協力してくれれば良かったじゃないですか!」
「死刑の廃止」
ヴィクトーがポツリと呟き、ニコラは首を傾げた。
「は?いきなり何言って……」
「この国では、死刑を廃止しています。世論はこう言います。『犯人にも人権がある』と。また『死刑は犯罪の抑止にならない。現に、死刑が無くなった今でも、犯罪件数は変わっていないではないか』と。ですが、私はこの法律を疑問視しています。何も言うことの出来ない被害者と、被害者遺族の感情はどうなってしまうのか、とね?」
「だから、警察に捕まる前に殺したかったってことですか? 警察に捕まれば、一番重い刑でも無期懲役」
「無論、私も私刑は反対です。ですが、遺族の思いを汲むと、そういったことになってもおかしくはないでしょう」
「う。でも、まだ偶然ってことも……」
「偶然。ならば、事件の起きた晩、あらゆる場所で捜査妨害をしでかしたのが、被害者遺族というのも、また、偶然ですか?
……何れにせよ、今回は私の力不足です。ヤニスさんに、気持ちよく引退して頂きたかったのですが……」
ヴィクトーはため息を落とすと、奥に座っていたヤニス巡査部長が苦笑いを返した。
「彼女との因縁は、今回が初めてというわけでは無いんですよ。
そう言った理由で、私は彼女を見張っているのです。こういうきな臭い事件の時は、欠かさずに。敵か味方かすら、判別できません。
君は純粋ですから、間違っても彼女に近づかない方が良いですよ」
ヴィクトーは、窓から見える丘の上の教会を仰ぎ見た。
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シノミヤさま〜✨
ありがとうございます
☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆
本当は、もう少し書き足りない
箇所もあったんですけど
いつもぎりぎりなので(自虐w
ここまでが限界でした。
無事完走できたので、
今日はゆっくり寝て(笑
四月は精力的に
読んだり描いたりしたいです😊
お覚悟をぉっ!
(何の宣戦布告だ🤣
遅まきながら、投票しました。
まだ、読み始めですが応援しています。
るしあん様!こんばんは✨
わーっ💦
コメくれくれするつもりじゃ
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でも、有難うございます(感謝
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