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一章一部
番外,侍女より
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目の前にはそこそこ顔の整った男性。その横には視線を忙しなく移動させている私のご主人様かつ大事な友人。小動物を彷彿とさせる彼女の挙動は見ているだけで癒される。
困惑しているカナメには悪いけれどこれは譲れぬ戦いなのよ。止めないでちょうだい。
エリルシア・マルロイ。男爵家の長女にして異世界からやってきた聖女様の侍女であり、友人だ。親しい人にはエリーと呼ばれている。
聖女様の侍女に推薦された理由は平民ではなく、貴族らしい貴族でもないからだと知っている。決め手は同年代だからと説明されたが、穏やかなお人柄だと噂の聖女様のお世話をしたい貴族の子女は他にもいた。
歴史の浅い男爵家令嬢ではあるが、容姿が優れていることは自覚していた。下がり気味の目元が醸し出す柔らかな淑女そのものの外見につられ、内面の見合わなさに距離を置かれたことは少なくない。容姿を誉めたその口で二言目には性格に苦言を呈される。
寄ってくる殿方に愛想を振り撒かず、ご令嬢に同調もしない私は貴族社会で浮いている自覚もある。かといって平民の中で馴染めるかと言われたら難しい。なんとも中途半端な立場だった。
やっかみによる嫌がらせを受けてまで社交界に出る必要はない。侍女は逃げ場のようなものであり、誰に仕えるかなどはどうでもよかった。
初対面の聖女様への印象はやたらと目が合う、だった。
旅から戻り、王城で特別講義を受け始めたばかりの彼女は貴族のマナーもこれから学ぶのかもしれない。相手の目を直視することが失礼であると知らないのだろう。最低限の教養があり、貴族らしい貴族ではない私はなるほど、適任だった。
だが、マナーを学んでからも彼女は相も変わらずしっかりとこちらを見て話す。それどころか仕事中に視線を感じることもしばしば。挨拶に来る貴族への対応はなんら問題なかった。
護衛と話す様子からは噂通りの親しみやすさを感じていたが、なかなか行動的でもあり、いつまでも消えぬ視線に警戒心が強いのかもしれないと思い至る。なにせ異世界からやって来たのだ。だがそれにしては危機管理意識が低いようにも感じる。掴みどころのない少女だった。
人に見られることには慣れている。大抵が悪意や嫌悪のこもった眼差しであり、見た目通りの反応を期待されることにうんざりしていた。彼女が瞳を輝かせてこちらを見ようとも、媚びを売るつもりはない。忌避などないが、自分の仕事は聖女様のご機嫌取りではなくお世話をすることだ。
聖女様にできるだけ砕けた態度を求められてそのようにしたのは、気に入られたい下心などではなく、ただ自分が楽だったからである。
早々に猫など被らずありのままの自分で務めれば、王城の侍女たちにはいい顔をされなかった。だが聖女様はこれまでと変わらず熱い視線を送ってくる。そこに悪意も嫌悪もなかった。機嫌を伺われているでもない、ただ認識するだけ。その視線に好ましさを感じ取り、素直に嬉しいと思えた。
彼女は人を見た目で判断したりしない。淑女らしい言動ではなくても、主人を前に取り繕わなくても、貴族社会のしきたりなど異世界から来た彼女には関係ないのだ。ほとんどが形だけのそれに、身分が違うからと壁を築かれることもない。
彼女が見ているのはエリルシアという一人の人間だ。
自分で思っている以上に心が疲弊していたのだと気づいた。取り繕わずに関係を築ける相手は、家族以外では二人目だった。
貴族が言外に含ませる悪意に疎いかと思えば、心の機微には敏感な一面もある。王国に対して隙を見せないよう必死なのに驚くほど無防備なところなど、こちらがハラハラしてしまう。
彼女を慕い、友人だと気を許してくれるカナメの力になりたいと思うのは自然なことだった。
強引に縁談を進めた日。
カナメには悪いけれどあの時は婚約期間など省略して早急に籍を入れさせてしまえと思っていた。結婚さえさせてしまえば彼女は国に縛られこちらのものだ。
力にはなりたいが彼女が離れることは許容できない。この青年も似たような考えだったのだろう、貴族の婚約期間が家によって違うだなんてそんな話は聞いたことがない。人のことは言えないが、必死か。
最初はあまりいい噂のないこの男で大丈夫かと心配したが、カナメを見る瞳に悪意はなさそうだった。というか顔合わせの時点でベタ惚れなのではないかと直感した。恐縮しきりの彼女が気づくことはなかったが。
カナメは自己評価が低く、婚約者を過大評価している節がある。この男は噂のような孤高の存在でも、彼女が言うような人格者でもない。ただの臆病者だ。
カナメに国を出てほしくはないので不利になるような言及はしないが、有利になるような助言もしない。彼女の心は自分で得るべきである。私のように。
無事正しく婚約が結ばれ、こうして報告にと大事なお茶会に侍女ではなく友人として誘ってくれたカナメこそ人格者だ。彼女の信頼と愛情を勝ち得たことは評価しよう。だがカナメの視線を釘付けにする一番は親友であるこの私だ。そこは絶対に譲れない。少々見た目が整っている程度で調子に乗らないでもらいたい。
「彼女とはいい友人だと聞いている」
「ええ、なんでも相談できる関係ですわ」
あなたと違ってね。言外に含ませた意図に口元が引き攣るのが見えた。どんなご令嬢にも靡かない鉄仮面とは笑わせてくれる。あれはただ嫌悪ですべてを覆っているだけだ。私よりタチが悪い。
顔合わせ後にカナメに頼まれた彼の縁談など、成立させられるとは到底思わなかった。伯爵家でもそれが分かっていたのだろう、そんなだから微妙な力関係であったクリスティーナ伯爵令嬢との縁談を持ち込まれてしまうのだ。
聖女様を手に入れるのならば相応の覚悟と成長をしてもらわねば困る。
「カナメ、アールグレイのフィナンシェ好きでしょう?私のもあげる」
フォーサイス様と私の間で行ったり来たりしていた顔がこちらに固定される。穏やかに会話をしているように見せかけて、張り詰めた空気を感じ取っていたのだろう。そういうところはやはり敏感だ。
肩の力を抜いて笑顔を向ければ困り顔から一転、ライトブラウンの瞳が嬉しそうに輝いた。横からの熱視線にも気づかず嬉しそうだ。お菓子ひとつでこんなに喜ぶ彼女が救国の聖女様とは、本当に人は見かけによらないものよね。
じゃあ私はエリーの好きなスコーンをあげるねだなんて、羨ましいでしょうそうでしょう。目を眇められてもお菓子もカナメもまだあげないわよ。せいぜい彼女の好みでも覚えて帰るといい。
あなたとの仲を取り持つきっかけとなったこと、私に後悔させないでもらいたいわ。
困惑しているカナメには悪いけれどこれは譲れぬ戦いなのよ。止めないでちょうだい。
エリルシア・マルロイ。男爵家の長女にして異世界からやってきた聖女様の侍女であり、友人だ。親しい人にはエリーと呼ばれている。
聖女様の侍女に推薦された理由は平民ではなく、貴族らしい貴族でもないからだと知っている。決め手は同年代だからと説明されたが、穏やかなお人柄だと噂の聖女様のお世話をしたい貴族の子女は他にもいた。
歴史の浅い男爵家令嬢ではあるが、容姿が優れていることは自覚していた。下がり気味の目元が醸し出す柔らかな淑女そのものの外見につられ、内面の見合わなさに距離を置かれたことは少なくない。容姿を誉めたその口で二言目には性格に苦言を呈される。
寄ってくる殿方に愛想を振り撒かず、ご令嬢に同調もしない私は貴族社会で浮いている自覚もある。かといって平民の中で馴染めるかと言われたら難しい。なんとも中途半端な立場だった。
やっかみによる嫌がらせを受けてまで社交界に出る必要はない。侍女は逃げ場のようなものであり、誰に仕えるかなどはどうでもよかった。
初対面の聖女様への印象はやたらと目が合う、だった。
旅から戻り、王城で特別講義を受け始めたばかりの彼女は貴族のマナーもこれから学ぶのかもしれない。相手の目を直視することが失礼であると知らないのだろう。最低限の教養があり、貴族らしい貴族ではない私はなるほど、適任だった。
だが、マナーを学んでからも彼女は相も変わらずしっかりとこちらを見て話す。それどころか仕事中に視線を感じることもしばしば。挨拶に来る貴族への対応はなんら問題なかった。
護衛と話す様子からは噂通りの親しみやすさを感じていたが、なかなか行動的でもあり、いつまでも消えぬ視線に警戒心が強いのかもしれないと思い至る。なにせ異世界からやって来たのだ。だがそれにしては危機管理意識が低いようにも感じる。掴みどころのない少女だった。
人に見られることには慣れている。大抵が悪意や嫌悪のこもった眼差しであり、見た目通りの反応を期待されることにうんざりしていた。彼女が瞳を輝かせてこちらを見ようとも、媚びを売るつもりはない。忌避などないが、自分の仕事は聖女様のご機嫌取りではなくお世話をすることだ。
聖女様にできるだけ砕けた態度を求められてそのようにしたのは、気に入られたい下心などではなく、ただ自分が楽だったからである。
早々に猫など被らずありのままの自分で務めれば、王城の侍女たちにはいい顔をされなかった。だが聖女様はこれまでと変わらず熱い視線を送ってくる。そこに悪意も嫌悪もなかった。機嫌を伺われているでもない、ただ認識するだけ。その視線に好ましさを感じ取り、素直に嬉しいと思えた。
彼女は人を見た目で判断したりしない。淑女らしい言動ではなくても、主人を前に取り繕わなくても、貴族社会のしきたりなど異世界から来た彼女には関係ないのだ。ほとんどが形だけのそれに、身分が違うからと壁を築かれることもない。
彼女が見ているのはエリルシアという一人の人間だ。
自分で思っている以上に心が疲弊していたのだと気づいた。取り繕わずに関係を築ける相手は、家族以外では二人目だった。
貴族が言外に含ませる悪意に疎いかと思えば、心の機微には敏感な一面もある。王国に対して隙を見せないよう必死なのに驚くほど無防備なところなど、こちらがハラハラしてしまう。
彼女を慕い、友人だと気を許してくれるカナメの力になりたいと思うのは自然なことだった。
強引に縁談を進めた日。
カナメには悪いけれどあの時は婚約期間など省略して早急に籍を入れさせてしまえと思っていた。結婚さえさせてしまえば彼女は国に縛られこちらのものだ。
力にはなりたいが彼女が離れることは許容できない。この青年も似たような考えだったのだろう、貴族の婚約期間が家によって違うだなんてそんな話は聞いたことがない。人のことは言えないが、必死か。
最初はあまりいい噂のないこの男で大丈夫かと心配したが、カナメを見る瞳に悪意はなさそうだった。というか顔合わせの時点でベタ惚れなのではないかと直感した。恐縮しきりの彼女が気づくことはなかったが。
カナメは自己評価が低く、婚約者を過大評価している節がある。この男は噂のような孤高の存在でも、彼女が言うような人格者でもない。ただの臆病者だ。
カナメに国を出てほしくはないので不利になるような言及はしないが、有利になるような助言もしない。彼女の心は自分で得るべきである。私のように。
無事正しく婚約が結ばれ、こうして報告にと大事なお茶会に侍女ではなく友人として誘ってくれたカナメこそ人格者だ。彼女の信頼と愛情を勝ち得たことは評価しよう。だがカナメの視線を釘付けにする一番は親友であるこの私だ。そこは絶対に譲れない。少々見た目が整っている程度で調子に乗らないでもらいたい。
「彼女とはいい友人だと聞いている」
「ええ、なんでも相談できる関係ですわ」
あなたと違ってね。言外に含ませた意図に口元が引き攣るのが見えた。どんなご令嬢にも靡かない鉄仮面とは笑わせてくれる。あれはただ嫌悪ですべてを覆っているだけだ。私よりタチが悪い。
顔合わせ後にカナメに頼まれた彼の縁談など、成立させられるとは到底思わなかった。伯爵家でもそれが分かっていたのだろう、そんなだから微妙な力関係であったクリスティーナ伯爵令嬢との縁談を持ち込まれてしまうのだ。
聖女様を手に入れるのならば相応の覚悟と成長をしてもらわねば困る。
「カナメ、アールグレイのフィナンシェ好きでしょう?私のもあげる」
フォーサイス様と私の間で行ったり来たりしていた顔がこちらに固定される。穏やかに会話をしているように見せかけて、張り詰めた空気を感じ取っていたのだろう。そういうところはやはり敏感だ。
肩の力を抜いて笑顔を向ければ困り顔から一転、ライトブラウンの瞳が嬉しそうに輝いた。横からの熱視線にも気づかず嬉しそうだ。お菓子ひとつでこんなに喜ぶ彼女が救国の聖女様とは、本当に人は見かけによらないものよね。
じゃあ私はエリーの好きなスコーンをあげるねだなんて、羨ましいでしょうそうでしょう。目を眇められてもお菓子もカナメもまだあげないわよ。せいぜい彼女の好みでも覚えて帰るといい。
あなたとの仲を取り持つきっかけとなったこと、私に後悔させないでもらいたいわ。
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