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第三部
パーフェクト・ワールド・エンドⅪ ③
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「おまえなぁ、向原」
楓寮と違い静かな櫻寮の階段を上って、五階に足を踏み入れた瞬間。ぬっと暗がりから茅野が顔を出した。
「毎度、毎度、帰寮時間を過ぎてから戻ってくるんじゃない」
下に示しがつかんだろうが、と苦言を呈された挙句に、これ見よがしに溜息まで吐かれてしまった。
いつから待っていたのかは知らないが、待ち構えていたらしい。
「バレてないだろ」
「そういう問題じゃない。それに、いくら俺が隠そうとしたところで気がつくやつは気がつく。……というか、おまえ、隠そうともしてないだろう」
「好きに言わせとけよ」
べつに、隠してもらう必要はないのだ。そう応じると、茅野がまたひとつ溜息を吐いた。
「どこに行ってたんだ、今日は」
「おまえが、気を揉まないほう」
「あのな」
頭の痛そうな顔で、茅野が窓に視線を向けた。楓寮のある方向だ。
「本尾のところだろうが、篠原のところだろうが、ハルちゃんのところだろうが、どこでも俺の胃は痛む」
「そんな繊細なガラか」
「なにを言う。昔から同じ寮に問題児がいたからな。俺の胃は常に傷んでるんだ。表向きはそうは見せていないだけで」
「大変そうだな」
おざなりに相槌を打つと、茅野が諦めたふうに踵を返した。部屋に戻るつもりだったので、そのあとに向原も続く。
しんと静まり返った夜のフロアには、楓寮とは大違いの健全な空気が流れている。
俺がそっちに行きたいくらいだ、と篠原は冗談半分で言っていたが、寮長が代わりでもしない限り、楓寮のあの空気が変わることはないだろう。
今の楓寮の寮則は、ほとんど機能していない。
「大変だと思うなら、自由すぎる行動は控えてくれ。……と、なんだ。ここにもまだ残ってるやつがいたのか」
どいつもこいつもと言わんばかりの調子でぼやきながら、茅野が談話室の前で立ち止まる。追い抜いていくつもりだった足が止まったのは、かすかな匂いを覚えたからだった。
水城のものとは違う、けれど、たしかに甘い匂い。
「おい、こら。起きろ」
呼びかけだけでは起きないと踏んだのか、苦笑ひとつで肩に手を伸ばす。その手を掴んだのは、反射に近かった。
「いい」
「いいって、おまえな」
振り返った茅野が、ちらりと腕に視線を落とした。
「そういうあからさまな独占欲を見せるくらいなら、もっとわかりやすい方法を選んでやったらよかっただろう」
呆れ切った調子に、どうとでも取れる笑みを返して、手を離す。
「ちなみにな」
少しの間を置いてから、茅野が話しかけてきた。先ほどよりも、小さな声。
「これもはじめてのことじゃなくてな。おまえが姿を消すからだぞ」
しかたがないといった茅野の視線は、眠っている横顔に注がれていた。
――べつに、そこまで見た目が好みってわけでもないんだけどな。
きれいな顔はしている。けれど、それだけだ。というのが、五年前に抱いた第一印象だった。
似非くさい笑顔を張り付けた、風変わりなオメガ。それだけだったはずだった。その顔を見つめたまま、呟く。
「あいかわらず、変なところで馬鹿だな」
苦笑しただけで、茅野はなにも言わなかった。
楓寮と違い静かな櫻寮の階段を上って、五階に足を踏み入れた瞬間。ぬっと暗がりから茅野が顔を出した。
「毎度、毎度、帰寮時間を過ぎてから戻ってくるんじゃない」
下に示しがつかんだろうが、と苦言を呈された挙句に、これ見よがしに溜息まで吐かれてしまった。
いつから待っていたのかは知らないが、待ち構えていたらしい。
「バレてないだろ」
「そういう問題じゃない。それに、いくら俺が隠そうとしたところで気がつくやつは気がつく。……というか、おまえ、隠そうともしてないだろう」
「好きに言わせとけよ」
べつに、隠してもらう必要はないのだ。そう応じると、茅野がまたひとつ溜息を吐いた。
「どこに行ってたんだ、今日は」
「おまえが、気を揉まないほう」
「あのな」
頭の痛そうな顔で、茅野が窓に視線を向けた。楓寮のある方向だ。
「本尾のところだろうが、篠原のところだろうが、ハルちゃんのところだろうが、どこでも俺の胃は痛む」
「そんな繊細なガラか」
「なにを言う。昔から同じ寮に問題児がいたからな。俺の胃は常に傷んでるんだ。表向きはそうは見せていないだけで」
「大変そうだな」
おざなりに相槌を打つと、茅野が諦めたふうに踵を返した。部屋に戻るつもりだったので、そのあとに向原も続く。
しんと静まり返った夜のフロアには、楓寮とは大違いの健全な空気が流れている。
俺がそっちに行きたいくらいだ、と篠原は冗談半分で言っていたが、寮長が代わりでもしない限り、楓寮のあの空気が変わることはないだろう。
今の楓寮の寮則は、ほとんど機能していない。
「大変だと思うなら、自由すぎる行動は控えてくれ。……と、なんだ。ここにもまだ残ってるやつがいたのか」
どいつもこいつもと言わんばかりの調子でぼやきながら、茅野が談話室の前で立ち止まる。追い抜いていくつもりだった足が止まったのは、かすかな匂いを覚えたからだった。
水城のものとは違う、けれど、たしかに甘い匂い。
「おい、こら。起きろ」
呼びかけだけでは起きないと踏んだのか、苦笑ひとつで肩に手を伸ばす。その手を掴んだのは、反射に近かった。
「いい」
「いいって、おまえな」
振り返った茅野が、ちらりと腕に視線を落とした。
「そういうあからさまな独占欲を見せるくらいなら、もっとわかりやすい方法を選んでやったらよかっただろう」
呆れ切った調子に、どうとでも取れる笑みを返して、手を離す。
「ちなみにな」
少しの間を置いてから、茅野が話しかけてきた。先ほどよりも、小さな声。
「これもはじめてのことじゃなくてな。おまえが姿を消すからだぞ」
しかたがないといった茅野の視線は、眠っている横顔に注がれていた。
――べつに、そこまで見た目が好みってわけでもないんだけどな。
きれいな顔はしている。けれど、それだけだ。というのが、五年前に抱いた第一印象だった。
似非くさい笑顔を張り付けた、風変わりなオメガ。それだけだったはずだった。その顔を見つめたまま、呟く。
「あいかわらず、変なところで馬鹿だな」
苦笑しただけで、茅野はなにも言わなかった。
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