パーフェクトワールド

木原あざみ

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第三部

パーフェクト・ワールド・エンド17 ⑤

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 自分の中に、こんな飢餓が眠っているなんて、知らなかった。想像もしていなかった。
 なにもしなくていいと言ったのも、離れていってくれたら、期待なんてもうなにもしないでくれたら、楽になる。そう思っていたはずだった。それなのに。
 知らないうちに詰めていた息を吐いて、踵を返す。校舎のほうにこのまま向かうのはまずいと思ったのだ。
 危機を察知した本能に押されるように、来たばかりの道を戻る。恋なんて、絶対に自分はしないと思っていた。その自信があったから、なにを言われても馬鹿みたいな説諭だとしか思わなかった。
 だって、もし、それを認めたら、自分は自分でなくなってしまう。不完全だと知っているから、見せかけだけでも完璧でありたかった。みっともない自分を曝け出したりはしたくなかった。あの男にだけは、絶対に。
 対等でありたいと願っていた唯一でもあった相手にだけは、絶対に。弱みを見せて甘えるようなことは、死んでもしたくなかった。

 ――そうだ。絶対に、そんなことは望んでなかった。

 そのはずだったのに、その箍が何度か外れかけていたことを成瀬は知っている。だから、怖かった。だから、そばになんていたくなかった。
 オメガとしての幸せなんてものも、考えたことはないはずだった。自分にとって、一番意味のないものだったから。
 はず、はず、とみっともない言い訳を繰り返しながら、人目を避けた道を行く。全寮制の学校に通うようになってすぐ、成瀬は自分にとっての安全圏を確保しようと努めた。
 あってはならないと思ってはいたけれど、それでも万が一のための保険は必要だとわかっていたからだ。ひとりになることのできる場所。なにかあったときにしばらくでもいいから、姿を隠すことのできる場所。
 百パーセント安全な場所なんて存在しない。けれど、少しでも安全の確率を上げることのできる場所。

 ――だったら、俺のところにしたらいいだろ。

 どれだけほかにアルファがいようとも、自分のそばにいるのが一番安全だろう。さも当然と言われたとき、自分はいったいどんな顔をいていただろうか。本当に、しっかりと笑って流せていたのだろうか。
 考えたところでいまさらなんの意味もないことが、なぜか無性に気になってしまった。自信が揺らぎかけているのかもしれない。ポケットに入っていた薬を半ば無意識に握りしめる。
 抑制剤は、お守りのようなものだった。飲み続けていたら、もしかしたら、オメガにならなくて済むかもしれない。
 そんな荒唐無稽な夢に縋って、服用を続けていた。効かなくなっているかもしれないとわかっても、先生の言うところの馬鹿な過剰摂取で取り繕おうとしていた。
 それも無理だと悟ったから、診療も受けに行った。たいした効果の差はないと念を押されたけれど、それでも新たな薬を手に入れることはできた。だから大丈夫だと思っていたかった。
 あと半年。たった半年だ。どれだけ身体に無理が出ようとも、薬で抑え込めることができるのなら、それでかまわないと思っていた。

 ――そのはずだった、のに。

 心臓がうるさい。零れる息が熱い。もっと早くに動きたいのに、足の進みがいやに鈍い。風邪気味だという建前は今にも外れそうになっていた。

 ――まずい。

 自分の身体のことは、自分が一番理解している。だから、今、誰かに会うわけにいかないことは、よくよくわかっていた。当然、こんなふうになっている本当の原因も。
 はずだ、はずだと繰り返すことしかできなかったのは、わかっていても認められなかったからだ。
 なにがあっても動じないはずの自分。ひとりでいても平気なはずの自分。なんでもひとりでやれるはずの、強い自分。
 その強固なはずの殻を破るのは、いつだって、ひとりだった。
 背後で響いたチャイムの音に、強張っていた力がかすかに抜けた。
 授業をさぼる生徒は決して多くはない。このまま行けば、誰にも会わずに寮に戻ることができる。パキ、と木の枝を踏む小さな音がしたのは、そう思った瞬間だった。
 はっと振り向いた先にいた相手に、思わず舌打ちが漏れる。会いたくない男だったからだ。
 間の悪さを恨みながらも、どうにか表情を切り替える。切り替えた、つもりだった。

「おいおい」
 
 馬鹿にしたように本尾が笑った。

「まったく隠せてねぇぞ、会長様」

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