パーフェクトワールド

木原あざみ

文字の大きさ
310 / 484
第三部

閑話「プロローグ」⑥

しおりを挟む
 そんなにいいのかな、この顔、と続いた台詞に含まれていた自嘲や侮蔑には気づかないふりで、気をつけるに越したことはないだろ、と向原は言った。
 この時に限ったことではなく、何度もした忠告だった。馬鹿は馬鹿だから怖いのだ。そのこともまた知らないはずがないくせに、成瀬は聞き入れようとしなかった。

 はじめて会ったときから、そうだった。成瀬は、自分のことを守ろうとしない。
 自分であればどうとでもできるという自信に裏打ちされた無防備さであれば、まだよかったかもしれない。けれど、成瀬のそれは、仮になにかが起きてもどうでもいいという無気力さに近い。だから、苛立たしかった。
 たまに思うことがある。オメガだろうが、アルファだろうが、どうでもいい。心底そう思っている。けれど、この男がアルファであることが事実でさえあったのなら、物事はもっとうまく回ったのではないか、と。

 それでも、最後の理性で、「アルファだったらよかったのにな」とは向原は言わなかった。
 舌打ちひとつでベッドから離れる。これ以上この空間にいたくなかったのだ。それなのに、ドアノブを掴んだ瞬間に、呼び止める声がかかった。

「どこ行くんだ?」

 今、ごちゃごちゃしてるから、あんまり引っ掻き回さないほうがいい。そう告げてくる声は、まったくの普段通りのものだった。本当に馬鹿馬鹿しい。

「おまえに関係あるのか?」

 そもそも、その「ごちゃごちゃ」を引き起こしたのは、おまえだろうが。切り捨てた自分の声音は、また苛立ちを帯び始めていた。
 それに、――引っ掻き回すもなにも、ちょうどいいタイミングだったというだけのことだ。なにを言っても通じない、届かない相手に言葉を重ねるより、言えばわかるほうをわからせてやったほうが、よほど合理的だろう。

「向原」

 二度目の呼びかけを無視して外に出ようとしたところで、三度目がかかった。予想外のしつこさに背後を振り返る。
 自分に始末を付けられることが、それほどに嫌なのか。あいかわらずプライドばかりが一人前だとしか思えなかった。

「だから、なんだよ」
「変わるな」

 今度こそなにも言う気になれなかった。それが唯一正しいと思っている瞳から、背を向ける。この部屋を出てまで追いかけてはこないだろうとわかったからだ。案の定、それ以上の声はかからなかった。

 階段を下りて、医務室のあるフロアに向かう。たしかにまだ「ごちゃごちゃ」とし続けているらしく、夜の遅い時間であるにもかかわらず、寮内はそこかしこで騒めいていた。
 おまけに、どこの窓も開いているのに、残り香のような甘いかおりが立ち込んでいる。鼻につくあまったるさに辟易して、舌打ちがこぼれた。
 フェロモンを撒き散らすことしか能のないオメガは、嫌いだ。面倒を引き起こすだけの存在でしかないからだ。

 ――オメガなんて、大嫌いなくせにな。

 自分の比ではなく、あの男はオメガを嫌っていたはずだ。それなのに、なぜ面倒ごとに首を突っ込むのか。馬鹿馬鹿しいとしか思えなかった。
 苛立ちを抱えたまま目的のフロアに立ち入った瞬間、目が合った寮生委員がぎょっとした顔で一歩後退った。
 くすぶった感情を隠さなかったことは事実だが、関係のない人間を必要以上に脅しつける気もない。その二年生の寮生委員以外に生徒がいないことを視認して、向原は乱雑に医務室のドアを叩いた。
 壊す前に、開けろと伝える努力はしておくべきだと思ったからだ。それにしても――。

 ――なにが変わるな、だ。

 あの顔を思い出すとまた腹が立ってきて、反応がなかったことをいいことに、ドアを蹴りつける。ガンという鈍い音が響いて、ドアが揺れる。

「逃げんなよ、いまさら」

 苛立ちのままに、ぼそりと吐き捨てる。
 バレたら大ごとになるとわかりきっていることをやっておいて、なにをいまさら立てこもっているのか。時間の問題だと脅すように、爪先で扉を蹴る。
 次で本当に蹴破ってやろうかと思案していると、恐る恐るといった声がかかった。先ほどの寮生委員である。

「あ、あの、向原先輩」

 茅野あたりになにか言い含められているのか、なけなしの責任感を発動した顔で、ひそめた声で説明をし始める。

「轟先輩たち、ちょっと、その、思ってたより、怪我がひどくて」
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

結婚初夜に相手が舌打ちして寝室出て行こうとした

BL
十数年間続いた王国と帝国の戦争の終結と和平の形として、元敵国の皇帝と結婚することになったカイル。 実家にはもう帰ってくるなと言われるし、結婚相手は心底嫌そうに舌打ちしてくるし、マジ最悪ってところから始まる話。 オメガバースでオメガの立場が低い世界 こんなあらすじとタイトルですが、主人公が可哀そうって感じは全然ないです 強くたくましくメンタルがオリハルコンな主人公です 主人公は耐える我慢する許す許容するということがあんまり出来ない人間です 倫理観もちょっと薄いです というか、他人の事を自分と同じ人間だと思ってない部分があります ※この主人公は受けです

【完結】それ以上近づかないでください。

ぽぽ
BL
「誰がお前のことなんか好きになると思うの?」 地味で冴えない小鳥遊凪は、ずっと憧れていた蓮見馨に勢いで告白してしまう。 するとまさかのOK。夢みたいな日々が始まった……はずだった。 だけど、ある出来事をきっかけに二人の関係はあっけなく終わる。 過去を忘れるために転校した凪は、もう二度と馨と会うことはないと思っていた。 ところが、ひょんなことから再会してしまう。 しかも、久しぶりに会った馨はどこか様子が違っていた。 「今度は、もう離さないから」 「お願いだから、僕にもう近づかないで…」

もう殺されるのはゴメンなので婚約破棄します!

めがねあざらし
BL
婚約者に見向きもされないまま誘拐され、殺されたΩ・イライアス。 目覚めた彼は、侯爵家と婚約する“あの”直前に戻っていた。 二度と同じ運命はたどりたくない。 家族のために婚約は受け入れるが、なんとか相手に嫌われて破談を狙うことに決める。 だが目の前に現れた侯爵・アルバートは、前世とはまるで別人のように優しく、異様に距離が近くて――。

いい加減観念して結婚してください

彩根梨愛
BL
平凡なオメガが成り行きで決まった婚約解消予定のアルファに結婚を迫られる話 元々ショートショートでしたが、続編を書きましたので短編になりました。 2025/05/05時点でBL18位ありがとうございます。 作者自身驚いていますが、お楽しみ頂き光栄です。

普通のβだった俺は

りん
BL
普通の大学生として過ごす白瀬凪が、αの先輩に絡まれる話 凪は普通の大学生だ。βで、容姿も中身も平均値ぐらいだと認識している。ある日、大学でもよく噂されている先輩に声をかけられる。先輩の独特の雰囲気と空気に、次第に巻き込まれていく凪。 書き殴り状態なので少しずつ修正するつもりですです…。

流れる星、どうかお願い

ハル
BL
羽水 結弦(うすい ゆずる) オメガで高校中退の彼は国内の財閥の一つ、羽水本家の次男、羽水要と番になって約8年 高層マンションに住み、気兼ねなくスーパーで買い物をして好きな料理を食べられる。同じ性の人からすれば恵まれた生活をしている彼 そんな彼が夜、空を眺めて流れ星に祈る願いはただ一つ ”要が幸せになりますように” オメガバースの世界を舞台にしたアルファ×オメガ 王道な関係の二人が織りなすラブストーリーをお楽しみに! 一応、更新していきますが、修正が入ることは多いので ちょっと読みづらくなったら申し訳ないですが お付き合いください!

【完結】愛されたかった僕の人生

Kanade
BL
✯オメガバース 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。 今日も《夫》は帰らない。 《夫》には僕以外の『番』がいる。 ねぇ、どうしてなの? 一目惚れだって言ったじゃない。 愛してるって言ってくれたじゃないか。 ねぇ、僕はもう要らないの…? 独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ✻改稿版を他サイトにて投稿公開中です。

番解除した僕等の末路【完結済・短編】

藍生らぱん
BL
都市伝説だと思っていた「運命の番」に出逢った。 番になって数日後、「番解除」された事を悟った。 「番解除」されたΩは、二度と他のαと番になることができない。 けれど余命宣告を受けていた僕にとっては都合が良かった。 2026/02/14 累計30万P突破御礼バレンタインSS追加しました 2026/02/15 累計いいね♡7777突破御礼SS 19時に公開します。 様々な形での応援ありがとうございます!

処理中です...