パーフェクトワールド

木原あざみ

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第三部

パーフェクト・ワールド・エンドⅢ 14 ④

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「あ……」

 誰もいないと思っていたのに、狭い部屋の奥に人がふたりもいたのだ。目が合って、反射で後じさりをする。
 その背中をぽんと受け止められて、行人は心底ほっとした。

「茅野さん」

 呼びかけた自分の声がかすかに震えていたことに気がついて、驚く。なにをされたわけでも、言われたわけでもない。むしろ、自分の反応が過剰で失礼なくらいだ。
 わかっていても、怖かったのだ。暗い部屋に複数の――おそらく、上級生のアルファがいることが。
 行人の反応のおかしさに、茅野は言及しなかった。ただ、ごく自然と行人の前に出て、彼らに声をかける。いつもどおりの、なんでもない調子だった。

「藤野、赤崎。こんなところでたむろするな。真面目な学生が使用するときに困るだろうが」
「わかった、わかった。うるさいやつまでくっついてきたな。あのな、べつに、煙草とか吸ってねぇから」
「それこそ、校内ならべつに構わんが。寮では吸うなよ」

 あっさりと受け流したところで、茅野がくるりと振り返った。

「ちょうどいい機会だ、榛名。練習と思って覚えておけ。こっちのデカいほうが藤野。三年で風紀の平だ。小さいほうが赤崎。こいつも三年だ。それでふたりとも楓寮だ」
「はぁ」

 展開にまったく追いつけないまま、曖昧に頷く。印刷室の中はすっかりと茅野のペースになっていて、安心するやら、驚くやらで気が抜けたのだ。
 それなりに気安い関係の同級生なのかもしれない。ほらとばかりに印刷機のスイッチを茅野が入れたので、慌てて原稿を持って隣に並ぶ。

「なに急に人の個人情報言いふらしてんだ、おまえ」
「そこまで個人情報のつもりはなかったんだが。なら、もう少し深掘りしてみるか、せっかくだしな」

 三年生の話に入れるわけもなく、肩身の狭い気分のまま、原稿をセットして、コピーを開始する。
 もはや、早く終わらせてこの場を辞したい一心である。

「榛名。この赤崎のほうは、長いあいだ柏木に気があってな。おかげで成瀬とすこぶる相性が悪いんだ」
「おい、ふざけんな。何年前の話だよ」
「そうか? 高等部に上がってからも、一度言い寄っていただろう。その直後に、わざわざ首を突っ込んだ成瀬に、腹の立つ釘の刺し方をされていたから、てっきり」
「……おまえ、本当にもう黙れよ」

 聞いているだけで胃が痛いし、なんだかちょっと向こうが気の毒になってきてしまった。
 愛想笑いを浮かべることもできず、うつむいたまま、印刷機に早く刷り終われと念じるしかない。
 気安い関係どころか、あまり仲の良くない相手だったのかもしれない。変わらない飄々とした調子で笑った茅野が、排出されたプリントの束を仕分けながら、なら、しかたない、と切り出した。

「知っていると思うが、俺もひとつ自己紹介をしてやろう。櫻寮で寮長をしているわけだが、俺は、俺のものにちょっかいを出されることが死ぬほど嫌いなんだ」

 その台詞に、行人ははっと茅野を仰ぎ見た。言い方はいつもとさして変わらない気もするのに、なんだか妙にぞわりとしたのだ。

「榛名もいいか」

 視線を合わせた茅野が、言い聞かせるように続ける。

「話を戻すが、名前を正確に知らないと、なにかされても、すぐに相手を特定できないだろう。知っておくに越したことはない」
「えっと、……は、はい」
「特定できたら、俺に言え。潰してやる」

 寮の中で困ったことがあれば、いつでも相談すればいい。面倒見の良い顔で気安く声をかけてくれるときと似た調子だったのに、頷くことはできなかった。
 ぎこちなく固まった行人に、いいか、と茅野が繰り返す。

「覚えた顔と名前は、そうやって使うんだ」

 その声にどうにか頷くと、バタンと扉が閉まった。ふたりとも出て行ってしまったらしい。

「榛名」
「あ、……はい」
「印刷、終わってるぞ。次の原稿に差し替えたらどうだ」
「あ、はい。……です、ね」

 なにごともなかったふうな指摘に、行人は印刷機を確認した。次の原稿と差し替える。

 ――あれ、何部だったっけ。

 急にわからなくなって、設定の前で指先の動きが止まる。悩んでいると、隣から伸びてきた指がさっと部数を設定した。印刷機が動き出す。
 自分の指先が震えていた気がして、行人はさりげなく指先を隠した。きっと、気づかれていただろうけれど。
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