紅屋のフジコちゃん ― 鬼退治、始めました。 ―

木原あざみ

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1:いらせませ、紅屋 編

07

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「あ。四時半」

 そろそろ戻ってこられる頃かなと思いつつ、あたしは緊張と慣れないスーツで凝った肩をぐるりと回した。一つ息を吐いて、きり良く最後の一ページまで読み終えた資料のファイルを閉じる。最初はとっつきやすいように、と言うことなのか。ひとまず「鬼狩り」の仕事の実情を知れと言うことなのか。桐生さんに渡されたのは、昨年の桐生さんたちの任務報告書の控えだった。
 目を通し終えたのはほんの一部だけれど、さすが「特A」と思うような内容ばかりで。為になると言うよりは感嘆しか出ない、と言うレベルではあったのだけれど。

 ――でも、本当に、勉強することだらけだなぁ。

 任務はもちろんだけれど、それ以外の事務仕事も覚えなければならないことが明日から山積みだろう。頑張って、少しでも早く覚えていかないとなぁと思いながら、あたしは席を立った。ずっと座りっぱなしだったので腰を伸ばす。
ついでに、お手洗いにも行ってしまおうと外に出る。もともとがビルだからなのだろうけれど、三人きりしかいないフロアでもトイレは男女別にある上に、個室数は明らかに人数以上ある。
 でも、綺麗なのは嬉しいな。やっぱり。給湯室もちゃんとあるし。明日さっそくマグカップ持ってこようかな。職場に受け入れてもらえる感じがあるのはやはり嬉しい。ふんふんとご機嫌に事務所のドアを開けようとしたところで、あたしは首を傾げた。

「ん?」

 もしや引き戸だっただろうか、と引いてみたもののやはり開かない。

「え? 嘘。開かない?」

 だって、鍵なんてなかった。なかったはずだ。押しても引いても開かない。むしろドアノブすらびくともしない。と言うことは。
 もしかして。……もしかして。

「鬼の……呪い?」

 そんなもの、授業で習った記憶はなかったけれど。でも、だって。特A事務所だ。授業なんかで教えられないレベルの代物が眠っていたのかもしれない。もしかして、それが渡辺さんのあの鈴で呼び起こされちゃったとかなんとか……。

 そこまで考えて、あたしは一気に青くなった。も、もし、それが本当なら、えらいことだ。なんとしてでも中に入って様子を見ないと。
 恥も外聞もなくドアをガチャガチャやっていると、なんだか手のひらがじんわりと汗ばんできた。

 こ、怖い。でも、中で何かが起こっているかもしれないのに、放っておくことなんてできるわけがない。仮にも。仮にも、憧れの鬼狩りの第一歩を踏んだ日に!
 必死に開かないドアと格闘していると、ぽんと誰かの手が肩に置かれた。

「ひぃ!」

 うっかり叫んで腰を抜かし掛けたあたしを、見下ろしていたのは、他でもない桐生さんで。

「き、桐生さん……」
「え。ごめん。そんなに驚かせた? と言うか、何して、――あぁ」
「そうなんです! 鬼の呪いでドアが」
「ごめん。ライセンスがないから中に入れへんかったんやろ? って、鬼? 呪い?」
「え、ライセンス?」

 きょとんとお互い顔を見合わせたのち、あたしのしどろもどろな話を聞き終えた桐生さんは、苦笑としか言いようがない顔で謝ってくれた。
 いわく、外部からの侵入者を防ぐため、事務所入り口はライセンスをかざさない限り開けることができないらしい。
 ……良かった。もっと早い段階でうっかり外に出ていなくて。もっと悲惨な目に合っていたに違いない。今でも十分、穴があったら入りたい心境ではあるけれど。

「ごめん、ごめん。フジコちゃん。僕らが悪かった」
「いえ、その。あたしが勝手に勘違いしただけなので」

 真っ赤になりながら、あたしは桐生さんの指示の下、キャビネットにファイルを直す。ここにあるのは過去三年分の写しだそうだけれど、なかなかの量だ。

「フジコちゃんのライセンスもたぶん、来週くらいには届くし。それまではちょっと不便かもしれんけど、堪忍ね」

 ライセンスかぁ。国家資格に合格しているわけではないから研修生仕様のものだろうけれど、それでも今から楽しみだ。「はい」とご機嫌に頷いたあたしに、桐生さんが世間話の続きのように口を開く。

「でも、そんなに『鬼』が怖かったん?」

 一瞬、ファイルを並べていた指先がぶれた。気が付かれていないと良いなぁと願いながら、へらりと笑う。

「鬼の呪いだって思ったら、頭が真っ白になっちゃって。呪いなんて、あたし今まで聞いたことも見たこともなかったですもん」

 勘違いだったのだから、聞いたことも見たこともなくて当たり前だったわけだけれど。

「まぁ、僕もあんまり聞いたことはないけどねぇ」
「あんまりってことは……あるんですか!?」
「んー、フジコちゃんも学校で多少は習ったかもしれんけど、鬼のすべてが分かってるわけじゃないからねぇ。そんなものはない、なんて決めつけん方が良いとは思うよ、何事も」

 のんびりとした口調で桐生さんは言うけれど、特Aの鬼狩りの口から出たと思うと、なんと言うか、いやに信憑性があって恐ろしい。こくこくと頷いたあたしに、桐生さんがついでとばかりに説明を始めた。

「鬼について分かっている確実なことは、二つだけ。本性を表すとき鬼の瞳が紅く染まること」

 鬼が本性を現すときのサインだと言うことは、きっと多くの人たちが知っている。見てなお生き残っている人間がどれほどいるのかは定かではないけれど。

「もう一つは、心臓を潰さない限り、鬼は死なないこと」

 人間とは線を逸する強靭さを持ち、不死ではないけれど、たとえ怪我を負ってもあっと言う間に治してしまうという鬼の唯一にして最大の弱点。だから、人は鬼を恐ろしいと判断する。敵うはずがない、と。
 神妙な顔で頷いたあたしに、桐生さんが付け足した。

「そして、これはおまけやけど。その強靭な鬼と対抗できるのは、鬼狩りだけ、と言うこと」

 残りのファイルを大きな手で元通りに戻して、桐生さんが微笑む。時刻はちょうど五時を指したところだった。

「今日はお疲れ様、フジコちゃん。一人で放っといてごめんね」
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