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1:いらせませ、紅屋 編

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 鬼は、謎に満ち満ちた存在だ。

 時の政府が鬼の存在を公式に認めて数十年経とうとも。はるか昔から歴史の裏で、鬼に対峙していた先人がいようとも。
 鬼のすべてが解き明かされることはない。
 それは、なぜ、鬼があたしたち人間の世界に、いきなり介在してきたのか、と言うことも含めて。

 紅屋の入っているビルを出て、研修生用の寮に向かう。徒歩十分強。研修生たちの中でも一番通勤時間が短いのはおそらくあたしだ。
 人通りの少ない川べりを歩きながら、あたしは空を見上げた。まだ明るい夕闇だけれど、西の空に一番星を見つけることができた。
 明るく輝く宵の明星。

「怖くない」

 呟いてみたけれど、やはりどこか空々しい。鬼と言う存在すべてを怖いと思っているわけではない。それは本当だ。けれど、人を襲う鬼は、と問われると答えに窮してしまう。あの紅い瞳は。あたしたち人間を餌だとしか思ってない凶悪な瞳は。人間を切り裂く鋭い爪も、太刀打ちできない強靭な体躯も。そのすべてを忘れることはできない。
 「鬼狩り」として生きていくのならば、そんなことを言っていては駄目だと言うことは、重々分かってはいる。だから。
 怖くない自分でいたいと思う。そうありたくて、誰かの為になりたくて、「鬼狩り」を目指した。あの人みたいになりたいと願って、「鬼狩り」になった。まだ見習いではあるけれど。

 お父さん、お母さん、それから瑛人。
 十年前。死んでしまった家族の顔を思い浮かべながら、あたしは祈る。
 十年前、鬼によって殺されてしまったあたしの家族。

 むやみやたらと鬼を怖がる必要はありません。
 鬼に襲われるような事態は滅多なことでは起こりません。

 そう、あたしは学校で学んだ。弟はまだ学んでいなかった。だって、小学校に入学する直前の出来事だったのだ。そうだよね、と思っていたし、今でもある意味では思っている。
 人間に害を成そうとする鬼ばかりではない。人間とともに生きる意思を持った鬼が大半だと言うこともまた事実だ。だって、そうでなければ、この世界は成り立たない。
 いくら人間側が抑止として「鬼狩り」を育てたところで。圧倒的に数が足りないのだ。だから、今の世界の共存は、お互いの意思の下で形成されたものだ。

 でも、と同じ心で思う。
 同じ場にいたはずなのに、なんであたしだけが救われたのだろう、と。
 雷に撃たれるような凶運で、あたしたち家族はたまたま襲われて、そしてたままあたしだけ、宝くじに当たるような強運で間一髪、あの人に救われたのだろうか。あの人。あたしが人生で初めて見た「鬼狩り」。

 ――ラッキー、かぁ。

 思い悩みそうになって、まぁ、でもラッキーではあるよね、と考え直す。命あっての物種だ。とは言え、さすがにそう思えるようになるまでには時間は多少かかったけれど。
 でも、そのおかげで。あの人に助けてもらったおかげで、あたしは生き残って、成長して、そして今日、目指していた鬼狩りの第一歩を踏み出した。
 だから、つまり、そう言うことだ。言い聞かせる。そう言うことなのだ。

 お父さん、お母さん。瑛人。

 もう一度、胸の中で名前を紡ぐ。

 あたし、今日から「鬼狩り」になったよ。
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