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5:鬼を狩る 編
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あたしは、――もう、ひとりは、いやだ。
誰も死んでほしくない。
一人残されるのは、もう嫌だ。それが、誰であろうと。あんな寂しい思いも、怖い思いもして欲しくない。生きて、ほしい。
あたしが殺さなかったら、やらなかったら、死んじゃう。桐生さんも死んじゃう。
「止まりなさい、ハヤギ・リュウト」
トン、と音を立てて矢羽が、鬼が正に足を踏み出そうとしていた位置に突き刺さった。
踏み出しかけた足を反転させた鬼の紅い瞳と視線が絡む。
「特殊防衛官への反抗は、刑罰が加算されますよ」
「意味のない脅しだな。逃げ切れば良いだけの話だ」
鬼の瞳がゆっくりと細められる。まるで捕食者だ。けれど、負けるわけにも怯むわけにもいかない。鬼が人間を捕食する側だとすれば、鬼狩りも同じく捕食者でなければならない。
そうでなければ、規律は確保されない。対等でなければ。
だから、もう声は震えなかった。
「あなたをここから逃すことはしません。あなたはここで確保されます」
新たな矢を装填して、鬼を見据える。この武器に強大な殺傷力はない。けれど、頭を撃ち抜けば多少の足止めにはなるかもしれない。
鬼の腕の中では、変わらずリュウくんが気を失ったまま抱かれている。
――ごめんね。
ごめんね、リュウくん。
「その子を思う気持ちがあるのなら、ここで投降してください」
そうすれば、量刑は軽くなる。もしここであたしが取り逃がしたら、そしてまた過ちを犯したら。リュウくんは死ぬまで父親と会えなくなるかもしれない。この鬼も生きて罪を償うことができなくなるかもしれない。
「投降してください、リュウくんのために」
「笑わせる」
言葉通りの嘲笑が混ざった声で鬼が吐き捨てる。
「こんなに幼い子どもから、たった一人の親を奪おうとしているのは、おまえではないか」
同情を買うように、男の指先がリュウくんの頬を撫ぜる。なんでだ、とほんの少し悲しくなった。たとえ、今の仕草が演技だとしても。この場所にリュウくんと一緒に住んでいたのは本当だ。リュウくんの面倒を看ていたのも本当だ。毎晩、この子が寝付くまでここにいたのも、可愛がっていたのも、きっと本当だ。なのに、なんでその手で、被害者を襲わなければならなかったのだ、と。
「あなたは、何人もの人間の女性を襲った。その罪を償わなければいけません。けれど、今なら間に合います。償ったその後で、リュウくんと逢えます。迎えに行けます」
鬼は鼻で笑って、一歩前に出た。「馬鹿馬鹿しい」
「きれいごとだらけだな、おまえの言う鬼狩りの理論は」
あたしが「憧れているのだ」と告げた折の所長の顔がふと脳裏を過った。きっとあたしの言うことは全部、「そう」なのだ。それでも。――それでも。
「生きてさえいれば、なんだってできますよ、鬼であれ、人であれ!」
命さえあれば。未来はつくることができるのだから。あたしが今、こうして立っているように。
叫んだ刹那、今までの比でない威圧感が正面から襲う。風圧で前髪が舞い上がって、眉尻に残る傷跡があらわになる。あの日、鬼に付けられた――。
風が熱い。視界が白い。鬼がいたはずの方向にクロスボウは向いている。でも、でも。動いていたら。リュウくんに当たったら? 躊躇が勝った指先は動かない。
――あたし、もしかして、死ぬ……?
ぞっとした感覚が身体を走り抜けていく。けれど覚悟した衝撃はこない。代わりに、頭上で大きな爆発音がした。パラパラと何かが落ちてくる。粉塵。鬼が放った炎が、たぶん天井に当たった。
「桐生、さん」
煙の中、あたしは確かに首が飛んだのを見た。首が飛んで、だから炎は逸れたのだ。
「桐生さん」
半ば呆然とあたしは呟いた。開けた視界の先に立っていたのは、最後に見たときと何ら変わらない桐生さんの姿。
「ご、ご無事で……」
許容量を超えた脳みそが絞り出した台詞は、なんだか時代劇の町民Aの様相だったけれど。笑おうとして失敗した。笑えない。とてもじゃないけれど、笑えない。無事で良かった。それは本当に良かった。がくがくと今更になって膝が笑う。もう、いないのに。鬼は。
もう、――死んでしまったのに。
「もしかして、フジコちゃん。本気で僕があれくらいでやられると思ってたん?」
可愛いなぁ、といつもと変わらない調子で続けた桐生さんが歩み寄ってくる。当然のごとく、その足取りにも佇まいにも何の異常もない。全くのいつも通り。
――鬼狩りだから? だから、「いつも」なの?
これは良くあることなのだろうか。頭の冴えた一部分で延々と何かが叫んでいる。
けれど、それとは反対に、重力に負けてあたしは崩れ落ちていた。コンクリートの冷たい感触が脚から伝わってくる。立ち上がれないでいるあたしの頭を、まるで小さい子どもにするように、桐生さんの手がぽんぽんと叩く。いつもと同じ温度。――生きている。
じんわりと戻ってきた思考で、あたしは問いかけた。
誰も死んでほしくない。
一人残されるのは、もう嫌だ。それが、誰であろうと。あんな寂しい思いも、怖い思いもして欲しくない。生きて、ほしい。
あたしが殺さなかったら、やらなかったら、死んじゃう。桐生さんも死んじゃう。
「止まりなさい、ハヤギ・リュウト」
トン、と音を立てて矢羽が、鬼が正に足を踏み出そうとしていた位置に突き刺さった。
踏み出しかけた足を反転させた鬼の紅い瞳と視線が絡む。
「特殊防衛官への反抗は、刑罰が加算されますよ」
「意味のない脅しだな。逃げ切れば良いだけの話だ」
鬼の瞳がゆっくりと細められる。まるで捕食者だ。けれど、負けるわけにも怯むわけにもいかない。鬼が人間を捕食する側だとすれば、鬼狩りも同じく捕食者でなければならない。
そうでなければ、規律は確保されない。対等でなければ。
だから、もう声は震えなかった。
「あなたをここから逃すことはしません。あなたはここで確保されます」
新たな矢を装填して、鬼を見据える。この武器に強大な殺傷力はない。けれど、頭を撃ち抜けば多少の足止めにはなるかもしれない。
鬼の腕の中では、変わらずリュウくんが気を失ったまま抱かれている。
――ごめんね。
ごめんね、リュウくん。
「その子を思う気持ちがあるのなら、ここで投降してください」
そうすれば、量刑は軽くなる。もしここであたしが取り逃がしたら、そしてまた過ちを犯したら。リュウくんは死ぬまで父親と会えなくなるかもしれない。この鬼も生きて罪を償うことができなくなるかもしれない。
「投降してください、リュウくんのために」
「笑わせる」
言葉通りの嘲笑が混ざった声で鬼が吐き捨てる。
「こんなに幼い子どもから、たった一人の親を奪おうとしているのは、おまえではないか」
同情を買うように、男の指先がリュウくんの頬を撫ぜる。なんでだ、とほんの少し悲しくなった。たとえ、今の仕草が演技だとしても。この場所にリュウくんと一緒に住んでいたのは本当だ。リュウくんの面倒を看ていたのも本当だ。毎晩、この子が寝付くまでここにいたのも、可愛がっていたのも、きっと本当だ。なのに、なんでその手で、被害者を襲わなければならなかったのだ、と。
「あなたは、何人もの人間の女性を襲った。その罪を償わなければいけません。けれど、今なら間に合います。償ったその後で、リュウくんと逢えます。迎えに行けます」
鬼は鼻で笑って、一歩前に出た。「馬鹿馬鹿しい」
「きれいごとだらけだな、おまえの言う鬼狩りの理論は」
あたしが「憧れているのだ」と告げた折の所長の顔がふと脳裏を過った。きっとあたしの言うことは全部、「そう」なのだ。それでも。――それでも。
「生きてさえいれば、なんだってできますよ、鬼であれ、人であれ!」
命さえあれば。未来はつくることができるのだから。あたしが今、こうして立っているように。
叫んだ刹那、今までの比でない威圧感が正面から襲う。風圧で前髪が舞い上がって、眉尻に残る傷跡があらわになる。あの日、鬼に付けられた――。
風が熱い。視界が白い。鬼がいたはずの方向にクロスボウは向いている。でも、でも。動いていたら。リュウくんに当たったら? 躊躇が勝った指先は動かない。
――あたし、もしかして、死ぬ……?
ぞっとした感覚が身体を走り抜けていく。けれど覚悟した衝撃はこない。代わりに、頭上で大きな爆発音がした。パラパラと何かが落ちてくる。粉塵。鬼が放った炎が、たぶん天井に当たった。
「桐生、さん」
煙の中、あたしは確かに首が飛んだのを見た。首が飛んで、だから炎は逸れたのだ。
「桐生さん」
半ば呆然とあたしは呟いた。開けた視界の先に立っていたのは、最後に見たときと何ら変わらない桐生さんの姿。
「ご、ご無事で……」
許容量を超えた脳みそが絞り出した台詞は、なんだか時代劇の町民Aの様相だったけれど。笑おうとして失敗した。笑えない。とてもじゃないけれど、笑えない。無事で良かった。それは本当に良かった。がくがくと今更になって膝が笑う。もう、いないのに。鬼は。
もう、――死んでしまったのに。
「もしかして、フジコちゃん。本気で僕があれくらいでやられると思ってたん?」
可愛いなぁ、といつもと変わらない調子で続けた桐生さんが歩み寄ってくる。当然のごとく、その足取りにも佇まいにも何の異常もない。全くのいつも通り。
――鬼狩りだから? だから、「いつも」なの?
これは良くあることなのだろうか。頭の冴えた一部分で延々と何かが叫んでいる。
けれど、それとは反対に、重力に負けてあたしは崩れ落ちていた。コンクリートの冷たい感触が脚から伝わってくる。立ち上がれないでいるあたしの頭を、まるで小さい子どもにするように、桐生さんの手がぽんぽんと叩く。いつもと同じ温度。――生きている。
じんわりと戻ってきた思考で、あたしは問いかけた。
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