紅屋のフジコちゃん ― 鬼退治、始めました。 ―

木原あざみ

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5:鬼を狩る 編

09

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「震えているぞ」
「っ、……投降しなさい」
「小娘の細い身体で何ができる」

 鬼が一歩、あたしの方に向かって動いた瞬間、誤魔化しようがなく肩が震えた。そんなあたしを一瞥して、鬼はくるりと方向を変えた。行く先は、向かう先は、一番被害の大きかったところで。そっちは。

「止まりなさい!」

 今度こそ、あたしは叫んだ。ハヤギ・リュウトを狙ったクロスボウは、いつでも発射できる。……けれど。できるはずだ。けれど。
 脚が震える。そして指先も間違いなく震えている。だって、クロスボウの先端が、ずっと震えている。安定していない。でも、でも。
 ここまできて「怖い」と言う感覚が消えない。怖い。目の前にいるのは、すぐ傍にいるのは、人を害する「鬼」だ。あの夜と同じ、紅い目の「鬼」だ。

 ――ねぇ、ミス・藤子。

 耳の中に響いたのは、いつかの恭子先生の声だった。
いや、いつかなんかじゃない。はっきりとあたしは覚えてる。最終課題のあと、今後をどうするかと面談をした日のことだ。
 進路指導室で、恭子先生は困ったような微笑を浮かべていた。もしかすると、自発的にあたしに辞めると、諦めると言って欲しかったのかもしれない。

 ――ミス・藤子。卒業すれば、「鬼」に一人で立ち向かわなければならない瞬間が訪れるかもしれないのよ。あなたは、そのとき、立ち向かうことができる? 
 ――もしできないのなら、その武器を置きなさい。あなたは、「鬼狩り」になるべきではないわ。

 でも、あたしは、首を縦には振らなかった。できます、と豪語した。あたしは鬼狩りになりたい、ならなければいけないんです、と。
 必死で訴えたあたしに、恭子先生はカウンセリングを受け、実技復帰の許可をもらうことを条件にあたしにチャンスを与えてくれた。
 そしてあたしは、見習いではあるけれど「鬼狩り」になったのだ。

 お父さん、お母さん、瑛人。

 あたしだけのおまじないだ。嬉しいとき、苦しいとき、つらいとき、もう一人で生きていけないと泣きたかったとき。
 あたしは何度も何度もその名前に、思い出の中の笑顔に縋ってきた。

 お父さん、お母さん、瑛人。
 あたしね、本当に強い鬼狩りになりたかったの。なって、無理なことだって分かっているけれど、あの日のみんなを助けに行きたかった。みんなの明日を守りたかった。

 それなのに。
 なんでこんなにみっともなくあたしの身体は震えているんだろう。
 自分の忙しない息遣いがいやに耳についた。
 嫌だ、嫌だ。こんな自分があたしは嫌で、変えたかったはずだ。
 お父さん、お母さん。瑛人。――所長。
 所長。

 最後になぜか所長の顔が浮かんだ。問題はないんだな、と。あたしは何度確認されただろう。あたしがここにいるということは、所長はあたしの返事を信用してくれた、ということだ。
 あたしの内心は、きっと見抜かれていた。だって、所長だ。それでも、あたしが問題ないと言ったから、所長は送り出してくれたんだ。
 所長は。所長は、――。
 怖いと思うことがあると、もっと怖いことを想像するようにしている。
 初めて二人で外を歩いた夜、所長が言っていたことを思い出した。
 優しいと思って、同時に不器用な人だとも思った。あたしよりずっと年もキャリアも上の人に失礼だと言うのは重々承知だけれど。
 所長はぱっと見は怖いけど、とても真面目で誠実な人だとあたしは思う。たったの一ヶ月しか一緒にいないけれど、情の深い人だとも思う。
 あたしなんかの言葉もしっかりと受け止めてくれる、そんな人だ。
 桐生さんは、嫌な顔一つせずあたしの面倒を見てくれるどこまでも優しい人だ。
 新人の教育なんて面倒だろうに、細やかにあたしの内面までフォローしてくれる。この一月、あたしがどれだけ桐生さんに救われたかしれない。きっと桐生さんだって知らないくらい、あたしは何度も何度も救われていて、なのに、あたしは何も返すことすらできていなくて。

 鬼よりも怖いもの。
 あたしは心のうちで繰り返した。
 鬼より怖いもの。
 瞬間、じわりと心を浸食したのは、あたしの一番恐ろしい記憶だった。
 お父さんとお母さんと瑛人が倒れている。誰も起きない。起き上がることはない。
 視界の端では恐ろしかったはずの鬼が倒れていて、あたしの前には膝をつく鬼狩りがいた。

 ――助けられなくて、すまない。

 助けられなかった。誰にも助けられなくて、あたしのそばには誰もいなくて、あたしは、――。
 あたしは、一人になった。

「……いやだ」

 声が知らず溢れた。ひとりはいやだ。ひとりはいやだ。
 もうみんなの声を聞くことができないのだと言う、朝になってもあたしはひとりなのだと言う、あれ以上の絶望を、恐怖を、あたしは知らない。
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