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5:鬼を狩る 編

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「桐生さん! リュウくん!」

 そうだ。できていなかったけれど、今更だけど、ちゃんと今この場に集中して。集中して、戦況を、状況を把握しないと。そう、ちゃんと、言われていたのに。あたしは努めて一度、大きく息を吐いた。火薬の匂いがする。
 あの瞬間、何かが爆ぜた。爆ぜた中心にいたのは、……爆ぜさせたのは、きっと、いや、リュウくんだ。

 ……B+。

 あたしはごくりと唾を呑み込んだ。
 鬼の能力は、遺伝する。親がB+なのなら、子どももB+である確率が高い。
 あたしが、この場に、もう一人のB+を呼び寄せた……。

「リュウ、くん……」

 視界がゆっくりと開けていく。その先に立っていたのは、小さな「鬼」だった。身長はたぶん、さほど変わらない。けれど、額から生えた二本の角と紅い瞳が、大きく違っていた。

「リュウくん」

 何をしたの、とは聞けなかった。この子は、父親を守ろうとしただけだ。もう一歩、彼に向かって足を踏み出す。リュウくんの視線の先のコンテナボックスや棚。たくさんあったはずのものは、きれいさっぱり消失していた。

 ――桐生さん。

 嫌な想像に血の気が一瞬で引く。ううん、いや、大丈夫……。絶対、大丈夫なはずだ。だって、あたしを逃がしてくれるだけの余裕はあったと言うことで。あの人は、いくつもの死線を乗り越えてきた特Aの鬼狩りで。

「リュウくん」

 何度目になるのか分からない呼びかけに、リュウくんがあたしを振り返った。感情のない紅い瞳が大きく瞬いて、そして、糸が切れたように、彼の身体が崩れ落ちた。角が消える。
 駆け寄ろうとした衝動を寸であたしは堪えた。立ち上がる影が見えたからだ。鬼。
 鬼の、――父の手が小さな身体を抱き上げた。そして、その顔に満足そうな笑みが浮かぶ。

「感謝すべきかもしれないな」

 ざらざらとした声が、低く響いた。

「我が子を連れて来てくれたばかりか、我らの味方をしてくれたのだから。たいした『鬼狩り』だ」

 鬼が笑う。同じ場所で向かい合う威圧感に、スーツの下で肌が泡立った。声が、出ない。
 でも、そうだ。あたしの所為だ。あたしが全部の引き金を引いた。
 勝手に自分に重ね合わせて、目の前の確保対象から注意を逸らし、子どもを探しに行った。暴力の場に子どもを連れ込んだ。そして、父親が傷つく場面を見せてしまった。そして、――。
 リュウくんを一番傷つけたのは、あたしだ。諍いの中心に向かわせてしまったのもあたしで、「子どもでも鬼だ」と言う桐生さんの忠告を無視したのもあたしで。挙句、斬らないで欲しいと縋ったのはあたしだ。
 その声に、桐生さんが切っ先を僅かに下げたのも、後先を考えず飛び込んだあたしを助けた所為で、初動が遅れたことも。ぜんぶ、ぜんぶ、あたしの所為だ。
 手に持っていただけだった武器を構えた。安全装置は外れている。矢羽の先端が指す方向には鬼がいる。

 ……心臓は、狙えない。

 リュウくんに当たる。鬼は弱点を隠すように息子を抱いている。

「ハヤギ・リュウト。今すぐに投降しなさい」

 声は、震えていないだろうか。いや、きっと震えていた。でも、あたししかいない。この状況を引き起こしたのは、間違いなくあたしだけれど、それでも、見習いでも、あたしは「鬼狩り」だ。「鬼狩り」だ。言い聞かせる。「鬼狩り」だ。鬼の脅威から、人間を襲う鬼の悪意から、彼らを守る「鬼狩り」だ。
 鬼の紅い瞳に嘲りが浮かぶ。
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