隣のチャラ男くん

木原あざみ

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隣と修羅場②

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 ……どうすっかな。

 ものすごく回れ右をしたかったのだが、行くあてもない。内心で盛大に溜息を吐いてから、真白は素通りすることに決めた。声をかけられなければ良し、かけられたらアウト。そんなふうなことを考えながら、自室のドアに鍵を差し込んだところで、アウトになった。

「ねぇ、ちょっと」

 無視してドアノブを回したい衝動を堪えて振り向いたところで、真白は首を傾げた。

「寒くね?」
「は?」
「いや、ごめん。なんでもない」

 おしゃれ着なのだろうとはわかったが、あまりにも寒そうだったので。それが、つい言葉になっただけである。「寒いなら、俺の家で待ってる?」みたいな、そういうお誘いでは、断じてない。
 誤魔化すように、真白は言い足した。

「慎吾、まだ帰ってこないと思うけど」
「ってことは、あいかわらず遊んでるんだ。でも、まぁ、いっか。あんたとも一回話してみたかったし」

 素直に顔をしかめた真白に構うことなく、男が立ち上がる。目線の高さは、小柄な真白とほとんど変わらない。じろじろと遠慮なくこちらを凝視してから、その男は口火を切った。

「念のため聞いておきたかったんだけど、あのさ、あんた、慎吾と付き合ったりしてないよね」
「は? 付き合うって」

 なにが。思考を停止させた真白に、「だから」と苛々と男が繰り返す。 

「慎吾のこと、好きだとか。ヤッてるとか。そういう関係なのかって聞いてんだけど」
「違う」

 自分たちは、そんな関係じゃない。男の苛々にあてられたのか、妙に苛々とした気分だった。

「おまえと一緒にすんな。そんなんじゃねぇから」
「だったら。幼馴染みだかなんだか知らないけど、あんまり束縛しないでやってよ」
「誰が束縛してるって?」
「へぇ、自覚すらしてないんだ」

 馬鹿にしきった態度で揶揄されて、苛々が増幅する。束縛なんてしていないし、そもそもとして、自分と慎吾の日常は、そんな安っぽい言葉で解されるようなものではないのに。

「慎吾もお子ちゃまのお守りで大変だよね。俺と遊んでるほうが楽しいと思うんだけどさ。ほら、慎吾、面倒見良いでしょ?」

 応じない真白に、男が笑った。笑っているのに棘のある顔。気に食わないのはこっちだと真白は思った。
 毎晩毎晩、聞きたくもない声を聞かされて。勝手に割り込まれて。我が物顔で居座られて。そこは、俺の場所なのに。

「だから、しかたなく、あんたのそばにいるんだろうね。よかったじゃん、優しい幼馴染みがいて」

 知ったふうに鼻で笑われた瞬間に、なにかが切れた。「あ」と我に返ったのは、手を出してからだった。男は殴られた頬を手で押さえて、ぽかんとしている。やってしまった。

「信じらんない。ふつう、人の顔、殴る?」
「……その、ごめん」

 その前のやりとりを差し引いても、暴力はよろしくない。申し開きもない。真白は、冷えた頭で謝罪の弁を繰り返そうとした。

「いや、本当、殴ったのは」
「しろ?」

 聞き慣れた声に、ばっと背後を振り返る。目が合った途端に、慎吾が眉を寄せた。近づいてくる足音が速くなる。

「こんなとこでなにしてって、……南ちゃん?」

 そこでようやくもうひとりの存在に気がついたらしい。驚いたように語尾が跳ね上がった。

「なにやってんの?」
「いや、その……」
「殴られたんだけど! 俺、なにもしてないのに、いきなり、そいつに!」

 非難がましい訴えに、真白はふいと視線を逸らした。なにもしてなくはないだろうと思ったものの、手を出したことは事実なので弁明しづらかったのだ。
 慎吾にどう説明したらいいのかも、わからなかった。だって、なんで手を出したのか、自分でもよくわからない。
 居たたまれない心地で偏った状況説明が終わるのを待っていると、慎吾がちらりとこちらを見た。
 怒られると思ったのは、笑っているイメージの強い幼馴染みの表情が硬かったからだ。予想に反して、慎吾は小さく溜息を吐いただけだった。伸びてきた指先がぽんと額を叩く。冷たい。額を押さえると、慎吾が男に向き直った。その背中で相手が見えなくなる。

「あのね、南ちゃん。そもそもの話してもいいかな。なんで南ちゃんがここにいるの」
「なんでって……、そんなの今関係ないでしょ。俺が殴られたって言ってるのに、なんで俺が責められんの?」
「真白は、なんの理由もなしに、こういうことはしない」

 自分の話なんてひとつも聞いていないのに、きっぱりと慎吾は言い切った。

「それに、俺そんなこと一言も聞いてないんだけど。なんでここにいるのって、そっち。もう終わりにしたよね。それで南ちゃんも了承したよね。それなのに、なんで、ここにいるって?」
「なんでって……、だって」

 突き放すような調子に、男の声が泣きそうに震える。
 あぁ、なんだ。こいつ、慎吾のこと本当に好きだったんだな。遊びじゃなくて。そう悟ったら、つきものがすとんと落ちた気がした。

「慎吾」

 衝動のままに袖を引く。

「俺が手を出したのも、本当だから」
「でも」
「だから、俺も悪い」

 片一方だけを糾弾するようなことじゃない。そう告げると、慎吾は困ったように表情をやわらげた。

「でも、そうしちゃうくらい嫌なこと言われたんじゃないの」

 身内にしか見せない、甘い対応。傍から見たら、おかしいと評されるとわかっている。だって、なにを言われたとしても、手を出したらその時点で怒られてしかるべきだ。慎吾は慎吾でかなり偏っている。でも――。
 内側に溜まりこんでいたよどみが、ゆっくりと流れ出していくようだった。らしくなく苛々して、感情を持て余して、息苦しかったことが嘘みたいに。

 ――本気。本気、か。

 もしかして、自分が思っていた「本気」とは違っていたのだろうか。
 わからないけれど、慎吾の中で大切にされているということはわかった。同列なんかじゃない。慎吾が相手にしていた、不特定多数より、この男より。そんなことを思ってしまった。

「もういいよ。俺が馬鹿みたい」

 声のほうに視線を向けると、傷ついた瞳と目が合った。そんな目をしているくせに、男の口元は笑みのかたちに歪んでいる。

「安心して。もう、絶対、会いになんて来ないから」

 そう言って、真白と慎吾の横をすり抜ける。階段を下っていく男を見ようともしなまま、慎吾が言った。

「そうして」

 感情のこもっていない声に、規則的だった足音が乱れた。けれど、それは本当に一瞬だった。またすぐに一定のリズムで響き出す。
 該当の奥に小さな背中が消えていくのを、真白は二階からただ見ていた。朝方の暗い時間に、きっと何度もひとりで歩いていたのだろうと思う。
 夜中に声が聞こえることはあっても、朝には慎吾しかいなかったからだ。慎吾だけが真白の部屋にいた。ふたりだった。自分たちは、ずっとふたりだった。距離を置かれるのは嫌だった。
 掴んだままだった袖をもう一度引く。こんなふうに顔を合わせるのは随分とひさしぶりで、真白は言葉に迷ってしまった。
 いろいろなものを呑み込んだ顔で、慎吾が眉を下げた。しかたなさそうに。

「さて、どうします?」

 それもやはり聞き慣れた、優しく甘やかす声音だった。

「ひさしぶりに、俺とごはん、どうですか?」

 断れるわけがない。こくんと大きく頷くと、慎吾が笑った。
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