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笑う門には福来る
23:時東悠 1月26日17時05分 ③
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ふたりになるとすぐ、「悪かったな」と南が言った。バツの悪そうな調子に、思わず「え?」と南を見上げる。
「うちの親が死んでから、気ぃ使うやつが増えて。煩かっただろ」
言いにくそうに付け加えられた台詞に、時東はへらりと笑った。
「南さんが大事にしてる分だけ、大事が循環して返ってきてるってことでしょ」
この町を。そうしてこの町に住む人tたちを。南が大切に思っていることは、日常の一端を覗き見ているだけの時東にだってわかる。
どういうかたちであれ自分も組み込まれたらいいなぁ、と思ったこともあったけれど。
「すごいいいことじゃん」
なんでもないように笑い、手元に視線を落とす。ペンを握りしめたままだったことに、時東はようやく気がついた。
開けたページは、ずっと白いまま。
苛立ちなのか、やるせなさなのか。自分でもわからない感情をどうにか飲み下す。感情の赴くままに詩を書くことができたのは、本当に子どもだったころのことだ。
心から楽しいと思うことも、誰かに伝えたいと思うことも、いつしかなくなって。けれど、必死に絞り出して誤魔化していた。時東はるかの歌詞は心に刺さらない。そう評されていることも知っている。
恋だとか愛だとか。友愛だとか、信頼だとか。そういったものを、時東自身が信じていないからなのだろうか。
かつて持っていたはずのあたたかななにかが抜け落ちてしまったからなのだろうか。だから、心に響くものを書くことができないのだろうか。
悩んでいたものの、曲を作ることができるうちは、それでもどうにかなっていたのだ。どうにもならなくなったのは、曲を作ることができなくなったからだ。
挙句に味覚までおかしくなって、なにもかもがいっぱいいっぱいで。でも、相談する誰かもいなくて、真っ暗な底にいたとき。
この人に出逢った。出逢うことができた。出逢うことができて、そして。
――ここに来て、少しずつ書けるような気がしたのは、この人の近くだったから、だ。
それなのに、また書くことができなくなった。歌詞も曲も、なにひとつ生み出すことができない。その理由を深掘りしたくなくて、時東は笑って繰り返した。
「うん。いいことだと思うな、俺は」
「時東」
呆れた声が思いのほか近くで聞こえ、顔を上げる。時東の正面に腰を下ろした南は、声同様の渋い顔をしていた。だが、怒っているわけでも、機嫌が悪いわけでもないらしいことはわかった。そのくらいはわかる。
「おまえさぁ」
「なに? というか、座ってから言うのもなんだけど、椅子のほうが楽じゃない? 持ってこようか」
「いや、べつに。そこは本当に気を使わなくていいから。気にするな。というか、そうじゃなくて」
「でも、今も正に頼まれた直後だし」
「あのな」
へらりと笑った時東に、南の眉間の皺が増えた。余計な世話を焼き過ぎただろうか。小首を傾げると、今度は溜息。どうしたものかと思っていると、南が口を開いた。
「笑えてない」
「……え?」
「おまえ、ぜんぜん笑えてない」
その指摘に、時東は瞳を瞬かせた。ずっと笑っているつもりだったからだ。愛想笑いは得意中の得意で、それなのに、なんで。
意識すると途端に失敗している気がしてしまった。ぎこちなく笑みを浮かべる。
「やだな、南さん。そんなことないでしょ、ほら」
いつもの笑顔の作り方を、時東は知っている。テレビのカメラが回っているときに、不機嫌な表情なんてできないから。この五年で、ますますうまくなったのだ。機嫌の取り繕い方も、体調が悪くてもそう見せない方法も。
そのはずなのに、南の渋い表情は変わらなかった。
「いや、笑えてないから。変な顔しなくていい」
「変な顔って。だから、そういうこと言わないでってば。でも、どうしよう。さっきの……麻美さんにも? 俺、笑えてなかったのかな。どうしたんだろ、疲れてたのかな」
時東はるかのイメージが悪くなっちゃう。茶化した時東の言葉尻に乗る気配は見せないまま、「あいつは気づいてなかったと思うけど」と南が応じる。
その言葉に、時東はほんの少しほっとした。なんだ。ということは、できてるんじゃないか。
「うちの親が死んでから、気ぃ使うやつが増えて。煩かっただろ」
言いにくそうに付け加えられた台詞に、時東はへらりと笑った。
「南さんが大事にしてる分だけ、大事が循環して返ってきてるってことでしょ」
この町を。そうしてこの町に住む人tたちを。南が大切に思っていることは、日常の一端を覗き見ているだけの時東にだってわかる。
どういうかたちであれ自分も組み込まれたらいいなぁ、と思ったこともあったけれど。
「すごいいいことじゃん」
なんでもないように笑い、手元に視線を落とす。ペンを握りしめたままだったことに、時東はようやく気がついた。
開けたページは、ずっと白いまま。
苛立ちなのか、やるせなさなのか。自分でもわからない感情をどうにか飲み下す。感情の赴くままに詩を書くことができたのは、本当に子どもだったころのことだ。
心から楽しいと思うことも、誰かに伝えたいと思うことも、いつしかなくなって。けれど、必死に絞り出して誤魔化していた。時東はるかの歌詞は心に刺さらない。そう評されていることも知っている。
恋だとか愛だとか。友愛だとか、信頼だとか。そういったものを、時東自身が信じていないからなのだろうか。
かつて持っていたはずのあたたかななにかが抜け落ちてしまったからなのだろうか。だから、心に響くものを書くことができないのだろうか。
悩んでいたものの、曲を作ることができるうちは、それでもどうにかなっていたのだ。どうにもならなくなったのは、曲を作ることができなくなったからだ。
挙句に味覚までおかしくなって、なにもかもがいっぱいいっぱいで。でも、相談する誰かもいなくて、真っ暗な底にいたとき。
この人に出逢った。出逢うことができた。出逢うことができて、そして。
――ここに来て、少しずつ書けるような気がしたのは、この人の近くだったから、だ。
それなのに、また書くことができなくなった。歌詞も曲も、なにひとつ生み出すことができない。その理由を深掘りしたくなくて、時東は笑って繰り返した。
「うん。いいことだと思うな、俺は」
「時東」
呆れた声が思いのほか近くで聞こえ、顔を上げる。時東の正面に腰を下ろした南は、声同様の渋い顔をしていた。だが、怒っているわけでも、機嫌が悪いわけでもないらしいことはわかった。そのくらいはわかる。
「おまえさぁ」
「なに? というか、座ってから言うのもなんだけど、椅子のほうが楽じゃない? 持ってこようか」
「いや、べつに。そこは本当に気を使わなくていいから。気にするな。というか、そうじゃなくて」
「でも、今も正に頼まれた直後だし」
「あのな」
へらりと笑った時東に、南の眉間の皺が増えた。余計な世話を焼き過ぎただろうか。小首を傾げると、今度は溜息。どうしたものかと思っていると、南が口を開いた。
「笑えてない」
「……え?」
「おまえ、ぜんぜん笑えてない」
その指摘に、時東は瞳を瞬かせた。ずっと笑っているつもりだったからだ。愛想笑いは得意中の得意で、それなのに、なんで。
意識すると途端に失敗している気がしてしまった。ぎこちなく笑みを浮かべる。
「やだな、南さん。そんなことないでしょ、ほら」
いつもの笑顔の作り方を、時東は知っている。テレビのカメラが回っているときに、不機嫌な表情なんてできないから。この五年で、ますますうまくなったのだ。機嫌の取り繕い方も、体調が悪くてもそう見せない方法も。
そのはずなのに、南の渋い表情は変わらなかった。
「いや、笑えてないから。変な顔しなくていい」
「変な顔って。だから、そういうこと言わないでってば。でも、どうしよう。さっきの……麻美さんにも? 俺、笑えてなかったのかな。どうしたんだろ、疲れてたのかな」
時東はるかのイメージが悪くなっちゃう。茶化した時東の言葉尻に乗る気配は見せないまま、「あいつは気づいてなかったと思うけど」と南が応じる。
その言葉に、時東はほんの少しほっとした。なんだ。ということは、できてるんじゃないか。
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