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案件2.永遠の子ども
05:『犬』
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呪殺屋に『犬』という雑な名前を与えられたパグは、常に子どもの意識があるわけではないようだった。
犬と一緒の生活が十日ほど続いたころ、行平はその事実に気が付いた。
朝食代わりの牛乳を皿一杯綺麗に平らげた犬は、閑古鳥の事務所の床に丸まっている。今は、ただの犬だ。けれど、中に子どもがいることは間違いがない。
「この子もどこかで死んでるんだよな」
新聞記事のスクラップは、行平の十年来の日課である。
所長を気取っている机で目を通しながら、行平は独り言ちた。行方不明。失踪。続報。目ぼしい記事は、今日も見当たらない。安堵とも失望とも言えない心地で、行平はふたつ目の新聞を手に取った。
そういえば、はるか昔。まだ自分が小学校に入るか否かくらいだったころ、幼稚園生だった妹が捨て犬を拾ったことがある。
母と買い物に出た折に見つけ、連れ帰るとごねた末に、貰い主が見つかるまでという約束で招かれた客人だった。
一週間ほどの短い期間のことであった。それでも犬は妹に懐き、妹も無邪気に犬をかわいがっていた。いつか犬を飼いたいと言っていた。
思えば、あれも、蝉の声の響く、暑い夏の日のことだった。
耳の奥に響きそうになった呼び声が、犬の甘え鳴きで立ち消えていく。足元にすり寄ったぬくもりに、行平はそっと表情をゆるめた。
「どうした、『犬』」
両手を広げれば、喜色に顔を染めた犬が膝によじ登ってくる。
外から入る風で、なんとかやり過ごしているだけの室内だ。膝の上に犬が居座ると、体感気温は当然と上昇するのだが。癒しも増えるので、やむなしということにしている。
身体を撫でてやると、犬は満足そうに眼を細めた。
喋る必要性を感じないのか、『犬』としての意識があっても、『犬』は喋らないことが多い。戯れに触れた犬の鼻頭はしっとりと濡れていた。気持ち良さそうに短い首をふにふにと動かして、膝に頭を押しつけてくる。
わしわしと頭を撫でていると、呪殺屋が現れた。あいかわらずの降って湧いたような唐突さである。
「ずいぶん仲良しになったみたいじゃない、滝川さん」
「呪殺屋」
撫でる動きが止まったことが不満だったらしい犬が、きょとんと行平を見上げる。慌てて指を動かしながら、行平は苦言を呈した。
「音もなく入ってくるのは止めろ」
「来いって言ったのはあんたじゃん。ねぇ、『犬』」
『犬』に向けられた微笑は、なんだかやたらと普通の人間のようだった。
毒気を抜かれ、誤魔化すようにテレビをつける。選んだのは、朝のワイドショーだ。柔らかな雰囲気がお気に入りの女子アナが、真面目な表情でニュースを読み上げている。
先日あった殺人事件の続報、児童虐待、放火。新聞で見たものと代り映えのないラインナップだった。
「続いてのニュースです。都内で三歳の息子を殺害し、遺体を遺棄した容疑で二十一歳の女が逮捕されました。女は長男の大雅ちゃんと二人で暮らしていましたが、大雅ちゃんの姿が見えないことを不審に思った女の親族が問い詰めたところ、殺害をほのめかしたとのことです。警察の取り調べでは一転して容疑を否認しており、大雅ちゃんの所在はまだ判明しておらず――……」
画面に、女が住んでいたらしい都営住宅と、女の顔写真が映る。母親というよりも学生のような若い女だ。楽しそうに笑っている、誰かと撮った写真の拡大。
「おい、呪殺屋。朝飯、まだなら」
「ママだ!」
膝の上で犬が立ち上がった。食い入るようにテレビを見ている。
「ママ!」
テレビ画面がコマーシャルに切り替わる。なんと言っていいのかわからず、行平は呪殺屋の白い顔を見上げた。
もうテレビに『ママ』は映っていないのに、犬は画面から視線を外さない。
「馬鹿だね」
ひっそりと呪殺屋が嘯いた。その声はきっと犬には届いていない。犬はただテレビを見ている。
「殺されたっていうのに、この子どもには、あの女しかいないのか」
「呪殺屋」
それ以外に応じる言葉のない行平を笑い、呪殺屋が犬を抱き上げた。ごく自然とした仕草で、犬の視界を覆い隠す。
くぅんと悲しそうな声で犬は鳴いて、だが、噛むことも暴れることもしなかった。
「折角のお誘いはありがたいんだけど、朝ご飯はまた今度だね、滝川さん。散歩にでも連れて行ってくるよ。半分は、犬だしね」
事務所から出ていく背中を呆然と見送って、行平は顔を覆った。
どこかで死んでいるのかもしれない。そう、わかっていて。なのに、どうして、ワイドショーの蔓延る時間帯にテレビをつけたのか。後悔しても、時間が戻ることはない。
母親の顔を認知した瞬間、『犬』はきっと『犬』ではなくなったのだ。あの犬は、大雅になった。
コマーシャルから番組に戻った画面では、女子アナが『今の流行りもの』と称した夏の商品を笑顔で紹介している。テレビの電源を落とし、行平は携帯電話に手を伸ばした。選んだ発信先は相沢のものだった。
犬と一緒の生活が十日ほど続いたころ、行平はその事実に気が付いた。
朝食代わりの牛乳を皿一杯綺麗に平らげた犬は、閑古鳥の事務所の床に丸まっている。今は、ただの犬だ。けれど、中に子どもがいることは間違いがない。
「この子もどこかで死んでるんだよな」
新聞記事のスクラップは、行平の十年来の日課である。
所長を気取っている机で目を通しながら、行平は独り言ちた。行方不明。失踪。続報。目ぼしい記事は、今日も見当たらない。安堵とも失望とも言えない心地で、行平はふたつ目の新聞を手に取った。
そういえば、はるか昔。まだ自分が小学校に入るか否かくらいだったころ、幼稚園生だった妹が捨て犬を拾ったことがある。
母と買い物に出た折に見つけ、連れ帰るとごねた末に、貰い主が見つかるまでという約束で招かれた客人だった。
一週間ほどの短い期間のことであった。それでも犬は妹に懐き、妹も無邪気に犬をかわいがっていた。いつか犬を飼いたいと言っていた。
思えば、あれも、蝉の声の響く、暑い夏の日のことだった。
耳の奥に響きそうになった呼び声が、犬の甘え鳴きで立ち消えていく。足元にすり寄ったぬくもりに、行平はそっと表情をゆるめた。
「どうした、『犬』」
両手を広げれば、喜色に顔を染めた犬が膝によじ登ってくる。
外から入る風で、なんとかやり過ごしているだけの室内だ。膝の上に犬が居座ると、体感気温は当然と上昇するのだが。癒しも増えるので、やむなしということにしている。
身体を撫でてやると、犬は満足そうに眼を細めた。
喋る必要性を感じないのか、『犬』としての意識があっても、『犬』は喋らないことが多い。戯れに触れた犬の鼻頭はしっとりと濡れていた。気持ち良さそうに短い首をふにふにと動かして、膝に頭を押しつけてくる。
わしわしと頭を撫でていると、呪殺屋が現れた。あいかわらずの降って湧いたような唐突さである。
「ずいぶん仲良しになったみたいじゃない、滝川さん」
「呪殺屋」
撫でる動きが止まったことが不満だったらしい犬が、きょとんと行平を見上げる。慌てて指を動かしながら、行平は苦言を呈した。
「音もなく入ってくるのは止めろ」
「来いって言ったのはあんたじゃん。ねぇ、『犬』」
『犬』に向けられた微笑は、なんだかやたらと普通の人間のようだった。
毒気を抜かれ、誤魔化すようにテレビをつける。選んだのは、朝のワイドショーだ。柔らかな雰囲気がお気に入りの女子アナが、真面目な表情でニュースを読み上げている。
先日あった殺人事件の続報、児童虐待、放火。新聞で見たものと代り映えのないラインナップだった。
「続いてのニュースです。都内で三歳の息子を殺害し、遺体を遺棄した容疑で二十一歳の女が逮捕されました。女は長男の大雅ちゃんと二人で暮らしていましたが、大雅ちゃんの姿が見えないことを不審に思った女の親族が問い詰めたところ、殺害をほのめかしたとのことです。警察の取り調べでは一転して容疑を否認しており、大雅ちゃんの所在はまだ判明しておらず――……」
画面に、女が住んでいたらしい都営住宅と、女の顔写真が映る。母親というよりも学生のような若い女だ。楽しそうに笑っている、誰かと撮った写真の拡大。
「おい、呪殺屋。朝飯、まだなら」
「ママだ!」
膝の上で犬が立ち上がった。食い入るようにテレビを見ている。
「ママ!」
テレビ画面がコマーシャルに切り替わる。なんと言っていいのかわからず、行平は呪殺屋の白い顔を見上げた。
もうテレビに『ママ』は映っていないのに、犬は画面から視線を外さない。
「馬鹿だね」
ひっそりと呪殺屋が嘯いた。その声はきっと犬には届いていない。犬はただテレビを見ている。
「殺されたっていうのに、この子どもには、あの女しかいないのか」
「呪殺屋」
それ以外に応じる言葉のない行平を笑い、呪殺屋が犬を抱き上げた。ごく自然とした仕草で、犬の視界を覆い隠す。
くぅんと悲しそうな声で犬は鳴いて、だが、噛むことも暴れることもしなかった。
「折角のお誘いはありがたいんだけど、朝ご飯はまた今度だね、滝川さん。散歩にでも連れて行ってくるよ。半分は、犬だしね」
事務所から出ていく背中を呆然と見送って、行平は顔を覆った。
どこかで死んでいるのかもしれない。そう、わかっていて。なのに、どうして、ワイドショーの蔓延る時間帯にテレビをつけたのか。後悔しても、時間が戻ることはない。
母親の顔を認知した瞬間、『犬』はきっと『犬』ではなくなったのだ。あの犬は、大雅になった。
コマーシャルから番組に戻った画面では、女子アナが『今の流行りもの』と称した夏の商品を笑顔で紹介している。テレビの電源を落とし、行平は携帯電話に手を伸ばした。選んだ発信先は相沢のものだった。
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