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案件3.天狗の遠吠え
11:詐欺師と呪殺屋2
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ひどい雨だった。弐の坊からの帰り道で、すっかりと身体は冷えてしまっている。もっとも、見沢の感覚は一般的なレベルより鈍くできているのだが。こういうものは、気分の問題だ。
ビルの入口で傘を閉じ、見沢はスーツについた水滴を払った。暑さにも強い性質なので、サマースーツで苦を感じることはない。黒いスーツに、深い藍色のネクタイ、白いシャツ。このスタイルが見沢は好きだ。
――あら、珍しい。
ビルの階段を駆け下りてくる気配に、見沢は身体を入口正面からずらした。巻き込まれるのはごめんだ。
「あらぁ、神ちゃん」
いかにもな口調で姿が現れる前に声を発してやると、足音が僅かにゆっくりになる。
「なんだ、見沢。またいたのか」
「相変わらずのご挨拶ねぇ。その調子じゃ、ゆきちゃんの説得は失敗しちゃったのかしら」
仏頂面の若者を揶揄うと、瞬時に眉が跳ね上がった。自分にしても意味がないと悟っているからか、神野は見沢にはポーカーフェイスを気取らない。とは言え、さすがに余裕がなさすぎる。判じて見沢は微笑んだ。にっこりと。
「あの馬鹿じゃ話にならない」
先程よりかは、いくらかトーンダウンした口調だった。
「それで?」
「元を壊したほうが早い」
その『元』がどこにあるのか神野は知っている。見沢も、相沢もだ。そして、恐らくは、――行平も。
そこしか有り得ないのだ。兄である行平の記憶通りの『妹』、家族が望む行動をとる『妹』。それを作り出すことができるのは、生前の彼女をよく知る家族だけだ。
「ゆきちゃんの実家? まぁた嫌われるわよ、あなた」
「放っといてくれ」
そうして、行平の実家を当然のように神野が把握していることも、見沢は知っている。
無造作に錫杖を握る神野は、いつもの免罪符を着ていなかった。纏っていたところで、その若さゆえに胡散臭いこと極まりないものの、職質はかろうじて免れていたもの。
それが、どうした。この服装で濡れ鼠とくれば、一寸の疑いもなく不審者である。
着の身着のままといった風情で外に出て行こうとする細身を、しかたなく見沢は引き留めた。
「着いていってあげる」
「要らない世話だ」
微笑んだ見沢の誘い文句を、神野が胡乱な瞳で切り捨てる。まったくどうして、ここの連中は人の親切を真っ向から疑ってかかるのか。
しようのない子どもばかりだ。見沢は閉じたばかりの傘を開いて差し向けた。
「こんな雨の中、傘も持たずに駆け出すのは、さすがに人間としてどうかと思うわよ」
神野が訝しげに金色の瞳を眇める。機嫌の悪い猫みたいだ。さしずめ、自分は猫を飼いならそうとしているご隠居か。
「それに」
見沢は確信している。この面倒な若輩の本質も。それゆえの脆弱さも。
「無理強いをしたくはないんでしょう。仮にもゆきちゃんの母親に」
馬鹿ばかりで、だからこそ、抜け出そうと思えなくなるから困るのだ。このビルは。
幼い子どものように目を瞬かせた神野が、濡れた藍色をゆっくり沈ませた。
「俺の勝手なんだ、ぜんぶ」
雨の流れ落ちる車窓を眺めたまま、神野が呟いた。でしょうねと思ったが見沢は言わなかった。
「だから、関係ない。どう思われようとも」
馬鹿ねぇと笑ってやろうかとも思ったが、健気ねぇと揶揄したほうがこの子どもには効果があったかもしれない。
悩んだものの、見沢は大人を気取ることにした。沈黙を守る。なんとなく、そういう気分だったのだ。
人型、という概念がある。
憎い相手を模した黒の人型の右足に傷をつければ、その相手は同じ個所に傷を負う。丑の刻参りもそうだ。力のあるものが行えば、死に至らしめることもできる。
反対に、呪いの藁人形ならぬ白い人型に包帯を巻けば該当者の傷が治ることもある。それが人型だ。
先月の陵の一件も、大元は「黒の人型」だった。
あの『妹』を創り上げたのは、彼女を愛した誰かの思念だ。泥人形に命を吹き込んだのは、その誰か。彼女への愛情をたっぷり注ぎ込んで、育て上げた。泥人形を。
あのビルからは、この五日、ずっと土の匂いがしていた。そうして根底を這う、微かな悪意。
行平の右手では、なにも視えないだろう。愛情以外は。
数多あるうちの問題のひとつを、見沢は提示した。あと一時間。最寄り駅に着くまでの暇つぶしだ。
「さて、今回の大元はどちらかしら」
「さぁね」
「うぅん、そうね。じゃあ、どちらのほうが神ちゃんにとって都合が良いのかしらね」
陵と同じだ。
なんの力も知識もない母親が、知り得る呪術ではないのだ。黒幕がいる。そうして、その黒幕はいずれかでしか有り得ない。
「天野か、神埜か」
西の天野か、東の神埜か。はるか昔から、とある世界でそう謳われる有名な二家のことである。
呪いに、幽霊、神隠し。人知を超えた不可思議は、いつだってこの世にあふれている。それを利用し、生業としていく人間も。
「この世界には悪い人たちがいっぱいねぇ」
「まったくだね」
しれっと応えて、神野が足を組み直した。夜に向かうにつれ、雨脚は一層激しさを増している。まるで台風のようだ。きっと、明日も降り止まないだろうと見沢は思った。
ビルの入口で傘を閉じ、見沢はスーツについた水滴を払った。暑さにも強い性質なので、サマースーツで苦を感じることはない。黒いスーツに、深い藍色のネクタイ、白いシャツ。このスタイルが見沢は好きだ。
――あら、珍しい。
ビルの階段を駆け下りてくる気配に、見沢は身体を入口正面からずらした。巻き込まれるのはごめんだ。
「あらぁ、神ちゃん」
いかにもな口調で姿が現れる前に声を発してやると、足音が僅かにゆっくりになる。
「なんだ、見沢。またいたのか」
「相変わらずのご挨拶ねぇ。その調子じゃ、ゆきちゃんの説得は失敗しちゃったのかしら」
仏頂面の若者を揶揄うと、瞬時に眉が跳ね上がった。自分にしても意味がないと悟っているからか、神野は見沢にはポーカーフェイスを気取らない。とは言え、さすがに余裕がなさすぎる。判じて見沢は微笑んだ。にっこりと。
「あの馬鹿じゃ話にならない」
先程よりかは、いくらかトーンダウンした口調だった。
「それで?」
「元を壊したほうが早い」
その『元』がどこにあるのか神野は知っている。見沢も、相沢もだ。そして、恐らくは、――行平も。
そこしか有り得ないのだ。兄である行平の記憶通りの『妹』、家族が望む行動をとる『妹』。それを作り出すことができるのは、生前の彼女をよく知る家族だけだ。
「ゆきちゃんの実家? まぁた嫌われるわよ、あなた」
「放っといてくれ」
そうして、行平の実家を当然のように神野が把握していることも、見沢は知っている。
無造作に錫杖を握る神野は、いつもの免罪符を着ていなかった。纏っていたところで、その若さゆえに胡散臭いこと極まりないものの、職質はかろうじて免れていたもの。
それが、どうした。この服装で濡れ鼠とくれば、一寸の疑いもなく不審者である。
着の身着のままといった風情で外に出て行こうとする細身を、しかたなく見沢は引き留めた。
「着いていってあげる」
「要らない世話だ」
微笑んだ見沢の誘い文句を、神野が胡乱な瞳で切り捨てる。まったくどうして、ここの連中は人の親切を真っ向から疑ってかかるのか。
しようのない子どもばかりだ。見沢は閉じたばかりの傘を開いて差し向けた。
「こんな雨の中、傘も持たずに駆け出すのは、さすがに人間としてどうかと思うわよ」
神野が訝しげに金色の瞳を眇める。機嫌の悪い猫みたいだ。さしずめ、自分は猫を飼いならそうとしているご隠居か。
「それに」
見沢は確信している。この面倒な若輩の本質も。それゆえの脆弱さも。
「無理強いをしたくはないんでしょう。仮にもゆきちゃんの母親に」
馬鹿ばかりで、だからこそ、抜け出そうと思えなくなるから困るのだ。このビルは。
幼い子どものように目を瞬かせた神野が、濡れた藍色をゆっくり沈ませた。
「俺の勝手なんだ、ぜんぶ」
雨の流れ落ちる車窓を眺めたまま、神野が呟いた。でしょうねと思ったが見沢は言わなかった。
「だから、関係ない。どう思われようとも」
馬鹿ねぇと笑ってやろうかとも思ったが、健気ねぇと揶揄したほうがこの子どもには効果があったかもしれない。
悩んだものの、見沢は大人を気取ることにした。沈黙を守る。なんとなく、そういう気分だったのだ。
人型、という概念がある。
憎い相手を模した黒の人型の右足に傷をつければ、その相手は同じ個所に傷を負う。丑の刻参りもそうだ。力のあるものが行えば、死に至らしめることもできる。
反対に、呪いの藁人形ならぬ白い人型に包帯を巻けば該当者の傷が治ることもある。それが人型だ。
先月の陵の一件も、大元は「黒の人型」だった。
あの『妹』を創り上げたのは、彼女を愛した誰かの思念だ。泥人形に命を吹き込んだのは、その誰か。彼女への愛情をたっぷり注ぎ込んで、育て上げた。泥人形を。
あのビルからは、この五日、ずっと土の匂いがしていた。そうして根底を這う、微かな悪意。
行平の右手では、なにも視えないだろう。愛情以外は。
数多あるうちの問題のひとつを、見沢は提示した。あと一時間。最寄り駅に着くまでの暇つぶしだ。
「さて、今回の大元はどちらかしら」
「さぁね」
「うぅん、そうね。じゃあ、どちらのほうが神ちゃんにとって都合が良いのかしらね」
陵と同じだ。
なんの力も知識もない母親が、知り得る呪術ではないのだ。黒幕がいる。そうして、その黒幕はいずれかでしか有り得ない。
「天野か、神埜か」
西の天野か、東の神埜か。はるか昔から、とある世界でそう謳われる有名な二家のことである。
呪いに、幽霊、神隠し。人知を超えた不可思議は、いつだってこの世にあふれている。それを利用し、生業としていく人間も。
「この世界には悪い人たちがいっぱいねぇ」
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