愚者の園

木原あざみ

文字の大きさ
36 / 61
案件3.天狗の遠吠え

12:探偵と大家2

しおりを挟む
 窓を叩く雨音で、行平は浅い夢から覚めた。曇天ではあるが、夜は明けている。すぐ傍らでは、妹が安らかな顔で眠っていた。
 その寝顔に、自然と笑みが浮かぶ。小さな頭を撫でて、跳ね飛ばしてしまっていたブランケットを妹にかける。

 そのままそっと事務所に抜け出し、行平は煙草に火を点けた。
 妹と同じ空間では、吸おうという気になれないのだ。だが、網戸を引いて身を乗り出すには、雨脚が強い。諦めて換気扇の下で煙をふかしていると、雨音に紛れたチャイムの音が微かに耳に届いた。
 二回、三回と続いたそれに、居留守を諦める。まったく、何時だと思っているのか。事務所の時計を見上げると、ちょうど八時を回ったところだった。
 探偵事務所の開業時間を決めているわけではないものの、まだ早朝と評しても許される時間だろう。灰皿に乱雑に煙草を押し付け、確認しないままドアを開ける。
 不機嫌な顔をしていた自覚はあるが、対面した客はその上を行く不機嫌顔だった。

「おまえはそんな格好で客の前に出るのか」
「え? あ、いや……」

 慌てて身なりを確認する。かろうじてTシャツは着ていた。よかった。下は学生のようなハーフパンツだったが。やらかした。反省はしたが、それを言葉にするより相手のほうが早かった。

「よう、滝川。俺からの連絡を無視した上に、挨拶もなしとはいい度胸だな」
「相沢、さん」

 おはよう、ございます。ぎこちなく続けた先で、相沢が嫌味なほどの笑顔を見せた。


「珈琲でいいですか」

 家主のように――と言っても、このビルの所有者は相沢であるので、ある意味そうかもしれない――、どっかりとソファに腰を下ろした相沢にお伺いを立てるが、無言で首を横に振られてしまった。

「そりゃ、弌の坊みたいな味にはなりませんけどね。眠気覚ましくらいにはなりますよ」
「覚ます必要があるのはおまえであって、俺じゃない」

 遠慮会釈のない相沢に、行平は沈黙した。昔からそうだ。この人は、正論しか吐かない。それが相手にとってどう映るかは考えない。
 だが、――正論なのだ。いつだって。

「出勤前に寄っただけだ。おまえが電話の電源を切ってたからな」
「すみません、その、ちょっと、充電切れで」
「家でか?」
「……すみません」

 ぐうの音も出ないとは、このことである。
 小さく嘆息した相沢に、行平は息を詰めた。それが説教の前触れであると、身をもって知っている。

「言霊に力があるという話を知ってるか?」
「何度か聞いたことは」
「呪殺屋か」
「いえ。それより以前にも、一度」
「あいつの家でよく言われているそれなんだがな」

 あいつとは、呪殺屋のことだろう。呪殺屋。行平を見つめる怜悧な金色が脳裏に蘇る。
 珈琲を用意しようと立ったカウンターの前から、行平は動くことができなかった。持ったままの珈琲缶を、そっと元に戻す。間抜けだと思った。

「今のおまえの状態は、正にそれだ。最初に言ったろう。本物なのか、紛い物なのか、どっちだって」
「だから、本物だと、本当の妹だと答えただけです、俺は」

 沈黙のせめぎ合いのあと、相沢は呆れた声音で繰り返した。

「言霊には力がある」
「だから、俺は……」
「おまえが本物だと言い張る限り、それはおまえから離れない。あるいは、署でおまえが紛い物だと断じていれば、こうはならなかっただろうな」

 じゃあなんで、俺を呼んだんですか。俺の前に妹を連れてきたんですか。
 その問いを行平は必死で呑み込んだ。訊けば終わる。なにがとは認知できないまま、けれど、わかっていた。

「俺はこんな面倒なことを言うつもりは更々なかったんだが」

 応えない行平を促すでもなく、相沢は立ち上がった。本当に言いたいことを言いに来ただけなのだろう。そういう人なのだ。

「あいつを拾って、ここを与えたのは俺だ。いつか俺にとってプラスに働くと算段しただけで、あいつを哀れんだわけでもなんでもない。ただ、今回ばかりはあいつが哀れに思えたな」

 哀れ。行平は心の内で繰り返した。その台詞は、行平の中の『呪殺屋』とは整合しなかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

三十年後に届いた白い手紙

RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。 彼は最後まで、何も語らなかった。 その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。 戴冠舞踏会の夜。 公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。 それは復讐でも、告発でもない。 三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、 「渡されなかった約束」のための手紙だった。 沈黙のまま命を捨てた男と、 三十年、ただ待ち続けた女。 そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。 これは、 遅れて届いた手紙が、 人生と運命を静かに書き換えていく物語。

大根令嬢の雑学無双、王弟殿下を添えて。~ 前世を思い出したので、許婚をほったらかして人助けしまくります!!

古森真朝
恋愛
気弱な伯爵令嬢のカレンは、自分勝手な婚約者レナートに振り回されていた。耐え続けていたある日、舞踏会で何者かに突き飛ばされ、階段から落ちてしまう。 その傷が元で儚く……なるかと思いきや。衝撃で前世を思い出したカレンは一転、かの『ド根性大根』みたいな超・ポジティブ人間になっていた。 『モラハラ婚約者の思惑なんぞ知るか!! 今度こそ好きなことやって、目いっぱい幸せに長生きするんだから!!!』 昔ひたすら読書に耽って身に着けた『雑学』を武器に、うっかり採れ過ぎた作物や、開墾しようとすると不幸に見舞われる土地、不治の病にかかった王族、等々の問題をどんどん解決。 領地の内外で心強い友人が出来たり、いつの間にかものすごく有名になっていたり、何かと協力してくれる王弟ヴィクトルから好意を寄せられたり(注:気付いてない)する中、温かい家族と共に仕事に励んでいく。 一方、前世から因縁のある人々もまた、こちらに転生していて――

貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。

黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。 この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。

死んだはずの貴族、内政スキルでひっくり返す〜辺境村から始める復讐譚〜

のらねこ吟醸
ファンタジー
帝国の粛清で家族を失い、“死んだことにされた”名門貴族の青年は、 偽りの名を与えられ、最果ての辺境村へと送り込まれた。 水も農具も未来もない、限界集落で彼が手にしたのは―― 古代遺跡の力と、“俺にだけ見える内政スキル”。 村を立て直し、仲間と絆を築きながら、 やがて帝国の陰謀に迫り、家を滅ぼした仇と対峙する。 辺境から始まる、ちょっぴりほのぼの(?)な村興しと、 静かに進む策略と復讐の物語。

公爵令嬢アナスタシアの華麗なる鉄槌

招杜羅147
ファンタジー
「婚約は破棄だ!」 毒殺容疑の冤罪で、婚約者の手によって投獄された公爵令嬢・アナスタシア。 彼女は獄中死し、それによって3年前に巻き戻る。 そして…。

さようなら婚約者

あんど もあ
ファンタジー
アンジュは、五年間虐げられた婚約者から婚約破棄を告げられる。翌日、カバン一つを持って五年住んだ婚約者の家を去るアンジュ。一方、婚約者は…。

2度死んだ王子は今度こそ生き残りたい

緑緑緑
ファンタジー
王太子ロイは、かつて二度の革命によって祖国を崩壊させてしまった過去を持つ。命を落とすたび、彼はある時点へと巻き戻される。そして今、三度目の人生が静かに幕を開けようとしていた。 ――自分は民を理解しているつもりだった。 だが実際には、その表面しか見えていなかったのだ。 その痛烈な自覚から、物語は動き始める。 革命を回避するために必要なのは、制度でも権力でもない。「人を知る」ことこそが鍵だと、ロイは気付く。 彼はエコール学園での生活を通じ、身分も立場も異なる様々な人間と深く関わっていく。 そこで出会う一人ひとりの想いと現実が、やがて国の未来を大きく左右していくことになるとは、この時のロイはまだ知らない。

生きるために逃げだした。幸せになりたい。

白水緑
ファンタジー
屋敷内に軟禁状態だったリリアは、宝物を取り戻したことをきっかけに屋敷から逃げ出した。幸せになるために。体力も力もない。成り行きに身を任せる結果になっても、自分の道は自分で選びたい。 2020/9/19 第一章終了 続きが書け次第また連載再開します。 2021/2/14 第二章開幕 2021/2/28 完結

処理中です...