愚者の園

木原あざみ

文字の大きさ
43 / 61
案件3.天狗の遠吠え

19:八月十四日

しおりを挟む
 八月十四日は、この二日の荒天が嘘のような晴天だった。日課の朝の散歩を終えた犬は、ぺろぺろと勢いよく水を飲んでいる。
 『妹』がいたあいだ、どことなく本調子ではなかった犬も、今日は心行くまでのんびりと過ごしているようだ。いいことだと目を細める。なにせ、この犬は、昨夜、行平が戻ったとき、玄関でお座りをして待っていたのだ。
 まさか、そんな忠犬のような性能が備えついていたとは。行平は心底感動した。明日はエサを奮発してやろうとまで思った。動物のお涙頂戴番組に昔から行平は弱い。その後ろで、呪殺屋と詐欺師は単純だのなんのと笑っていたが、構うことではない。

 手つかずだった数日で増えた新聞の山を前に、行平は軽く頭を押さえた。それからひとつ、嘆息する。
 手を伸ばした一番古い新聞の日付は七日前。『妹』が現れた翌日のものだった。

「相沢さんに、連絡しないとまずいよな」

 言い聞かせるように言葉にしたくせに、行平の手が携帯電話に伸びることはなかった。先延ばしにして、紙面を捲る。
 犯罪率が上がっただの下がっただの、猟奇的な事件が増えただの、いや昔のほうが多かっただの。統計をもとに議論を繰り広げたところで、あまり意味はないのだと行平は思う。
 事件はいつの時代でも起こりうる。そして、巻き込まれた誰かがいる限り、不幸が減ることはないのだから。


「寒い! なに、この部屋、寒くない?」

 朝の静けさを打ち消す大声で事務所に入ってきた呪殺屋に、行平は目を丸くした。

「寒い?」
「そうだよ、あんたの部屋、いっつも無駄に暑いから、わざわざやって来たのに」

 言葉通り呪殺屋は二の腕を両手で擦っている。チャコールグレーの長そでのブイネックに、黒のズボン。相も変わらず黒一色ではあるが、この男の洋装ははじめて見たかもしれない。

「おまえ、普通の格好してると、普通の人間に見えるな」
「滝川さんは俺をなんだと思ってんの、失礼な。というか、ねぇ、ちょっと、本当に寒いんだけど。なんで今日に限って朝っぱらからクーラーつけてんの」
「いや、つけてねぇし」

 行平としては、暑いくらいだ。首を傾げた行平に、呪殺屋が声を裏返らせた。

「はぁ!?」

 その声が若干、鼻声なことに行平は今更ながら気が付いた。

「おまえ、風邪引いたんじゃないのか?」
「……風邪」

 呪殺屋が不思議そうに繰り返した。

「昨日の雨の所為か? 俺は大丈夫だったんだけどな」
「もうちょっと自分の所為かもしれない、ごめん。みたいな感覚はないの。滝川さんには。あー……、でも、そっか、ふぅん」

 そう思ってみれば、微かに顔が赤い。

「これが風邪かぁ」
「あほなこと言ってねぇで、とっとと寝ろ。食料ないなら、あとで買ってきてやるから」
「えぇ? 俺の部屋まで戻るの、俺」

 嫌そうに眉をしかめた呪殺屋に、行平はパンと勢いよく新聞を閉じた。心なしか、犬が心配そうに呪殺屋と行平を見比べている。

「寝室、貸してやる」

 どうやら風邪とは無縁だったらしい男だ。おまけに、大元の風邪の原因は自分であるらしい。
 立ち上がって居住区のドアを開けると、呪殺屋が瞳を瞬かせた。

「俺の所為で死なれた日には、呪い殺されそうだからな」

 行平の照れ隠しに、呪殺屋がはは、と短く笑った。

「駄目だな、滝川さん。それはちょっと洒落にならない」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

三十年後に届いた白い手紙

RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。 彼は最後まで、何も語らなかった。 その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。 戴冠舞踏会の夜。 公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。 それは復讐でも、告発でもない。 三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、 「渡されなかった約束」のための手紙だった。 沈黙のまま命を捨てた男と、 三十年、ただ待ち続けた女。 そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。 これは、 遅れて届いた手紙が、 人生と運命を静かに書き換えていく物語。

大根令嬢の雑学無双、王弟殿下を添えて。~ 前世を思い出したので、許婚をほったらかして人助けしまくります!!

古森真朝
恋愛
気弱な伯爵令嬢のカレンは、自分勝手な婚約者レナートに振り回されていた。耐え続けていたある日、舞踏会で何者かに突き飛ばされ、階段から落ちてしまう。 その傷が元で儚く……なるかと思いきや。衝撃で前世を思い出したカレンは一転、かの『ド根性大根』みたいな超・ポジティブ人間になっていた。 『モラハラ婚約者の思惑なんぞ知るか!! 今度こそ好きなことやって、目いっぱい幸せに長生きするんだから!!!』 昔ひたすら読書に耽って身に着けた『雑学』を武器に、うっかり採れ過ぎた作物や、開墾しようとすると不幸に見舞われる土地、不治の病にかかった王族、等々の問題をどんどん解決。 領地の内外で心強い友人が出来たり、いつの間にかものすごく有名になっていたり、何かと協力してくれる王弟ヴィクトルから好意を寄せられたり(注:気付いてない)する中、温かい家族と共に仕事に励んでいく。 一方、前世から因縁のある人々もまた、こちらに転生していて――

貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。

黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。 この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。

死んだはずの貴族、内政スキルでひっくり返す〜辺境村から始める復讐譚〜

のらねこ吟醸
ファンタジー
帝国の粛清で家族を失い、“死んだことにされた”名門貴族の青年は、 偽りの名を与えられ、最果ての辺境村へと送り込まれた。 水も農具も未来もない、限界集落で彼が手にしたのは―― 古代遺跡の力と、“俺にだけ見える内政スキル”。 村を立て直し、仲間と絆を築きながら、 やがて帝国の陰謀に迫り、家を滅ぼした仇と対峙する。 辺境から始まる、ちょっぴりほのぼの(?)な村興しと、 静かに進む策略と復讐の物語。

公爵令嬢アナスタシアの華麗なる鉄槌

招杜羅147
ファンタジー
「婚約は破棄だ!」 毒殺容疑の冤罪で、婚約者の手によって投獄された公爵令嬢・アナスタシア。 彼女は獄中死し、それによって3年前に巻き戻る。 そして…。

さようなら婚約者

あんど もあ
ファンタジー
アンジュは、五年間虐げられた婚約者から婚約破棄を告げられる。翌日、カバン一つを持って五年住んだ婚約者の家を去るアンジュ。一方、婚約者は…。

2度死んだ王子は今度こそ生き残りたい

緑緑緑
ファンタジー
王太子ロイは、かつて二度の革命によって祖国を崩壊させてしまった過去を持つ。命を落とすたび、彼はある時点へと巻き戻される。そして今、三度目の人生が静かに幕を開けようとしていた。 ――自分は民を理解しているつもりだった。 だが実際には、その表面しか見えていなかったのだ。 その痛烈な自覚から、物語は動き始める。 革命を回避するために必要なのは、制度でも権力でもない。「人を知る」ことこそが鍵だと、ロイは気付く。 彼はエコール学園での生活を通じ、身分も立場も異なる様々な人間と深く関わっていく。 そこで出会う一人ひとりの想いと現実が、やがて国の未来を大きく左右していくことになるとは、この時のロイはまだ知らない。

生きるために逃げだした。幸せになりたい。

白水緑
ファンタジー
屋敷内に軟禁状態だったリリアは、宝物を取り戻したことをきっかけに屋敷から逃げ出した。幸せになるために。体力も力もない。成り行きに身を任せる結果になっても、自分の道は自分で選びたい。 2020/9/19 第一章終了 続きが書け次第また連載再開します。 2021/2/14 第二章開幕 2021/2/28 完結

処理中です...