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案件3.天狗の遠吠え
20:八月十四日2
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昨今のコンビニエンスストアは、デザート類の品揃えも豊富過ぎるくらいである。デザートの並ぶ棚を前に、行平はしばし熟考した。
ショートケーキ。マンゴーのムース。プリン・ア・ラ・モード。シュークリームに、フルーツ入りのヨーグルト。
あの男にはどれも今一つ似合わない気はするが、風邪を引いているときは、喉の通りの良いものが適している、はずだ。
清涼飲料水のペットボトルが三本、すでに籠に入っている。行平はショートケーキに手を伸ばしかけ、やっぱりとプリンを取った。どう考えても、食べやすいのはこちらである。
あともうひとつ、ゼリーにしようかと迷いながら、行平は棚に手を伸ばした。
コンビニエンスストアから一歩外に出た途端、むわりとした夏の湿気に襲われ、行平は目を眇めた。
蜃気楼で道の先が揺れる。警察官だった折もお盆休みとは無縁だったが、今もあってないようなものだ。帰るべき実家もあってないようなものなので、構わないと言えば構わないのだが。
コンビニ袋を揺らしながらビルに戻るだけで、Tシャツが汗で肌に張り付く始末だ。ふう、と行平は息を吐いた。
――これを寒いってか。
呪殺屋のしかめ面が浮かんで、歩む足を速める。
その足が止まったのは、ビルの軒先にたどり着いたときだった。ポケットに入れていた携帯電話が震えている。相沢だろうか。
嫌な予感を覚えつつ、着信先を確認する。表示されていたのは、予想外の名前だった。
「はい」
瞬時の躊躇いのあとで、行平は通話ボタンを押した。声が緊張していることが自分でもわかる。けれど、同じくらい相手も緊張しているようだった。
「――行平?」
「母さん」
その声で名前を呼ばれること自体が、ひどく久しぶりだった。最後に聞いたのは、警察を辞めたと事後報告をしたときだっただろうか。
「久しぶりね。元気にしている?」
「大丈夫だよ、母さんは?」
ぎこちない社交辞令の応酬に笑おうと試みたものの、乾いたものにしかならなかった。だが、これが長年培ってきた、行平たち親子の距離感なのだ。
母はなにも言わない。胃に訴える沈黙に、切るための言葉を発そうとした瞬間、通話先で相手が息を吐く気配がした。
「あのね、行平。こんなことを私が言うのもなんだけれど、たまには帰っていらっしゃい。あなたの都合の良い時で構わないから。ここはあなたの家でもあるのよ」
「……そうだね」
行平の都合を優先してみせる母の口調も久しぶりであれば、家に戻ってこいと誘われることも本当に久しぶりのことだった。
疑惑を押し込み、行平は応じた。
「そうだね」
軒先に居てもなおじりじりと肌を焼く太陽から遠ざけようと、ビニル袋を自身の身体で隠す。
「今日はこのみの誕生日だね」
「そうね」
考えるような沈黙のあとで、母が呟いた。
「あの子はいったい、いくつになるのかしら」
――生きていれば、二十四歳だ。
応えを呑み込んで、行平は曖昧に通話を切った。今の母の中で、果たして妹は何歳なのか。その答えを聞くことが、恐ろしかったのだ。
「あらぁ、ゆきちゃん。朝からお買い物? 昨日の今日で元気ねぇ」
欠伸交じりにビルから現れた詐欺師が、行平を見止めて目を細める。
「あぁ、まぁ。……おまえこそ、朝からどこ行くんだ?」
いつも通りの黒のジャケットを身に着けた詐欺師が、その言葉に大袈裟に頬を膨らませた。
「ゆきちゃんが連絡しないからじゃないのぉ。おかげさまで大家からあたしのほうに連絡がきっぱなしなの。神ちゃんもお家にいないし」
「あ、呪殺屋なら。家で寝てるけど」
「あら。あら、あら。いったいどうしたのよ」
「いや、おまえ、絶対、変な想像しただろ。違うからな。風邪だ、風邪。案外、熱が高くてな、どうも昨日の雨が原因らしいし」
瞳を輝かせた詐欺師に、手に下げていた袋を持ち上げる。
「あら。あの子、風邪なの。ふぅん。でも、まぁ、一昨日も雨に降られていたものねぇ」
「一昨日も? じゃあ俺の所為ばっかりじゃねぇじゃねぇか!」
「そういう問題でもないと思うけど。まぁ、じゃあいいわよ。大家のほうはあたしに任せてちょうだい。その代わり、神ちゃんをどうぞよろしく」
喚いた行平を意に介すことなくひらりと手を振り、詐欺師が炎天下に足を踏み出す。
「おい、なぁ、見沢!」
「なぁに、どうしたの。ゆきちゃんがあたしを名前で呼ぶなんて珍しい」
太陽の光の下で、詐欺師はゆっくり振り返った。その表情はまったく読めない。呪殺屋にしても、この男にしても。
「おまえ、俺の家、行ったろ」
詐欺師が微笑んだ。にっこりと、頬に手を当てて。
「あたしはただ付き合わされただけよ。ゆきちゃんに聞かせてあげたかったわぁ。神ちゃんの啖呵」
ウインクをひとつ残して、見沢がまた背を向ける。その背中が街中へ消えるのを見送り、行平は思わず呟いた。
「なんだ、それ」
間抜けに持ち上げたままだったビニル袋は、汗を掻き始めている。このままでは中身が温くなる。言い訳としては上出来だった。行平はビルの階段に足をかけた。
――なぜ、母親があんなものを造れたのだろうか。
今はそれだけでいいじゃないか。懸念を吹き飛ばすように、鼓膜に響いたのは、昨日。呪殺屋がおざなりに告げた台詞だった。
あんたは母親にそれを逢わせなかった。それだけが答えでいいんじゃないか、今は、まだ。
もし、もし自分が母親に『妹』を引き合わせていたら、母は死んでいたのだろうか。『妹』の笑みに引きずられ、奈落の底へ落ちていたのだろうか。
けれど、と行平は思った。きっと母親は笑って落ちていっただろう。偽りの妹を腕に抱いて、幸せに包まれたまま。それは彼女にとって、果たして不幸だったのだろうか。
ショートケーキ。マンゴーのムース。プリン・ア・ラ・モード。シュークリームに、フルーツ入りのヨーグルト。
あの男にはどれも今一つ似合わない気はするが、風邪を引いているときは、喉の通りの良いものが適している、はずだ。
清涼飲料水のペットボトルが三本、すでに籠に入っている。行平はショートケーキに手を伸ばしかけ、やっぱりとプリンを取った。どう考えても、食べやすいのはこちらである。
あともうひとつ、ゼリーにしようかと迷いながら、行平は棚に手を伸ばした。
コンビニエンスストアから一歩外に出た途端、むわりとした夏の湿気に襲われ、行平は目を眇めた。
蜃気楼で道の先が揺れる。警察官だった折もお盆休みとは無縁だったが、今もあってないようなものだ。帰るべき実家もあってないようなものなので、構わないと言えば構わないのだが。
コンビニ袋を揺らしながらビルに戻るだけで、Tシャツが汗で肌に張り付く始末だ。ふう、と行平は息を吐いた。
――これを寒いってか。
呪殺屋のしかめ面が浮かんで、歩む足を速める。
その足が止まったのは、ビルの軒先にたどり着いたときだった。ポケットに入れていた携帯電話が震えている。相沢だろうか。
嫌な予感を覚えつつ、着信先を確認する。表示されていたのは、予想外の名前だった。
「はい」
瞬時の躊躇いのあとで、行平は通話ボタンを押した。声が緊張していることが自分でもわかる。けれど、同じくらい相手も緊張しているようだった。
「――行平?」
「母さん」
その声で名前を呼ばれること自体が、ひどく久しぶりだった。最後に聞いたのは、警察を辞めたと事後報告をしたときだっただろうか。
「久しぶりね。元気にしている?」
「大丈夫だよ、母さんは?」
ぎこちない社交辞令の応酬に笑おうと試みたものの、乾いたものにしかならなかった。だが、これが長年培ってきた、行平たち親子の距離感なのだ。
母はなにも言わない。胃に訴える沈黙に、切るための言葉を発そうとした瞬間、通話先で相手が息を吐く気配がした。
「あのね、行平。こんなことを私が言うのもなんだけれど、たまには帰っていらっしゃい。あなたの都合の良い時で構わないから。ここはあなたの家でもあるのよ」
「……そうだね」
行平の都合を優先してみせる母の口調も久しぶりであれば、家に戻ってこいと誘われることも本当に久しぶりのことだった。
疑惑を押し込み、行平は応じた。
「そうだね」
軒先に居てもなおじりじりと肌を焼く太陽から遠ざけようと、ビニル袋を自身の身体で隠す。
「今日はこのみの誕生日だね」
「そうね」
考えるような沈黙のあとで、母が呟いた。
「あの子はいったい、いくつになるのかしら」
――生きていれば、二十四歳だ。
応えを呑み込んで、行平は曖昧に通話を切った。今の母の中で、果たして妹は何歳なのか。その答えを聞くことが、恐ろしかったのだ。
「あらぁ、ゆきちゃん。朝からお買い物? 昨日の今日で元気ねぇ」
欠伸交じりにビルから現れた詐欺師が、行平を見止めて目を細める。
「あぁ、まぁ。……おまえこそ、朝からどこ行くんだ?」
いつも通りの黒のジャケットを身に着けた詐欺師が、その言葉に大袈裟に頬を膨らませた。
「ゆきちゃんが連絡しないからじゃないのぉ。おかげさまで大家からあたしのほうに連絡がきっぱなしなの。神ちゃんもお家にいないし」
「あ、呪殺屋なら。家で寝てるけど」
「あら。あら、あら。いったいどうしたのよ」
「いや、おまえ、絶対、変な想像しただろ。違うからな。風邪だ、風邪。案外、熱が高くてな、どうも昨日の雨が原因らしいし」
瞳を輝かせた詐欺師に、手に下げていた袋を持ち上げる。
「あら。あの子、風邪なの。ふぅん。でも、まぁ、一昨日も雨に降られていたものねぇ」
「一昨日も? じゃあ俺の所為ばっかりじゃねぇじゃねぇか!」
「そういう問題でもないと思うけど。まぁ、じゃあいいわよ。大家のほうはあたしに任せてちょうだい。その代わり、神ちゃんをどうぞよろしく」
喚いた行平を意に介すことなくひらりと手を振り、詐欺師が炎天下に足を踏み出す。
「おい、なぁ、見沢!」
「なぁに、どうしたの。ゆきちゃんがあたしを名前で呼ぶなんて珍しい」
太陽の光の下で、詐欺師はゆっくり振り返った。その表情はまったく読めない。呪殺屋にしても、この男にしても。
「おまえ、俺の家、行ったろ」
詐欺師が微笑んだ。にっこりと、頬に手を当てて。
「あたしはただ付き合わされただけよ。ゆきちゃんに聞かせてあげたかったわぁ。神ちゃんの啖呵」
ウインクをひとつ残して、見沢がまた背を向ける。その背中が街中へ消えるのを見送り、行平は思わず呟いた。
「なんだ、それ」
間抜けに持ち上げたままだったビニル袋は、汗を掻き始めている。このままでは中身が温くなる。言い訳としては上出来だった。行平はビルの階段に足をかけた。
――なぜ、母親があんなものを造れたのだろうか。
今はそれだけでいいじゃないか。懸念を吹き飛ばすように、鼓膜に響いたのは、昨日。呪殺屋がおざなりに告げた台詞だった。
あんたは母親にそれを逢わせなかった。それだけが答えでいいんじゃないか、今は、まだ。
もし、もし自分が母親に『妹』を引き合わせていたら、母は死んでいたのだろうか。『妹』の笑みに引きずられ、奈落の底へ落ちていたのだろうか。
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