出戻り勇者の求婚

木原あざみ

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博愛と勇者 (1)

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アルドリック・ベルガーは、エリアスにとって数少ない友人のひとりだった。
 高名な貴族の三男坊にもかかわらず、無駄に偉ぶったところがなく、エリアスが孤児と知っても公平に柔らかだった。
 こんな男であれば、ハルトも安心するだろうと安堵したことをよく覚えている。護衛係はどんな男かと気になっていたからだ。
 ハルトの世話係でなければ、繋がらなかっただろう縁。だが、かけがえのない縁だった。

 ――そう言ったところで、あいつがマメにここに顔を出さなければ続くこともなかったのだろうが。

 けれど、それも、そういった好意の上に胡坐をかいたものだったのかもしれない。
 夜の深い台所でひとり。エリアスはそっと息を吐いた。
 ハルトが来てからというもの、すっかりとまともな生活になっていたので、こんな時間に起き出すこともひさしぶりだった。
 ハルトの部屋からは物音ひとつせず、聞こえてくるのは開けた窓から届く虫の声ばかり。生活音がないと、ひとりの夜に戻った気分になる。

「……あんなふうに言われたのは、はじめてだったかもしれないな」

 ぽつりとエリアスは呟いた。数日前に受けた、清廉とも言える告白のことだ。
 お互いの性欲の発散を目的に遊ぶことはあれど、心を通わせたいと望まれたことはなかったのではないだろうか。
 ハルトの言う「師匠、好き」は、親愛の延長線上のものと思うことにしているので、ノーカウント。うっかり絆されて関係を持ってしまったわけだが、それも当然ノーカウントだ。動物も寂しければ共寝をするわけで、その過程でうっかりと番ってしまうこともなくはないだろう。
 だが、しかし。「友情の延長線上にあるものだから」という理屈でアルドリックと寝るのは少し違う気がする。
 溜息を呑み込み、手に取ったグラスに水をそそぐ。近々また頼まれごとを手に宮廷に赴くことになっているのだが、それも面倒だった。

 ――この手伝いも、いいかげんに蹴りを付けるべきなのだろうな。

 宮廷に戻る気がない以上、いつまでも縁を繋ぐ必要はないはずだ。少し遠くで聞こえた扉の開閉音と、近づいてくる足音。耳が拾った生活音に、振り返ることなく呼びかる。

「どうした?」

 こんな時間に起きてくるとは珍しい。そこまで大きな音を立てたつもりはなかったのだが、邪魔をしただろうか。キッチン台を背に、コップを持ったまま振り返る。

「うるさかったか」
「ううん。そういうわけでもないけど」

 もう一歩近づいてエリアスの隣に並んだハルトが、静かにほほえんだ。寝起きと思うことのできないはっきりとした瞳に、そっと首を傾げる。

「眠れないことでもあったのか」

 随分と昔。ハルトがまだ自分より小さかったころ。いろいろと考えてしまい眠れなくなったというハルトと夜中に話をしたことは幾度かあった。
 ふたりきりの空間で、温かなものを飲みながら。ハルトの国の話をよく聞いた。幼い横顔からにじむ哀愁に、自分のそばにいるあいだくらいは守ってやらねばと思ったものだった。
 今になって鑑みるに、分不相応な祈りだったのだろうか。

「……そういうわけじゃないけど」

 ほんの少しの間のあとで、ハルトが苦笑を浮かべた。薄暗闇に慣れた瞳が、その顔を鮮明に捉える。

「師匠こそ」
「なんだ?」
「眠れないことでもあったの? なにか考えごと?」
「そういうわけでもないが」

 返された質問に、苦笑ひとつでグラスに口をつける。事実、半年ほど前までは、このくらいの時間に起きていることは決して珍しいことではなかった。
 そっか、と相槌を打ったハルトだったが、小さく、でも、と言う。

「師匠は、けっこう昔から、考えごとがあるときに、よくこういうところにいるよ」

 予想外の台詞に、エリアスは思わずハルトを見た。いつのまにかすっかりと大人びた顔が大人びた笑みを刻む。

「師匠が言ったんだよ。俺に部屋から出る理由をくれたのかもしれないけど、部屋でひとりで考えると必要以上に気持ちが沈むことがあるから、悩みごとがあるときはこういうところに来たらいいって」
「……そうだったか?」
「そうだよ。優しいなぁって思ったもん、俺。たぶん、だから、師匠にいろいろと話すことができるようになったんだよ」

 そうだっただろうか、と思い返してみたものの、よくわからなかった。あのころのエリアスは今以上に人付き合いのなんたるかをわかっておらず、ただただ目の前の子どもを見ることに必死で、それだけだったからだ。

「アルドリックさんのことを考えてたの?」

 黒い瞳をじっと見つめ、エリアスは問い返した。

「なぜ?」
「このあいだ、宮廷でふたりが話してるのを見たから」
「趣味が悪いな」

 くつくつとエリアスは笑った。悩みごと云々と言い出したあたりで見当はついたので、驚くことはしない。

「だって」

 バツの悪い顔でハルトが唇を尖らせる。

「いや、その、覗き見したかったわけじゃなくて、声をかけづらかったっていうか」
「べつにかければいいだろう。聞かれたくない話であれば場所は選ぶ」
「でも」

 言い募ったハルトが、迷うように目を伏せる。珍しい態度だな、とエリアスは思った。
 だが、仮にハルトがあの場面を見たとして、なにか会話を漏れ聞いたとして、なんだと言うのだろう、とも思う。
 馬鹿の一つ覚えのように、ハルトは自分を好きだと言う。スキンシップもいささか過剰で、むず痒くなるような愛の言葉を囁きもする。けれど、それだけだ。
 身体を重ねたのはあの一度きりで、それ以降「したい」と言うこともない。一度したことで満足をしたのか、あるいは、男の身体はこんなものかと熱意が冷めたのか。ハルトの真意は定かでないが、自分たちの関係になにの名前もついていないことはたしかだった。

「師匠は、アルドリックさんのことが好きなの?」
「……なんでだ」

 これだけ沈黙を挟んだあとに聞くべき質問がそれなのか。余計なことを考えていたことも相まり、エリアスの声は地を這った。だというのに、ハルトに堪えた様子はない。

「だって、師匠とアルドリックさんは仲も良いし。この家にもアルドリックさんのものはいっぱいあるし」
「だったら、なんだ」

 開き直った調子で重ねられ、うんざりと頭を振る。仲が良いだとか、好きだとか。子どものようなことを拗ねたそぶりで問われても、それ以外に返すことのできる言葉はない。

「だったら、なんだって。だって……」
「だって?」

 促してやったものの、ハルトはまたしても言葉を噛んでしまった。
 言いにくいことであるのであれば、はじめから言わない選択肢を取ればいいだろうに。グラスをシンクに置き、エリアスは溜息を吞み込んだ。

 ――ハルトもハルトだ。しつこくする話でもないだろうに。

 ハルトの話を聞くことは嫌いではない。気になったことを素直に尋ねる心根もかわいく思っている。だが、これはそういったものとはまた違うだろう。
 とは言え、おまえには関係はない話だと言えば、拗ねるに違いない。そんなことを考えていると、ようやくハルトが口火を切った。

「個人の自由だってわかってるけど。師匠も、アルドリックさんも、結婚していておかしくない年なのに、そういう噂がまったくないって聞いた」

 本当に個人の自由だな。内心で呆れたものの、エリアスは言わなかった。

「結婚する気があるなら、そういう噂のひとつやふたつあるはずで、でも、ふたり揃ってまったくないって」

 呑み込むことをやめて、ひとつ溜息を吐く。妻帯者を妄言に巻き込むなと言ったが、だからと言って、独身者をまとめて妄言に詰め込んでいいわけもないだろうに。

「おまえが言ったとおりで、結婚をするもしないも個人の自由だ。女が好きだろうと、男が好きだろうとな。どうのうこうのと勝手に噂をする人間が宮廷に多いことは否定しないが、そんなものにいちいち首を突っ込むな」
「それはそうだと思うけど、でも」

 そうだと思うのなら、それでいいだろう。発展性のないやりとりに嫌気が差し、頬にかかる銀色の髪をうんざりとかき上げる。妙に食い下がるハルトにわずかに苛立ったのだ。
 自分とアルドリックのあいだの話に、宮廷のくだらない噂を盾に無遠慮に首を突っ込まれたくはない。だが、それ以上に。

「そもそも、おまえはそのうち向こうに帰るだろう」

 自分たちの関係に名前はない。ハルトはいつか向こうに戻る。それなのに、自分にも関係があるのだという顔を、嫉妬していると勘違いしそうになることを、言わないでほしかった。

「それ、本気で言ってる?」

 静かな苛立ちのにじんだ声に、隣に視線を向ける。言うつもりのなかったことを言ったと気づいたからだ。身体ごとこちらを向いたハルトの両の手がエリアスを囲うように台の縁を掴む。

「本当にそう思ってるの? 俺が戻ってきたのは一時の気まぐれで、また帰るんだろうって」
「おまえは向こうの人間だ」

 言ってしまったことはしかたがない。割り切って、エリアスは認めた。安易に戻すべきではないとビルモスは言ったが、あと一度のことと誓えば認める公算はある。この世界にとってハルトが異分子であることに変わりはないからだ。

「おまえがなにを思ってこちらに来たのかは知らないが、向こうに戻るべきだ」
「俺、言ったよね。師匠に会いたかったからここに来たって。ずっといるって」
「七年前、無理やり連れてきたことは悪かった」

 話が噛み合っていないと思っているのは、自分だけではなかったはずだ。至近距離で見上げる黒い瞳には、らしくない感情が渦巻いている。腹立ち、焦燥、悔しさ。どれも目の前の子どもには似合わないものだ。黙って見つめていると、ハルトがそっと息を吐いた。

「それはもういいよ、師匠に謝ってもらうことじゃない」
「だが」
「師匠」

 反論を防ぐように、ハルトが呼ぶ。

「たしかに、七年前、ここに呼ばれたのは俺の意志じゃなかった。でも、魔王を倒したのも、ここに戻ってきたのも、ぜんぶ俺の意志だよ」
「……」
「そうじゃなきゃ、命なんて賭けられない」

 だが、と否定することはさすがに憚られた。黙ったままのエリアスをまっすぐに見下ろし、ハルトが言う。

「それで、俺が命を懸けて倒した物語を、巻き込まれた不幸な子どもの話にしないで。師匠が育てた俺の話にして。そうじゃないと、無理だ」

 なにも言葉は出なかった。疲れたように溜息をこぼし、エリアスの肩に額を押しつける。背中に回そうとした腕を、エリアスは寸前で取りやめた。そんなことをする資格はないと思ったのだ。

「ごめん」

 耳元で絞り出すような声が囁いた。上がったハルトの顔はいつもどおりのもので、エリアスはただその顔を見上げた。台から手が離れる。

「ちょっと、頭冷やすよ。この話は今日は終わりにしよう」
「そうだな」

 どうにか応じたエリアスに、ハルトが笑う。気遣いに満ちた微笑だった。
 この笑顔がエリアスは苦手だった。外で見るたびに胸が苦しく、せめて家では自由でいてほしいと願った。だが、それも分不相応だったのだ。その顔のまま、ハルトは続ける。

「頭冷やすついでにさ。せっかくだから、一回、騎士団の寮に入れてもらうことにするよ」
「騎士団の?」
「そう。師匠も入ったらどうだって言ってたでしょ。たしかに、こっちに来てから、俺、ずっと師匠に面倒見てもらってたからさ。一回くらい自立? してみてもいいのかなって」

 突っ込みどころのない台詞を並べ、にこりと笑う。

「ほら、俺、すぐに帰るでしょ? 付き合いが悪いってよく言われてたんだよね。寮に空きがあるっていう話も聞いてるし。ちょうどいいかなって」
「……そうか」

 ぎこちなく頷く。ハルトの言うことは、なにひとつ間違っていない。わかっているのに、罪悪感が疼いてしかたがなかった。

「うん」

 線を引いた顔で、笑って頷く。視線を落としたエリアスを気にすることなく、ハルトはさらりと挨拶を告げた。

「おやすみ」

 それが最後だった。静かに閉まったドアの音に、足元を見つめたまま呟く。

「……すべてがおまえの意志であるわけがないだろうが」

 ハルトの意志がまったく介在しなかったとは言わない。傍で見ていたのだ。そのくらいはわかる。だが、大本の原因は自分たちの側にあり、ハルトは生き抜くために選ばざるを得なかったのだ。それをどうして、ハルトの意志と言えようか。
 自分たちが、自分たちの都合で召喚した勇者。こぼれた台詞は、誰に聞かれることなくひとりの夜に溶けていった。
 この国を救った選ばれし勇者。この国の希望に応えざるを得なかったかわいそうな子ども。だからこそ、すべてが終わったあとは平和な国で幸せになってほしいと思った。
 それがエリアスの願いだった。
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