出戻り勇者の求婚

木原あざみ

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親愛と深愛(2)

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「そうだな」

 顔を上げ、エリアスは認めた。

「おまえの言うとおり、あのころはまだ心のどこかが子どもだったのだろう。なにもかもが嫌になって逃げてしまった」
「逃げることが悪いわけでもない。休むことも重要だ。自分の心と向き合うことも。あのころのおまえは一心不乱という感じだったからな」
「そうかもしれない」
「ここに引き篭もったころもそうだぞ。勇者殿と暮らしていたころのことが嘘のように、刺々しく戻っていたしな。世捨て人というよりは、手負いの野生動物という感じだったが」
「おい」
「だが、それも、次第に落ち着いたろう。のんびりとした時間を満喫し始めているように見えたから、それはそれでいいかと俺は思っていたんだ」

 王都と違って、妙な噂も駆け引きもなにも必要がないからな。そうアルドリックが言う。からかう調子の薄まった穏やかな顔を、エリアスは改めて見つめた。
 ゆったりとした時間を素直に享受できるようになったのは、何年も懲りずに足を運んでくれたアルドリックのおかげと知っていた。

「俺にとってもここに来ることは良い息抜きで、なによりも楽しかったからな。だが、勇者殿が戻ってきただろう。そこでまたおまえは変わった」
「そんなにか」

 ぎこちなく苦笑ったエリアスに、アルドリックも苦笑を刻んだ。

「なんと言えばいいのだろうな。ありていな言い方をすれば、ひどく生き生きとして見えた。俺がなにを言わずとも宮廷に顔を出す頻度が上がって、ゆるやかに停滞していたおまえの時間が再び動き出したとわかったんだ」

 柔らかであたたかな口調のまま、アルドリックは続ける。

「勇者殿は、本当にすごいパワーを持っているな」
「……そうなのだろうな」

 太陽のような男と思ったのは、つい少し前の自分だ。すごいパワーとは言い得て妙に違いない、と。エリアスは笑った。なにせ、自分の未熟で叶わなかったものの、はじめて愛したいと願うことのできた相手だったのだから。

「とは言え、だ。勇者殿が元の世界に戻ってからの五年、おまえを見守っていたつもりでいたものだから、大人げないとわかっていても面白くなくてな」
「なにがだ?」
「俺ではなにも変わらなかったおまえが、勇者殿が戻ってきた途端にまた動き出したことが」

 ここで「そんなことはない」と言うこともきっと正しくはないのだろう。口を閉ざしたエリアスを見つめたまま、アルドリックは淡々と謝罪を告げた。ハルトと似た、意志の強く、だが、こちらを慮る気遣いに満ちた瞳。

「余計なことを言った。煩わせてすまない」

 なぜなのだろうな、とエリアスは思った。ハルトにしろ、アルドリックにしろ、自分を好きだという理由はやはりよくわからない。だが、まっすぐに向けられている感情を、気の迷いという台詞で一蹴してはいけないのだということだけはわかった。
 ハルトのような顔をさせたいわけではなく、あれは向き合いたくないという自分の弱さが招いたものだった。静かに友人の名前を呼ぶ。

「アルドリック」

 気持ちを知ったときは戸惑った。純粋に驚いたし、好意の上に胡坐をかいていたのではないかと悩みもした。
 だが、この十日。頭にあったのは、ほとんどハルトのことだった。それが答えなのだ。アルドリックよりもハルトの存在が大きいということ。ただ、アルドリックのことを友人として大切に思っていることも事実だった。
 だから、せめて。変に取り繕うことなく、正直に言おうとエリアスは決めた。

「おまえのことは好きだ。人間として。友人として。だが、それ以上として見ることはできない」
「そうか」
「すまない」
「いいさ、わかっていたことだからな。おまえに友として好いてもらっているというだけで十分だ」

 沈黙は流れたが、胃の縁が重くなるような冷たさは生じなかった。
 自分の言動が正しかったのかどうか、エリアスにはわからない。自分よりよほど人間のできた男だから、気を遣っているだけかもしれない。そうわかっていても、酷い顔をさせずにすんだことにほっとした。沈黙を破ったのは、アルドリックだった。

「俺は、おまえのことは勇者殿の件で関わり合いになる以前から知っていた」

 ぽつりとした、だが、よく聞く世間話の調子。いったいなんの話だと思ったものの、エリアスは続きを待った。そのエリアスを穏やかに見つめ、もちろん、とアルドリックが言い足す。

「宮廷によくある噂のひとつとして知っていたに過ぎないが。魔術師殿の狐の愛児。ビルモス殿に次ぐ成績で魔術師学院を卒業した秀才。……もっと下種な言い方もあったが、こんなところだ。まぁ、ビルモス殿の忠実なお人形というわりには生意気な口を利くと思ったが」
「放っておいてくれ。あのころは俺も若かったんだ」
「なに、俺もそうだ。若かったから、噂でしかおまえを判別していなかった」

 そう言われると、昔のアルドリックは、もう少しわかりやすく野心的だっただろうか。思い返そうとしたものの、あまりはっきりとした記憶はなかった。あたりまえだ。アルドリックが一心不乱と表現したとおりで、あのころのエリアスは周囲などなにも見ていなかったのだから。

「そんなふうだったから、召喚されたばかりの勇者殿がおまえを選んだときは驚いた。たしかに見目は良いが、第一印象としてはとっつきにくいし、今よりも冷たい印象が強かったからな」
「放っておいてくれ」

 くつくつと笑われ、エリアスは先ほどと同じ台詞を繰り返した。だが、アルドリックに気にした様子はない。どこに着地するのか読めない話がどんどんと先に進んでいく。

「おまえが勇者殿に害を成すことはないと知っていたが、べつの部分で心配は覚えたな。感情の乏しいお人形のもとで、寄る辺のない勇者殿の心が安らぐのか、とね」

 たぶん、誰よりもあの当時の自分が思っていたことだ。エリアスに今も否はない。だというのに、アルドリックの青い瞳は柔らかだった。

「自分が勇者殿の護衛に就くことが決まっていたから、余計に。おまけに、召喚された勇者殿が思っていたよりもずっと幼気な子どもだったものでな。俺の庇護欲も動いたんだ」
「俺もそうだ」

 素直に認めたエリアスに、アルドリックもあっさりと請け負った。

「そうだな。最初はそうだったんだろう」

 最初。では、途中からは庇護欲と映らなくなっていたのだろうか。考えるように黙ったエリアスに、アルドリックは静かに呟いた。

「勇者殿は見る目があったのだろうな」

 今度は素直に頷くことはできなかった。

「そうなのだろうか」

 ぽつりと問いをこぼしたエリアスに、そうさ、とアルドリックは頷く。自明の理と言わんばかりのあっさりとした調子だった。

「繰り返すようだが、おまえは変わったからな」
「変わった、か」
「ああ、あの二年で。人間がぐっと丸くなって、……俗な言い方をするとすれば、愛を知ったのだろう。それで、それは、勇者殿のおかげだ」

 間違いないと断言され、エリアスはうつむいた。アルドリックの声が優しすぎたせいか、目元が潤みそうになった気がしたのだ。

 ――ハルトがいなくなったときも、涙もなにも出なかったというのに。

 心が空っぽに戻ったような感覚があっただけで、やはり自分が誰かを愛することなどできるはずもないのだ、と。そう思い知ったというのに。

「そのおまえに俺は惹かれたんだ。おまえを変えた勇者殿に敵うはずがなかったんだよ」
「アルドリック」
「それだけだ。これも先ほど言ったとおりだが、おまえが気に病むことはなにもない」

 顔を上げたエリアスの瞳を見つめ、それと、とアルドリックが言う。

「できれば、これからも変わらず友人でいてくれると俺はうれしい」
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