出戻り勇者の求婚

木原あざみ

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光あるところ(3)

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 夏が終わり、秋が来て、冬が少し近づき始めたころ。エリアスは住居を変えた。馬鹿の移動時間に根を上げたからである。
 平気な顔で往復していたハルトの体力と心理状態が、エリアスにはまったくもってわからない。ついでに言うと、愛の力などという暴論で包括もしないでもらいたい。
 そんなわけで提案した引っ越しだったが、ハルトと話し合った結果、王都の中心部から少し離れた場所にある庭付きの一軒家を借りることになった。宮廷とは多少距離があるものの、馬鹿ではない移動時間なので許容範囲であるし、「土いじり、けっこう本当に好きなんだよね」とのハルトの希望を重視したかったので問題はない。
 その家の居間で、とある冬の深夜。エリアスは文字通り頭を抱えていた。

「なんで外で呑むとそうなるの。アルドリックさんと呑んでるときはぜんぜん平気そうなのに」

 呆れた声音も柔らかいものの、それさえも少々頭に響く。こめかみを押さえたまま、エリアスは唸るように呟いた。

「アルドリックは絶対適量以上呑ませない」
「ええ、なにそれ。甘すぎじゃない? それで甘えすぎじゃない? なんかすごいびっくりしたんだけど」

 妬く妬かない以前の問題だよ、と言いながら、ハルトが水と薬をテーブルに置く。少し前にエリアスが酔い覚ましにと作ったものだ。

「というか、外で呑むときのほうが、気をつけるものなんじゃないの? アルドリックさんに言われたけどな、俺」

 黙ったまま、薬を水で流し込む。五分ほどすれば効くはずである。たぶん、おそらくは。自分が作ったので、きっと。間違いなく、確実に。

「騎士団の集まりに顔を出し始めたあたりで。許容量を超えて呑むやつも多いが、潰れるまで呑むほうが馬鹿だ。みっともないし、第一危機感が足りていない。騎士団員としての品位にも関わる。自分でしっかり管理しろって」
「……」
「あの人、なんだかんだ紳士だよね。さすが貴族って言ったら怒られそうだけど」
「……まぁ、そうだな」

 貴族でも、いや、貴族だからこそ、ろくでもないやつはろくでもないぞ、との事実はさておいて、エリアスは同意を示した。こめかみから指を離し、項垂れていた顔を上げる。

「ハルト」

 すぐそばに立っていたハルトの名前を呼べば、指が頬に触れた。冷たさが心地良くて、そっと目を閉じる。冷たい、と呟くと、まぁ、冬だからね、と静かに声が笑う。その声もすべて気持ちが良かった。
 手のひらに頬を寄せると、ハルトがまた笑った。

「猫みたい」
「気持ちが良いんだ」

 空気が震え、冷たい手のひらが額に移動する。ちょっとはマシ、と聞かれ、エリアスは目を開けた。

「ああ」
「そっか。ならよかった」

 ほほえむ瞳は穏やかで、まだわずかに芯の重い頭で、愛おしいな、と思った。ハルトだ。黒の瞳をじっと見つめていると、かすかに困ったふうな色が浮かぶ。

「宮廷の人間関係とか、政治とか。俺もよくわかんないけどさ、そこまでがんばってお酒呑んでコミュニケーション取らなくてもいいんじゃないの?」
「今までがなにもしなすさぎたんだ」
「でも、そういう付き合い、あんまり好きじゃないでしょ? 好きなら参加したらいいと思うけど、そうじゃないならストレス溜まるんじゃないかなと思って」

 つまるところ、遅くに帰り唸っていた現状を心配してくれているらしい。それは、まぁ、ハルトのようにうまくやることは叶っていないわけだが、だからこそ、定期的に魔術師殿の集まりに顔を出すよう努めているのだ。
 中途半端に舞い戻った身の自覚はあるし、余計な軋轢は生むなと釘を刺されている。そのあたりのもろもろをエリアスは一言に詰め込んだ。

「多少はしかたないだろう」
「どこの世界でも一緒なんだな。そういうお付き合いは重要っていう考え方」

 しかたないなぁというふうに笑って、ハルトが額から手を離した。その指先が自身の黒い髪をわしゃりと掻き混ぜる。少し伸びてきたな、と思っていると、ハルトがひとつ溜息を吐いた。

「というかさ、ビルモスさまに甘えるカード、そういうときに切ったらいいんじゃないの? 誰がするかって、なんでそこで意地張るかな。そのたびに潰して申し訳ないって青い顔で送ってくれるエミールさんの立場にもなってあげなよ」

 俺だったら絶対にいやだよ、かわいそう、と嘯くので、エリアスは肘のあたりを引いた。返す言葉がなかったからである。違わず近づいた距離を、首を伸ばすことでゼロにした。
 軽く唇を合わせ、次いで輪郭を舐めると、かぷりと口が開く。唇ごと食まれ、エリアスは小さく声をもらした。再び伸びてきた手のひらに頬を包まれ、また少し喉が反る。くちゅりと深く合わさる音が響き、最後にじゅっと舌先を吸ったところで、キスが終わった。エリアスの銀色の髪を撫でたまま、ハルトが笑う。

「すごいんだけど、お酒のにおい」
「言っておくが」

 エリアスはじとりとハルトを睨んだ。

「おまえが呑んで帰ってきたときもなかなかだぞ」
「でも、俺、頭痛くなるような酔い方しないよ」
「体質の問題だ」
「体質の問題ってわかってるなら、なおさら気をつけたほうがいいと思うけど」

 まぁ、甘えてくれる師匠もかわいいけどね、でも、と。脈絡があるのかないのかわからないことを言って、またひとつハルトが唇を降らせた。

「部屋に行ってもいい?」
「同じ部屋だ」
「そうだったね」

 くすくすとした、柔らかな声。他愛のないやりとりはぬるま湯のようで、エリアスもそっと笑い声を立てた。

「でも、了承が欲しいんだよ。あたりまえの話って言えば、まぁ、そうなんだけどさ。俺の元いた世界、そういうのにめちゃくちゃ今うるさいの。性的同意」
「性的同意?」
「こういうことをするのは、相手の同意を確認してからにしましょうねってこと」

 はじめてしたときは、なし崩しだった気がするが。夏になる前の記憶が過ったものの、それを指摘するのは野暮というものだろう。それに、と思ったところで、エリアスは瞳を笑ませた。

「おまえとすることなら、なんでもべつに構わない」
「なんかすごいこと言われた気がする」

 そういうこと言うとうぬぼれるよ、とあたりまえのことを言うので、笑みを深くする。覗き込んでくる顔に手を伸ばした。

「運んでくれ」
「いや、本当、もう。お酒入ってるときばっかり」

 かたちの良い眉がへにょりと下がる。だが、困っているわけではないと知っていた。椅子から抱き上げる危うげない腕の力に、さすが勇者殿だ、と喉を鳴らせば、元だけどね、とハルトが言う。
 そのまま器用に寝室の扉を開けたハルトが、シーツの上にエリアスを落とした。首に腕を回し、被さってきた身体を引き寄せる。

「元だろうがなんだろうが、俺にとっての勇者はおまえだけだ」

 耳元で囁けば、とろけるような苦笑が返された。

「勇者って言われると、困ることもあるんだけど。でも、師匠だけの勇者っていうのは悪くないな」

 なんでだろう、とほとんどわかった声で問うので、エリアスは彼だけの黒い髪をくしゃりと掻きやった。自分のすべてを変えて救った存在を、勇者と呼ばぬわけがない。
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