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57、天音奔る
しおりを挟む街往く人々の間を、風がすり抜けていく。
オフホワイトとピンクに彩られた風だった。改めてじっくり見てみれば、それは純白の半袖ブラウスと、フレアスカートを身に付けた乙女だと気付く。
人間が走っている、とは思えぬスピードだった。
全速力のスクーター、くらいの速度はでている。異常な速さだった。速すぎるが故に、人々は異常を異常と認識することなく、呆然と見送るしかなかった。人の脳は想像を越えたものを見ると、なにかの錯覚と己を強引に納得させるようだ。
スマホを握りしめたまま、四乃宮天音は西に向かって疾走していた。
宿敵・六道妖が示した地図の場所には、天音の大切なひとが捕えられているはずだった。妹の郁美か、オメガスレイヤーズ仲間の甲斐凛香か。どちらもかけがえのない、愛する者。
東と西。地図に描かれたふたつの箇所に、分断して人質は監禁されている。天音が西を選んだのは、ただのカンだった。
(・・・もし、どちらがいるのか教えられたら・・・私は郁美と凛香さん、どちらを選んだのかしら・・・)
脳裏にふと浮かぶ疑問を、首を振って天音は吹き消した。
考えてはいけない選択だ、と思った。なにより無意味だ。事実としては、天音は郁美と凛香を天秤にかけたのではない。西か東かを選んだのだ。
そういう意味では六道妖も、案外と天音が本当に嫌がることを理解していないのかもしれなかった。
スマホの呼び出し音が鳴った。
反射的に見た凛香のスマホ、ではない。コールが鳴ったのは、天音自身のものだった。
『天音、急ぐな』
電話に出た瞬間、聞き慣れた男の声が届いた。
『時間をかけた方がいい。少しでもこちらの態勢が整う。いくら君が究極の破妖師でも、このままではヤツらの罠に嵌るだけだ』
聖司具馬の声は冷静だった。
感情を懸命に抑えようとしているのが、天音にはわかった。ふたりが恋人と呼ばれる関係になって、もう4年近くが経っている。
何かと本音を隠したがる傾向が司具馬にはあったが、聡明な美乙女には通じなくなりつつあった。
「ごめんなさい。その忠告は、受け入れられないわ」
わずかに乙女の声は翳った。
ごめん、と言ったのは紛れもない本心だった。司具馬に対し、謝りたい気持ちが確かにある。
それでも奔りながら語る口調は、毅然としたものだった。
「私は一刻も早く、ふたりを助けたい。そのためなら全力を尽くすわ」
『・・・オレは君に、嫌な報告をしなけりゃいけない』
「大丈夫。大体の予想はできているから」
『〝五大老”は今回の救出作戦を、天音に一任することに決めた。といえば聞こえはいいが要するに・・・『水辺の者』は直接的には君を助けないってことだ』
〝百識”の骸頭が自ら報せてきたアジトの場所は、すでに『水辺の者』の最高責任者である〝五大老”に伝えられている。今頃は可能な限りの兵士が、東と西、二箇所の周囲を包囲し始めているはずだ。
だが、彼らの役目は『異境結界』の創出のみに限られていた。一般人に危害が及ぶのを避けるため、闘いの場を切り取るのがその狙いだ。安心してオメガヴィーナスが全力を振るえるようにするためでもある。
その一方で、闘いに手を出すことは固く禁じられていた。
彼らが出来るのは後方支援だけだ。それなりの戦闘能力を有する『水辺の者』であっても、妖化屍との遭遇は即ち死を意味するのに近い。
「敵は六道妖だもの。まともに闘えるのは、オメガスレイヤーだけだわ。無駄に犠牲者を出さないための、賢明な判断ね」
『しかしッ!! わかっているのか、天音ッ!! ヤツらの作戦の真意をッ!?』
司具馬の感情が、乱れた。
冷静の仮面が剥がれた瞬間だった。愛する者に迫る危機の深刻さが、優秀なサポーターである彼にはわかっている。
『2箇所に人質がいるということは、どちらかの救出を諦めねばならないッ・・・それが嫌なら・・・無抵抗を強いられるんだぞッ! 君には郁美ちゃんも凛香も、見捨てることなどできんだろうッ!?』
「当たり前よ。私はふたりとも、必ず救出してみせるわ」
言い切る天音に、司具馬は一瞬、言葉を失った。
『・・・そうなれば必然的に・・・ヤツらとまともに闘えなくなるッ・・・』
「わかっているわ、シグマ。覚悟はもう、決めているから」
『以前の六道妖とは違うんだぞッ!? ヤツらには・・・〝オーヴ”という恐るべき切り札がある』
「〝オーヴ”の効果が妖化屍にも及ぶ以上、条件は同じよ。使い過ぎれば彼らも自滅することになるわ」
『だがッ・・・!』
「ありがとう、シグマ。でも私は最強の光女神、オメガヴィーナスなのよ?」
少し微笑みながら、天音はスマホ越しに言った。
「死ななければ、なんとかなるわ。そう、死にさえしなければ」
悲愴すぎる台詞を伝えるには、あまりに優しい声であった。
『・・・天音』
眼の前にはいない恋人の顏がいくつも浮かんできて、司具馬は続ける言葉に窮した。
スマホ越しに聞こえるのは、地を駆ける音。変身前の天音が、全力で奔っているのがわかる。
『初めて会ったときのこと・・・覚えてるか?』
ひとめ、白銀の光女神を見たときから、聖司具馬は恋に落ちた。
そうわかったのは、ふたりが出会ってから半年ほど経ってのことだった。恋愛になど無縁と思っていた自分が、まさかひとを好きになるなんて。初めは情けない話だと恥じた。その後に、天音の美貌に魅入られただけではないのか? と己を嗤った。
数週間、悩み続けた。その後数日、さらに己を罵倒し続けた。
それでも司具馬は、自分の本当の気持ちを、認めざるを得なくなった。
「もちろん、覚えているわ」
自分でも知らないうちに、天音は頬を緩めていた。
六道妖との因縁に決着がつく「その時」が迫っている。光属性のオメガ粒子を得た肉体が、ギュンギュンと緊迫しているのに、なぜだか美戦士は穏やかだった。
「私が初めて、オメガヴィーナスになった日ね。そして・・・お父さんとお母さんに別れを告げた日」
『君が来てくれなければ、オレはあのまま死んでいたかもしれない。君は命の恩人ってヤツだ』
天音がオメガヴィーナスとしての初陣を飾った、あの山中での出来事。六道妖の襲撃を受け、数多く犠牲となった『水辺の者』たちのなかで、唯一生き残っていたのが司具馬であった。
「ふふ、まさか。あなたはあの時、まだピンピンしていたわ。虎狼と闘った私の方が、ダメージは深かった・・・」
『いや。君は本当のことに・・・気付いているんだろう?』
司具馬が言葉を紡ぐのに、わずかな間が空いた。
本当なら、天音に言いたくはなかった話を、男はしようとしていた。美しき恋人が悲愴な決意を固めた今、司具馬もまた腹を括らねばならない。
『なぜあの時、オレを助けてくれたんだ?』
「傷ついた者がいれば、助けるのは当然のことよ」
『バカだな、君は。戦士として・・・甘すぎる。優しすぎるし、なにより簡単にひとを信じすぎる』
恐らく。
生涯に一度の告白を、司具馬はしようとしていた。
こんな時だからこそ、しなければいけないと思った。直接、天音の顏を見られないのが悔しかった。
『だからオレは、君のことを好きになった』
感情を隠す男には珍しく、その声は震えていた。
『全てに気付いていながら、君はオレのことを助けてくれた。ありがとう、天音。君のことが、好きだ』
「・・・ありがとう、シグマ」
脚を止めることなく、天音は言葉を綴った。
「初めてね。直接〝好き”って言ってくれたのは」
『・・・そうだったかな?』
「そうよ。なんで言ってくれないのかなって、ちょっとヤキモキしていたの」
うふふ、と甘く転がる声で天音は笑った。
凛とした瞳を細める姿が、司具馬の脳裏に浮かぶ。時々見せる、屈託ない笑顔だった。妖魔との闘いを宿命づけられた天音が、滅多に見せることない貴重な微笑み。
会いたい。痛切に、想う。
すぐに会えるさ。騒ぐ心を、無理矢理安心させる。
『だが天音。そんな君だからこそ、言っておかなきゃいけないことがある』
強引に淡い心を抑えつけた男は、声に冷静さを取り戻して言った。
『これは骸頭が仕掛けた罠だ。幾重にも卑劣な策が施されているのは間違いない。純粋な君では、それらを回避するのは困難だろう・・・絶対にこの誘いに乗るべきではない』
「私が意外と頑固なのは、シグマもよく知ってるでしょ? 郁美と凛香さん、ふたりを助けるためにはもう止められないわ」
『・・・ならば・・・オレがやる』
言葉の意味がよくわからなくて、天音は「え?」と反射的に聞き返していた。
『もう一方の、東の地点にはオレがいく。人質ふたりを同時に解放できれば、天音も随分と闘いやすくなるはずだ』
「だ、ダメよッ! 敵は六道妖、オメガスレイヤーでなければとても・・・」
『もう一度言うぞ。君はオレの本当の力を知っているはずだ』
桜色の唇を閉じて、天音は押し黙った。
六道妖が現在何人まで揃っているのかは、わからない。あるいは6人全員が勢揃いしている可能性もある。2カ所に均等に戦力を分散したのならば、最低でも2、3人の妖化屍が待ち構えていると考えるべきだろう。
究極の破妖師、オメガスレイヤーであっても無事で済むとは思えぬ任務だった。
普通に考えれば、単なる『水辺の者』である司具馬が生きて帰れるとは思えない。しかし天音は、引き留めようとしなかった。あるいは司具馬なら・・・そんな期待があるからこその沈黙。
『無事に郁美ちゃんか凛香を救い出せたら・・・スマホに着信音を1回だけ鳴らす。だが、もしなんらかの形で失敗したなら・・・鳴らすのは2回だ』
「・・・成功なら1回。失敗なら・・・2回」
『そうだ。よく覚えておいてくれ。2度鳴ったら・・・できればその場をすぐに逃げ出して欲しい。今度は君に重大な危機が迫ることになる』
スマホ越しに声を聞きながら、無意識に天音は強く瞳を閉じていた。
自分のために、司具馬は危地に立とうとしている。恋人に死の危険が迫るのは、自分のせいだ。
そうわかっていて、それでも今は司具馬しか頼れなくて、不甲斐なさと感謝に胸が詰まった。
「・・・ありがとう。・・・ごめんなさい」
白銀の光女神と呼ばれる美乙女の声は、濡れていた。
泣かせてはいけない。少しでも、明るくさせるのだ。それが今自分がすべきことだと信じて、司具馬は唐突にとんでもないことを言う。
『天音。次に君と会うとき・・・オレは君に結婚を申し込む』
「・・・え?」
『・・・そんな気がする。予想の話だ。オレはそうするんじゃないかって、あくまで想像の話さ』
「やめてよ、シグマ」
瞳をつぶって、奔り続ける女神は言った。
アツいものが胸にこみあげる。抑えるためには、瞳を開けてなどいられなかった。
「知ってる? そういうの、フラグが立つっていうのよ。約束なんてすると、悲劇が待ち受けてたりするんだから」
『そ、そうなのか? すまん、悪かったよ』
「でも」
司具馬のことを〝本心を隠したがる”などと評しつつ、自分も大概だな、と天音は思った。
すぐに照れ隠しをしてしまう。こんな時くらいは、素直な気持ちをストレートに伝えてもいいのに。
ありったけの感謝を込めて、本当の気持ちをスマホに呟いた。
「それでも私は、とても嬉しいわ」
真珠のような雫が、天音の頬を伝った。
しなやかな指が、すぐに拭い取る。恐らくオメガヴィーナスにとって最大となる闘いが始まろうとしている。泣いてなど、いられなかった。
「あなたの告白を聞いたら、多分私は『イエス』って答えると思う。そんな気がするわ」
『・・・天音』
「大丈夫よ、シグマ。フラグが何本立とうと、オメガヴィーナスは絶対に負けない。あなたと私は、必ずまた会えるわ」
淑やかな美乙女の、力強い宣言が、司具馬の耳に返ってきた。
「・・・見えたわ。じゃあ、またね」
陽光のなかに目指す洋館の姿が浮かび上がった時、天音の指が通話を切った。
声の届かなくなったスマホを、しばらく司具馬は握りしめていた。
自分はなぜ、この世に生まれてきたのか? その問いに答えられる者は、どれほどいるだろう。しかし今の司具馬は、自信を持って答えられる。
オレは、四乃宮天音を助けるために、今この時代に生きている。
だから、本気を出す。封印してきた、本当の力を――。
燃え盛る決意を胸に、男は走り出した。
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