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「第十二話 東京黙示録 ~疵面の凶獣~」
8章
しおりを挟む昨夜未明から続く大渋滞が、黒々と奇怪な大蛇のごとく高速を埋め尽くしている。
首都に近付くにつれ、隙間なく混み合った車列は遅々として動かなくなっていった。疲れ切った家族連れ、重い目蓋をこする若者たち。色濃く浮かんだ焦燥と不安とが、この国が戦時下レベルの緊迫した状況を迎えていることを教える。
東京から伸びた未曾有の大渋滞で、東名高速道路は明らかにその機能を停止させていた。
この混雑がいつ解除されるのか、わからない。首都圏の住人が一斉に避難を開始すれば、交通網がパンクすることなどわかりすぎた結果であった。
それでも命の危険を悟った人類は、逃亡をせざるを得なかった。
明治神宮のある原宿、そして渋谷近郊では、何万という単位で犠牲者がでていることがすでにラジオにて報道されている。
ファントムガールという未知の存在に、知らぬ間に依存し切っていた人類は、続々と流れてくる守護天使敗北の噂に青ざめるしかなかった。
1mmとして進まぬ車両の波とは対照的に、反対車線を猛スピードで一台のセダンカーが疾駆していく。
白のカローラ。アクセルを全開にした自家用車は、通行禁止になっているはずの道路を独り占めして飛ばしていく。
東京へ向かっているのか? 戦場と化した首都へ?!
奇異を覚えた者が車内の人物を見たならば、驚きはさらに深まったことだろう。
筋骨隆々の高校生と、白いセーラー服の似合う人形のような美少女。
いろいろな意味で止める必要があると思われる暴走車は、朝靄の残る雨の高速を限界のスピードで突き進んでいく。
「・・・工藤さん・・・」
スピーカーから流れるラジオの音声を切った西条ユリは、搾り出すようにか細い声をあげた。
車内に沈黙が訪れる。飛沫をとばすタイヤの音だけが、狭い空間を包んだ。
「・・・フジテレビに・・・・・・七菜江さん、が・・・・・・」
その先の言葉を、ユリは続けることができなかった。
魔人メフェレスを名乗る男が電波ジャックした事実は、繰り返されるラジオの報道で確認できた。
伝えられたのは、青いファントムガールの正体とされる人物が捕虜となったことと、その映像が公開されたことの2点。混乱するメディア規制のなかで、情報が通常以上に漏れ出している様子が窺えつつも、刺激の強い内容は控えられているのは手に取るようにわかる。
映像が公開されたのならば、即ち意図があるということ。
誘っているのだ。七菜江を餌にして。人質としての利用を臆面もなく仕掛けてきた。
いかなる凄惨な映像が流されたのか、希望的な楽観はあまりにも難しい。
「・・・私たちは・・・どうすれば・・・」
顔をあげることもできずに、ふたつ縛りのおさげの少女は迷いのままに呟いた。
車内での移動中、戦地に赴く格闘獣と武道少女は己たちがすべきことを確認済みであった。
無類の強さを誇るといえども、人間・工藤吼介が巨大生物と闘えるわけもなく、姉エリの力添えがないユリに本気の闘いを求めることはできない。このまま首都に辿り着いたとしても、ふたりの存在は援軍よりむしろ足手まといとなる公算すら高い。
しかし、そんなユリが、いやファントムガール・ユリアが確実に役立てることがひとつある。
殉死したサクラを、エナジー・チャージで復活させる。
サクラが斃れ、ナナが囚われ、アリスの安否が確認できない今、戦力となる銀色の女神はサトミひとりしかいないという惨状では、エネルギーを大量消費するリスクを冒させるわけにはいかない。サクラに生命力を分け与えるのは、戦力として不安定なユリアの役目であるはずだ。
東京へ着いたら渋谷に向かう。サクラを蘇らせたなら、すぐに巨大化を解除する。サポート役には、等身大の戦闘ならば『エデン』持ちですら凌駕する、最強を冠する男がいる。
決して安全な策ではない。エナジー・チャージ直後の疲弊を、当然敵も狙っていよう。『エデン』の変身能力を持たない吼介を巻き込むこと自体が、作戦としては下も下策であることはユリもよく理解している。
だが、この圧倒的苦境のなかでは、もはや安全な策などというものがあるとは到底思えなかった。
死ぬかもしれない。自分も。工藤吼介も。
それでもギャンブルに打って出る。覚悟を決めたからこそ、戦禍の東京に向かっている。
揺るぎない決意を抱いたふたりが目指すべきは、巨大処刑台と化した109、のはずであった。
「・・・肉体が完全に崩壊する前ならば・・・サクラの命を蘇らせることは可能、のはずです。でも・・・捕らえられた、七菜江さんが・・・その・・・」
「殺されたら、終わる」
口篭もる白い少女の代わりに、ハンドルを握る男が言葉を紡ぐ。
ようやく口を開いた筋肉獣の声は、淡々としたものであった。
「当たり前のことだ。人は死んだら、生き返らない」
「私たちは・・・先にお台場に向かうべきかも、しれません。・・・でも・・・・・・」
「完璧な罠だな」
薄ピンクの唇を噛んだ童顔の少女は、再び黙り込んだ。
わかりやすい。だが、それでも飛び込まざるを得ない罠。
メフェレス。ゲドゥー。ギャンジョー。マヴェル。クトル。
まともにぶつかっても、生き残ることが至難と思われる強敵が、五体。しかもこちらは100%の力を出すことすら封じられた状態。
死にに行くような、ものだ。
せめて。せめて、工藤吼介が『エデン』と融合していたならば。
あるいは絶望的な状況のなかにも、活路を見出すことができていたのかもしれない。
里美さんと、連絡を取りたい。里美さんなら、こんなとき、どんな手段を選ぶのだろうか?
刻々と首都に迫りつつも、ユリは守護天使のリーダーに連絡を取っていなかった。里美が知れば、多少強引な手を使ってでもユリたちを上京させないに決まっているからだ。
本気で闘えないから、という理由だけではない。
恐らく・・・自分たち全員が戦死しても、ユリひとりだけでも生き残らせようと、里美は考えている。
侵略者が支配する絶望の時代に、「希望」の芽を遺す。地元に残ることを強く命じた令嬢の言葉の端々には、この闘いで正義が滅びる最悪の事態を想定した覚悟が滲んでいたのだ。
ここで全滅するよりは、未来に希望を託す。
現実的すぎるその発想は、里美が感じている暗雲の巨大さを、図らずもユリに伝えてしまっていた。
そしてもうひとり。工藤吼介が決戦の地に近付くのを、里美は決して許しはしまい。
窮地であるからこそ。最強の男に、頼りたくなるからこそ、余計に。
里美の側でともに闘うには、既成事実を先に作って強引に巻き込まれるしかない。信頼するリーダーに迷いを相談するわけにはいかなかった。
渋谷か? お台場か?
決断のつかぬままに、アクセルを踏み切ったセダンカーが高速を突き進む。
「ユリ」
沈黙を破ったのは感情を抑えた男の声であった。
「悪いが、東京に入ったら車を降りてくれないか」
「ッッ・・・工藤さん、それはどういう・・・」
「オレは七菜江を助けにいく。桃子を・・・ファントムガール・サクラを蘇らせなきゃいけないお前の手助けはできない。すまない」
「そんなッ・・・いくら工藤さんでも、『エデン』を持った相手と闘うなんてッ・・・」
「意味ないんだよ」
淡々と。やけに低い声であった。
「ごめんな、ユリ。オレはあいつがいなきゃ、ダメなんだ。生きてる意味がないんだよ。今のオレはもう、あいつのために生きてるんだ。罠だろうが関係ない。オレは七菜江を助けにいく」
「・・・工藤さん・・・」
「ユリ、そのままの姿勢で聞いてくれないか。もしかしたら、最期になるかもしれないから」
ドキリとする台詞に強張りながら、ユリは猛速度で進む車の前方に視線を固定した。
表情の窺えぬ男の声だけが、硬直した少女の耳に流れてくる。
「物心ついたときには、オレはすでに里美に惚れていた」
唐突の告白に、無関係のはずの少女の頬は染まった。
「好きだった。全てが。このひとのために、このひとを守るために生きていこうと決めたんだ。ガキの頃の誓いなのに、全然錆びることがなくてなあ。誰よりも強くなって、生涯このひとを守ろうって勝手に決め込んでいた。だが・・・知ってるだろ?」
「・・・・・・姉弟だって話なら・・・」
「オレは五十嵐の家にとっては、いちゃ困る存在でな。荒れたな、最初は。事情を知ってたオトナの連中も、運命ってやつを操る神サマも、みんな壊してやりたかった。けど気付いちまってなあ。オレが諦めることが、里美を守ることだって。でもな、できないんだ。頭ではわかってるのに、気持ちのやつが女々しくぶらさがりやがる」
「・・・それは・・・」
「七菜江が助けてくれた」
時の流れが止まるような、強い口調であった。
「生きる意味をなくしてたオレを、あいつが救ってくれたんだ。途絶えた道にいつまでも座り込んでるオレに、あいつが手を差し延べてくれた。諦めの悪いクソみてえなオレを、あいつはいつでも真っ直ぐに見続けてくれた」
純粋なショートカットの少女の明るい笑顔が、ユリの胸にも鮮やかに蘇る。
「好きなんだ、七菜江のことが」
工藤吼介の告白は、当人のいない車内の空間で行なわれた。
「オレはあいつのために死ぬ。お前をオレのわがままに付き合わせるわけにはいかない。ユリ、お前はファントムガールの一員として・・・なんとしても生き残らなきゃいけない。生きてくれ。頼むから、生き残ってくれ。そして・・・今のオレの言葉、あいつに伝えてくれないか」
「・・・・・・嫌です」
内気なはずの柔術少女の丸い瞳が、鋭い光を放って運転席の男に向けられる。
意外な返事に動揺する吼介のTシャツの裾を、感情を伝えるようにユリは強く握った。
「その言葉は・・・七菜江さんに直接言ってあげてください」
「ユリ、お前・・・」
「生きてください。七菜江さんのために、そして里美さんのために。・・・自分ひとりカッコよく死のうなんて、そんなの・・・そんなのダメです! 私が工藤さんを守ります」
「待てよッ! わかってんのか?! お前にはサクラを助けるっていう、重要な役目があるんだぞ! オレみたいに好き勝手に死に場所選べるような、気楽な立場じゃないんだ。エネルギーの消耗を考えたら、変身することだってできる限り避けなきゃならない」
「変身は・・・しません。隙を突いて一気に、七菜江さんを助けます。・・・桃子さんの復活は、それからでも間に合います」
「そんな思惑が通じる相手じゃないのは、お前もよくわかってるだろ?」
「工藤さん」
じっと見詰める漆黒の瞳は、可憐な女子高生ではなく伝統ある武芸を受け継ぐ者のそれだった。
「想気流柔術において・・・死は敗北では、ありません。逃げることこそが、敗北です」
「・・・だがお前の肩には、何千万という人類の」
「大切なひと、ひとりすら助けられない武道なら・・・存在する必要なんて、ありません」
返す言葉を失った吼介は、西条ユリの本質を見誤った己を恥じた。
そうだった。
可憐で細身で、脆そうにすら映る白磁の美少女は、闘うために生まれてきた武道家なのだった。
自分のわがままが結果的に少女戦士の本質を引き出してしまったのは、吉と出るか凶と出るか。だが己の本分を思い出したユリは、もはや留まりはしないだろう。どんな強敵が塞がろうと。いかに勝算が少なかろうと。迫る仲間の窮地に敢然と立ち向かうはずであった。
「里美に知られたら、多分オレはすげえ叱られるんだろうな」
「工藤さん、今は・・・七菜江さんを救出することだけを、考えましょう」
毅然とした少女の言葉を聞いて、不覚にも最強と呼ばれる男の胸に熱いものがこみあげる。
「ありがとう。ユリ」
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