4 / 22
本編
大人の境界
しおりを挟む
――カァン……。
遠くから高い音が響いてくる。あれはきっと、校庭の野球部。
そういえば、夏休み、清羅は野球部の応援に行ったのだ。億劫がる隆嗣を引き連れて。
夏の太陽が熱くて、体が溶けてしまいそうだった。
今も、溶けてしまいそうだ。
乾いた唇を擦り合わされて、清羅は体を震わせた。
「ん」と清羅が鼻を鳴らすと、隆嗣は少しだけ唇を放した。まるで唇の上で囁くみたいにして、彼は言った。
「清羅、抵抗してくれないと、……止まれなくなります」
キャラメル色の瞳に、ぼうっとした顔の清羅が映っている。
唇の触れあう感触を、清羅の唇は追う。熱くて、柔らかくて、もう一度とねだりたくなる。
「てい、こ、う?」
「そうです、清羅」
隆嗣は清羅の手を取って、彼女を甘い瞳で見つめたまま、細い指先に唇を滑らせた。
「やぁん……っ」
「ほら、清羅。僕を押しのければいいんです」
清羅の手を自分の肩に置かせると、また、唇が重なる。
「んっ……ん!」
思わず制服の肩を握りしめてしまう。ぎゅっと瞼を閉じて、自分にしがみつくようにして震える清羅を、隆嗣は両腕に抱きしめた。
先程まで被っていた布団の比ではない。熱量が清羅を包んで、清羅はうっとりと隆嗣が唇を啄むのに任せた。
隆嗣の指が、清羅の黒髪を梳り、ある一点で止まる。プチッと音を立てて清羅の胸元が緩んだ。
「……ん……?」
そのままベッドに倒される。軽やかに清羅の唇を食んでいた唇が顎から喉のくぼみに下りて、隆嗣の柔らかな前髪が清羅の鎖骨をくすぐったところで、清羅は胸元の心許なさの正体に気づいた。
――ブラジャーが外されてる!
「たったか、たか、たかっ、たかつぐーっ!」
清羅の手は依然として、隆嗣の肩を握りしめている。
「何ですか?」
「はっ、外れ、外れて、なんで……っ」
「抵抗しないので、いっそ先に進めてしまおうかと」
「先って……んぁっ!」
いつの間にか制服のブラウスを引っ張り出されたウエストに、隆嗣の手が入っている。ずれた下着の線を、胸の膨らみのきわをなぞる。固い指の感触が柔肌を生々しく伝ってきて、清羅は戦いた。
「……君を、僕のものにしていいでしょう? 清羅」
隆嗣の囁きは熱くかすれていた。
どくんと清羅の心臓が大きく音を立てる。
男の手は、彼女の吸い付くように柔らかく瑞々しい肌に、火傷みたいに熱を残していく。隆嗣が触れたところがじんじん疼いて、清羅はぎゅっと目をつぶった。
隆嗣は清羅の幼い仕草に苦笑すると、緊張して震える清羅のこめかみにキスをする。
そのまま耳朶を唇で辿った。
「どこもかしこも僕のあとをつけて、君が僕のものだと言いふらしてやりたい……けれど、今は……」
胸の膨らみをかすめた隆嗣の指、それは下へ、脇腹のあたりを撫で……。
「……あっ……そこぉ……そこは……」
清羅の体がびくびくとはねる。隆嗣は笑みを深め、甘やかな瞳がきらりと光り――。
「……ぁっ……!」
限界!
「ぁっ……そこ……はっ、ぁっ、……あはははははっ! やめてっ! くすぐった……ああっ! ひぃいいっ!」
清羅はとうとう、体を捻って大声で笑い始めた。こうなると、自分でも笑いが止められない。
「ひーっ……ひーっ……脇腹はだめなの!」
ベッドの上でのたうつ清羅は、スカートがめくれようがお構いなしだ。隆嗣は盛大なため息をついて、清羅が隠していたゲーム機を取り上げた。
「全く、こんなものにばかり夢中になっているから、いつまで経ってもお子様なんですよ、君は」
清羅は涙を浮かべて笑い転げている。彼女がちっとも気づかないのを知っているから、隆嗣はいとおしさをほほえみにする。清羅の黒髪が跳ねるのや、細い手足が元気よくばたつくのがかわいらしい。
それから、「……人の気も知らないで」と言って、まだ笑い止まぬ清羅のほっぺたを抓り上げた。
まだひりひりするほっぺたを押さえて、清羅は頬杖をついた。
会議室には、生徒会役員とクラスの代表が顔を揃えていた。教室の隅のパイプ椅子には、牡丹が足を組んで座っている。
清羅はちらりと牡丹を見て、顔を伏せた。
「……それでは、今年の文化祭の催しについて話し合っていこうと思います。オブザーバーで教育実習生の……由井先生」
議事進行をするのは副会長の隆嗣で、書記はパソコンのキーボードを叩いているし、会計は前年度の資料を配ったり説明したり、清羅はやることがない。この会議に先立って、行われた生徒会役員の顔合わせ、会議の段取りも隆嗣が仕切ってしまった。
牡丹が席から立って会釈するのを、清羅は前髪越しに覗き見た。
会議室には四十人ほど。この高校は三学年それぞれ六クラスある。クラス代表は十八人。本校は男女共学であるからして、男女比が半々になるはずなのだが、やけに女子が多い。それから各部の部長たち。
あまり先輩後輩の上下関係もないし、受験に供えて、生徒会活動は一年の後期から二年生の前期まで行うのが通常だ。従って、生徒会役員は清羅をはじめ、一年生、全体運営の中心も一年生で、二年生はそれぞれのクラスだとか部活動の発表に力を注ぐ。三年生は観客の役割だ。
女子の視線はほぼほぼ、隆嗣に注がれていた。
俗に言う、目をハート、というやつ。
(確かに、隆嗣はかっこいいけどさ……。でも隆嗣のくせに生意気なんだから……キスとか)
清羅は頬に当てていた手を、唇に当てる。キス。何回も、奪われてしまった。
隆嗣のキスは、なぜだかすぐに清羅をうっとりとさせてしまう。上等なチョコレートを口に入れたときみたいに、清羅の全身はとろんととろけて、隆嗣に逆らえない。何も考えられなくされてしまう。
しかし、ブラジャーを外されたのには驚いた。あれはあまりにも手際が良すぎた。そういう経験が豊富でないと、ああはいかないのではないか。
そこで清羅は眉間に皺を寄せた。
――そういう経験って?
議論は次第に熱が入り、喧々囂々としているのだが、物思いに沈む清羅はそれに気づかない。
ぽん、と頭を叩かれて、清羅は顔を上げる。隆嗣が深い茶色の瞳で、清羅を見下ろしていた。
「上の空はいけませんね、会長」
「……誰のせいだと……」
清羅ははっと口を覆った。隆嗣はふふっと微笑って、手にしていた資料を清羅の前に広げる。A3の紙には校内の見取り図。それぞれの場所に遣うクラスが書き込んである。
広げた紙に隠れて、隆嗣に周りには聞こえない小さな声でこっそりと囁いた。
「僕のせいですね、清羅」
真っ赤な顔で口をぱくぱくさせる清羅に対して、隆嗣はそれを面白がっている!
清羅は隆嗣の手から見取り図を奪い取って、「も、もぉおーっ!」と叫んで立ち上がった。
すると、衆目が清羅に集まって、ざわついていた室内が一気に静かになった。
「会長、意見ですか?」
書記に冷静に問われ、清羅は「えーと」と頭を搔く。
「……一度、論点を整理しましょう」
隆嗣が清羅のために――だけど、会議の流れの中で至極当然のように、議論を振り返る。
隆嗣がひとつひとつ上げていくのは、それぞれが重要事項だった。模擬店を出店して、それが飲食物を扱う場合、衛生管理はどうするのか。
ステージを作る場合、設営はどうやって行うのか、などなど。
「これらは、前年に倣えばいいかと思います。問題は……各クラスや部への予算配分ですね」
予算は決まっていて、湯水のように沸いてくるものではない。
クラスは平等に予算を分配できても、部、ましてや同好会レベルになると難しい。
「えっ……じゃあ、部員の少ないところは、諦めろっていうの!?」
「合理的ではあります。今、議論していたのは、部員が何人以上なら参加を認めるかどうか、ということですね」
実のところ、毎年そうやって参加できない部が出ていたのだという。
議論はここに至って不穏な色合いを帯びていた。どこから足切りされるのか、されそうな方は抵抗するし、したい方はそれを躍起に封じ込めようとする。
お互いの活動の悪口めいた応酬が、議場の端々で起こっていた。
「……なんか、それやだな……」
清羅は隆嗣の説明を遮った。
「……何ですか?」
「そゆので諦めるのって、なんかやだ……いじわる……」
清羅の声は、きわめて悲しげに会議室の真ん中に落ちた。
隆嗣はため息をつく。
頭に血の上りかけていた他の参加者達は発言を控えて、二人のやりとりを見守る。
その中に、参加を見送ってきた弱小部の部長もいた。
「参加したいひとは、みんな参加できる方がいいよ。その方が、絶対楽しいよ! 隆嗣、何とかして? 隆嗣ならできるでしょ」
清羅の目はまっすぐに隆嗣に向いている。
「……わかりました」
隆嗣はもうひとつため息をついた。閉会を告げようとする隆嗣に、アルトの声がかかった。
「ちょっといいかな」
会議室の隅のパイプ椅子から立ち上がったのは、牡丹だった。
清羅と隆嗣と、その他全員の視線を集めながら、牡丹はゆっくりと清羅に向かって、話し出した。
「私も生徒会長をやった時に、同じ問題が出たよ。すべての部に参加させるって、言うのは簡単だけど、実際問題、予算は限られてるんだし、難しい」
牡丹は真剣に清羅に語りかける。彼女には経験者としての自信が漲っていた。
経験、それが、やけに清羅の心にひっかかる。
「……でも!」
言い返そうとした清羅を隆嗣が押し留める。
「確かに難しいことです。だからといって、前例を踏襲すれば良いというわけでもありません。……清羅が生徒会長です。僕は清羅に従います」
「組織のトップが、感情的に物事を判断するのはよくないよね」
牡丹は端的に述べて、隆嗣はそれに対しては反論をしなかった。
「……賢い選択だね。私だって、生徒会長の資質云々なんて、野暮なことを言うつもりはないの。でも、そこの生徒会長は子供みたいに言うだけで、全部、たか……志藤くんにやらせようとしてるじゃない」
指摘はもっともで、清羅をいたたまれなくさせる。
でも、と清羅は胸の内で言う。
でも、隆嗣はいつもそうやって清羅の無理を聞いてくれた。清羅の願いを叶えてくれた。それは清羅が。そこで清羅は悟った。
「それじゃ、彼女を子供扱いしているのと一緒だよ」
――それは、清羅が子供だからだ。
彼女だけでない。隆嗣も、清羅は隆嗣に頼り切り。そうやって甘えて当然だと思っている。
「清羅はそれでいいんです」
隆嗣がきっぱりと言った。
――子供……隆嗣も……そう思ってるから……。
清羅が意味をはかりかねるキスも、牡丹なら理解できるのだろうか。
青ざめた清羅を尻目に、隆嗣と牡丹は顔を見合わせて、笑った。二人は同じ目線でものを見ているのだ、と清羅は直感し、そのことに、清羅は立ち竦んだ。
「あは、ちょっと余計なことを言っちゃったかな」
「いいえ、その辺は、しっかりと納得させていかないと……」
渡り廊下を一緒に歩いていた二人を、ただ見るしか無かった清羅。
「……もういい」
二人が驚いた顔で清羅を見る。そのタイミングも合っていて、清羅はかんしゃくを起こした――子供のように叫んだ。
「隆嗣には頼らない! あたしが、全部やるし!」
隆嗣が清羅に手を伸ばしたのを払いのけて、清羅は続けた。
「せーとかいちょーなんだから、そのくらいやるし!」
気遣わしげな牡丹に隆嗣が目で合図する。牡丹には何も言わせないまま、隆嗣は全体に会議の終了を告げた。
遠くから高い音が響いてくる。あれはきっと、校庭の野球部。
そういえば、夏休み、清羅は野球部の応援に行ったのだ。億劫がる隆嗣を引き連れて。
夏の太陽が熱くて、体が溶けてしまいそうだった。
今も、溶けてしまいそうだ。
乾いた唇を擦り合わされて、清羅は体を震わせた。
「ん」と清羅が鼻を鳴らすと、隆嗣は少しだけ唇を放した。まるで唇の上で囁くみたいにして、彼は言った。
「清羅、抵抗してくれないと、……止まれなくなります」
キャラメル色の瞳に、ぼうっとした顔の清羅が映っている。
唇の触れあう感触を、清羅の唇は追う。熱くて、柔らかくて、もう一度とねだりたくなる。
「てい、こ、う?」
「そうです、清羅」
隆嗣は清羅の手を取って、彼女を甘い瞳で見つめたまま、細い指先に唇を滑らせた。
「やぁん……っ」
「ほら、清羅。僕を押しのければいいんです」
清羅の手を自分の肩に置かせると、また、唇が重なる。
「んっ……ん!」
思わず制服の肩を握りしめてしまう。ぎゅっと瞼を閉じて、自分にしがみつくようにして震える清羅を、隆嗣は両腕に抱きしめた。
先程まで被っていた布団の比ではない。熱量が清羅を包んで、清羅はうっとりと隆嗣が唇を啄むのに任せた。
隆嗣の指が、清羅の黒髪を梳り、ある一点で止まる。プチッと音を立てて清羅の胸元が緩んだ。
「……ん……?」
そのままベッドに倒される。軽やかに清羅の唇を食んでいた唇が顎から喉のくぼみに下りて、隆嗣の柔らかな前髪が清羅の鎖骨をくすぐったところで、清羅は胸元の心許なさの正体に気づいた。
――ブラジャーが外されてる!
「たったか、たか、たかっ、たかつぐーっ!」
清羅の手は依然として、隆嗣の肩を握りしめている。
「何ですか?」
「はっ、外れ、外れて、なんで……っ」
「抵抗しないので、いっそ先に進めてしまおうかと」
「先って……んぁっ!」
いつの間にか制服のブラウスを引っ張り出されたウエストに、隆嗣の手が入っている。ずれた下着の線を、胸の膨らみのきわをなぞる。固い指の感触が柔肌を生々しく伝ってきて、清羅は戦いた。
「……君を、僕のものにしていいでしょう? 清羅」
隆嗣の囁きは熱くかすれていた。
どくんと清羅の心臓が大きく音を立てる。
男の手は、彼女の吸い付くように柔らかく瑞々しい肌に、火傷みたいに熱を残していく。隆嗣が触れたところがじんじん疼いて、清羅はぎゅっと目をつぶった。
隆嗣は清羅の幼い仕草に苦笑すると、緊張して震える清羅のこめかみにキスをする。
そのまま耳朶を唇で辿った。
「どこもかしこも僕のあとをつけて、君が僕のものだと言いふらしてやりたい……けれど、今は……」
胸の膨らみをかすめた隆嗣の指、それは下へ、脇腹のあたりを撫で……。
「……あっ……そこぉ……そこは……」
清羅の体がびくびくとはねる。隆嗣は笑みを深め、甘やかな瞳がきらりと光り――。
「……ぁっ……!」
限界!
「ぁっ……そこ……はっ、ぁっ、……あはははははっ! やめてっ! くすぐった……ああっ! ひぃいいっ!」
清羅はとうとう、体を捻って大声で笑い始めた。こうなると、自分でも笑いが止められない。
「ひーっ……ひーっ……脇腹はだめなの!」
ベッドの上でのたうつ清羅は、スカートがめくれようがお構いなしだ。隆嗣は盛大なため息をついて、清羅が隠していたゲーム機を取り上げた。
「全く、こんなものにばかり夢中になっているから、いつまで経ってもお子様なんですよ、君は」
清羅は涙を浮かべて笑い転げている。彼女がちっとも気づかないのを知っているから、隆嗣はいとおしさをほほえみにする。清羅の黒髪が跳ねるのや、細い手足が元気よくばたつくのがかわいらしい。
それから、「……人の気も知らないで」と言って、まだ笑い止まぬ清羅のほっぺたを抓り上げた。
まだひりひりするほっぺたを押さえて、清羅は頬杖をついた。
会議室には、生徒会役員とクラスの代表が顔を揃えていた。教室の隅のパイプ椅子には、牡丹が足を組んで座っている。
清羅はちらりと牡丹を見て、顔を伏せた。
「……それでは、今年の文化祭の催しについて話し合っていこうと思います。オブザーバーで教育実習生の……由井先生」
議事進行をするのは副会長の隆嗣で、書記はパソコンのキーボードを叩いているし、会計は前年度の資料を配ったり説明したり、清羅はやることがない。この会議に先立って、行われた生徒会役員の顔合わせ、会議の段取りも隆嗣が仕切ってしまった。
牡丹が席から立って会釈するのを、清羅は前髪越しに覗き見た。
会議室には四十人ほど。この高校は三学年それぞれ六クラスある。クラス代表は十八人。本校は男女共学であるからして、男女比が半々になるはずなのだが、やけに女子が多い。それから各部の部長たち。
あまり先輩後輩の上下関係もないし、受験に供えて、生徒会活動は一年の後期から二年生の前期まで行うのが通常だ。従って、生徒会役員は清羅をはじめ、一年生、全体運営の中心も一年生で、二年生はそれぞれのクラスだとか部活動の発表に力を注ぐ。三年生は観客の役割だ。
女子の視線はほぼほぼ、隆嗣に注がれていた。
俗に言う、目をハート、というやつ。
(確かに、隆嗣はかっこいいけどさ……。でも隆嗣のくせに生意気なんだから……キスとか)
清羅は頬に当てていた手を、唇に当てる。キス。何回も、奪われてしまった。
隆嗣のキスは、なぜだかすぐに清羅をうっとりとさせてしまう。上等なチョコレートを口に入れたときみたいに、清羅の全身はとろんととろけて、隆嗣に逆らえない。何も考えられなくされてしまう。
しかし、ブラジャーを外されたのには驚いた。あれはあまりにも手際が良すぎた。そういう経験が豊富でないと、ああはいかないのではないか。
そこで清羅は眉間に皺を寄せた。
――そういう経験って?
議論は次第に熱が入り、喧々囂々としているのだが、物思いに沈む清羅はそれに気づかない。
ぽん、と頭を叩かれて、清羅は顔を上げる。隆嗣が深い茶色の瞳で、清羅を見下ろしていた。
「上の空はいけませんね、会長」
「……誰のせいだと……」
清羅ははっと口を覆った。隆嗣はふふっと微笑って、手にしていた資料を清羅の前に広げる。A3の紙には校内の見取り図。それぞれの場所に遣うクラスが書き込んである。
広げた紙に隠れて、隆嗣に周りには聞こえない小さな声でこっそりと囁いた。
「僕のせいですね、清羅」
真っ赤な顔で口をぱくぱくさせる清羅に対して、隆嗣はそれを面白がっている!
清羅は隆嗣の手から見取り図を奪い取って、「も、もぉおーっ!」と叫んで立ち上がった。
すると、衆目が清羅に集まって、ざわついていた室内が一気に静かになった。
「会長、意見ですか?」
書記に冷静に問われ、清羅は「えーと」と頭を搔く。
「……一度、論点を整理しましょう」
隆嗣が清羅のために――だけど、会議の流れの中で至極当然のように、議論を振り返る。
隆嗣がひとつひとつ上げていくのは、それぞれが重要事項だった。模擬店を出店して、それが飲食物を扱う場合、衛生管理はどうするのか。
ステージを作る場合、設営はどうやって行うのか、などなど。
「これらは、前年に倣えばいいかと思います。問題は……各クラスや部への予算配分ですね」
予算は決まっていて、湯水のように沸いてくるものではない。
クラスは平等に予算を分配できても、部、ましてや同好会レベルになると難しい。
「えっ……じゃあ、部員の少ないところは、諦めろっていうの!?」
「合理的ではあります。今、議論していたのは、部員が何人以上なら参加を認めるかどうか、ということですね」
実のところ、毎年そうやって参加できない部が出ていたのだという。
議論はここに至って不穏な色合いを帯びていた。どこから足切りされるのか、されそうな方は抵抗するし、したい方はそれを躍起に封じ込めようとする。
お互いの活動の悪口めいた応酬が、議場の端々で起こっていた。
「……なんか、それやだな……」
清羅は隆嗣の説明を遮った。
「……何ですか?」
「そゆので諦めるのって、なんかやだ……いじわる……」
清羅の声は、きわめて悲しげに会議室の真ん中に落ちた。
隆嗣はため息をつく。
頭に血の上りかけていた他の参加者達は発言を控えて、二人のやりとりを見守る。
その中に、参加を見送ってきた弱小部の部長もいた。
「参加したいひとは、みんな参加できる方がいいよ。その方が、絶対楽しいよ! 隆嗣、何とかして? 隆嗣ならできるでしょ」
清羅の目はまっすぐに隆嗣に向いている。
「……わかりました」
隆嗣はもうひとつため息をついた。閉会を告げようとする隆嗣に、アルトの声がかかった。
「ちょっといいかな」
会議室の隅のパイプ椅子から立ち上がったのは、牡丹だった。
清羅と隆嗣と、その他全員の視線を集めながら、牡丹はゆっくりと清羅に向かって、話し出した。
「私も生徒会長をやった時に、同じ問題が出たよ。すべての部に参加させるって、言うのは簡単だけど、実際問題、予算は限られてるんだし、難しい」
牡丹は真剣に清羅に語りかける。彼女には経験者としての自信が漲っていた。
経験、それが、やけに清羅の心にひっかかる。
「……でも!」
言い返そうとした清羅を隆嗣が押し留める。
「確かに難しいことです。だからといって、前例を踏襲すれば良いというわけでもありません。……清羅が生徒会長です。僕は清羅に従います」
「組織のトップが、感情的に物事を判断するのはよくないよね」
牡丹は端的に述べて、隆嗣はそれに対しては反論をしなかった。
「……賢い選択だね。私だって、生徒会長の資質云々なんて、野暮なことを言うつもりはないの。でも、そこの生徒会長は子供みたいに言うだけで、全部、たか……志藤くんにやらせようとしてるじゃない」
指摘はもっともで、清羅をいたたまれなくさせる。
でも、と清羅は胸の内で言う。
でも、隆嗣はいつもそうやって清羅の無理を聞いてくれた。清羅の願いを叶えてくれた。それは清羅が。そこで清羅は悟った。
「それじゃ、彼女を子供扱いしているのと一緒だよ」
――それは、清羅が子供だからだ。
彼女だけでない。隆嗣も、清羅は隆嗣に頼り切り。そうやって甘えて当然だと思っている。
「清羅はそれでいいんです」
隆嗣がきっぱりと言った。
――子供……隆嗣も……そう思ってるから……。
清羅が意味をはかりかねるキスも、牡丹なら理解できるのだろうか。
青ざめた清羅を尻目に、隆嗣と牡丹は顔を見合わせて、笑った。二人は同じ目線でものを見ているのだ、と清羅は直感し、そのことに、清羅は立ち竦んだ。
「あは、ちょっと余計なことを言っちゃったかな」
「いいえ、その辺は、しっかりと納得させていかないと……」
渡り廊下を一緒に歩いていた二人を、ただ見るしか無かった清羅。
「……もういい」
二人が驚いた顔で清羅を見る。そのタイミングも合っていて、清羅はかんしゃくを起こした――子供のように叫んだ。
「隆嗣には頼らない! あたしが、全部やるし!」
隆嗣が清羅に手を伸ばしたのを払いのけて、清羅は続けた。
「せーとかいちょーなんだから、そのくらいやるし!」
気遣わしげな牡丹に隆嗣が目で合図する。牡丹には何も言わせないまま、隆嗣は全体に会議の終了を告げた。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
37
あなたにおすすめの小説
【完結】 夫はどうやら、遠征先でよろしくやっているようです。よろしくってなんですか?
キムラましゅろう
恋愛
別タイトル
『夫不在で進んでいく浮気疑惑物語』
シュリナの夫、フォルカー・クライブは王国騎士団第三連隊に所属する中隊の騎士の一人だ。
結婚式を挙げてすぐに起きてしまったスタンピード鎮圧のために三ヶ月前に遠征した。
待てど暮らせど帰って来ず、手紙も届かない状態で唯一の情報源が現地で夫に雇われたというメイドのヤスミンが仕入れてくる噂話のみの状態であった。
そんなヤスミンがある日とある噂話を仕入れてくる。
それは夫フォルカーが現地の女性と“よろしくやっている”というものだった。
シュリナは思う、「よろしくってなに?」と。
果たして噂話は真実なのか。
いつもながらに完全ご都合展開のノーリアリティなお話です。
誤字脱字……うん、ごめんね。((*_ _)ペコリ
モヤモヤ……申し訳ない! ペコリ(_ _*))
小説家になろうさんにも時差投稿します。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/bl.png?id=5317a656ee4aa7159975)
悪役令息、二次創作に転生する
しらす海鮮
BL
「ジェノヴィ・ディエゴロード公爵子息!貴様を追放する!」
乙女ゲームの悪役令息として転生して18年……やっと待ち望んだ追放イベントがキター!!
これで貴族子息としての義務から解放されて、素晴らしきスローライフが待っていた……はずだったが……
ここは二次創作の世界で、しかも『悪役令息 総受け』の世界!?
どうか!この二次創作を書いている腐女子の方よ!
俺に慈悲を与えてください!
お願いします!(切実)
※本編は読み切り形式です。
※プロローグから始まって、それぞれ分岐しているので、どの章から読んでも特に問題は無いです。
※ファンタジー世界観とか用語とかゆるゆるです。特にないです。
※♡喘ぎ注意
★リクエストなどもございましたら、感想欄にご自由にどうぞ!ぜひお待ちしております!
真っ赤なゼンタイ姿で異世界召喚されたわたしって不幸ですか?
ジャン・幸田
ファンタジー
真っ赤なゼンタイ姿で異世界に召喚されたわたしって不幸よ!
たまたま文化祭のコスプレイベントでやりたくもないのに無理やりゼンタイ(全身タイツ)を着せられたところ、突如異世界に召喚されてしまったわけ。向こうは救世主を呼んだつもりなのに、訳の分からないものが来たと困惑していたのよ! それはこっちのセリフだってば!
ゼンタイが脱げないわたしは、脱ぐこと&元の世界に帰還するために戦うしかないの?
基本的に奇数番が主人公側、偶数番が召喚した側になります。
【 皆が還る場所… 】短編集(戦隊)10
霜月 雄之助
ライト文芸
短編集―。
人は死んだら
どこへ逝くのだろう…。
また異なった世界があるのだろうか?
第一弾【 皆が還る場所… 】
そして昨年、書き上げた
【 レンタル彼氏 】をRE-MAKE。
その他
【 科学戦隊ボッキーズ 】
【 正義の味方 モッコリーズ 】
【 ボディー・チェンジ! 】
【 原住民をイカせろ!】
【 スプラッシュ 倶楽部 】
NEW!【 旅 人 】
【 オナ友 】
NEW!【 命懸けの女装 合コン 】
NEW!【 忍 】など…。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
私のバラ色ではない人生
野村にれ
恋愛
ララシャ・ロアンスラー公爵令嬢は、クロンデール王国の王太子殿下の婚約者だった。
だが、隣国であるピデム王国の第二王子に見初められて、婚約が解消になってしまった。
そして、後任にされたのが妹であるソアリス・ロアンスラーである。
ソアリスは王太子妃になりたくもなければ、王太子妃にも相応しくないと自負していた。
だが、ロアンスラー公爵家としても責任を取らなければならず、
既に高位貴族の令嬢たちは婚約者がいたり、結婚している。
ソアリスは不本意ながらも嫁ぐことになってしまう。
今日から貴方の妻になります~俺様御曹司と契約からはじめる溺愛婚~
冬野まゆ
恋愛
幼い頃、事故で両親を亡くした乃々香は、総合病院の院長である祖父に引き取られる。大好きな祖父との生活に心を癒されながらも、同居する従姉妹と彼女を溺愛する伯母からは目の敵にされる日々。自立してホッとしたのも束の間、今度は悪評高い成金のバカ息子との結婚を決められてしまう。追い詰められた乃々香は、従姉妹の婚約者から提案された破格の条件の〝契約結婚〟を受け入れて……。かくして契約上の妻となった乃々香だけれど、待っていたのは日に日に甘さを増す夫婦生活と契約無効の溺愛!? 俺様御曹司と崖っぷちOLの、契約から始まる魅惑の極甘マリッジ・ラブ!
左遷先は、後宮でした。
猫宮乾
BL
外面は真面目な文官だが、週末は――打つ・飲む・買うが好きだった俺は、ある日、ついうっかり裏金騒動に関わってしまい、表向きは移動……いいや、左遷……される事になった。死刑は回避されたから、まぁ良いか! お妃候補生活を頑張ります。※異世界後宮ものコメディです。(表紙イラストは朝陽天満様に描いて頂きました。本当に有難うございます!)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる