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本編

大人の境界

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 ――カァン……。

 遠くから高い音が響いてくる。あれはきっと、校庭の野球部。
 そういえば、夏休み、清羅は野球部の応援に行ったのだ。億劫がる隆嗣を引き連れて。
 夏の太陽が熱くて、体が溶けてしまいそうだった。

 今も、溶けてしまいそうだ。
 乾いた唇を擦り合わされて、清羅は体を震わせた。
「ん」と清羅が鼻を鳴らすと、隆嗣は少しだけ唇を放した。まるで唇の上で囁くみたいにして、彼は言った。

「清羅、抵抗してくれないと、……止まれなくなります」

 キャラメル色の瞳に、ぼうっとした顔の清羅が映っている。
 唇の触れあう感触を、清羅の唇は追う。熱くて、柔らかくて、もう一度とねだりたくなる。

「てい、こ、う?」
「そうです、清羅」

 隆嗣は清羅の手を取って、彼女を甘い瞳で見つめたまま、細い指先に唇を滑らせた。

「やぁん……っ」
「ほら、清羅。僕を押しのければいいんです」

 清羅の手を自分の肩に置かせると、また、唇が重なる。

「んっ……ん!」

 思わず制服の肩を握りしめてしまう。ぎゅっと瞼を閉じて、自分にしがみつくようにして震える清羅を、隆嗣は両腕に抱きしめた。
 先程まで被っていた布団の比ではない。熱量が清羅を包んで、清羅はうっとりと隆嗣が唇を啄むのに任せた。
 隆嗣の指が、清羅の黒髪を梳り、ある一点で止まる。プチッと音を立てて清羅の胸元が緩んだ。

「……ん……?」

 そのままベッドに倒される。軽やかに清羅の唇を食んでいた唇が顎から喉のくぼみに下りて、隆嗣の柔らかな前髪が清羅の鎖骨をくすぐったところで、清羅は胸元の心許なさの正体に気づいた。

 ――ブラジャーが外されてる!

「たったか、たか、たかっ、たかつぐーっ!」

 清羅の手は依然として、隆嗣の肩を握りしめている。

「何ですか?」
「はっ、外れ、外れて、なんで……っ」
「抵抗しないので、いっそ先に進めてしまおうかと」
「先って……んぁっ!」

 いつの間にか制服のブラウスを引っ張り出されたウエストに、隆嗣の手が入っている。ずれた下着の線を、胸の膨らみのきわをなぞる。固い指の感触が柔肌を生々しく伝ってきて、清羅は戦いた。

「……君を、僕のものにしていいでしょう? 清羅」

 隆嗣の囁きは熱くかすれていた。
 どくんと清羅の心臓が大きく音を立てる。
 男の手は、彼女の吸い付くように柔らかく瑞々しい肌に、火傷みたいに熱を残していく。隆嗣が触れたところがじんじん疼いて、清羅はぎゅっと目をつぶった。
 隆嗣は清羅の幼い仕草に苦笑すると、緊張して震える清羅のこめかみにキスをする。
 そのまま耳朶を唇で辿った。

「どこもかしこも僕のあとをつけて、君が僕のものだと言いふらしてやりたい……けれど、今は……」

 胸の膨らみをかすめた隆嗣の指、それは下へ、脇腹のあたりを撫で……。

「……あっ……そこぉ……そこは……」

 清羅の体がびくびくとはねる。隆嗣は笑みを深め、甘やかな瞳がきらりと光り――。

「……ぁっ……!」

 限界!

「ぁっ……そこ……はっ、ぁっ、……あはははははっ! やめてっ! くすぐった……ああっ! ひぃいいっ!」

 清羅はとうとう、体を捻って大声で笑い始めた。こうなると、自分でも笑いが止められない。

「ひーっ……ひーっ……脇腹はだめなの!」

 ベッドの上でのたうつ清羅は、スカートがめくれようがお構いなしだ。隆嗣は盛大なため息をついて、清羅が隠していたゲーム機を取り上げた。

「全く、こんなものにばかり夢中になっているから、いつまで経ってもお子様なんですよ、君は」

 清羅は涙を浮かべて笑い転げている。彼女がちっとも気づかないのを知っているから、隆嗣はいとおしさをほほえみにする。清羅の黒髪が跳ねるのや、細い手足が元気よくばたつくのがかわいらしい。
 それから、「……人の気も知らないで」と言って、まだ笑い止まぬ清羅のほっぺたを抓り上げた。






 まだひりひりするほっぺたを押さえて、清羅は頬杖をついた。
 会議室には、生徒会役員とクラスの代表が顔を揃えていた。教室の隅のパイプ椅子には、牡丹が足を組んで座っている。
 清羅はちらりと牡丹を見て、顔を伏せた。

「……それでは、今年の文化祭の催しについて話し合っていこうと思います。オブザーバーで教育実習生の……由井先生」

 議事進行をするのは副会長の隆嗣で、書記はパソコンのキーボードを叩いているし、会計は前年度の資料を配ったり説明したり、清羅はやることがない。この会議に先立って、行われた生徒会役員の顔合わせ、会議の段取りも隆嗣が仕切ってしまった。
 牡丹が席から立って会釈するのを、清羅は前髪越しに覗き見た。
 会議室には四十人ほど。この高校は三学年それぞれ六クラスある。クラス代表は十八人。本校は男女共学であるからして、男女比が半々になるはずなのだが、やけに女子が多い。それから各部の部長たち。
 あまり先輩後輩の上下関係もないし、受験に供えて、生徒会活動は一年の後期から二年生の前期まで行うのが通常だ。従って、生徒会役員は清羅をはじめ、一年生、全体運営の中心も一年生で、二年生はそれぞれのクラスだとか部活動の発表に力を注ぐ。三年生は観客の役割だ。
 女子の視線はほぼほぼ、隆嗣に注がれていた。
 俗に言う、目をハート、というやつ。

(確かに、隆嗣はかっこいいけどさ……。でも隆嗣のくせに生意気なんだから……キスとか)

 清羅は頬に当てていた手を、唇に当てる。キス。何回も、奪われてしまった。
 隆嗣のキスは、なぜだかすぐに清羅をうっとりとさせてしまう。上等なチョコレートを口に入れたときみたいに、清羅の全身はとろんととろけて、隆嗣に逆らえない。何も考えられなくされてしまう。
 しかし、ブラジャーを外されたのには驚いた。あれはあまりにも手際が良すぎた。そういう経験が豊富でないと、ああはいかないのではないか。
 そこで清羅は眉間に皺を寄せた。

 ――そういう経験って?

 議論は次第に熱が入り、喧々囂々としているのだが、物思いに沈む清羅はそれに気づかない。

 ぽん、と頭を叩かれて、清羅は顔を上げる。隆嗣が深い茶色の瞳で、清羅を見下ろしていた。

「上の空はいけませんね、会長」
「……誰のせいだと……」

 清羅ははっと口を覆った。隆嗣はふふっと微笑って、手にしていた資料を清羅の前に広げる。A3の紙には校内の見取り図。それぞれの場所に遣うクラスが書き込んである。
 広げた紙に隠れて、隆嗣に周りには聞こえない小さな声でこっそりと囁いた。

「僕のせいですね、清羅」

 真っ赤な顔で口をぱくぱくさせる清羅に対して、隆嗣はそれを面白がっている!
 清羅は隆嗣の手から見取り図を奪い取って、「も、もぉおーっ!」と叫んで立ち上がった。
 すると、衆目が清羅に集まって、ざわついていた室内が一気に静かになった。

「会長、意見ですか?」

 書記に冷静に問われ、清羅は「えーと」と頭を搔く。

「……一度、論点を整理しましょう」

 隆嗣が清羅のために――だけど、会議の流れの中で至極当然のように、議論を振り返る。
 隆嗣がひとつひとつ上げていくのは、それぞれが重要事項だった。模擬店を出店して、それが飲食物を扱う場合、衛生管理はどうするのか。
 ステージを作る場合、設営はどうやって行うのか、などなど。

「これらは、前年に倣えばいいかと思います。問題は……各クラスや部への予算配分ですね」

 予算は決まっていて、湯水のように沸いてくるものではない。
 クラスは平等に予算を分配できても、部、ましてや同好会レベルになると難しい。

「えっ……じゃあ、部員の少ないところは、諦めろっていうの!?」
「合理的ではあります。今、議論していたのは、部員が何人以上なら参加を認めるかどうか、ということですね」

 実のところ、毎年そうやって参加できない部が出ていたのだという。
 議論はここに至って不穏な色合いを帯びていた。どこから足切りされるのか、されそうな方は抵抗するし、したい方はそれを躍起に封じ込めようとする。
 お互いの活動の悪口めいた応酬が、議場の端々で起こっていた。

「……なんか、それやだな……」

 清羅は隆嗣の説明を遮った。

「……何ですか?」
「そゆので諦めるのって、なんかやだ……いじわる……」

 清羅の声は、きわめて悲しげに会議室の真ん中に落ちた。
 隆嗣はため息をつく。
 頭に血の上りかけていた他の参加者達は発言を控えて、二人のやりとりを見守る。
 その中に、参加を見送ってきた弱小部の部長もいた。

「参加したいひとは、みんな参加できる方がいいよ。その方が、絶対楽しいよ! 隆嗣、何とかして? 隆嗣ならできるでしょ」

 清羅の目はまっすぐに隆嗣に向いている。

「……わかりました」

 隆嗣はもうひとつため息をついた。閉会を告げようとする隆嗣に、アルトの声がかかった。

「ちょっといいかな」

 会議室の隅のパイプ椅子から立ち上がったのは、牡丹だった。
 清羅と隆嗣と、その他全員の視線を集めながら、牡丹はゆっくりと清羅に向かって、話し出した。

「私も生徒会長をやった時に、同じ問題が出たよ。すべての部に参加させるって、言うのは簡単だけど、実際問題、予算は限られてるんだし、難しい」

 牡丹は真剣に清羅に語りかける。彼女には経験者としての自信が漲っていた。
 経験、それが、やけに清羅の心にひっかかる。

「……でも!」

 言い返そうとした清羅を隆嗣が押し留める。

「確かに難しいことです。だからといって、前例を踏襲すれば良いというわけでもありません。……清羅が生徒会長です。僕は清羅に従います」
「組織のトップが、感情的に物事を判断するのはよくないよね」

 牡丹は端的に述べて、隆嗣はそれに対しては反論をしなかった。

「……賢い選択だね。私だって、生徒会長の資質云々なんて、野暮なことを言うつもりはないの。でも、そこの生徒会長は子供みたいに言うだけで、全部、たか……志藤くんにやらせようとしてるじゃない」

 指摘はもっともで、清羅をいたたまれなくさせる。
 でも、と清羅は胸の内で言う。
 でも、隆嗣はいつもそうやって清羅の無理を聞いてくれた。清羅の願いを叶えてくれた。それは清羅が。そこで清羅は悟った。

「それじゃ、彼女を子供扱いしているのと一緒だよ」

 ――それは、清羅が子供だからだ。

 彼女だけでない。隆嗣も、清羅は隆嗣に頼り切り。そうやって甘えて当然だと思っている。

「清羅はそれでいいんです」

 隆嗣がきっぱりと言った。

 ――子供……隆嗣も……そう思ってるから……。

 清羅が意味をはかりかねるキスも、牡丹なら理解できるのだろうか。
 青ざめた清羅を尻目に、隆嗣と牡丹は顔を見合わせて、笑った。二人は同じ目線でものを見ているのだ、と清羅は直感し、そのことに、清羅は立ち竦んだ。

「あは、ちょっと余計なことを言っちゃったかな」
「いいえ、その辺は、しっかりと納得させていかないと……」

 渡り廊下を一緒に歩いていた二人を、ただ見るしか無かった清羅。

「……もういい」

 二人が驚いた顔で清羅を見る。そのタイミングも合っていて、清羅はかんしゃくを起こした――子供のように叫んだ。

「隆嗣には頼らない! あたしが、全部やるし!」

 隆嗣が清羅に手を伸ばしたのを払いのけて、清羅は続けた。

「せーとかいちょーなんだから、そのくらいやるし!」

 気遣わしげな牡丹に隆嗣が目で合図する。牡丹には何も言わせないまま、隆嗣は全体に会議の終了を告げた。
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