文系男子と理系女子の恋愛事情

桐生彩音

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第一巻

007 理系女子と引きこもり少女の邂逅

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 蒼葉が贔屓ひいきにしている喫茶店『珈琲こぉひぃ手製めぇかぁ』は、商店街の通りに面している、個人経営の小さな店だ。その裏手にはひらけた空間があり、その土地の所有者も喫茶店の店長こと立華たちばなえにしだ。
 地主から許可を得ているので、その空き地は蒼葉やその仲間達にとって、完全な溜まり場となっていた。今は試験前で人の気配はないが、例外は存在する。
 稲穂を誘って来ていた蒼葉とすでに空き地にいたもう一人。茶色の長髪をなびかせた痩せ気味で肌黒な、長袖パーカーとスパッツ姿の中学生位の少女が。
「アオバ~…………ひっ!?」
 そう呼びかけながら近寄ってくる少女は、隣にいる稲穂を見て、素早く物陰に隠れてしまった。具体的に言うと、大きなポリバケツの陰に。
「私ってやっぱり……目つき怖い?」
「え、気にしてるの?」
 若干とはいえ、珍しく落ち込む稲穂の肩を軽く叩きつつ、蒼葉は空き地の中へと先に入った。
「あいつ人見知りが激しいんだよ。ちょっと待ってろ」
 小柄ゆえに身をかがめてすっぽりと身を隠している少女に、蒼葉はゆっくりと近づいていく。
「驚かせて悪かったな。大丈夫か、クラ」
「ん、んん……なんとか」
 年齢としの割には舌っ足らずな話し方をするのは、この空き地の地主である立華縁の孫娘、クラだった。
 元々は蒼葉のパルクール仲間の紹介で知り合ったのだが、見ての通り人見知りが激しく、誰であっても慣れるのに、結構な時間を有したのだ。突然現れた稲穂に対しても、警戒心を持ってしまうのは仕方のないことだろう。
「あいつは俺の友達、っていうか彼女候補、というか……まあ、なんでもいいや。気晴らしになるかと思って、ここに誘ったんだよ。あいつも入れていいか?」
 それが空き地になのか、それとも仲間になのか、どちらにもとれる質問だが、クラはおっかなびっくりでポリバケツの陰から顔を出し、小さく首を縦に振った。
「金子、OKだってさ。来いよ」
「ん~……ええと、お邪魔します」
 その様子を見て、もしかしたらツリ目気味の眼にコンプレックスを抱いているのかもしれない、と蒼葉は内心思った。しかし稲穂はその様子に気づくことなく、ゆっくりと二人に近寄ってきた。
「初めまして。私は金子稲穂、稲穂って呼んでくれる?」
 クラはポリバケツの陰から出てくると、稲穂の方を見て、言った。
「……イナ、ホ?」
 そのたどたどしい仕草は、少女趣味を蔓延まんえんさせる程の威力があった。それは同性であるはずの稲穂とて例外ではない。
「……何この可愛かわいいの?」
「ここの地主、というかそこの喫茶店の店長の孫娘」
 思わず振り向いて質問してくる稲穂に簡潔かんけつに答えると、蒼葉は今度はクラの方に近寄り、優しく背中を押してやった。
「ほら、自己紹介」
「は、はじめまし、て……立華クラ、です」
「こいつはちょっと事情があって、学校には通ってないんだよ」
 空き地の入り口付近にある、板切れを持ち寄って作った即席のベンチを指差し、蒼葉はその上に荷物を置いた。近くには折り畳まれた組み立て式のテーブルもあるが、今は片付けられている。
「そのリハビリの一環で、俺達に空き地を使わせてくれてるんだよ。お前が『俺が仲間に勉強を教えていたのを見た』って言っていたのは、ここのことだろ?」
「そうだけど……リハビリ、って?」
 稲穂も荷物を置き、クラと並んで蒼葉の方を見た。彼はベンチに腰掛けながら、少女の方を指差す。
「さっきも言った通り、事情があって学校には通いたくても通えないんだよ、こいつ。で、人に慣らしていこうという担当カウンセラーの方針で、俺達と一緒にパルクールをやっているってわけだ」
「そうなの?」
「うぅ……ん」
 まだ苦手意識があるものの、クラは稲穂と目を合わせながらも、小さく頷いた。
「ついでに学力を落とさないように勉強を見てやっているんだが……はっきり言って、こいつの頭かなりいいから、その辺りは心配していないんだわ。どっちかというと、仲間の方が心配」
「……その仲間って、年下?」
「いや別の学校に通う同い年」
 別の意味で、稲穂の脳裏にも不安がよぎった。
「学校の評判はともかく、ここに通っているのは皆気のいい奴らだよ。というか、一人商店街に住んでいるのがいるから、うまいこと話が回っているだけだけどな」
「ふぅん……いいんじゃない?」
 しゃがんでクラと同じ高さに視線を構える稲穂。まだおびえが見える表情を向けられているものの、気にすることなく手を頭の上に乗せ、優しくで上げていた。
「結局は自分が大事なのよ。だから、無理しない範囲でゆっくり、ね」
「ぅ、うん…………んぅ」
 くすぐったそうに身をよじらせるクラと、静かに笑っているように見える稲穂をながめていた蒼葉。もう少し見ていたい欲求にられるも、ここに来た目的を思い出し、しむ気持ちを押し殺しながらその光景を中断させた。
「じゃあ時間もないし、そろそろ簡単な所からやろうか」
「……ああ、そっか。この子見た途端、目的頭から飛んでたわ」
「身体動かしに来たんだろうが、俺も忘れかけてたけど……」
 しかし、二人共制服だ。
 どちらもブレザー系で、上着を脱げば多少は動かせるが、あまり激しい動作だと制服が破れる恐れがある。しかも、今日は体育がなかったので体操着の持ち合わせもなく、おまけに稲穂はスカートだ。下に体操着ハーフパンツを履いていても、現状では下着を見せないようにする意味しかない。
「とは言っても、今日は慣れる為の練習だから、あんまり激しい動きはしないけどな」
「それで身体を動かせるの?」
 稲穂の疑問ももっともだが、パルクールで重要なのは元々の筋力やあらゆる状況に適応できる柔軟性だけではない。集中力や危機管理能力もなければ、いくら身体を動かせても、咄嗟とっさの対応が難しくなってしまうのだ。
 だから蒼葉は、今日の所は正確な対応力の練習だけを行おうと考えていた。というよりも、学校に通っていないクラは来ているだろうと予想して、三人で遊ぼうとか考えていたのであるが。
「正確に着地する練習がてら、けんぱもどきでもしようかと思ってな」
「何それ?」
「決まった場所に着地して、転ばなければいいんだよ。……クラ、ちょっとやってみてくれるか?」
 クラはうなずいて稲穂から離れると、事前にチョークで引いていた白い円の中に飛び込んだ。そして立ち止まることなく、少し離れた円にジャンプ、さらに近くの円に向けて地面を蹴っていく。
 軽く一周し、両手を上に挙げたクラは、蒼葉達の前に両足を着地した。少女の少し自慢げな表情に、二人は軽い拍手を送ることに。
「なるほど……確かにけんぱもどきだわ」
「今のは簡単に一周するだけだったけど、慣れてきたらさらに、条件を厳しくしていくんだ。段差とか高い所から飛び降りたり、移動する範囲をもっと限定したりな。これだけでも結構、運動になるだろ?」
「そういうことね……よし」
 衣替え前で未だに着ている上着ブレザーを脱ぎ、鞄の上に掛けた稲穂は、軽く足を延ばしてから一番近い円の中に入った。
「円の中なら、何処でもいいわけ?」
「最初だからな。ただし線を踏んだらアウト。チョークだからすぐに分かるから、気をつけろよ」
「イナホがんばって~」
 応援してくれるクラに手を振り、稲穂は軽く身構えた。大体の円の位置を把握し、ゆっくりと息を吐く。
「ふぅ……ふっ!」
 同時に、稲穂の身体が動いた。
 一つ飛び、二つ飛び、三つ目の円に飛び込むと、徐々にスピードを上げてきた。さすがに慣れているクラ程ではないが、それでもかなりの速度が出ている。スカートがひるがえるのもいとわず、既に半周を危なげなく周り切っていた。
「……ちょっと飛ばし過ぎだな」
 残り半周となると、稲穂の足はさらに速くなった。もはや普通に走っているのと変わらない程に。同時に蒼葉も上着ブレザーを鞄の上に投げると、彼女とは反対側から、円の外側をなぞるように移動し始めた。
「っとと!?」
「やっぱりか……」
 蒼葉の予想通り、ゴール手前の円に飛び移ろうとして、無理に着地しようとした稲穂はバランスを崩していた。円同士の間隔が徐々に広くなっているので、予想できた事態である。
 気がつけば足元のコンクリートにぶつからないよう、蒼葉は素早く間に入り込み、稲穂のクッションになっていた。
「っつぅ~……悪い、助かった」
「イナホへいき?」
「最初から飛ばし過ぎなんだよ。まずはゆっくりでも、きっちり一周する練習から」



 ……ムニ。



 周囲を、沈黙が包んだ。
 コンクリートに仰向あおむけになっている蒼葉が、うつせに倒れた稲穂の身体を起こそうと手を伸ばした為に、事故は起きた。本来ならば肩に伸びるはずの手は、純白のブラウス、その正面にてのひらを押し付けてしまったのだ。
 これが腹ならば、状況的にはまだましだったかもしれない。しかし、蒼葉の手は偶然にも、稲穂の母性の塊に触れていた。幸運か不運かはともかくとして。
 要するに、蒼葉の手が稲穂の胸を押し、固い下着ブラジャー越しにその柔らかさを伝え返してきているのだ。
「……アオバのエッチ」
 クラの軽い野次とは逆に、稲穂の反撃はどこまでも重かった。
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