文系男子と理系女子の恋愛事情

桐生彩音

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第一巻

022 理系女子の現在

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「本当……とんだど素人だわ、あんた」
「んだ、と……」
 このまま畳みかければあっさり倒せたかもしれないのに、稲穂は気にすることなく、軽く肩を回してから再び構えを取る。ゆかりも合わせて構えを取ろうとするも、その腕は、先程よりも・・・・・大きく揺れていた。
「どうせ、適当に技や構えを教わっただけの格闘家もどきでしょう、あんた。たかだか喧嘩屋風情が、本物の武道家に勝てると本気で思ってるの?」
「かて、るに……」
「……勝てないわよ」
 大技ハイキックではさっきのように肘打ちカウンターを喰らうと思い、由は拳を振り被る振りをしてから、振りの早い下段蹴りローキックを繰り出そうとする。しかし、稲穂は気にすることなく下段蹴りローキックかわし、その間隙かんげきうようにして正拳突きを放った。
「ゴッ!?」
「あんたさ。格闘技がなんで生まれたか知ってる?」
 再び距離を置く由に語りかけながらも、距離を詰めていく稲穂。皮膚を通し、骨を殴って痛めた感覚のある手を軽く振りながら。
「あんたみたいな才能任せの喧嘩馬鹿を才能ない一般人がぶちのめすための技術の結晶。一度でも才能におぼれてしまえば何の役にも立たない、無駄知識一歩手前の戦闘手段。それが世に言う格闘技よ。その証拠に……」
 稲穂は由の手を指差した。その震えは、今までよりも一番大きくなっている。
「……素人は総じて打たれ弱い。才能任せの連中は一撃で片付けることが多い上に、まともに稽古なんてせず、自衛手段を持たないからそうなってしまう。だから……攻撃さえいなしてしまえばっ!」
「ガフッ!?」
 ただの前蹴りだった。
 しかし、今の由には回避できるほどの余力は残されていない。自らの身体能力のみで、耐えることしかできなかった。
「……後はこっちの独壇場。喧嘩慣れして本能的に防衛手段を覚えている船本ならともかく、攻撃しか能のない馬鹿相手なら、私に勝てない道理はない」
「だっ、だがなっ!?」
 稲穂の前蹴りを受けてもなお、由は立ち上がった。
 攻撃をまともに受けているはずだが、身体能力だけで痛覚を強引に抑えつけているのだろう。今度は由の方が稲穂に挑発してきた。
「しょせんは女だ。この程度の力で、俺を倒せるとでも……」
「あっそ、でもそれなら……」
 稲穂は軽く腰を落とし、両肘を畳み込む。
「……ちょっと本気出せばいいだけでしょう」
 そして、稲穂は由へと駆けだした。



 中学時代。
 当時の空手部の顧問は、練習で頑張ったり試合で好成績を残した部員に対して、よく空手以外の技を教えることがあった。本人が格闘マニアで、趣味で色々な格闘技を習得していたので、その技を御褒美代わりに教えていたのだ。無論試合では使えないのだが、それでもやる気を出させるには良い手だと、稲穂は今でも思っている。
 稲穂も部活にだけは真摯しんしにのめり込み、空手以外の技をいくつも教わっていた。その中でも印象に残っているのは、稲穂自身必殺技・・・だと思っている、顧問のオリジナル技だろう。
 その技は威力こそあるがかなりシビアで、失敗したら威力は落ちるくせに、成功と同程度の代償をともなう、かなり面倒臭い技だ。それでも稲穂はその技を覚え、いざという時の切り札として重宝している。
 怒りに任せて蒼葉にも放とうとしていたが、邪魔が入らなくても失敗していただろうことは、後になって気づいていた。しかし、今の稲穂ならば、冷静に放てると自身で断じている。



 体重を前に倒して駆け、一息に由との距離を詰める。両手を後ろに回しつつひじと指を限界まで曲げ、手首の先にてのひらを突き出すようにして両方の掌底を放った。
 ただの掌底だと思ったのだろう、由は両手を交差させ、防御するために腕に力を入れる。しかし、稲穂の放った掌底は左手が先に到達し、その瞬間を……



双掌そうしょう打突だとつげきっ!」



 ……右手の掌底で左の手の甲ごと打ち抜いた!
「っ……!?」
 両手分の掌底をいっぺんに受けた由は、言葉もなく倒れ伏していく。
「っつぅ…………ほんとこれきっつい」
 双掌そうしょう打突だとつげき
 左手の掌底を放つと同時に右手の掌底を上から被せるように打ち込み、最初に放った左手の掌底の威力を全て前面に打ち出す。少しでもタイミングがずれればただ左手に掌底を打ち込むだけのアホな技だが……条件が揃えば左手の掌底の威力が倍増する。稲穂が持ちうる打撃技の中で、一番威力のある技だ。
 左手をもみほぐしながら、完全に気を失っている由を見下ろしていると、稲穂の背後から物音が聞こえてきた。
「おい金子……って、大丈夫なのか?」
「余裕勝ち。下手したらあんたより弱いんじゃないの? こいつ」
「生憎と喧嘩はやらない主義なんでね」
 壁を乗り越えてきたのか、稲穂の背後から着地音が聞こえてくる。
 ようやく痛みが引いた左手を稲穂が降ろすと、蒼葉が声を掛けてきた。
「しかしこれじゃ可愛いじゃなくて……格好良い、だな」
 普通の女性ならば、その褒め言葉は微妙な所だろう。
「……でしょう?」
 しかし稲穂には、最高の褒め言葉だったようだ。振り返り、ピースサインと今まで蒼葉が見た中で一番の笑顔を浮かべているのを見る限りは。



 クラは指原に、由は遅れてやってきた船本に任せてから、蒼葉は稲穂を連れて商店街を後にした。喫茶店の方は警察や救急隊員が殺到しているので、面倒事をけるには離れていた方が都合がいい。
「良かったのか? 今なら手柄は金子のものだったのに」
「これ以上親父の頭痛の種を増やしても仕方ないしね。それに……」
「それに?」
 気がつけば、蒼葉達はかつてのマンション跡の前まで歩いていた。いまだに天幕が取れないそこを見上げながら、二人は並んでガードレールに体重を預けている。
「……あんたと同じ。変に目をつけられて、私を捨てた女母親に顔をさらしたくないのよ」
「そうかい……」
「……聞いてもいい?」
 見つめてくる蒼葉に目を合わせないまま、稲穂は地面を見ながら問いかけた。
「その女は、私のことをどう思っているの?」
 その問いかけは、稲穂自身できればけたいものだった。
 ただ『らない』と言われてしまえばそれまでだが、その言葉の重みに耐えられる自信は、今の稲穂にはない。それだけ心が弱かったのかと内心驚いてはいるが、先程の喧嘩の熱が残っているのか、その問いかけ自体を発したことは、後悔していなかった。
「それは本人に聞いてみないと分からないが……金子を捨てたことを後悔している。それだけは多分、たしかだ」
「証拠は?」
 その言葉に、蒼葉も稲穂から目を逸らして答えた。
「この辺りで遊ぶ男子ガキ共の初恋の相手は、多分大半がその人だ」
「……あんたもそうだったの?」
「まあな。おまけに初めての性対象っていうのかな……こっそり下着を盗もうと自宅に忍び込んだことがある」
 静かに一歩、稲穂から距離を置かれてしまう。蒼葉は呼吸を整え、どうにか落ち込むことなく続きを話した。
「そんな馬鹿をやろうとして、たまたま鍵が開いていたからこっそり侵入したんだが……そこで見つけたんだよ。あの人が昔捨てた、女の子の調査記録を」
 それが、稲穂の母親を特定した理由だった。
 子供を産んでいたというショックもあったが、それ以上に命を捨てるような人間だと思い、一時的に距離を置いていたこともある。しかし、なら何故探していたのか、という疑問が浮かぶと、そのことを後悔して探し続けているのではという結論に達し、再び付き合いを続けてきたのだ。
 ……調査記録のことを黙ったまま。
「印象が強すぎて、捨てられた日付と場所を忘れられなかった。それが一致したから、金子の親父さんに頼んで調べて貰ったんだよ。世間って狭いよな……」
「本当、まさか下着泥棒が近くにいるなんてね……」
「そこは忘れてくれ。一応未遂だからなっ!」
 こいつが正義の味方ごっこをしているのは、その罪悪感からじゃないのか?
 等と益体やくたいもないことを、稲穂は割と本気で考え込んだ。けれども、蒼葉に話しかけられたのですぐに中断した。
「会う会わないは任せるよ。ここから先は、俺の管轄外だし」
 蒼葉は立ち上がると、軽く身体をほぐしてから稲穂に背を向けた。
 その背中を、稲穂はなんとなくながめていた。だが、ただ黙って見送れなかったのか、思わず声が出ていた。
「黒桐っ!」
「……どうした?」
 振り返ってくる蒼葉に何を言えばいいのかは分からず、若干まごついてしまったが、稲穂は軽く息をいてから言葉を発した。
「……殺しかけてごめん」
「本当それな」
 蒼葉は思わず即答した。
 理由はともかく殺されかけたのだ。そう思うのも仕方のないことだろう。
「だから、ね。また、改めてお詫びに行くから、さ……」
 意を決して、稲穂は蒼葉に向けて言った。
「……私とあんた。まだ、友達のままでいても、いい?」
 人間関係を、終わらせたくないと。
 それが今後、ただの友達で終わるのか、それとも恋人やそれ以上に発展していくのかは分からない。それでも、いやだからこそ、蒼葉はこう答えた。
「一度振られはしたが……」



「……絶交した覚えはねえよ」



 と。
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