文系男子と理系女子の恋愛事情

桐生彩音

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第二巻

010 理系女子の初観劇(その1)

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 予想より観客の数が多い。
 会場に到着した稲穂が最初に抱いた印象がそれだった。
「随分にぎわっているわね……」
 会場となる公民館には多数の観客らしき人達が押し掛けていた。さすがに高校生の演劇部が公演するためかカップルの姿は目立たないが、世代別にまんべんなく、群衆が入り口前に形成されていく。
 人が密集するということはそれだけの期待が、かの演劇部に寄せられているということだ。
「私とは全然違うわね……なんて、言っても仕方ないか」
 別に人気者になりたいわけではないし、人付き合い自体がわずらわしいと思うこともしばしばある。それでも、これだけの人にしたわれていると思うと、どこかうらやましく思うのもまた、人間だった。
「そう言えば……私、演劇部の活動なんて見たことがないわね」
 中学時代は演劇部そのものがなかったので、高校でも気まぐれに公演を観に行くことはなかった。活動自体は覗いたことがあっても、大体は『蒼葉の周囲で行われている練習の風景』だけで、公演そのものを観たことはない。
 それどころか、稲穂にとって観劇という行動すら、今日が初めてとなるかもしれない。
 学校によっては課外学習の一環で連れていくこともあるらしいが、幸か不幸か、稲穂が通っていた学校にそのような行事イベントはなかった。プライベートでも演劇鑑賞を趣味としている人間は周囲にいなかったので、個人的に観に行こうとすら思わなかった。
「ちょっと楽しみになってきたかも」
 少しでも楽しむ要素が増えたからか、稲穂の足取りが軽くなっていく。
 ただでさえ宮永紗季産みの親の件でストレスが溜まっていた分、今日はいい気分転換になるかもしれないと考えて。
「どうぞ~」
「どうも」
 入場者の列に並び、顔だけは見たことのある部員達が配るリーフレットを受け取った稲穂は、その足で舞台があるホールへと入り、観客席の一つに腰掛けた。
 すでに中央側は結構な人で埋まっているので、通路側の席しか空いていなかった。それでも舞台正面の端にあたる席を確保できたので、人の通りは多いだろうが、まだゆっくりと観劇を楽しめる位置につけたのは幸運だった。
 早めに入場したためか、開演までまだ時間はある。稲穂は腰掛けたまま軽く足を組み、配られたリーフレットに視線を落とした。



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 題名『カミコロシ』



 あらすじ
 『王』は『勇者』に、『魔王』を討てと命じる。
 ただ連綿と同じことが繰り返されている世界に、その子孫達は辟易へきえきしていた。何故なら、その血に抗うことができず、その役割からは逃れることができないからだ。かつての『王』、『勇者』、『魔王』の三人も争いをめるためにあらがったが、願いかなわずこの世を去ってしまった。
 これは、先代達を見て未来を諦めたはずの、子孫達の物語である。

 ~キャスト~
 フェイ・ノワール・サンドリヨン(演:雪村美波)
 主人公兼ヒロイン。ノワール公国正統後継者だが、国自体が小さな町な為、町長と同程度にしか扱われていない。いつも幼馴染の誰かを探して国中を走り回っている。その影響で下手な武道家よりも身体能力が高い。

 ビング・レッドテイル(演:鈴谷豪)
 フェイの幼馴染である剣士。腕前は確かなのだが、病弱で煙草の煙を嗅いだだけでも喘息になる程。先代である父親はかつて、フェイの父である先代国王に勇者として認められ、隣国の魔王を破ったという伝説がある。
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「……何これ?」
 最初からちんぷんかんぷんな内容に、稲穂は自らの読解力を疑う羽目になった。しかし他も同じなのか、他の観客を見渡してみても首をかしげている人間が多い。それでも楽しみにしている者が多いのは、埋め尽くされた観客席を見れば瞭然りょうぜんである。
「結構有名なのね……」
「地元限定でな。部長や俺の母親の知名度ネームバリューで観に来るのが半分くらいか?」
 稲穂が腰掛けてい通路側の席だ。だから通路を通って近寄れば、わざわざ割って入らずに話し掛けることができる。
 そして稲穂のそばに近づき、話し掛けてきたのは蒼葉だった。
「席は悪くないが、もう少し中央とかでも良かったんじゃないか?」
「つまらなかったら帰ってやろうかと思って」
「脚本家を目の前にして、堂々と言うなよな……」
 稲穂が見上げると、蒼葉は台本らしき冊子を丸めて自らの肩を叩いている。そう言いつつも、すでに中央の席が取られていることは一目で分かる。
 無理に空いた席に入るよりは、端の席の方がまだ落ち着いて鑑賞できると、蒼葉はすぐに理解できた。
「というか、脚本家って暇なのね。もうすぐ開演時間でしょう?」
「他にも一応、裏方の音響担当やってるよ。今回の劇は役数が少ないから、出番があるとしたら最後の舞台挨拶くらいか」
 視線を舞台に固定したまま、もうすぐ始まるだろう公演に、意識を集中させているように見えた。
「まあせっかく来たんだし、最後までゆっくり観てけよ」
「『You can't buy a second with money.』だと思わせたら、ただじゃおかないわよ」
 今日は稲穂にとっての観劇初体験なのだ。知らず知らずのうちにプレッシャーを掛けるようなことを言ってはいるものの、その言葉を受けた蒼葉は軽く肩をすくめただけだった。
「脚本関係の苦情なら受け付けるよ。じゃ後でな」
 稲穂の内情を知ってか知らずか、蒼葉はあっさりと裏方へと戻っていく。
 開演時間となり、入り口が閉められる前に外に出た蒼葉は、そのまま廊下伝いに舞台そでへと入る。ここで舞台装置や照明、音響の機器を操作するのだ。
 舞台のすぐそばなので役者の控え室も兼ねてはいるが、ここでは操作側と別室という形で仕切られている。なので間の壁にある扉を開けないと、役者側と直接顔を合わせることはできない。
 丁度打ち合わせの最中だったのか、部長の雪村はすでに衣装を着た状態で、照明担当の一年生と話し込んでいる。
「では、しっかり頼むよ……黒桐君、どこへ行っていたんだい?」
「すみません、ちょっと挨拶に」
「構わないが、あまり長く席を空けないでくれないかな……」
 腰に手を当て、呆れた眼差しを向けてくる雪村に、蒼葉は頭を下げながら音響機器の前の席に着いた。
「段取りに変更はない。練習通りに楽しんでいこう」
『はい!』
 一年生と共に返事をした蒼葉は、すでに準備を終えた音響機器を再確認してから、近くに設置した時計の針に目を落とした。
 その間に雪村は扉をくぐって舞台のそばに移動し、照明担当の一年生は全体の照明を操作するレバーに手を掛けている。後はブザーを鳴らし、照明が降りたタイミングで、同じく雪村達の近くにいる部員が天幕を操作すれば開演となる。
 たとえ部活動であっても、失敗は許されない。
 だからこそ練習を完璧にこなした上で、『練習通りに楽しんでいく』ことが、角銅高校演劇部の伝統だった。
 見方によっては熱血路線だが、役者なんてものは大なり小なり目立ちたがり屋だ。だからこそ、『完璧に演じる自分』を見せるために妥協する者は一人もいなかった。その分のしわ寄せは脚本家である蒼葉にきているのだろうが、それも仕事の一つだと、蒼葉は考えている。
(やっぱりいいな……自分で考えた物語を誰かが演じる、ってのは)
 時間となり、蒼葉はブザーを鳴らした。
(ここからだと直接見るのは難しいが……まるで神様にでもなった気分だ)
 後で観る記録用のVTRを楽しみにしつつも、幕が上がる舞台に合わせて、蒼葉は音響機器を操作し、BGMを流し始めた。



(これだから、脚本家はやめられない)



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 フェイは走っていた。
 ノワール公国という、小さな町でしかない一国の姫である彼女は走っていた。
 住人達はその光景を見て、いつものことだとなかあきれながらながめている。もし一般的な姫ならば、常にドレス等の豪奢ごうしゃな服装を身に着けているので止めるべきなのだろうが、彼女、フェイ=ノワール=サンドリヨンの格好は住人達と似たり寄ったりなのでその必要もなかった。
 そして彼女は、目的の人物を見つけると、すぐさま方向転換し、目の前の彼目掛けて飛び込んだ。
「しぃねぇええええ…………!」
 フェイは飛び蹴りを繰り出した。しかし相手にかわされてしまった。
「……ちっ、仕留め損ねたか」
「相変わらず元気だな、お前」
 あきれて返した彼、ヤンジ=ダーク=ナイトメアは、肩をすくめてから一本の煙草を取り出した。
 一応は幼馴染の二人だが、出会い頭の蹴りはいつも通りなので、ヤンジは構わず煙草をくわえて火を点けている。
「それで、ビングの奴はどうしたよ?」
「後から来るわよ。というか煙草めなさい!」
 フェイはヤンジから煙草を奪い取ると、地面に叩きつけてからかかとで火を踏み消した。
「国民の皆さん、この人王族なのにポイ捨てしてますよ~」
「歩き煙草も罰金よ!」
「残念、ここは喫煙所だ」
 その証拠に、ヤンジがいたのは煙草屋の前にある喫煙スペースだった。おまけに魔族であるにも関わらず、顔馴染みの喫煙者達と先程まで雑談していたほどだ。
「というか、なんでいつも蹴るんだよ? 煙草はさっき自分の金で買ったものだし、入国許可もきちんととっているぞ」
「様式美よ!」
「そんなものがまかり通ってたまるか」
 うんうん、とうなずく喫煙者一同。一応は自国の姫であるフェイの味方のはずなのだが、いつものことと慣れた調子だった。
「そもそもなんで魔族、しかも魔王の直系が人間の国にいるのよ」
「それは魔族が人間と敵対してないからだろ」
 その言葉通り、魔族という存在は人間を害するどころか、隣国との交流でも行うような気安さで関わっている。その証拠に、魔族たちの国ダークが用意する香辛料の原料を輸入して加工することで、ノワール公国の国営がまかなわれているほどだ。
「で、いつも通りの生活であるにも関わらず、なんでわざわざ確認するように質問して来たんだ?」
「今がこの劇『カミコロシ』の冒頭で、来ていただいている観客の皆様に物語の設定を説明するためよ」
「メタ発言じゃないのか、それ。というかナレーション、仕事サボるな!」



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「……演劇って、客いじりもあるのね」
 他の観客が笑う中、変に感心する稲穂だが、客いじり自体は劇団や劇の内容によってやることもあるだけで、必ずしも行われるわけではない。
 だから別の公演を見る機会ができるまで、客いじりが常にあるわけではないことに、稲穂が気づくことはなかった。
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