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027 荻野睦月という男(その6)
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「一先ず、状況を整理させて下さい……姫香ちゃん、正座止めていい?」
色々と引っ掻き回してしまっている彩未は、本来であれば説教案件なのだろうが、今回は急ぎの為割愛となった。
もうすぐお昼になるので、子連れの参加者達も戻ってくる。面倒な話はすぐに済ませなければならない。
周囲への見張りも兼ねて彩未の背後に立つ姫香以外の面々は、炊事場の影にしゃがみ込んで、顔を突き合わせている。
姫香の許可を得てから、足を崩してしゃがみ込む形にすると共に、彩未は話を戻した。
「由希奈ちゃん……あ、気安過ぎたら言ってね。私、距離感詰めやすいところあるから」
「あ、いえ……大丈夫です」
洋一とは別の意味で勢いがすごいことを自覚している彩未に、問題ないと由希奈は手を振って返す。
「その前に確認なんですけれど……菜水さん。交通事故の件、どう決着が着いたんですか?」
「保険金の相続関係? それとも事故を起こした相手のこと?」
「事故を起こした相手の方です」
「ん~……」
両親を奪い、妹に大きな傷を負わせた相手を思うと未だに、気持ちに苦いものが混じってくる。それでも菜水は、できるだけ平静に努めつつ彩未の質問に答えた。
「相手が高齢者、ってことで示談にはなっちゃったけど……一応高額の賠償金は請求できたわよ」
「多分、それが原因でしょうね……」
彩未は手に持っていたスマホを掲げて、ある内容を表示させて見せてきた。
「任意保険に入っていなかったらしく、賠償金の負担額が半端じゃないみたいです。しかも定年退職して身寄りのない独居老人とくれば……取られる選択肢は二つ」
自ら命を絶つか……残りの人生を気にしなくてもいいからと、犯罪に走るか。
「高齢者で低所得の場合は特に、『衣食住が揃っている刑務所に入れるから』と犯罪に走る傾向が強くなるのはよく聞くけれど……」
「それで『報復を避ける為にも』、って示談を勧められたんですけどね……」
だが『ブギーマン』に依頼が来たということは……相手が一線を越えたということだ。
「しかも交通事故の賠償金相場が高いことをその件で知って、よりにもよって当たり屋なんて始めてたみたいなんですよね~……それで面倒な相手にまで手を出したらしくて、現在逃亡中」
「それはまた面倒だな……」
しかし、わざわざ『ブギーマン』が依頼を受ける必要はない。普通に通報すれば済むだろうと、京子は菜水を連れて、夫を含めた警察関係者が向かった先へと歩いていく。
「……ま、多分逃げられるんじゃないかな?」
しかし、まだ話は終わらない。
「どういう……こと、ですか?」
杖を握る手が強くなる由希奈に、彩未は説明した。
「公的機関ならなおさらだけど、大抵の組織って確実性を優先させる分、即応性がないんだよね。だからフットワークの軽い中小企業や小売店も稼げるんだけど……今回ばかりは、警察じゃ対応が間に合わないかな~って。おまけに管轄外だし」
彩未は一度スマホを戻し、少し操作してから再び画面を見せてくる。それはマップアプリで、今示している地図の場所は県を越えてさらに上……この列島の北側だった。
「どうせ最後だと思って、海外逃亡を図ろうとしているみたいなんだよね~」
「でも、外国に逃亡したからって、そう簡単に受け入れて貰えないんじゃあ……」
特に犯罪者であれば、亡命なんてまず受け入れて貰えないだろう。しかも国や罪状によっては、犯罪者を強制送還する場合もあり得る。
そもそも犯罪者の逃亡自体が、情報社会の発展と共に困難となってきている。でなければ睦月の地元が廃村となるのは、もう少し先の話になっていたかもしれない。
「いや~……逃げるだけなら一つ、当てがあるんだよね」
ぽりぽり、と頬を掻いてから、その指でスマホの画面を少し動かす彩未。そこに表示されていたのは、とある新興国だった。
「暁連邦共和国、って知ってるでしょう? アジア大陸の方にある、核とかミサイルとか日本国民拉致ってるとか、私以上に構ってちゃんな行動ばかりかましてる、色々と困ったお国さん」
「え…………」
由希奈自身、テレビや学校の社会科等で知識自体は持ち合わせているものの、幸か不幸か、身近に関わりのある者はいない。だからほとんど、机上の空論と同じ扱いだった国家が出てきたことに少し、驚いてしまう。
「あんまり知られてないけどあそこ、外国人観光客は外貨目的で、外国語マスターしている専用ガイドを抱え込むレベルで熱烈歓迎しているんだよね。しかも海外逃亡図る犯罪者なら、愛国心なんて皆無でしょう? 扱いはともかく、自分から来る人間を無下にするとは思えないから……」
「それって、つまり……」
短絡的とはいえ、逃亡の目的だけならば果たせる。
そして人間、生きてさえいれば存外、どうにかなるものだ。
「犯罪者が逃亡を図るには……若干分の良い賭けでしょう?」
つまり……その罪を問えないまま、両親の仇を捕り逃すことになってしまう。
「私……」
両親と、自分の将来を奪った存在だ。実際は示談の際にも内心、どこか納得のいかないものがあった。
それでも示談にしたのは、賠償金額の大きさから、相手の逆恨みを恐れてのことだ。むしろこうなるのであれば、相手を刑務所に送り込めば良かったとさえ思う。
しかし……いまさら、どうすればいいのだろうか?
今からではどうしようもない。
「私…………」
悩んで解決はできないが、悩む以外にできることが思い浮かばず、途方に暮れている中……
「合法的には、ね」
……彩未の言葉が、まるで答えだと言わんばかりに、由希奈の脳内を支配してしまう。
「それって、どういう……」
「ちょっと法をはみ出しちゃうけど……まだ手はある、ってこと」
彩未は一度顔を上げて、姫香を一瞥してから再度、由希奈の方を見た。
「絶対条件はたった一つ、相手を国外から出さないこと。でも警察の手が伸びるまでには逃げられちゃう。かといって通常の交通手段だと、今から向かってたら絶対に間に合わない。ついでに言っとくと、物理的に止められない『ブギーマン』じゃ、結果は一緒」
そうなってくると、今の由希奈に頼れる人物は……
「ちなみに姫香ちゃんにも無理だよ? 物理的には止められても、そこまでの移動手段がないから。運転技術の方も一般人と変わらない上に、前に道路交通法違反やらかしかけて睦月君に……あたっ!?」
勝手に恥部をばらした彩未の頭を、姫香は引っ叩いた。
「っぅ~……まあ何にしても、相手の海外逃亡を許すまでに追い付く為の移動手段を持っているか、逃亡先の近くにいる裏社会の住人に顔が利きそうな人間に頼るしか手はない。そしてすぐ声を掛けられるとしたら、条件に合う人物はたった一人」
そこまで言われれば、さすがの由希奈も気付く。
「…………荻野、さん」
「うん。睦月君に頼るしかない」
実際、今から睦月が向かえば、間に合う可能性は十分にある。だから姫香も、彩未の案を否定することはしなかった。
「でもこれから抜け出さなきゃいけないし、目的地までの情報収集と依頼の見積もり、ついでに京子さん達の目も誤魔化さなきゃいけないから……私と姫香ちゃんの手は空いていない。だから……」
彩未はある一点を、睦月達がバーベキューコンロの準備をしている方を指差した。
「……由希奈ちゃん。睦月君と、途中で抜けるから洋一さんにもか。ちょっと声を掛けてきてくれない? お願いできる?」
「ぁ…………」
そう、誰かが声を掛けなければならない。今ここに残っているのは姫香と彩未、そして由希奈の三人だけだ。
そして、睦月に声を掛けに行けるのは、それ以外に何もできない由希奈しかいない。
「あの、」
「悪いけど……それ以上は甘えになるよ。由希奈ちゃんはそれでいいの?」
「ぁ、ぅ……」
由希奈が苦しそうに顔を歪めているのを見て、彩未は厳しい一言をぶつけた。
「迷惑かけたお詫びにもなるし、別口で依頼も来ているから報酬は気にしなくていいよ。でも、私達ができるのはここまで。何より……由希奈ちゃんはいいの? 仇討ち全部、人任せにして」
「…………」
由希奈の視線が、あちこちを彷徨う。しかし目の前の二人以外に、周囲に彼女を助けてくれる人間はいない。
「それに……由希奈ちゃんも嫌でしょう? このまま睦月君と、気まずい関係のままでいるのは」
「…………はい」
数回、深呼吸を繰り返す。そして由希奈は、杖に体重を預けて立ち上がった。少し重い感情を秘めつつも、どうにか足を動かし、睦月の元へと歩き出していく。
その背中を眺めながら、彩未はぼんやりと呟いた。
「姫香ちゃんも優しいよね~……もしかしたら由希奈ちゃん、恋敵になるかも……ぶっ!?」
今度は姫香の拳が、彩未の頭部に襲い掛かってきた。
「あぅぅ、舌噛んだ~……本当、姫香ちゃん酷いよ…………」
しかし姫香は我関せずと彩未の背中を蹴飛ばし、仕事を急かすのであった。
未だに……声を掛けるのが躊躇われてしまう。それでも、ここで立ち止まっているわけにはいかない。
「ぁ、……」
肌黒で筋肉質の、スキンヘッドの男性は気付いたようだが、黒髪を短めにした青年の方は丁度バーベキューコンロに火を点け始めているらしく、こちらに意識を向けてこなかった。
しかし、用事があるのはその青年の方だ。
「あっ、……」
徐々に、でもしっかりと、声を出そうとする、杖を突いた少女。
未だに気付いたかどうかも分からない青年の視界に入っていないことを利用し、『頑張れ』とばかりに男性が見つめてくる中、少女は……由希奈は声を出した。
「あのっ! 荻野、さん……」
「……はい?」
何事かと青年、睦月は振り返った。
「少し……よろしいでしょうか?」
「……分かりました。ちょっと、失礼します」
そう男性、洋一に声を掛けてから、睦月は由希奈と共に人気のない場所へと移る。
周囲に人がいないことを確認してから、先程の事情を説明……
「この間は……本当にごめんなさいっ!」
……する前に、由希奈は頭を下げた。
「私っ、何も事情っ、知らなくて……っ!」
「い、いや……その件はこちらも事情を話さなかったですし、むしろ非があるのは」
こちらの方だと、睦月は言おうとしたのかもしれない。しかし由希奈は、畳み掛けるようにして言葉を続けた。
「それでっ、勝手なお願いなんですが……助けて下さいっ!」
「…………え?」
言葉も纏まらず、話も支離滅裂になりかけている。でも由希奈は、彩未達とした話を懸命に、睦月に伝えようとした。
「だからっ、荻野さんの力が必要でっ! どうかっ、どうかお願いしますっ!」
「…………」
黙り込み、少し思案する睦月。由希奈は視線を下げていて気付いていないが、彼は自身のスマホに来た連絡を確認していた。
仕事を管理している姫香から由希奈の依頼した内容が精査され、睦月の元へと届いていたのだ。
つまり……実行するかどうかの判断は、睦月次第だということになる。
睦月がスマホ越しに内容を確認する中、由希奈はずっと頭を下げていた。その間、二人が言葉を発することはない。
(もう、駄目なのかな…………)
静寂に覆われた状況に、気持ちに諦観が混ざり始めてきた時だった。由希奈の耳に、睦月の声が入り込んできたのは。
「馬込さん……請けるかどうかを決める上で、一つだけ確認させて下さい」
「はい……」
下げていた頭を上げた由希奈に、睦月は冷徹な眼差しを向けて、静かに問い掛けた。
「俺に頼む、ってことは……犯罪者に依頼する、ってことですよ。その点は理解されていますか?」
「っ……!?」
拒絶、ではないのは分かる。けれども睦月に覚悟を問われ、由希奈は一瞬気圧されかけた。
「……それでも、お願いします」
だが……由希奈は耐えた。これ以上は、自分を甘やかしてはいけないからと。
もう逃げてはいけない。青年との仲直りも、両親や自分の仇討ちも。
なにより……
「『法を犯したからって、必ずしも悪人とは限らない』、ですよね?」
以前、彩未に言われた言葉だ。
由希奈にとって、その言葉が正しいのかどうかは、今でも分からない。
それでも、これだけは理解していた。
「たとえ法を犯していたとしても……私は荻野さんが、完全な悪人だとは思えません」
それだけは、確信を持って言えた。
相手が裏社会の住人だとしても、これまでの関係が嘘ではないと、由希奈は自信を持って言える。言い切れる。
だから、由希奈は改めて睦月に頼んだ。
「後悔は後で、いくらでもします。ですけど……今の私にとって、これが正しいことだと信じています。だから……だからどうか、お願いします」
そして再び、由希奈は頭を下げた。
「荻野さん。どうか私に……力を貸して下さいっ!」
もう、由希奈から言えることはない。できることもない。
交通事故の直後以上に、自分に力がないことを思い知らされてしまう。
「分かっているなら……いいですよ。請けます」
(本当に……優しい人ですね)
睦月からの返事に、内心で安堵する由希奈。しかし、安心している時間はない。
本番は……これからなのだから。
色々と引っ掻き回してしまっている彩未は、本来であれば説教案件なのだろうが、今回は急ぎの為割愛となった。
もうすぐお昼になるので、子連れの参加者達も戻ってくる。面倒な話はすぐに済ませなければならない。
周囲への見張りも兼ねて彩未の背後に立つ姫香以外の面々は、炊事場の影にしゃがみ込んで、顔を突き合わせている。
姫香の許可を得てから、足を崩してしゃがみ込む形にすると共に、彩未は話を戻した。
「由希奈ちゃん……あ、気安過ぎたら言ってね。私、距離感詰めやすいところあるから」
「あ、いえ……大丈夫です」
洋一とは別の意味で勢いがすごいことを自覚している彩未に、問題ないと由希奈は手を振って返す。
「その前に確認なんですけれど……菜水さん。交通事故の件、どう決着が着いたんですか?」
「保険金の相続関係? それとも事故を起こした相手のこと?」
「事故を起こした相手の方です」
「ん~……」
両親を奪い、妹に大きな傷を負わせた相手を思うと未だに、気持ちに苦いものが混じってくる。それでも菜水は、できるだけ平静に努めつつ彩未の質問に答えた。
「相手が高齢者、ってことで示談にはなっちゃったけど……一応高額の賠償金は請求できたわよ」
「多分、それが原因でしょうね……」
彩未は手に持っていたスマホを掲げて、ある内容を表示させて見せてきた。
「任意保険に入っていなかったらしく、賠償金の負担額が半端じゃないみたいです。しかも定年退職して身寄りのない独居老人とくれば……取られる選択肢は二つ」
自ら命を絶つか……残りの人生を気にしなくてもいいからと、犯罪に走るか。
「高齢者で低所得の場合は特に、『衣食住が揃っている刑務所に入れるから』と犯罪に走る傾向が強くなるのはよく聞くけれど……」
「それで『報復を避ける為にも』、って示談を勧められたんですけどね……」
だが『ブギーマン』に依頼が来たということは……相手が一線を越えたということだ。
「しかも交通事故の賠償金相場が高いことをその件で知って、よりにもよって当たり屋なんて始めてたみたいなんですよね~……それで面倒な相手にまで手を出したらしくて、現在逃亡中」
「それはまた面倒だな……」
しかし、わざわざ『ブギーマン』が依頼を受ける必要はない。普通に通報すれば済むだろうと、京子は菜水を連れて、夫を含めた警察関係者が向かった先へと歩いていく。
「……ま、多分逃げられるんじゃないかな?」
しかし、まだ話は終わらない。
「どういう……こと、ですか?」
杖を握る手が強くなる由希奈に、彩未は説明した。
「公的機関ならなおさらだけど、大抵の組織って確実性を優先させる分、即応性がないんだよね。だからフットワークの軽い中小企業や小売店も稼げるんだけど……今回ばかりは、警察じゃ対応が間に合わないかな~って。おまけに管轄外だし」
彩未は一度スマホを戻し、少し操作してから再び画面を見せてくる。それはマップアプリで、今示している地図の場所は県を越えてさらに上……この列島の北側だった。
「どうせ最後だと思って、海外逃亡を図ろうとしているみたいなんだよね~」
「でも、外国に逃亡したからって、そう簡単に受け入れて貰えないんじゃあ……」
特に犯罪者であれば、亡命なんてまず受け入れて貰えないだろう。しかも国や罪状によっては、犯罪者を強制送還する場合もあり得る。
そもそも犯罪者の逃亡自体が、情報社会の発展と共に困難となってきている。でなければ睦月の地元が廃村となるのは、もう少し先の話になっていたかもしれない。
「いや~……逃げるだけなら一つ、当てがあるんだよね」
ぽりぽり、と頬を掻いてから、その指でスマホの画面を少し動かす彩未。そこに表示されていたのは、とある新興国だった。
「暁連邦共和国、って知ってるでしょう? アジア大陸の方にある、核とかミサイルとか日本国民拉致ってるとか、私以上に構ってちゃんな行動ばかりかましてる、色々と困ったお国さん」
「え…………」
由希奈自身、テレビや学校の社会科等で知識自体は持ち合わせているものの、幸か不幸か、身近に関わりのある者はいない。だからほとんど、机上の空論と同じ扱いだった国家が出てきたことに少し、驚いてしまう。
「あんまり知られてないけどあそこ、外国人観光客は外貨目的で、外国語マスターしている専用ガイドを抱え込むレベルで熱烈歓迎しているんだよね。しかも海外逃亡図る犯罪者なら、愛国心なんて皆無でしょう? 扱いはともかく、自分から来る人間を無下にするとは思えないから……」
「それって、つまり……」
短絡的とはいえ、逃亡の目的だけならば果たせる。
そして人間、生きてさえいれば存外、どうにかなるものだ。
「犯罪者が逃亡を図るには……若干分の良い賭けでしょう?」
つまり……その罪を問えないまま、両親の仇を捕り逃すことになってしまう。
「私……」
両親と、自分の将来を奪った存在だ。実際は示談の際にも内心、どこか納得のいかないものがあった。
それでも示談にしたのは、賠償金額の大きさから、相手の逆恨みを恐れてのことだ。むしろこうなるのであれば、相手を刑務所に送り込めば良かったとさえ思う。
しかし……いまさら、どうすればいいのだろうか?
今からではどうしようもない。
「私…………」
悩んで解決はできないが、悩む以外にできることが思い浮かばず、途方に暮れている中……
「合法的には、ね」
……彩未の言葉が、まるで答えだと言わんばかりに、由希奈の脳内を支配してしまう。
「それって、どういう……」
「ちょっと法をはみ出しちゃうけど……まだ手はある、ってこと」
彩未は一度顔を上げて、姫香を一瞥してから再度、由希奈の方を見た。
「絶対条件はたった一つ、相手を国外から出さないこと。でも警察の手が伸びるまでには逃げられちゃう。かといって通常の交通手段だと、今から向かってたら絶対に間に合わない。ついでに言っとくと、物理的に止められない『ブギーマン』じゃ、結果は一緒」
そうなってくると、今の由希奈に頼れる人物は……
「ちなみに姫香ちゃんにも無理だよ? 物理的には止められても、そこまでの移動手段がないから。運転技術の方も一般人と変わらない上に、前に道路交通法違反やらかしかけて睦月君に……あたっ!?」
勝手に恥部をばらした彩未の頭を、姫香は引っ叩いた。
「っぅ~……まあ何にしても、相手の海外逃亡を許すまでに追い付く為の移動手段を持っているか、逃亡先の近くにいる裏社会の住人に顔が利きそうな人間に頼るしか手はない。そしてすぐ声を掛けられるとしたら、条件に合う人物はたった一人」
そこまで言われれば、さすがの由希奈も気付く。
「…………荻野、さん」
「うん。睦月君に頼るしかない」
実際、今から睦月が向かえば、間に合う可能性は十分にある。だから姫香も、彩未の案を否定することはしなかった。
「でもこれから抜け出さなきゃいけないし、目的地までの情報収集と依頼の見積もり、ついでに京子さん達の目も誤魔化さなきゃいけないから……私と姫香ちゃんの手は空いていない。だから……」
彩未はある一点を、睦月達がバーベキューコンロの準備をしている方を指差した。
「……由希奈ちゃん。睦月君と、途中で抜けるから洋一さんにもか。ちょっと声を掛けてきてくれない? お願いできる?」
「ぁ…………」
そう、誰かが声を掛けなければならない。今ここに残っているのは姫香と彩未、そして由希奈の三人だけだ。
そして、睦月に声を掛けに行けるのは、それ以外に何もできない由希奈しかいない。
「あの、」
「悪いけど……それ以上は甘えになるよ。由希奈ちゃんはそれでいいの?」
「ぁ、ぅ……」
由希奈が苦しそうに顔を歪めているのを見て、彩未は厳しい一言をぶつけた。
「迷惑かけたお詫びにもなるし、別口で依頼も来ているから報酬は気にしなくていいよ。でも、私達ができるのはここまで。何より……由希奈ちゃんはいいの? 仇討ち全部、人任せにして」
「…………」
由希奈の視線が、あちこちを彷徨う。しかし目の前の二人以外に、周囲に彼女を助けてくれる人間はいない。
「それに……由希奈ちゃんも嫌でしょう? このまま睦月君と、気まずい関係のままでいるのは」
「…………はい」
数回、深呼吸を繰り返す。そして由希奈は、杖に体重を預けて立ち上がった。少し重い感情を秘めつつも、どうにか足を動かし、睦月の元へと歩き出していく。
その背中を眺めながら、彩未はぼんやりと呟いた。
「姫香ちゃんも優しいよね~……もしかしたら由希奈ちゃん、恋敵になるかも……ぶっ!?」
今度は姫香の拳が、彩未の頭部に襲い掛かってきた。
「あぅぅ、舌噛んだ~……本当、姫香ちゃん酷いよ…………」
しかし姫香は我関せずと彩未の背中を蹴飛ばし、仕事を急かすのであった。
未だに……声を掛けるのが躊躇われてしまう。それでも、ここで立ち止まっているわけにはいかない。
「ぁ、……」
肌黒で筋肉質の、スキンヘッドの男性は気付いたようだが、黒髪を短めにした青年の方は丁度バーベキューコンロに火を点け始めているらしく、こちらに意識を向けてこなかった。
しかし、用事があるのはその青年の方だ。
「あっ、……」
徐々に、でもしっかりと、声を出そうとする、杖を突いた少女。
未だに気付いたかどうかも分からない青年の視界に入っていないことを利用し、『頑張れ』とばかりに男性が見つめてくる中、少女は……由希奈は声を出した。
「あのっ! 荻野、さん……」
「……はい?」
何事かと青年、睦月は振り返った。
「少し……よろしいでしょうか?」
「……分かりました。ちょっと、失礼します」
そう男性、洋一に声を掛けてから、睦月は由希奈と共に人気のない場所へと移る。
周囲に人がいないことを確認してから、先程の事情を説明……
「この間は……本当にごめんなさいっ!」
……する前に、由希奈は頭を下げた。
「私っ、何も事情っ、知らなくて……っ!」
「い、いや……その件はこちらも事情を話さなかったですし、むしろ非があるのは」
こちらの方だと、睦月は言おうとしたのかもしれない。しかし由希奈は、畳み掛けるようにして言葉を続けた。
「それでっ、勝手なお願いなんですが……助けて下さいっ!」
「…………え?」
言葉も纏まらず、話も支離滅裂になりかけている。でも由希奈は、彩未達とした話を懸命に、睦月に伝えようとした。
「だからっ、荻野さんの力が必要でっ! どうかっ、どうかお願いしますっ!」
「…………」
黙り込み、少し思案する睦月。由希奈は視線を下げていて気付いていないが、彼は自身のスマホに来た連絡を確認していた。
仕事を管理している姫香から由希奈の依頼した内容が精査され、睦月の元へと届いていたのだ。
つまり……実行するかどうかの判断は、睦月次第だということになる。
睦月がスマホ越しに内容を確認する中、由希奈はずっと頭を下げていた。その間、二人が言葉を発することはない。
(もう、駄目なのかな…………)
静寂に覆われた状況に、気持ちに諦観が混ざり始めてきた時だった。由希奈の耳に、睦月の声が入り込んできたのは。
「馬込さん……請けるかどうかを決める上で、一つだけ確認させて下さい」
「はい……」
下げていた頭を上げた由希奈に、睦月は冷徹な眼差しを向けて、静かに問い掛けた。
「俺に頼む、ってことは……犯罪者に依頼する、ってことですよ。その点は理解されていますか?」
「っ……!?」
拒絶、ではないのは分かる。けれども睦月に覚悟を問われ、由希奈は一瞬気圧されかけた。
「……それでも、お願いします」
だが……由希奈は耐えた。これ以上は、自分を甘やかしてはいけないからと。
もう逃げてはいけない。青年との仲直りも、両親や自分の仇討ちも。
なにより……
「『法を犯したからって、必ずしも悪人とは限らない』、ですよね?」
以前、彩未に言われた言葉だ。
由希奈にとって、その言葉が正しいのかどうかは、今でも分からない。
それでも、これだけは理解していた。
「たとえ法を犯していたとしても……私は荻野さんが、完全な悪人だとは思えません」
それだけは、確信を持って言えた。
相手が裏社会の住人だとしても、これまでの関係が嘘ではないと、由希奈は自信を持って言える。言い切れる。
だから、由希奈は改めて睦月に頼んだ。
「後悔は後で、いくらでもします。ですけど……今の私にとって、これが正しいことだと信じています。だから……だからどうか、お願いします」
そして再び、由希奈は頭を下げた。
「荻野さん。どうか私に……力を貸して下さいっ!」
もう、由希奈から言えることはない。できることもない。
交通事故の直後以上に、自分に力がないことを思い知らされてしまう。
「分かっているなら……いいですよ。請けます」
(本当に……優しい人ですね)
睦月からの返事に、内心で安堵する由希奈。しかし、安心している時間はない。
本番は……これからなのだから。
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