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048 田舎町からの出立前
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「はあ……ようやく着いたか」
ドイツの片隅に存在する田舎町。
そこそこいるとはいえ、全員が顔見知りではない程度に人口は多い。そこが、英治が日本を出てから暮らしていた町だった。
愛銃をはじめとした武器類を睦月に預けてきたとはいえ、帰りは飛行機に鉄道とバスを経由し、ようやくここまで辿り着いたのだ。去り行くバスに背を向けてから、疲れ切った身体をバス停のベンチに腰掛けさせた英治を責めるものは、周囲には誰もいない。
「少し、休んだら行くか……」
英治が日本に渡った理由は二つ。
一つは、睦月に銃器類を事前に預け、正当な手順で日本に入国できるようにすること。
そしてもう一つは、今英治の懐にある二つの……自分と、ある少女の為の偽造|旅券を手に入れることだった。
「しかし……結構値が張ったな」
(昔馴染みな分、値引きしてくれてもいいのにさ……)
昔馴染みの『偽造屋』に正規の金額を支払わされた英治は、内心ぼやかずにはいられなかった。下手に事情を説明できなかった分、値切り交渉もままならなかったのだ。
けれども、それは必要経費にせざるを得ない。
かつて、英治が日本を出た際に使った偽造旅券では、もう役に立たない。それだけ、偽造防止に用いる技術が進歩してきているのだ。『偽造屋』に支払う報酬が高価になるのも致し方なかった。
(それもこれも…………はぁ、)
「……ま、言ってても仕方ないか」
そう独り言ちた英治は、ベンチから勢い良く起き上がった。そして、日本を出て短くない時を過ごした、第二の故郷と言っても差し支えない田舎町へと繰り出していく。
「……おお、英治。ようやく帰ったか」
「ただいま、待たせたな……ハンス爺さん」
言葉をドイツ語に切り替え、英治は話し掛けてきた壮年の男性にそう返した。
その男の名はハンス・ヴィスラー、かつては英治の両親と共に、戦場を駆け巡っていた傭兵だったが……今はただの、料理屋台の店主だった。
屋台の横に置いた箱に腰掛けたまま、顎髭を撫でているハンスの前に立った英治は、見下ろすようにして問い掛ける。
「……あいつはどうだ?」
「今はお前さんの部屋にいるよ。偶に出掛けてはいるがな……行先はいつも、自分の家だ」
「そうか……」
少し離れた先に、焼け跡と化した家がある。
それが、英治が『あいつ』と言っていた少女の、かつての家だった。そして、彼女以外に……生存者はいない。
物思いに耽ろうとする英治に、ハンスは考えさせないようにと声を掛けてくる。
「それで、お前さんの方はどうだったんだ?」
「ん、ああ……準備は整った」
入国審査に引っ掛かる銃器類の密輸に、銃弾や英治達の偽造旅券の手配、そして……日本への入国手続き。それら全てを終えて、英治は今日、ようやくこの田舎町に帰って来たのだ。
「それに、色々と知れたよ。殺し屋や依頼人の背後関係に次の標的、そして……昔馴染みの現在、とかな」
英治にとって、それが一番の収穫だった。
弥生の祖母である和音からは聞いていたものの、それでも、実際に会ってようやく確信した。
睦月は今でも睦月であること、そして……『運び屋』としての腕が申し分ないことを。
「運転の方ばかりは見れなかったけど、銃の構え方一つで大体分かる。反銃社会に住んでるくせに……あいつ、かなり戦い慣れてたよ」
「そいつは良かったな……食ってくか?」
箱から離れたハンスから、英治は屋台の料理を勧められた。町に帰って来たばかりで空腹だったこともあり、思わず中を覗き込んでしまう。
「今日は何作ってるんだ?」
長年戦場を渡り歩いていたので、ハンスにはかなりの額の貯蓄がある。なので屋台自体が趣味ということもあり、並べられる料理はコロコロと変わるのだ。
「今日はシュニッツェルだ。牛肉が安かったからな」
「牛でようやくギリッギリだな……」
シュニッツェルとは、簡単に言うと肉の揚げ焼きだ。日本で言う豚カツに近いオーストリア料理である。
「俺達これから日本に行くんだけど……せめて最後に、本場のソーセージ食わせてくれよ」
「すまん。丁度昨日、売り切れてな……」
そう言ってポリポリと、ハンスは皺の入った頬を指で掻いた。しかしそれでも、この田舎町の料理だからと英治は妥協し……ユーロの札束を手渡すことにした。
「あいつの護衛、頼んで悪かったな」
「別に構わんよ。あの殺し屋……娘の方にはとんと興味がないらしくてな。ほとんどタダ働きみたいなもんだ」
「それでも……だ」
代わりに受け取ったシュニッツェル入りのパンを手に、英治はハンスに背を向ける。
「色々と世話になった。この礼はいずれ……」
「…………英治」
呼び止められるものの、英治は振り返らない。向こうもそれを望んでいないのか、ハンスはそのまま言葉を続けた。
「今度はソーセージを用意しておく……また必ず来い」
「……ああ、いずれな」
いつになるのかは分からない。だが英治は、この町に戻ってくること自体を否定はしなかった。
……必ず戻ると、そう約束した。
それで満足したのか、ハンスからはもう、言葉を投げかけられることはなかった。
シュニッツェルを食べ終える頃には、英治の足は、目的地であるパン屋の前に辿り着いていた。
日本を出てから、英治はそのパン屋の二階にずっと住んでいた。普段は店員としてアルバイトをしているが、傭兵の仕事が来た際には、そちらを優先して請けている。
とはいえ、普段請け負っているのが要人警護等の個人依頼ばかりなので、仕事自体が少ない。しかもごく偶に、殺しの依頼も来ることがあるので、いちいち通報しなければならなかった。なので、パン屋の店員として働いていることの方が多かったりする。
――カラン、カラン……
ドアベルの音と共に、英治は店内へと入って行く。
「ただいま~」
「おお、お帰り……遅かったな、英治」
「ああ……思ったより時間掛かっちまったよ」
丁度パンが焼き立てなのか、パン屋の店主であるゲルト・バイアーは英治を一瞥し、そしてすぐに商品を並べ始めていた。
「婆ちゃんとあいつは?」
「ペトラは買い出し、カリーナなら今は……英治の部屋にいるよ」
それだけ言うと、ゲルトは並べ終えたパンの中から形の悪い物を取り除き、そのまま英治に投げ渡した。
「早く会ってやってくれ……」
「……いつも悪いな。爺ちゃん」
「気にするな」
長い付き合いが、英治と老夫婦を『祖父母と孫』のような、気安い関係へと変えていった。
祖父のように慕うゲルトから受け取ったパンを齧りながら、英治は店の奥にある階段へと歩いていく。
「パンの代金はちゃんと、バイト代から引いておくからな」
「そっちじゃねえよ……」
しかし金銭面だけは、厳しくけじめをつけられていたが。
「やっぱり、滞納しかけたのがまずかったか……」
そもそも、パン屋の店員をやることになったきっかけも、仕事がなくて家賃を滞納しかけたことが原因だった。仕事振りを気に入られたのでアルバイトを続けていたのだが、まさか最後の最後まで続くとは、英治も思ってはいなかった。
「そのままパン屋続けて、しれっと店を継ぐのも有りかなって、思ってたんだけどなぁ……」
二階に改築されたワンルーム、そこが英治の部屋だった。そして、主が不在であるはずの中には今……一人の少女が居座っている。
いや、日本へと発つ前に、英治が無理矢理居座らせたのだ。
軽くノックし、ドア越しに声を掛ける。
「カリーナ。俺だ、今帰って、」
最後まで言い切る前に、部屋のドアが開けられる。
中から出て来たのは、茶髪のポニーテールを揺らした少女、カリーナ・フランツィスカ・クライブリンクだった。普段はツナギの多い彼女だが、ここ最近はゲルトの妻である、ペトラ・バイアーの服を着ている。今は簡素なワンピースと、肩掛け代わりに上着を羽織っていた。
しかし驚嘆すべきは服装よりも、カリーナの次の行動だろう。
――バシッ!
「……パイプ椅子は止めてくれ。鉄の棍棒振り回すようなもんじゃねえか」
「うるさい、この馬鹿っ!」
手首を掴む英治にも怯まず、カリーナは両手で構えたパイプ椅子をぶつけようと力を込めていく。しかし、下手に力比べに移るのはまずいと思い、指の力を緩めてから掌を滑らせ、その勢いで凶器を取り上げた。
「人に薬盛って、その間に日本に行くとか、馬っ鹿じゃないの!?」
「それは何度も話し合っただろうが……」
カリーナは、ある意味では裏社会の住人ではない。家業を含めても、微妙な立ち位置にいる。おまけに、日本に関しては英治から教わったこととネット知識しかなかった。
そんな状態の彼女を連れて、日本での下準備を行うわけにはいかない。だから説得に失敗した英治は、カリーナに睡眠薬を盛って眠らせた隙を突き、日本への(密)入国を果たす羽目になったのだ。
「しかも私の銃まで取り上げて……どこにやったのよっ!?」
「日本の昔馴染みに預けてきた。とりあえず……先に話を聞いてくれ」
英治はカリーナを連れて、強引に部屋の中へと入っていく。ベッドに彼女の腰を降ろさせてから、取り上げたパイプ椅子を置いてそのまま腰掛ける。
憮然とした表情のままのカリーナに向き合った英治は、今後の予定を話し聞かせ出した。
「前に話した通り、日本は反銃社会だ。下手に銃器なんて持ち歩いていれば、すぐ捕まっちまう。おまけに……ここ最近は品薄で、銃弾が高くなっているのは知っているだろう?」
英治も最初は、銃弾を購入した上で睦月に預けておきたかった。けれども、補充できなかったのにはわけがある。
……市場に、銃弾が流れてこないのだ。
英治が用いる大口径や狙撃銃の弾はもちろんのこと、比較的手に入りやすいはずの9mm口径弾に至るまで。その為、供給が追い付いていない銃弾の需要が跳ね上がり、値段の高騰へと繋がっているのだ。
そのせいで、日本に向かう途中で銃弾を補充しようとした英治の目論見が外れてしまい、睦月に銃器を預けるついでに頼む羽目に陥ってしまったのだった。
幸い、増産の噂は市場で聞いているので、高騰もすぐ落ち着くと英治は考えているが……仕事の方は、待ってはくれない。
「俺は出稼ぎついでに顔を売ってくる。そうすれば、日本の裏社会で動くのにも融通が利く……その方が仇討ちもしやすい。違うか?」
「だから、って……」
ギュッ、と拳を握り締めるカリーナの目尻に皺が寄っている。その様子を痛々しく思いながらも、英治はきっぱりと告げた。
「日本は俺の故郷だ。俺の方が勝手を知っている。だから……信じろ」
「……その間、暢気に首都観光でもしていろ、って言うの?」
「下見だよ、下見」
英治は軽く手を振り、力を抜けとカリーナに仕草で伝える。
「俺が地元の昔馴染みと組んで、必要な資金を稼いでくるから……お前は観光しながら、奴が居ても不思議じゃない首都を見回っていてくれ。案内人も手配しているし、銃もそっちに預けるよう頼んである」
「用意がいいわね……」
「失敗はできない……だろ?」
それでようやく納得したのか、カリーナはゆっくりと、指の力を抜いていく。
「下準備は整えておいた。後は……奴を討つだけだ。いいな?」
「……分かった。英治の言う通りにする」
丁度その時、一階の方から大きな声が飛んでくる。どうやらペトラが帰って来たらしく、夕食にする為か、英治達を呼んでいた。
「じゃあ今は飯食って……日本に発つ準備をするぞ」
「分かってる……絶対に、仇は取ってみせる」
そう意気込んで、カリーナは先に部屋を後にした。
その背中を見つめて数秒後、英治はポツリと漏らす。
「…………悪いな」
英治は、カリーナに黙っていることがあった。
カリーナに護衛をつけて観光させ、その間に出稼ぎと称して……彼女の家族の仇を討つことを、英治は黙っていた。
その為に英治は睦月に、かつての昔馴染みに連絡を取ったのだ。武器は護衛に預ける予定で、ケースの鍵は英治が握っている。目的の殺し屋も、今は弥生を追う為に、首都に居る理由を持ち合わせていない。そして武器がなければ、カリーナも無茶はしないだろうと踏んで。
だから危険なのは……どちらかと言えば、英治の方だった。
しかし、それで良い。
「ちゃんと仇は討つから……それで許してくれよな」
肝心なことは伏せ、言葉をほとんど偽ることなく、真実を捻じ曲げる。昔馴染みの一人である『詐欺師《月偉》』が、よく使っていた手だ。
うまくカリーナを騙せたと考えた英治は、一人その罪悪感を抱えたまま、続いて部屋を後にする。
数日もしない内に、二人は日本へと渡る。
カリーナの生まれ故郷を、後にして……
ドイツの片隅に存在する田舎町。
そこそこいるとはいえ、全員が顔見知りではない程度に人口は多い。そこが、英治が日本を出てから暮らしていた町だった。
愛銃をはじめとした武器類を睦月に預けてきたとはいえ、帰りは飛行機に鉄道とバスを経由し、ようやくここまで辿り着いたのだ。去り行くバスに背を向けてから、疲れ切った身体をバス停のベンチに腰掛けさせた英治を責めるものは、周囲には誰もいない。
「少し、休んだら行くか……」
英治が日本に渡った理由は二つ。
一つは、睦月に銃器類を事前に預け、正当な手順で日本に入国できるようにすること。
そしてもう一つは、今英治の懐にある二つの……自分と、ある少女の為の偽造|旅券を手に入れることだった。
「しかし……結構値が張ったな」
(昔馴染みな分、値引きしてくれてもいいのにさ……)
昔馴染みの『偽造屋』に正規の金額を支払わされた英治は、内心ぼやかずにはいられなかった。下手に事情を説明できなかった分、値切り交渉もままならなかったのだ。
けれども、それは必要経費にせざるを得ない。
かつて、英治が日本を出た際に使った偽造旅券では、もう役に立たない。それだけ、偽造防止に用いる技術が進歩してきているのだ。『偽造屋』に支払う報酬が高価になるのも致し方なかった。
(それもこれも…………はぁ、)
「……ま、言ってても仕方ないか」
そう独り言ちた英治は、ベンチから勢い良く起き上がった。そして、日本を出て短くない時を過ごした、第二の故郷と言っても差し支えない田舎町へと繰り出していく。
「……おお、英治。ようやく帰ったか」
「ただいま、待たせたな……ハンス爺さん」
言葉をドイツ語に切り替え、英治は話し掛けてきた壮年の男性にそう返した。
その男の名はハンス・ヴィスラー、かつては英治の両親と共に、戦場を駆け巡っていた傭兵だったが……今はただの、料理屋台の店主だった。
屋台の横に置いた箱に腰掛けたまま、顎髭を撫でているハンスの前に立った英治は、見下ろすようにして問い掛ける。
「……あいつはどうだ?」
「今はお前さんの部屋にいるよ。偶に出掛けてはいるがな……行先はいつも、自分の家だ」
「そうか……」
少し離れた先に、焼け跡と化した家がある。
それが、英治が『あいつ』と言っていた少女の、かつての家だった。そして、彼女以外に……生存者はいない。
物思いに耽ろうとする英治に、ハンスは考えさせないようにと声を掛けてくる。
「それで、お前さんの方はどうだったんだ?」
「ん、ああ……準備は整った」
入国審査に引っ掛かる銃器類の密輸に、銃弾や英治達の偽造旅券の手配、そして……日本への入国手続き。それら全てを終えて、英治は今日、ようやくこの田舎町に帰って来たのだ。
「それに、色々と知れたよ。殺し屋や依頼人の背後関係に次の標的、そして……昔馴染みの現在、とかな」
英治にとって、それが一番の収穫だった。
弥生の祖母である和音からは聞いていたものの、それでも、実際に会ってようやく確信した。
睦月は今でも睦月であること、そして……『運び屋』としての腕が申し分ないことを。
「運転の方ばかりは見れなかったけど、銃の構え方一つで大体分かる。反銃社会に住んでるくせに……あいつ、かなり戦い慣れてたよ」
「そいつは良かったな……食ってくか?」
箱から離れたハンスから、英治は屋台の料理を勧められた。町に帰って来たばかりで空腹だったこともあり、思わず中を覗き込んでしまう。
「今日は何作ってるんだ?」
長年戦場を渡り歩いていたので、ハンスにはかなりの額の貯蓄がある。なので屋台自体が趣味ということもあり、並べられる料理はコロコロと変わるのだ。
「今日はシュニッツェルだ。牛肉が安かったからな」
「牛でようやくギリッギリだな……」
シュニッツェルとは、簡単に言うと肉の揚げ焼きだ。日本で言う豚カツに近いオーストリア料理である。
「俺達これから日本に行くんだけど……せめて最後に、本場のソーセージ食わせてくれよ」
「すまん。丁度昨日、売り切れてな……」
そう言ってポリポリと、ハンスは皺の入った頬を指で掻いた。しかしそれでも、この田舎町の料理だからと英治は妥協し……ユーロの札束を手渡すことにした。
「あいつの護衛、頼んで悪かったな」
「別に構わんよ。あの殺し屋……娘の方にはとんと興味がないらしくてな。ほとんどタダ働きみたいなもんだ」
「それでも……だ」
代わりに受け取ったシュニッツェル入りのパンを手に、英治はハンスに背を向ける。
「色々と世話になった。この礼はいずれ……」
「…………英治」
呼び止められるものの、英治は振り返らない。向こうもそれを望んでいないのか、ハンスはそのまま言葉を続けた。
「今度はソーセージを用意しておく……また必ず来い」
「……ああ、いずれな」
いつになるのかは分からない。だが英治は、この町に戻ってくること自体を否定はしなかった。
……必ず戻ると、そう約束した。
それで満足したのか、ハンスからはもう、言葉を投げかけられることはなかった。
シュニッツェルを食べ終える頃には、英治の足は、目的地であるパン屋の前に辿り着いていた。
日本を出てから、英治はそのパン屋の二階にずっと住んでいた。普段は店員としてアルバイトをしているが、傭兵の仕事が来た際には、そちらを優先して請けている。
とはいえ、普段請け負っているのが要人警護等の個人依頼ばかりなので、仕事自体が少ない。しかもごく偶に、殺しの依頼も来ることがあるので、いちいち通報しなければならなかった。なので、パン屋の店員として働いていることの方が多かったりする。
――カラン、カラン……
ドアベルの音と共に、英治は店内へと入って行く。
「ただいま~」
「おお、お帰り……遅かったな、英治」
「ああ……思ったより時間掛かっちまったよ」
丁度パンが焼き立てなのか、パン屋の店主であるゲルト・バイアーは英治を一瞥し、そしてすぐに商品を並べ始めていた。
「婆ちゃんとあいつは?」
「ペトラは買い出し、カリーナなら今は……英治の部屋にいるよ」
それだけ言うと、ゲルトは並べ終えたパンの中から形の悪い物を取り除き、そのまま英治に投げ渡した。
「早く会ってやってくれ……」
「……いつも悪いな。爺ちゃん」
「気にするな」
長い付き合いが、英治と老夫婦を『祖父母と孫』のような、気安い関係へと変えていった。
祖父のように慕うゲルトから受け取ったパンを齧りながら、英治は店の奥にある階段へと歩いていく。
「パンの代金はちゃんと、バイト代から引いておくからな」
「そっちじゃねえよ……」
しかし金銭面だけは、厳しくけじめをつけられていたが。
「やっぱり、滞納しかけたのがまずかったか……」
そもそも、パン屋の店員をやることになったきっかけも、仕事がなくて家賃を滞納しかけたことが原因だった。仕事振りを気に入られたのでアルバイトを続けていたのだが、まさか最後の最後まで続くとは、英治も思ってはいなかった。
「そのままパン屋続けて、しれっと店を継ぐのも有りかなって、思ってたんだけどなぁ……」
二階に改築されたワンルーム、そこが英治の部屋だった。そして、主が不在であるはずの中には今……一人の少女が居座っている。
いや、日本へと発つ前に、英治が無理矢理居座らせたのだ。
軽くノックし、ドア越しに声を掛ける。
「カリーナ。俺だ、今帰って、」
最後まで言い切る前に、部屋のドアが開けられる。
中から出て来たのは、茶髪のポニーテールを揺らした少女、カリーナ・フランツィスカ・クライブリンクだった。普段はツナギの多い彼女だが、ここ最近はゲルトの妻である、ペトラ・バイアーの服を着ている。今は簡素なワンピースと、肩掛け代わりに上着を羽織っていた。
しかし驚嘆すべきは服装よりも、カリーナの次の行動だろう。
――バシッ!
「……パイプ椅子は止めてくれ。鉄の棍棒振り回すようなもんじゃねえか」
「うるさい、この馬鹿っ!」
手首を掴む英治にも怯まず、カリーナは両手で構えたパイプ椅子をぶつけようと力を込めていく。しかし、下手に力比べに移るのはまずいと思い、指の力を緩めてから掌を滑らせ、その勢いで凶器を取り上げた。
「人に薬盛って、その間に日本に行くとか、馬っ鹿じゃないの!?」
「それは何度も話し合っただろうが……」
カリーナは、ある意味では裏社会の住人ではない。家業を含めても、微妙な立ち位置にいる。おまけに、日本に関しては英治から教わったこととネット知識しかなかった。
そんな状態の彼女を連れて、日本での下準備を行うわけにはいかない。だから説得に失敗した英治は、カリーナに睡眠薬を盛って眠らせた隙を突き、日本への(密)入国を果たす羽目になったのだ。
「しかも私の銃まで取り上げて……どこにやったのよっ!?」
「日本の昔馴染みに預けてきた。とりあえず……先に話を聞いてくれ」
英治はカリーナを連れて、強引に部屋の中へと入っていく。ベッドに彼女の腰を降ろさせてから、取り上げたパイプ椅子を置いてそのまま腰掛ける。
憮然とした表情のままのカリーナに向き合った英治は、今後の予定を話し聞かせ出した。
「前に話した通り、日本は反銃社会だ。下手に銃器なんて持ち歩いていれば、すぐ捕まっちまう。おまけに……ここ最近は品薄で、銃弾が高くなっているのは知っているだろう?」
英治も最初は、銃弾を購入した上で睦月に預けておきたかった。けれども、補充できなかったのにはわけがある。
……市場に、銃弾が流れてこないのだ。
英治が用いる大口径や狙撃銃の弾はもちろんのこと、比較的手に入りやすいはずの9mm口径弾に至るまで。その為、供給が追い付いていない銃弾の需要が跳ね上がり、値段の高騰へと繋がっているのだ。
そのせいで、日本に向かう途中で銃弾を補充しようとした英治の目論見が外れてしまい、睦月に銃器を預けるついでに頼む羽目に陥ってしまったのだった。
幸い、増産の噂は市場で聞いているので、高騰もすぐ落ち着くと英治は考えているが……仕事の方は、待ってはくれない。
「俺は出稼ぎついでに顔を売ってくる。そうすれば、日本の裏社会で動くのにも融通が利く……その方が仇討ちもしやすい。違うか?」
「だから、って……」
ギュッ、と拳を握り締めるカリーナの目尻に皺が寄っている。その様子を痛々しく思いながらも、英治はきっぱりと告げた。
「日本は俺の故郷だ。俺の方が勝手を知っている。だから……信じろ」
「……その間、暢気に首都観光でもしていろ、って言うの?」
「下見だよ、下見」
英治は軽く手を振り、力を抜けとカリーナに仕草で伝える。
「俺が地元の昔馴染みと組んで、必要な資金を稼いでくるから……お前は観光しながら、奴が居ても不思議じゃない首都を見回っていてくれ。案内人も手配しているし、銃もそっちに預けるよう頼んである」
「用意がいいわね……」
「失敗はできない……だろ?」
それでようやく納得したのか、カリーナはゆっくりと、指の力を抜いていく。
「下準備は整えておいた。後は……奴を討つだけだ。いいな?」
「……分かった。英治の言う通りにする」
丁度その時、一階の方から大きな声が飛んでくる。どうやらペトラが帰って来たらしく、夕食にする為か、英治達を呼んでいた。
「じゃあ今は飯食って……日本に発つ準備をするぞ」
「分かってる……絶対に、仇は取ってみせる」
そう意気込んで、カリーナは先に部屋を後にした。
その背中を見つめて数秒後、英治はポツリと漏らす。
「…………悪いな」
英治は、カリーナに黙っていることがあった。
カリーナに護衛をつけて観光させ、その間に出稼ぎと称して……彼女の家族の仇を討つことを、英治は黙っていた。
その為に英治は睦月に、かつての昔馴染みに連絡を取ったのだ。武器は護衛に預ける予定で、ケースの鍵は英治が握っている。目的の殺し屋も、今は弥生を追う為に、首都に居る理由を持ち合わせていない。そして武器がなければ、カリーナも無茶はしないだろうと踏んで。
だから危険なのは……どちらかと言えば、英治の方だった。
しかし、それで良い。
「ちゃんと仇は討つから……それで許してくれよな」
肝心なことは伏せ、言葉をほとんど偽ることなく、真実を捻じ曲げる。昔馴染みの一人である『詐欺師《月偉》』が、よく使っていた手だ。
うまくカリーナを騙せたと考えた英治は、一人その罪悪感を抱えたまま、続いて部屋を後にする。
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