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085 案件No.005の後日談
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「ふぅ……」
商店街の中にある、一軒の輸入雑貨店。
店内には愛用の煙管から吸い込んだ紫煙を燻らせ、カウンターの裏側に置いた椅子に腰掛けている和音しかいなかった。馬鹿孫はここに住んでないから当然として、店員は掛け持ちしているファミレスでバイト中の為、他に人はいない。
――カラン、カラン……
一人しかいない時を見計らって来るだろうことは、予想がついていた。
「いらっしゃい…………ああ、やっぱり来たのかい」
ストリートレースから数日経ち、勇太から依頼料を受け取るのは今日だったはずだ。
そして清算を終えて、すぐに来たのだろう。不機嫌な顔を隠しもしないまま、睦月は閉めた扉にもたれかかりながら、和音の方を睨み付けてきた。
「……聞きたいことが、二つある」
「分かってるよ……」
灰皿に向けて煙管を振り下ろし、灰を落とした和音は、カウンターに肘を付いて睦月を見た。
「……荻野秀吉のこと、だろ?」
その二つが何かまでは分からないが、目の前の青年が父親のことを知りたがることは、容易に想像できる。せめて答えられる範囲であって欲しいと思いつつ、和音は先を促した。
「で、何が聞きたいんだい?」
これまでは何の根拠もなく、推測を立てることしかできなかった。
しかし今回の、ストリートレースの一件で、ようやく確信を得た。
「親父も……拉致事件の関係者なんだな?」
そう考えると、これまでの辻褄が合ってくる。
和音を介して弥生を雇い、工作船を沈められる伝手を持つ裏社会の住人。銃弾の買い占めに加担し、勘当した睦月を使ってでも、わざわざ日本で『クリフォト』の手の者を潰させて、少しでも自分から注目を逸らさせた。
状況証拠のみだが、これだけの根拠が揃えば、十分考えられる。
「少なくとも、大なり小なり関わってるんだろ?」
「…………まあ、そうだね」
いつも咥えている煙管に新しい刻み煙草を詰めることなく、指先で弄んでいた和音は、睦月の推測を肯定した。
「ただ……無暗に、口に出さない方が良いよ」
「やっぱり公安もグルか……」
いくらなんでも、面倒事を起こした男の子供、しかも同じ職業の者を見逃す程、公安警察も甘くはない。嫌疑に対して監視の目を向けるのは、捜査の初歩だ。でなければ、日本の治安はもっと荒れることになる。
だがこれまで、睦月の仕事で邪魔されるどころか、誰かに見張られた覚えもなかった。それどころか、秀吉との別れからこっち、一切手を出されていない。つまり、公安警察はこちらに対して、何もしない可能性が高かった。
「そう考えると……親父のやろうとしていることは、何となく察しが付くな」
睦月は口に出さず、その答えを心に閉じ込めた。いくら情報屋でも、道連れが確定する情報等、滅多なことでは扱いたくないだろう。和音もまた、逆に追及してくることはしなかった。
「分かった。口には出さない……じゃあ二つ目だ」
「何だい?」
もたれていた扉から離れ、カウンターに詰め寄った睦月は……目の前に居る和音に対して腕を伸ばし、その掌を相手に向けた。
「……親父の分だけ、情報料まかんない?」
「ケチ臭いね、あんたも……」
これ以上は無駄だと考え、返金を提案するものの、そこは経験の差がものを言った。
「自分から首突っ込むなら話は別だろうが。返金はとっくに諦めてるけど、せめて減額してくれっ!」
「成功したら知らせるし、小僧がしくじったら死後の面倒位は手配してあげるよ。それで手を打ちな」
和音にすげなく返されてしまい、結局睦月は、うまく丸め込まれてしまうのだった。
「あ~……どうすっかな」
商店街のすぐ傍にある公園のベンチに腰掛けて噴水を眺めていた睦月は、視線を虚空に移しながら呻いた。
(にしても……完全に個人の範疇越えてんだろ、これ)
秀吉が暁連邦共和国に喧嘩を売ろうとしていることは、理解できる。しかし、ただ喧嘩を売るだけで終わらないこと位は、睦月にももう分かっていた。
ただ国に対して恨みを晴らすだけなら、いくらでもやりようがある。睦月ですら成功の可否を問わずに数個、咄嗟に思い浮かぶのだ。息子より長く生きている秀吉が一つも考えつかない理由はないし、相談役的な者に何かを吹き込まれない程、人望がないわけでもなかったはずだ。
では身近な人間、たとえば、睦月の母親が実は拉致被害者で、今も生きて囚われているのであれば、ますます動機に欠ける。『運び屋』として扱う車で、たとえ速さを優先させた仕様でも、2シーターの用意はできるのだ。暁連邦共和国から一人だけ救出して逃げ出すこと等、あの秀吉ができないわけがない。逆に、何とも思っていない相手ならまず動かないだろう。
また、拉致被害の関係者に協力するよう依頼されたとしても、ただの知り合い程度であれば、簡単に見捨ててしまう。身に危険が降り掛からない程の軽い仕事位なら請け負うことはあっても、保身の為に深くは関わらないはずだ。
だからこそ、秀吉もまた拉致被害の関係者であると、推測できたわけだ。けれども、もしこれから行おうとしていることが、睦月の予想の通りであれば……それは報復ではなく、『運び屋』としての仕事だ。
(拉致被害者全員の救出……それも、非合法の手段で)
それこそが、秀吉が睦月と親子の縁を切った、最大の理由だと考えられる。
計画を立てることは、自身の手札という積み木を積み上げていくようなものだ。合わない形が加わるだけで瓦解する。しかも形だけでは済まないのが、荻野睦月という『運び屋』だ。下手に組み込もうものなら、計画そのものが破綻しかねない。
ただの報復であれば、あるいは連れ出していたかもしれないが……事が救出という繊細な仕事であれば、話は違ってくる。
(いくら国交じゃ、埒が明かないからって……)
人が法律を守るのは、その法律の庇護を受ける為だ。
一度でも破れば、法は自らを守る為の盾から、己を傷付けようとする刃に切り替わる。それがたとえ、人を助ける為だとしても……破った内容と同等以上の代償を支払わなければならない。
秀吉やその関係者達が、拉致被害者を助けようと手段を選ばないのは理解できる。だが全員を助けるとなると、綿密な計画が必要となる。一人の犠牲も許されないからこそ、政治的にも慎重な交渉が行われているのだし、非合法な手段に手を染めようとしている者達もまた、切り捨てられる覚悟を持って行動しているはずだ。公安警察とて、利用するだけして最後には切り捨ててしまうだろう。
だからこそ……睦月という存在は邪魔にしかならなかった。
睦月が知恵と力を使うのは、あくまで眼前の目標を成し遂げる為の手段だ。達成した後のことは一切考えていない以上、それは犠牲を前提とした概算でしかなかった。
それ以前に、子が親の思い描く通りに育つ保証はどこにもない。
秀吉にできたのは精々、睦月に『運び屋』としての技術と生き方を教えることだけだった。拉致被害者全員の救出計画に混ぜるなんて博打も良いところだろう。子育てはあくまで投機であり、確実に利益を生み出す投資足り得ない。
だから睦月は、秀吉から呼び出されない限りは馳せ参じることはない。門前払いならまだましな方で、最悪『邪魔だから』と殺される可能性もあるのだ。そもそも自分から、積極的に関わる理由もなかったが。
親子の縁を切るということは、『赤の他人として接する』ということだ。今回みたいに今後、計画外の仕事を依頼されることはあっても、計画そのものに対して睦月の意思は求められていない。
(…………)
つまり……睦月は必要とされていなかった。
「はあ……」
地元を出て、睦月と共に暮らすマンションの一室には、今は姫香しか居なかった。
だから独り言も平気で漏らせるし、だらしない姿勢で仕事をしたところで、誰かに注意されることもない。
「……仕事無さ過ぎ」
睦月は今頃、和音から秀吉の分の情報料を回収できないか動いているのだろうが、おそらくは無駄に終わる。
年季が違い過ぎる上に、睦月の考え方はあくまで、陸上で言うところの短距離走に近い。一つ一つ、根気強く続けなければならない長距離走には向かなかった。
だから無駄だろう、とは姫香も思っていたが……睦月を止めるようなことはしなかった。
「ストリートレースの件で多少は余裕ができたけど、収入がなければジリ貧だし……」
いつもは食事を摂るテーブルの上には、珍しく脇に置かれた自身のスマホと、仕事用のノートPCが置かれている。仕事用のメールボックスを確認し終えた姫香は、代わりに電子帳簿のファイルを開いて、会計業務に勤しんでいた。
「……何より、表の仕事がないのが、一番きついわね」
そして開いていたのは裏(社会用の)帳簿であり、本来のファイルに関しては更新されなくて久しい。
「今年の収益、どうするつもりなのよ……」
社会の表と裏を彷徨う、半端な蝙蝠を続ける以上、納税の義務は果たさなければならなかった。
しかも、表で収益を出さなければ怪しまれるし、いくら裏で稼ごうとも、その収益で誤魔化すのは難しい。それに暴かれた後のリスクは、予想したくもなかった。
「適当にトラックドライバーの仕事でも、探させようかしら……ん?」
姫香がそう、ぼやいた時だった。
仕事用の連絡先にメールが届いたと、通知アイコンがスマホの画面に表示されたのは。
「もしかして……」
ノートPCから開いた方が早いと、姫香の手がUSB接続の無線マウスに伸びた。画面上にメールボックスを立ち上げ、早速届いたメールを開封する。
相手は以前、睦月が営業した旅行代理店からだった。
「……よっし、表の仕事!」
内容を一読し、事前に共有されているスケジュールと比較して問題ないことを確認した姫香は、マウスから離した手を自らのスマホに伸ばした。
……スケジュールがすっかすかなことはスルーして。
「……姫香か」
ベンチに腰掛けたまま、黄昏ていた睦月はスマホを取り出し、内容を確認する。
旅行バスの運転代行で、日程と契約金が簡易的に記されていた。数日とはいえ、長期の仕事で返事は明日までになっている。帰宅後に詳細を確認した上で、了承するかを判断して欲しいと、最後に書かれていた。
もっとも、書き方が完全に『暇なら請けろ。断る理由があればさっさと言え』だったが。
「まだ、必要とされてるだけましか……」
さっきまで考え込んでいたことは一旦端に追いやり、仕事に専念しようと思考を切り替えた。
「……で、お前等はどうするんだよ?」
睦月が座るベンチの後ろには、いつの間にか人が居た。しかし何かをすることも、自分から話し掛けようとする様子もない。他の誰かを待っているのかとも思っていたが……逆に、周囲から人の気配が無くなってきている。
人払いを済ませた上で、睦月に近付いてくる人物。自身の知り合いで、そこまで手の込んだことをする者は一人しかいない。
いや……一つの組織しかなかった。
「親父が何か企ててんのを、公安警察と同じように知らない振りするのか?」
振り向かないまま、いや銃口を向けられて振り向けないまま、睦月は後ろの人物に問い掛ける。もっとも、彼女もまた、単なる使いっ走りに過ぎないが。
「……『今は様子見』、だって」
ようやく掛けられた声だが、その内容は彼女自身のものではない。明らかに第三者からのものだった。その証拠に、電話等の無線通話特有の雑音が、微かに聞こえてくる。
「『向こうもあちこちに工作員を派遣しているようだから、下手に動けば勘付かれるおそれがある』、って言ってるわ」
「だろうな……でなければ、とっくに終わってる」
暁連邦共和国の拉致事件に関心を示しているのは、被害者の居る日本だけではない。他の国や組織も注目しているし、中には日本以外で直接的に関わっている可能性だってあるのだ。
そして……暁連邦共和国もまた、それらの国や組織を警戒していた。
「今回は忠告だけ……『余計なことには首を突っ込むな』だって」
「また、分かりきったことを……」
「それと……」
一呼吸置いてから、彼女は言葉を続けた。
「……『借りを返すまで、勝手に死ぬな』って」
「へぇ……意外だな」
「意外?」
それは背後の存在からではなく、彼女自身の純粋な疑問だったのだろう。そう聞き返された睦月は、素直に答えた。
「……もっと冷たい組織だと思ってた」
ドライな印象もあり、あまり深く関わってこないと思っていた睦月だったが、こうまでして忠告してくる辺り、その認識を改めなければならないだろう。
……『勝手に死ぬな』と、暗に告げられたことに内心感謝しながら、睦月は立ち上がった。
「まあ……実際、後半は組織の一員個人の意見だし」
「それでも、だよ」
朱に交われば赤く染まる。組織の影響力の弱さか、個人の精神力が成せる強さかは分からない。
けれども、誰かに必要とされている。
それだけで、睦月はまた立ち上がることができた。
すでに通話は切れているし、周囲の人払いは解けている。
「お店に遊びに来るなら、愚痴位は聞いてあげるわよ?」
「……金があって、他に相手が居なけりゃな」
個人的な会話を交わしたのを最後に、睦月が立ち去るその瞬間まで、彼女は黙って見送った。
商店街の中にある、一軒の輸入雑貨店。
店内には愛用の煙管から吸い込んだ紫煙を燻らせ、カウンターの裏側に置いた椅子に腰掛けている和音しかいなかった。馬鹿孫はここに住んでないから当然として、店員は掛け持ちしているファミレスでバイト中の為、他に人はいない。
――カラン、カラン……
一人しかいない時を見計らって来るだろうことは、予想がついていた。
「いらっしゃい…………ああ、やっぱり来たのかい」
ストリートレースから数日経ち、勇太から依頼料を受け取るのは今日だったはずだ。
そして清算を終えて、すぐに来たのだろう。不機嫌な顔を隠しもしないまま、睦月は閉めた扉にもたれかかりながら、和音の方を睨み付けてきた。
「……聞きたいことが、二つある」
「分かってるよ……」
灰皿に向けて煙管を振り下ろし、灰を落とした和音は、カウンターに肘を付いて睦月を見た。
「……荻野秀吉のこと、だろ?」
その二つが何かまでは分からないが、目の前の青年が父親のことを知りたがることは、容易に想像できる。せめて答えられる範囲であって欲しいと思いつつ、和音は先を促した。
「で、何が聞きたいんだい?」
これまでは何の根拠もなく、推測を立てることしかできなかった。
しかし今回の、ストリートレースの一件で、ようやく確信を得た。
「親父も……拉致事件の関係者なんだな?」
そう考えると、これまでの辻褄が合ってくる。
和音を介して弥生を雇い、工作船を沈められる伝手を持つ裏社会の住人。銃弾の買い占めに加担し、勘当した睦月を使ってでも、わざわざ日本で『クリフォト』の手の者を潰させて、少しでも自分から注目を逸らさせた。
状況証拠のみだが、これだけの根拠が揃えば、十分考えられる。
「少なくとも、大なり小なり関わってるんだろ?」
「…………まあ、そうだね」
いつも咥えている煙管に新しい刻み煙草を詰めることなく、指先で弄んでいた和音は、睦月の推測を肯定した。
「ただ……無暗に、口に出さない方が良いよ」
「やっぱり公安もグルか……」
いくらなんでも、面倒事を起こした男の子供、しかも同じ職業の者を見逃す程、公安警察も甘くはない。嫌疑に対して監視の目を向けるのは、捜査の初歩だ。でなければ、日本の治安はもっと荒れることになる。
だがこれまで、睦月の仕事で邪魔されるどころか、誰かに見張られた覚えもなかった。それどころか、秀吉との別れからこっち、一切手を出されていない。つまり、公安警察はこちらに対して、何もしない可能性が高かった。
「そう考えると……親父のやろうとしていることは、何となく察しが付くな」
睦月は口に出さず、その答えを心に閉じ込めた。いくら情報屋でも、道連れが確定する情報等、滅多なことでは扱いたくないだろう。和音もまた、逆に追及してくることはしなかった。
「分かった。口には出さない……じゃあ二つ目だ」
「何だい?」
もたれていた扉から離れ、カウンターに詰め寄った睦月は……目の前に居る和音に対して腕を伸ばし、その掌を相手に向けた。
「……親父の分だけ、情報料まかんない?」
「ケチ臭いね、あんたも……」
これ以上は無駄だと考え、返金を提案するものの、そこは経験の差がものを言った。
「自分から首突っ込むなら話は別だろうが。返金はとっくに諦めてるけど、せめて減額してくれっ!」
「成功したら知らせるし、小僧がしくじったら死後の面倒位は手配してあげるよ。それで手を打ちな」
和音にすげなく返されてしまい、結局睦月は、うまく丸め込まれてしまうのだった。
「あ~……どうすっかな」
商店街のすぐ傍にある公園のベンチに腰掛けて噴水を眺めていた睦月は、視線を虚空に移しながら呻いた。
(にしても……完全に個人の範疇越えてんだろ、これ)
秀吉が暁連邦共和国に喧嘩を売ろうとしていることは、理解できる。しかし、ただ喧嘩を売るだけで終わらないこと位は、睦月にももう分かっていた。
ただ国に対して恨みを晴らすだけなら、いくらでもやりようがある。睦月ですら成功の可否を問わずに数個、咄嗟に思い浮かぶのだ。息子より長く生きている秀吉が一つも考えつかない理由はないし、相談役的な者に何かを吹き込まれない程、人望がないわけでもなかったはずだ。
では身近な人間、たとえば、睦月の母親が実は拉致被害者で、今も生きて囚われているのであれば、ますます動機に欠ける。『運び屋』として扱う車で、たとえ速さを優先させた仕様でも、2シーターの用意はできるのだ。暁連邦共和国から一人だけ救出して逃げ出すこと等、あの秀吉ができないわけがない。逆に、何とも思っていない相手ならまず動かないだろう。
また、拉致被害の関係者に協力するよう依頼されたとしても、ただの知り合い程度であれば、簡単に見捨ててしまう。身に危険が降り掛からない程の軽い仕事位なら請け負うことはあっても、保身の為に深くは関わらないはずだ。
だからこそ、秀吉もまた拉致被害の関係者であると、推測できたわけだ。けれども、もしこれから行おうとしていることが、睦月の予想の通りであれば……それは報復ではなく、『運び屋』としての仕事だ。
(拉致被害者全員の救出……それも、非合法の手段で)
それこそが、秀吉が睦月と親子の縁を切った、最大の理由だと考えられる。
計画を立てることは、自身の手札という積み木を積み上げていくようなものだ。合わない形が加わるだけで瓦解する。しかも形だけでは済まないのが、荻野睦月という『運び屋』だ。下手に組み込もうものなら、計画そのものが破綻しかねない。
ただの報復であれば、あるいは連れ出していたかもしれないが……事が救出という繊細な仕事であれば、話は違ってくる。
(いくら国交じゃ、埒が明かないからって……)
人が法律を守るのは、その法律の庇護を受ける為だ。
一度でも破れば、法は自らを守る為の盾から、己を傷付けようとする刃に切り替わる。それがたとえ、人を助ける為だとしても……破った内容と同等以上の代償を支払わなければならない。
秀吉やその関係者達が、拉致被害者を助けようと手段を選ばないのは理解できる。だが全員を助けるとなると、綿密な計画が必要となる。一人の犠牲も許されないからこそ、政治的にも慎重な交渉が行われているのだし、非合法な手段に手を染めようとしている者達もまた、切り捨てられる覚悟を持って行動しているはずだ。公安警察とて、利用するだけして最後には切り捨ててしまうだろう。
だからこそ……睦月という存在は邪魔にしかならなかった。
睦月が知恵と力を使うのは、あくまで眼前の目標を成し遂げる為の手段だ。達成した後のことは一切考えていない以上、それは犠牲を前提とした概算でしかなかった。
それ以前に、子が親の思い描く通りに育つ保証はどこにもない。
秀吉にできたのは精々、睦月に『運び屋』としての技術と生き方を教えることだけだった。拉致被害者全員の救出計画に混ぜるなんて博打も良いところだろう。子育てはあくまで投機であり、確実に利益を生み出す投資足り得ない。
だから睦月は、秀吉から呼び出されない限りは馳せ参じることはない。門前払いならまだましな方で、最悪『邪魔だから』と殺される可能性もあるのだ。そもそも自分から、積極的に関わる理由もなかったが。
親子の縁を切るということは、『赤の他人として接する』ということだ。今回みたいに今後、計画外の仕事を依頼されることはあっても、計画そのものに対して睦月の意思は求められていない。
(…………)
つまり……睦月は必要とされていなかった。
「はあ……」
地元を出て、睦月と共に暮らすマンションの一室には、今は姫香しか居なかった。
だから独り言も平気で漏らせるし、だらしない姿勢で仕事をしたところで、誰かに注意されることもない。
「……仕事無さ過ぎ」
睦月は今頃、和音から秀吉の分の情報料を回収できないか動いているのだろうが、おそらくは無駄に終わる。
年季が違い過ぎる上に、睦月の考え方はあくまで、陸上で言うところの短距離走に近い。一つ一つ、根気強く続けなければならない長距離走には向かなかった。
だから無駄だろう、とは姫香も思っていたが……睦月を止めるようなことはしなかった。
「ストリートレースの件で多少は余裕ができたけど、収入がなければジリ貧だし……」
いつもは食事を摂るテーブルの上には、珍しく脇に置かれた自身のスマホと、仕事用のノートPCが置かれている。仕事用のメールボックスを確認し終えた姫香は、代わりに電子帳簿のファイルを開いて、会計業務に勤しんでいた。
「……何より、表の仕事がないのが、一番きついわね」
そして開いていたのは裏(社会用の)帳簿であり、本来のファイルに関しては更新されなくて久しい。
「今年の収益、どうするつもりなのよ……」
社会の表と裏を彷徨う、半端な蝙蝠を続ける以上、納税の義務は果たさなければならなかった。
しかも、表で収益を出さなければ怪しまれるし、いくら裏で稼ごうとも、その収益で誤魔化すのは難しい。それに暴かれた後のリスクは、予想したくもなかった。
「適当にトラックドライバーの仕事でも、探させようかしら……ん?」
姫香がそう、ぼやいた時だった。
仕事用の連絡先にメールが届いたと、通知アイコンがスマホの画面に表示されたのは。
「もしかして……」
ノートPCから開いた方が早いと、姫香の手がUSB接続の無線マウスに伸びた。画面上にメールボックスを立ち上げ、早速届いたメールを開封する。
相手は以前、睦月が営業した旅行代理店からだった。
「……よっし、表の仕事!」
内容を一読し、事前に共有されているスケジュールと比較して問題ないことを確認した姫香は、マウスから離した手を自らのスマホに伸ばした。
……スケジュールがすっかすかなことはスルーして。
「……姫香か」
ベンチに腰掛けたまま、黄昏ていた睦月はスマホを取り出し、内容を確認する。
旅行バスの運転代行で、日程と契約金が簡易的に記されていた。数日とはいえ、長期の仕事で返事は明日までになっている。帰宅後に詳細を確認した上で、了承するかを判断して欲しいと、最後に書かれていた。
もっとも、書き方が完全に『暇なら請けろ。断る理由があればさっさと言え』だったが。
「まだ、必要とされてるだけましか……」
さっきまで考え込んでいたことは一旦端に追いやり、仕事に専念しようと思考を切り替えた。
「……で、お前等はどうするんだよ?」
睦月が座るベンチの後ろには、いつの間にか人が居た。しかし何かをすることも、自分から話し掛けようとする様子もない。他の誰かを待っているのかとも思っていたが……逆に、周囲から人の気配が無くなってきている。
人払いを済ませた上で、睦月に近付いてくる人物。自身の知り合いで、そこまで手の込んだことをする者は一人しかいない。
いや……一つの組織しかなかった。
「親父が何か企ててんのを、公安警察と同じように知らない振りするのか?」
振り向かないまま、いや銃口を向けられて振り向けないまま、睦月は後ろの人物に問い掛ける。もっとも、彼女もまた、単なる使いっ走りに過ぎないが。
「……『今は様子見』、だって」
ようやく掛けられた声だが、その内容は彼女自身のものではない。明らかに第三者からのものだった。その証拠に、電話等の無線通話特有の雑音が、微かに聞こえてくる。
「『向こうもあちこちに工作員を派遣しているようだから、下手に動けば勘付かれるおそれがある』、って言ってるわ」
「だろうな……でなければ、とっくに終わってる」
暁連邦共和国の拉致事件に関心を示しているのは、被害者の居る日本だけではない。他の国や組織も注目しているし、中には日本以外で直接的に関わっている可能性だってあるのだ。
そして……暁連邦共和国もまた、それらの国や組織を警戒していた。
「今回は忠告だけ……『余計なことには首を突っ込むな』だって」
「また、分かりきったことを……」
「それと……」
一呼吸置いてから、彼女は言葉を続けた。
「……『借りを返すまで、勝手に死ぬな』って」
「へぇ……意外だな」
「意外?」
それは背後の存在からではなく、彼女自身の純粋な疑問だったのだろう。そう聞き返された睦月は、素直に答えた。
「……もっと冷たい組織だと思ってた」
ドライな印象もあり、あまり深く関わってこないと思っていた睦月だったが、こうまでして忠告してくる辺り、その認識を改めなければならないだろう。
……『勝手に死ぬな』と、暗に告げられたことに内心感謝しながら、睦月は立ち上がった。
「まあ……実際、後半は組織の一員個人の意見だし」
「それでも、だよ」
朱に交われば赤く染まる。組織の影響力の弱さか、個人の精神力が成せる強さかは分からない。
けれども、誰かに必要とされている。
それだけで、睦月はまた立ち上がることができた。
すでに通話は切れているし、周囲の人払いは解けている。
「お店に遊びに来るなら、愚痴位は聞いてあげるわよ?」
「……金があって、他に相手が居なけりゃな」
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