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086 案件No.006前の出来事

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「……映画?」
『あ、はい。睦月さん、映画が好きだって前に言っていたのを思い出しまして……』
 睦月が整備工場で、仕事用の車を点検していた時だった。由希奈から電話があったのは。
 世間的な休日でもある今日、睦月は整備工場で一人、国産スポーツカーの点検に一日を費やしていた。他に予定がないこともあるが、旅行バスの運転代行の仕事まで日数に余裕がないので、先に片付けておかなければ、咄嗟の問題トラブルに対応できなくなる。
 特に前回、銃撃戦の盾としてしまったのだ。帰宅時こそ運転に支障はなかったが、それだけでは安心の保証足り得ない。だから時間を掛けて点検している時に由希奈から電話が来たのだが、仕事とかビジネスではないので、睦月はイヤホンマイクを着けて作業を続けながら応対していたのだった。加速装置ニトロ等の危険物は先に片付けていたので、残りの作業は片手間でも問題ないということもあるが。
『少し先の話になるんですけれど……面白そうな映画が公開されるらしいので……良ければご一緒に、と、思いまして……』
「まあ、どうせ仕事があるから……すぐじゃない分には問題ないけど」
 エンジンオイルを抜き、中身を交換しながら、睦月はそう答えた。汚れ自体は酷くないのでエンジン内部の清掃作業フラッシングの必要はないが、定期的に継ぎ足さずに交換しなければ、エンジンに多大な負荷を掛けてしまう。特に加速装置ニトロまで積んでいるのであれば、より細心の注意を払わなければならない。
「近い内に公開される映画で……面白そうなのってあったっけ?」
 映画情報は定期的に確認しているが、面倒な仕事が入るとつい見逃してしまうことが多い。なので睦月は、公開日になりやすい金曜日から逆算して、前売り券が売られる時期にまとめて確認するようにしているのだが……近場の映画館の上映予定だけなので、常に全てを調べられているわけではなかった。だから上映されない作品によっては気付かないまま期間が終了してしまうことはざらで、その度に後悔してしまうのだった。
『この近くの映画館ではないんですけれど……『ヴィランに教えを乞うな!』って漫画の実写が公開されるらしいんです』
「え? あれ、映画化するの?」
 雑誌を買っているわけではないので、原作を全話見ているわけではない睦月。けれども、ネカフェで読んだことはあったので、内容は大まかにだが知っている。
 睦月の記憶がたしかなら、偶然力を手に入れた主人公が紆余曲折有り、何故かやる気のない悪役ヴィランにその使い方を教わる話だったはずだ。アクション描写自体は良かったのだが……明らかに実写に不向きな内容ストーリーだったので、何故その方向に向かったのかが、いまいち良く分からなかった。
「何故だろう? 別の意味で興味が惹かれるんだけど……」
 誰と観に行くかはともかく、その映画自体に睦月は興味を持ち、由希奈に了承の意を返した。
「行くのは良いけど……他に誰か誘うのか?」
『いや、その、えっと……』
 電話越しに、しどろもどろな声が漏れ出ていた。
 エンジンオイルの補充を終え、抜いた廃油をオイル缶に移し終えて蓋をする間も、睦月の耳には由希奈のはっきりしない声が届いてくる。
 次の給油のタイミングでガソリンスタンドに引き取って貰おうと、端に除ける為に運ぶ最中。軽く息を吸ったような音が聞こえた後、由希奈は睦月にこう言ってきた。

『…………二人だけ・・、で……行きません、か?』

 もし睦月が、非モテの童貞であったならば……思わず缶を落として足の甲に当て、数週間の入院生活を余儀なくされる一言だった。ラブコメ的な意味で。



 さて、睦月に由希奈悪い虫が近付こうとしている中、姫香は商店街にある閉店中の元ミリタリーショップに来ていた。
 睦月が車の整備をしている時、用事がなければ同じく工場内で雑用かスマホを弄っていることが多い姫香だったが、今日は呼び出されたのでこの店に来ていた。
「……で、これは何?」
「頼まれてた銃の試作品」
 カリーナが姫香の前に差し出してきたケースに納められた自動拳銃オートマティックは、たしかに要望通りのものだった。
 目の前にあるのは、9mm口径で単列シングルカラム弾倉マガジン自動拳銃オートマティック。銃把も姫香の掌に合わせて調整され、握っただけで理想の幅だと理解できた。しかも銃身の半分程が剥き出しで、スライド上部のカバーが通常よりも短い為、銃身軸の再照準Center Axis Relock技法を用いても、さらに身体に近付けて構えることができる。後は排莢の向きと確実性だが、そこは十分改造カスタムで対応可能だ。
 だが、問題はそこではない。

「もう一度聞くけど……この骨董品・・・が、何ですって?」

 指差し、一発音毎に語気を荒げながら、姫香はドイツ語でカリーナに詰め寄った。
 姫香がそう問い掛けるのも無理はない。用意された自動拳銃オートマティックは第二次世界大戦時、ドイツのあるメーカーが開発したものだったからだ。
 かつては日本に核爆弾を落とした国からも『灰色の幽霊グレイゴースト』と呼ばれ、恐れられていた一品。けれども、大戦末期の頃には国力が低下し、材料不足や生産性が衰えたことが原因で粗悪品が出回り、鹵獲すらも忌避された危険物と化していた。
 これが初期の名作か、末期の粗悪品かは分からないが……生産されてから、もう一世紀に差し掛かろうとする年月を経た代物だ。姫香が訝し気に見つめるのも無理はない。
 しかし、カリーナは一度、首を軽く傾けただけで、姫香の視線を受け流してきた。
「大丈夫よ。それ……私が復刻・・させた銃だから」
 カリーナにそう言われ、仕方なく動作確認を行う姫香。
 宣言通り、用意された自動拳銃オートマティックは違和感なく動作している。それどころか、姫香の手に合わせて多少の小型化リサイズが施されていた。
「元々……私の古い親戚が、そのメーカーで働いていたのよ」
 ケースに戻された試作品の自動拳銃オートマティックを見下ろしながら、カリーナはこの銃を選んだ理由を語り始めた。
「さすがに情勢が怪しくなった時に、逃げるように退職して疎開したらしいけど……銃そのものの構造開発には、深く関わっていたらしいわ。だから記憶だけで、図面を残すことができたの」
 銃を作れた理由は、それで事足りる。だが、それを選んだ理由には至らない。
 だからこそ、カリーナの話はまだ続いた。
「銃そのものの構造設計は、その時代にはすでに完成していた。足りていないのは、実現させる為の材料と技術だけ。だから……機会があれば私が、全て・・を完成させてみたかった」
 カリーナが『銃器職人ガンスミス』として初めて自動拳銃オートマティックを製造したことも、英治が使う回転式拳銃アンチノミー以外の実績は全て両親おやの手伝いの範疇でしかないことも、その時の姫香は人伝でしか知らなかった。
 だから、姫香から見れば、単なる利己主義エゴイズムでしかない。それでも、自身が納得して・・・・しまえる・・・・代物を用意してみせたカリーナの腕は、もはや疑いようがなかった。
「後は試射できる環境が欲しいんだけど……どこか知らない?」
「通い付けの武器屋に試射場があるわ。銃弾たまもそこで買いましょう」
 ケースの蓋を閉じ、出掛ける準備を始めるカリーナ。それを見て、ふと姫香は首を傾げた。
「そういえば……あんたんとこの『傭兵』はどうしたの?」
「英治? 英治なら、今日は出掛けているわよ」
 それは自分が話せて・・・いる時点で気付いていたが、カリーナを一人にして不安ではないのか、と姫香は少し疑問に思う。しかし、次に口から出された内容に、思わず納得せざるを得なかった。
「しばらく日本で生活する為に……免許取りに、教習所行ってる」
「ああ……」
 偽造は高くつく上に、安物だと簡単にばれてしまう。手続きすれば国際免許を取得することも可能だが、現状はたしか身分があやふやな上に、日本だろうとドイツだろうと、運転免許そのものがなければ意味がない。
「おまけに国ごとに交通規則ルールも違うんなら、一度勉強し直した方が手っ取り早いわね」
「ううん、交通規則それ以前」
 否定するように手を振るカリーナにつられて、彼女のポニーテールも左右に揺れていた。
「そもそもドイツって、運転の教習所はあっても……練習場が・・・・ない・・から、免許を取る時にお金だけ溶かすパターンが大半なのよ。どんな・・・形であれ・・・・、ね」
 カリーナから、ドイツでの免許の取得方法を聞いた姫香は、
「うわぁ……」
 と思わず零してしまう。
 要するに、いきなり公道に放り込まれて実技試験を受けることになるのだ。不合格ならまだ可愛い方で、万が一事故に遭おうものなら……そう考えると、日本で免許を取っておくのは、あながち間違ってはいないのかもしれない。
「しかも、回数制限超えたらその後一生取れない上に、日常生活で下手に車に乗ってたりしたら、普通に荒らされるし……何で日本は平和に取れるのよ?」
反銃社会銃がないからじゃない? その分交通規則ルールはガッチガチだけどね」
 こればかりはお国柄なので諦めて欲しいと、姫香は肩を竦めた。



 そして後日、英治は難なく運転免許を取得してきたのだった。
「……AT車オートマ限定かよ」
「いや、普通に運転する分にはいいだろうが」
 取得したばかりの免許を見た睦月に、そう言われてしまうのだが。
「ドイツ帰ったらどうすんだよ? 免許」
「そもそも向こうで乗る用事がねえよ。その時考えるわ」
 どちらかといえば、欧州連合とその周辺国ヨーロッパMT車マニュアルの方が主流なのでは……と、睦月が思わず考えてしまったのは余談である。



 時を戻して、由希奈から映画のお誘いを受けた睦月は、受話器越しでも分かる程にわざとらしく音を立てて、盛大に溜息を漏らしてきた。
『……『映画を観に行く時の運転手にしたい』、とかじゃないよな?』
「はい。違い、ます」
 変な勘違いをしないよう、一つ一つ事実を確認してくる睦月に由希奈もまた、たどたどしくも丁寧に返事を返していく。
女が居る・・・・って、分かってて誘ってんのか?』
「はい。その、つもりです」
 もし恋人同士であれば、完全な浮気だ。結婚していれば裁判で慰謝料すら取られてしまうような誘いである。けれども、由希奈はすでに知っていた……知ってしまっていた。
 姫香が実は、睦月の恋人ではないことを。ついでに言うと、近付く女性に対して例外なく、女子力を見せつけて追い払っていることも。
『理由を……聞いてもいいか?』
「……自分の気持ちを、はっきりさせたいんです」
 自宅の自室、ベッドに腰掛けて話していた由希奈は、スマホを耳に当てたまま、後ろに倒れて寝そべった。
「その為に、私は睦月さんのことをもっと、知りたいんです……おかしい、ですか?」
『……いや、分かるよ』
 同じ発達障害ASDを持っていることもあり、睦月は由希奈の言いたいことを理解してくれた。
『ただ……あまりお勧めはしない。俺が・・誰だか、もう分かってるだろ?』
「それでも……です」
 由希奈が見た睦月の顔は、まだ二つだけ。
 同じ高校のクラスメイトの、異性にモテる好青年の睦月。
 平気で相手に銃を撃てる、最狂の『運び屋犯罪者』としての睦月。
 前者だけであれば、淡い恋心で終わっていたかもしれないし、後者だけならば怖くて近寄ろうとも思わなかっただろう。だが両方の顔を知ってしまった今、由希奈の気持ちを決定付ける判断材料があるとすれば……それは、睦月自身のことだ。
「だから、二人で……映画デートに行きませんか?」
 改めてのお誘いを、由希奈は高鳴る心臓に阻まれる中、スマホから流れる音声に耳を傾ける。少なくとも、睦月からの返事がないことだけは判断できるが、それでも緊張で胃がひっくり返る思いでいた。
 やがて、結論が出たのか……睦月からの返事が来た。

『……日程を決めるのは、次の仕事が終わってからでいいか?』

「ひゃっ、ひゃいっ!?」
 少し噛んでしまったが、由希奈はどうにか肯定を返せた。



 ――ダン、ダン、ダンッ!

「たしかに……悪くないわね」
 遠隔での試射を終え、暴発の問題はないと判断してから直接撃った姫香は、そんな感想を漏らした。
 それどころか、実際にしっくりきていた。銃弾分しか銃身スライドは下がらないとは分かっているものの、視覚的に短く感じる為か、それだけ安心して近付けられた。
 しかも、最初の遠隔射撃を含めて試射して分かったことだが、狙いがほとんど・・・・逸れていない。弾道を安定させる為の、銃身内部の螺旋状の溝ライフリングが綺麗な直線で施条できている証拠だ。
 少し逸れたのは、部品の組み合わせ辺りが原因だろう。それこそ、試射しなければ分からない範疇の話だった。
「あの~……うちの商品以外で試射場ここ、使わないで貰えませんか?」
「ちゃんと銃弾たま買ったんだから、文句言わないでくれる」
「せめて試射場のレンタル料、払って下さいよ~」
 泣き言を言う武器屋の春巻を姫香は無視し、外していた耳当てイヤーマフを元のフックに引っ掛けた。
ねえHeyちょっとhey
「あ、えっと……何かございましたかIs there anything you need?」
 一応は英語を話せる上、てっきりそうかと思って切り替える春巻。しかしカリーナは気にせず、商品の一つを指差しながらドイツ語・・・・で話し掛けていた。
あそこにある部品が欲しいんだけどIch will die Teile da druben haben……」
 しかし残念なことに、春巻はドイツ語が分からなかった。
「あの、私、英語しか話せないんですけど……」
「ああ……はいはい」
 助けを求める春巻の視線を浴びつつ、射撃スペースから出て来た姫香は、カリーナの言葉を訳した。
「『あの部品を寄越さないと性的に襲う』、って」
「……本当ですか?」
「お金は払うんじゃない?」
 それ普通に買いたいだけで、性的云々は嘘でしょう、と目で訴えられてしまう姫香だった。
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