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097 布引雅人の結末
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「……行かないんですか?」
「まだ、ね……」
勇太達が去り、睦月とも距離ができている。再び話せるようになった姫香は、由希奈と合流してすぐ、その場にしゃがみ込んだ。警戒心は残しているものの、戦闘が終わった以上、下手に武器を使えるままにしておかない方がいい。
それに……今の睦月は手が離せないと、簡単に予想できたこともあるが。
「……姫香さん」
「何よ?」
預けていた睦月の鞄から飛び散っていた中身を仕舞い終えた姫香に、由希奈は話し掛けてきた。
「私……やっぱり、睦月さんが好きです。一人の、男性として」
由希奈のその気持ちに、姫香は肯定も否定もせず、沈黙で返した。
「自分の命欲しさに諦めるのか、それとも映画のヒロインみたいに身を挺してしまうのかは分からないですけれど……その瞬間まで、私は睦月さんの傍に居たいです」
……今、鞄の中には睦月の自動拳銃がある。予備の弾倉や発射音抑制器も、そのままに。姫香が望めば由希奈を撃ち抜き、流れ弾に殺されたように偽装することもできるだろう。
けれども、姫香には由希奈の気持ちを踏み潰すことはできても……消し去ることはできなかった。
「今回の件で、はっきりしました。だから……姫香」
撃たれるとでも思っているのか、表面は怯えつつも芯からの覚悟を持って、由希奈は告げた。
「私、負けないから……」
ハリボテの勇気だろうと、姫香と対等に渡り合おうと敬意を捨てて、ただ真っ直ぐに。
「…………」
だから姫香も、心の内側から込み上げてくる殺意を押し殺して、正面から向き合った。
「……そこはハッタリでも、『勝つ』って言ったらどうなの?」
けれども、呆れの表情を少し浮かべた上で、そう返した。
「えっと、その……何となく姫香も、嫌いになれなくて」
(だから負けない、ね……)
ツッコまれてしどろもどろになる由希奈に呆れながら、立ち上がった姫香は手を伸ばした。
「そんなんじゃ足元掬われるわよ……由希奈」
同じ気持ちを抱いた姫香もまた、由希奈と対等になろうと、手を伸ばした。
「言っとくけど……欲張り過ぎて蝙蝠になっても、知らないからね」
「じゃあ、後よろしく……ん?」
個人資産から『ブギーマン』の口座への振り込み手続きを終えた睦月は、依頼の電話を切ると、そのままスマホを仕舞った。降ろした腕を腰に当てて、一人姦しく近付いてくる二人の少女に視線を向けた。
しばらく眺めているとようやく気持ちが落ち着き、最後にはバツが悪くなって、頭を掻き毟ってしまう。
(格好悪いところ、見せちまったな……)
睦月との距離が狭まっているので、もう話せなくなっているはずの姫香だが……何故か、由希奈と楽し気にぶつかり合っていた。
色々と、思うところはあるものの……
(…………腹減った)
今の睦月は、空腹を満たすことだけしか考えられなかった。
(とりあえず……バスに乗って帰るか)
旅行会社にどう言い訳しようかと考えながら、睦月は少女達の下へと、自らも足を進めた。
歩く度に……誰が、どうなるかの興味を無くしながら。
「君は……蝙蝠の寓話を知っているかな?」
警察署の取調室。勇太から連絡を受けた京子はこれまでの功績を盾に、自らを担当へと強引に捻じ込んだ。そして、目の前に居る今回のバスジャック犯……布引雅人から必要な話を聞き終えた彼女は、ふとそんなことを口にした。
「……蝙蝠の寓話、ですか?」
全ての事情を話し、調書の作成や勇太が派遣してきた弁護士との交渉も終わり、取調官の供述調書にも目を通した後のことだった。
手続き上、もう退室を促しても問題ないのだが、身元引受人が来るまで待つように告げた後、京子はある話を始めた。
「そう……鳥と獣が分かれて争っていた際、『牙があるから獣の仲間だ』、『羽があるから鳥の仲間だ』とどっちつかずなことを言い、最後には孤立した蝙蝠の話だよ」
本来であれば、都合の良いことだけを言って有利な方についてばかりいると誰からも信用されなくなる、日和見主義者を諫める為の教訓の話だが……初めて睦月と出会った時、京子は主体性のある蝙蝠だという印象を受けた。
「彼と出会ったのは、私が交通機動隊に所属していた時だった。その時はまだ『走り屋』だったんだが……本質は、今でも変わってないよ」
善にも悪にもつかず、
「その時はまだ経験不足で、『やりたいこと』と『やるべきこと』の区別がつかずに、『『義務』と『権利』を判別し辛い』とも言っていた。けれども……彼はある意味、間違ったことはしていない」
社会の表にも裏にもつかず、
「自他を問わず、傷付ける者あらばそれ以上を持って返す。『目には目を』という動機は正義でもあり、それ以上を突き付ける容赦のなさは、紛れもなく犯罪者とも言える」
人間性の『常』と『狂』の狭間を彷徨っている。
「睦月君には彼独自の判断基準が……矜持がある。それに共感した者達が慕い、募っていく。君を雇った『立案者』から聞いているかな? 彼の口癖を」
『人が、誰か何かを信仰するのは、その存在に縋っているからでも、その威光を恐れているからでもない……その生き様に憧れたからだ』
ただ……京子はその言葉を、自身では広義に捉えていた。
「結局のところ……私を含めた皆、睦月君が好きだから一緒に居るだけだよ。そこに、障害の有無は関係ない」
己の好悪に依頼の達成条件が加わっただけで、『走り屋』時代からの本質が変わらないまま……荻野睦月という青年は、『運び屋』と化した。
「最近では多様性社会について問われているけれども……私や睦月君達からすれば、いまさらとしか考えられないね」
図らずも、由希奈もまた、同じことを考えていた。もっとも、この時点で京子が知る由もないが。
「まあ、何が言いたいのかというと……『揺るがない魂を持て』という、ただの助言だよ」
寓話に出てくる蝙蝠もまた、その内の一匹の意見でしかない。他の意見を持つ個体が居ても、何もおかしくはなかった。
寓話の蝙蝠のような日和見主義もいれば、自らの意思を伝えられない者もいるだろう。中には獣と鳥の主張にも反対し、あえて孤立を選ぶ者もいるかもしれない。さらには、自らが上位だと勘違いし、周囲の意見をまともに取り合おうとすらしない者が居ても、何もおかしくはない。
これ以上考えても、きりがないが……少なくとも、己が意志を貫いた上で白でも黒でもない、灰色の世界を彷徨う者ですら蝙蝠だと、社会の大半は断ずるのだろう。
……何の思慮もなく、ただ孤独が嫌で、周囲に同調しているだけとも気付かずに。
「時代によって思想が変わるように、正義の形もまた、変わってくる。昨日間違っていたことが明日正しくなるかもしれないし、その逆も有り得るのがこの世界だ。だからこそ……『揺るがない魂』が必要なんだ」
扉を叩く音が聞こえてくる。京子の話に、静かに耳を傾けていた雅人の迎えが来たのだろう。
「障害の有無や立場は関係ない。自分が自分だと証明して生きたいのなら……自分のやり方を見つけて、強くなるといい。少なくとも、同じ発達障害者はそうして、望むもの全てを手に入れてきた」
向かいの席に座る、雅人にも促してから立ち上がった京子は、出口の方を指差した。
「ただ……裏社会に住むことだけは、お勧めしない」
雅人の背中を押す手が、裁きの鉄槌に変わらないことを祈るよう、出口へとそっと促した。
「愚者は使い潰され、賢者ですら法の裁きから逃れることのできない世界だ。保身や欲望だけで成功できる程、甘い世界じゃない」
犯罪者との繋がりがあるからこそ、裏社会の異質さを、京子は理解していた。けれども、自らの意思で法に殉ずると決めた以上、その正義を違えるわけにはいかない。
だからこそ、目の前の青年にやり直せる機会があるのなら……今度こそ、自らの意思で選ばせたかった。
「逃げても抗ってもいい。自分から覚悟を持って飛び込むのなら、警察も本気で相手になる。だから今度は、自分の意思でちゃんと考えて動くように」
どんな結末になろうとも、絶対に後悔しない道を。
「君自身の……『揺るがない魂』を持ちなさい」
その助言を最後に、京子は雅人を取調室の外へと、そっ、と押し出した。
「敵か味方かは関係ない。どんな選択肢を取ろうとも……君を見ている者は、必ず居る。それだけは、忘れないように」
京子も別に、雅人を犯罪者にしたいわけじゃない。ただ、今度こそ周囲の者達の無責任な意思に惑わされず……己の道を突き進んで欲しいと願い、その背中を押したのだ。
「頑張れ、若人……」
だから、か細い声も軽く触れただけの手も、気付かれない位で丁度いい。
自己満足の親切は……誰かに差し伸べる優しさは、気付かれない位で丁度いい。
「……相変わらず、容赦がないな」
まだ、一日も経っていない。
今朝方に戦闘が始まり、昼前に収束した。その後京子に連絡を取り、雅人を任せて数時間立つ頃には、たとえ夏時であっても夕焼けが訪れていた。
黄昏へと差し掛かる中、勇太はスマホの画面に映るだけの情報をスライド操作しつつ、流し見ていく。
睦月達が今、何をしているのかは知らないが……少なくとも、依頼を終わらせたことだけは分かる。
――周囲と違うからと、陰で嗤う者も居た。
――その態度で一度拗れても、一切反省せずに見下し続けた者も居た。
――ただ上手くいかないからと、これまで積み重ねてきた努力を否定してきた者も居た。
――揉め事が面倒だからと、軽く突き飛ばされた程度であればなかったことにする者も居た。
中には優しさを履き違えて、結果的に傷付ける者も居たし、冗談を冗談と取れない言い方をして、諍いの原因を偶々生み出した者も居た。
全員が全員、悪意を持って彼を傷付けたわけではない。
ただ、故意だろうと過失だろうと……雅人の人生に積み重なった負の記憶に、変わりはなかった。
「もう『ブギーマン』が自由に動ける、ってことは……攻撃的なハッキングは終わったのか?」
「結局面倒だから、居場所特定してすぐに乗り込んだよ……そいつも雇われだったけどな」
目隠し用のスモークフィルムが張られた勇太の車の中で、変装を剥がしていた創が答えてきた。途中勇太と交代で『ブギーマン』と組み、発信源を物理的に叩いてきたらしいが……結局そこに居た者も、黒幕ではなかった。
「『立案者』、って言ったか? 結局黒幕は見つからなかったが……一体何者だ?」
「俺も知らねえよ。ただ……」
警察署へと向かう道中、雅人から聞いた話の中に一つ、気になるものがあった。
「雅人が過集中状態に入った方法……俺達と同じだったんだよ」
「……マジで?」
ますます、わけの分からない話だった。
それは数少ない、ガキ大将の実家から与えられた技術の一つだ。
意図的な訓練を行ったとしても、人によって才能や適性が違うのだ。その中でほぼ確実に過集中状態へと入れる手段を用意できたのは、世界広しと言えど勇太が知る限り、ガキ大将の実家だけだった。
つまり……
「あの大将か……その実家の誰かが『最期の世代』を潰す為に、雇った刺客に教えたと?」
「最初に睦月狙わせるのは分かるけど、ガキ大将含めてあの家の人間が、んな回りくどいことをするか?」
散々睦月とあの家の関係者が揉めていたのは記憶しているが、それだって意図していた通りに話が進まなかったのが主な理由だ。むしろ何らかの事情で、『派手な囮役として勝手に利用した』と言われた方が、まだ納得がいく。
「それに……今回のやり口、どう考えても確認工程だった。『最期の世代』を実験台の的にする、ってのが本命だろうな……舐めやがって」
もし、勇太の推測が正しいのであれば……随分と、舐められたものだった。
「狙いが『最期の世代』かそれ以外かは知らねえが……ここまで派手に喧嘩売ってきやがったんだ。次は潰してやる」
車のドアが開けられ、再び変装した『偽造屋』が姿を見せてきた。
「……また、麻薬組織狩りでもするか?」
「そうだな……最悪、ガキ大将にも届く方法で伝えた方がいい」
ついこの前引っ張り出したばかりの『走り屋』時代の変装、軽く結わえ付けた金髪に黒の特攻服を纏った創の提案に、勇太も同意した。
「たく、散々な一日だぜ……俺、徹夜なんだけど?」
「俺だって、似たようなもんだよ……」
車の傍にしゃがみ込む創に答えた後、勇太は警察署の方を向いた。丁度外へと出て来た雅人が視界に飛び込んできたが、すぐに駆け寄るような真似はしない。
「……お前も結構、面倒見が良いよな」
「仕方ねえだろ……」
雅人の数少ない味方が、彼の両親が息子を挟んで三人、並んで歩いて来る。その様子を眺めている中、皮肉を飛ばしてくる創に、勇太は頭を掻きながら心中を吐露した。
「……俺が憧れたのは、そういう奴なんだよ」
そして勇太は静かに、スマホを仕舞った。
『ブギーマン』によって晒されたある情報……布引雅人の負の記憶に関わる人物全員の個人情報と積み重ねてきた悪行の全てが、電子の刺青として刻まれたことを確認した上で。
「まだ、ね……」
勇太達が去り、睦月とも距離ができている。再び話せるようになった姫香は、由希奈と合流してすぐ、その場にしゃがみ込んだ。警戒心は残しているものの、戦闘が終わった以上、下手に武器を使えるままにしておかない方がいい。
それに……今の睦月は手が離せないと、簡単に予想できたこともあるが。
「……姫香さん」
「何よ?」
預けていた睦月の鞄から飛び散っていた中身を仕舞い終えた姫香に、由希奈は話し掛けてきた。
「私……やっぱり、睦月さんが好きです。一人の、男性として」
由希奈のその気持ちに、姫香は肯定も否定もせず、沈黙で返した。
「自分の命欲しさに諦めるのか、それとも映画のヒロインみたいに身を挺してしまうのかは分からないですけれど……その瞬間まで、私は睦月さんの傍に居たいです」
……今、鞄の中には睦月の自動拳銃がある。予備の弾倉や発射音抑制器も、そのままに。姫香が望めば由希奈を撃ち抜き、流れ弾に殺されたように偽装することもできるだろう。
けれども、姫香には由希奈の気持ちを踏み潰すことはできても……消し去ることはできなかった。
「今回の件で、はっきりしました。だから……姫香」
撃たれるとでも思っているのか、表面は怯えつつも芯からの覚悟を持って、由希奈は告げた。
「私、負けないから……」
ハリボテの勇気だろうと、姫香と対等に渡り合おうと敬意を捨てて、ただ真っ直ぐに。
「…………」
だから姫香も、心の内側から込み上げてくる殺意を押し殺して、正面から向き合った。
「……そこはハッタリでも、『勝つ』って言ったらどうなの?」
けれども、呆れの表情を少し浮かべた上で、そう返した。
「えっと、その……何となく姫香も、嫌いになれなくて」
(だから負けない、ね……)
ツッコまれてしどろもどろになる由希奈に呆れながら、立ち上がった姫香は手を伸ばした。
「そんなんじゃ足元掬われるわよ……由希奈」
同じ気持ちを抱いた姫香もまた、由希奈と対等になろうと、手を伸ばした。
「言っとくけど……欲張り過ぎて蝙蝠になっても、知らないからね」
「じゃあ、後よろしく……ん?」
個人資産から『ブギーマン』の口座への振り込み手続きを終えた睦月は、依頼の電話を切ると、そのままスマホを仕舞った。降ろした腕を腰に当てて、一人姦しく近付いてくる二人の少女に視線を向けた。
しばらく眺めているとようやく気持ちが落ち着き、最後にはバツが悪くなって、頭を掻き毟ってしまう。
(格好悪いところ、見せちまったな……)
睦月との距離が狭まっているので、もう話せなくなっているはずの姫香だが……何故か、由希奈と楽し気にぶつかり合っていた。
色々と、思うところはあるものの……
(…………腹減った)
今の睦月は、空腹を満たすことだけしか考えられなかった。
(とりあえず……バスに乗って帰るか)
旅行会社にどう言い訳しようかと考えながら、睦月は少女達の下へと、自らも足を進めた。
歩く度に……誰が、どうなるかの興味を無くしながら。
「君は……蝙蝠の寓話を知っているかな?」
警察署の取調室。勇太から連絡を受けた京子はこれまでの功績を盾に、自らを担当へと強引に捻じ込んだ。そして、目の前に居る今回のバスジャック犯……布引雅人から必要な話を聞き終えた彼女は、ふとそんなことを口にした。
「……蝙蝠の寓話、ですか?」
全ての事情を話し、調書の作成や勇太が派遣してきた弁護士との交渉も終わり、取調官の供述調書にも目を通した後のことだった。
手続き上、もう退室を促しても問題ないのだが、身元引受人が来るまで待つように告げた後、京子はある話を始めた。
「そう……鳥と獣が分かれて争っていた際、『牙があるから獣の仲間だ』、『羽があるから鳥の仲間だ』とどっちつかずなことを言い、最後には孤立した蝙蝠の話だよ」
本来であれば、都合の良いことだけを言って有利な方についてばかりいると誰からも信用されなくなる、日和見主義者を諫める為の教訓の話だが……初めて睦月と出会った時、京子は主体性のある蝙蝠だという印象を受けた。
「彼と出会ったのは、私が交通機動隊に所属していた時だった。その時はまだ『走り屋』だったんだが……本質は、今でも変わってないよ」
善にも悪にもつかず、
「その時はまだ経験不足で、『やりたいこと』と『やるべきこと』の区別がつかずに、『『義務』と『権利』を判別し辛い』とも言っていた。けれども……彼はある意味、間違ったことはしていない」
社会の表にも裏にもつかず、
「自他を問わず、傷付ける者あらばそれ以上を持って返す。『目には目を』という動機は正義でもあり、それ以上を突き付ける容赦のなさは、紛れもなく犯罪者とも言える」
人間性の『常』と『狂』の狭間を彷徨っている。
「睦月君には彼独自の判断基準が……矜持がある。それに共感した者達が慕い、募っていく。君を雇った『立案者』から聞いているかな? 彼の口癖を」
『人が、誰か何かを信仰するのは、その存在に縋っているからでも、その威光を恐れているからでもない……その生き様に憧れたからだ』
ただ……京子はその言葉を、自身では広義に捉えていた。
「結局のところ……私を含めた皆、睦月君が好きだから一緒に居るだけだよ。そこに、障害の有無は関係ない」
己の好悪に依頼の達成条件が加わっただけで、『走り屋』時代からの本質が変わらないまま……荻野睦月という青年は、『運び屋』と化した。
「最近では多様性社会について問われているけれども……私や睦月君達からすれば、いまさらとしか考えられないね」
図らずも、由希奈もまた、同じことを考えていた。もっとも、この時点で京子が知る由もないが。
「まあ、何が言いたいのかというと……『揺るがない魂を持て』という、ただの助言だよ」
寓話に出てくる蝙蝠もまた、その内の一匹の意見でしかない。他の意見を持つ個体が居ても、何もおかしくはなかった。
寓話の蝙蝠のような日和見主義もいれば、自らの意思を伝えられない者もいるだろう。中には獣と鳥の主張にも反対し、あえて孤立を選ぶ者もいるかもしれない。さらには、自らが上位だと勘違いし、周囲の意見をまともに取り合おうとすらしない者が居ても、何もおかしくはない。
これ以上考えても、きりがないが……少なくとも、己が意志を貫いた上で白でも黒でもない、灰色の世界を彷徨う者ですら蝙蝠だと、社会の大半は断ずるのだろう。
……何の思慮もなく、ただ孤独が嫌で、周囲に同調しているだけとも気付かずに。
「時代によって思想が変わるように、正義の形もまた、変わってくる。昨日間違っていたことが明日正しくなるかもしれないし、その逆も有り得るのがこの世界だ。だからこそ……『揺るがない魂』が必要なんだ」
扉を叩く音が聞こえてくる。京子の話に、静かに耳を傾けていた雅人の迎えが来たのだろう。
「障害の有無や立場は関係ない。自分が自分だと証明して生きたいのなら……自分のやり方を見つけて、強くなるといい。少なくとも、同じ発達障害者はそうして、望むもの全てを手に入れてきた」
向かいの席に座る、雅人にも促してから立ち上がった京子は、出口の方を指差した。
「ただ……裏社会に住むことだけは、お勧めしない」
雅人の背中を押す手が、裁きの鉄槌に変わらないことを祈るよう、出口へとそっと促した。
「愚者は使い潰され、賢者ですら法の裁きから逃れることのできない世界だ。保身や欲望だけで成功できる程、甘い世界じゃない」
犯罪者との繋がりがあるからこそ、裏社会の異質さを、京子は理解していた。けれども、自らの意思で法に殉ずると決めた以上、その正義を違えるわけにはいかない。
だからこそ、目の前の青年にやり直せる機会があるのなら……今度こそ、自らの意思で選ばせたかった。
「逃げても抗ってもいい。自分から覚悟を持って飛び込むのなら、警察も本気で相手になる。だから今度は、自分の意思でちゃんと考えて動くように」
どんな結末になろうとも、絶対に後悔しない道を。
「君自身の……『揺るがない魂』を持ちなさい」
その助言を最後に、京子は雅人を取調室の外へと、そっ、と押し出した。
「敵か味方かは関係ない。どんな選択肢を取ろうとも……君を見ている者は、必ず居る。それだけは、忘れないように」
京子も別に、雅人を犯罪者にしたいわけじゃない。ただ、今度こそ周囲の者達の無責任な意思に惑わされず……己の道を突き進んで欲しいと願い、その背中を押したのだ。
「頑張れ、若人……」
だから、か細い声も軽く触れただけの手も、気付かれない位で丁度いい。
自己満足の親切は……誰かに差し伸べる優しさは、気付かれない位で丁度いい。
「……相変わらず、容赦がないな」
まだ、一日も経っていない。
今朝方に戦闘が始まり、昼前に収束した。その後京子に連絡を取り、雅人を任せて数時間立つ頃には、たとえ夏時であっても夕焼けが訪れていた。
黄昏へと差し掛かる中、勇太はスマホの画面に映るだけの情報をスライド操作しつつ、流し見ていく。
睦月達が今、何をしているのかは知らないが……少なくとも、依頼を終わらせたことだけは分かる。
――周囲と違うからと、陰で嗤う者も居た。
――その態度で一度拗れても、一切反省せずに見下し続けた者も居た。
――ただ上手くいかないからと、これまで積み重ねてきた努力を否定してきた者も居た。
――揉め事が面倒だからと、軽く突き飛ばされた程度であればなかったことにする者も居た。
中には優しさを履き違えて、結果的に傷付ける者も居たし、冗談を冗談と取れない言い方をして、諍いの原因を偶々生み出した者も居た。
全員が全員、悪意を持って彼を傷付けたわけではない。
ただ、故意だろうと過失だろうと……雅人の人生に積み重なった負の記憶に、変わりはなかった。
「もう『ブギーマン』が自由に動ける、ってことは……攻撃的なハッキングは終わったのか?」
「結局面倒だから、居場所特定してすぐに乗り込んだよ……そいつも雇われだったけどな」
目隠し用のスモークフィルムが張られた勇太の車の中で、変装を剥がしていた創が答えてきた。途中勇太と交代で『ブギーマン』と組み、発信源を物理的に叩いてきたらしいが……結局そこに居た者も、黒幕ではなかった。
「『立案者』、って言ったか? 結局黒幕は見つからなかったが……一体何者だ?」
「俺も知らねえよ。ただ……」
警察署へと向かう道中、雅人から聞いた話の中に一つ、気になるものがあった。
「雅人が過集中状態に入った方法……俺達と同じだったんだよ」
「……マジで?」
ますます、わけの分からない話だった。
それは数少ない、ガキ大将の実家から与えられた技術の一つだ。
意図的な訓練を行ったとしても、人によって才能や適性が違うのだ。その中でほぼ確実に過集中状態へと入れる手段を用意できたのは、世界広しと言えど勇太が知る限り、ガキ大将の実家だけだった。
つまり……
「あの大将か……その実家の誰かが『最期の世代』を潰す為に、雇った刺客に教えたと?」
「最初に睦月狙わせるのは分かるけど、ガキ大将含めてあの家の人間が、んな回りくどいことをするか?」
散々睦月とあの家の関係者が揉めていたのは記憶しているが、それだって意図していた通りに話が進まなかったのが主な理由だ。むしろ何らかの事情で、『派手な囮役として勝手に利用した』と言われた方が、まだ納得がいく。
「それに……今回のやり口、どう考えても確認工程だった。『最期の世代』を実験台の的にする、ってのが本命だろうな……舐めやがって」
もし、勇太の推測が正しいのであれば……随分と、舐められたものだった。
「狙いが『最期の世代』かそれ以外かは知らねえが……ここまで派手に喧嘩売ってきやがったんだ。次は潰してやる」
車のドアが開けられ、再び変装した『偽造屋』が姿を見せてきた。
「……また、麻薬組織狩りでもするか?」
「そうだな……最悪、ガキ大将にも届く方法で伝えた方がいい」
ついこの前引っ張り出したばかりの『走り屋』時代の変装、軽く結わえ付けた金髪に黒の特攻服を纏った創の提案に、勇太も同意した。
「たく、散々な一日だぜ……俺、徹夜なんだけど?」
「俺だって、似たようなもんだよ……」
車の傍にしゃがみ込む創に答えた後、勇太は警察署の方を向いた。丁度外へと出て来た雅人が視界に飛び込んできたが、すぐに駆け寄るような真似はしない。
「……お前も結構、面倒見が良いよな」
「仕方ねえだろ……」
雅人の数少ない味方が、彼の両親が息子を挟んで三人、並んで歩いて来る。その様子を眺めている中、皮肉を飛ばしてくる創に、勇太は頭を掻きながら心中を吐露した。
「……俺が憧れたのは、そういう奴なんだよ」
そして勇太は静かに、スマホを仕舞った。
『ブギーマン』によって晒されたある情報……布引雅人の負の記憶に関わる人物全員の個人情報と積み重ねてきた悪行の全てが、電子の刺青として刻まれたことを確認した上で。
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4月の終わり頃。バイト中に店舗の入口前の掃除をしているとき、和真は老齢の男性のスマホを見つける。その男性は優奈の祖父であり、日本有数の企業グループである有栖川グループの会長・有栖川総一郎だった。
総一郎は自分のスマホを見つけてくれた和真をとても気に入り、孫娘の優奈とクラスメイトであること、優奈も和真も18歳であることから優奈との結婚を申し出る。
いきなりの結婚打診に和真は困惑する。ただ、有栖川家の説得や、優奈が和真の印象が良く「結婚していい」「いつかは両親や祖父母のような好き合える夫婦になりたい」と思っていることを知り、和真は結婚を受け入れる。
デート、学校生活、新居での2人での新婚生活などを経て、和真と優奈の距離が近づいていく。交際なしで結婚した高校生の男女が、好き合える夫婦になるまでの温かくて甘いラブコメディ!
※特別編7が完結しました!(2026.1.29)
※小説家になろうとカクヨムでも公開しています。
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