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106 由希奈とのデート(その3)

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 あまり知られていないことだが、水難事故の割合は海より川の方が大きい時もある。
 というよりも、日本のような島国かつ山なりの地形が多ければ必然的に、水源は川に依存してしまう。
 海水の濾過技術がなければ、飲み水を求めて水源近くに住居を構えるのは、人間が生活していく上で重要となってくる。そして、その子孫も地形変動から家庭の事情に至るまで、何かしらの理由がなければ、すでに住んでいる場所から退こうとは思わないだろう。
 遊牧民のように定着しない生き方を選ばなかったからこそ、居住の地を構えたのだ。そこから離れたいと思えなければ、河川敷近辺から住人が減ることは、まずないだろう。
「とはいえ……河川敷には入れないんだな」
「水も結構、干上がってますね……」
 ショッピングモールから少し離れた場所にある橋へと来た二人だが、河川敷近辺は水害対策の為か整備されており、人の侵入を寄せ付けなかった。
 川の氾濫に備え、周囲の家屋に対して水害が発生しないようにしているのだろうが、裏を返せば人間側からの侵入も防いでしまっている。もっとも、事故に繋がる可能性を考えれば、無暗にできない方が良いのだろうが。
「梅雨も明けたしな……もうすぐ、夏休みだな」
「そう、ですね……」
 水の流れに沿って散歩することが難しく、仕方なく川を跨いでいる橋を歩く二人。ふと、睦月はその中央付近を指差し、由希奈と共にそこへと進んでいく。
「少し休もうか。ベンチでもあれば、良かったんだけどな……」
 かつては見晴らし台でもあったのか、非常駐車帯のような形で少しだけはみ出ている部分で立ち止まった二人は、並んで手摺りにもたれかかり、橋からの景色を眺め始めた。
「睦月さんは、夏に何か……予定は?」
「いや、特には……仕事か、姉貴のパシリで潰れると思う」
「姉、貴……お姉さんがいるんですか?」
「正確には姉兄妹きょうだい同然に育った、ってところだな。姉と妹に近いのが、一人ずついるんだよ」
 そういえば、由希奈はまだ弥生朔夜に会っていないことを、睦月は今になって気付いた。
「で、その姉貴分の親父さんの命日兼お盆休みに、墓参りによく付き合わされてな。多分、今年も呼び出されると思うけど……なくても行こうと思ってるんだ」
 秀吉は毎年、朔夜の父である義弘の墓参りを欠かすことはなかった。
 世間的にはお盆休みの時期とはいえ、いつも同じ日だったので最初は疑問に思っていたが、ある程度墓参りについて理解できるようになると、実は命日だったと後に気付いた。
 そして、毎年欠かさず通う理由も、以前朔夜から聞いた話から何となく察した。もし、今年も欠かさないのであれば……その命日に、秀吉は必ず顔を出す。
 現状、まだ考えは纏まっていないものの、話を聞き出す機会はその時しかない。
(……ま、可能性は低いけどな)
 睦月とは違い、秀吉は定型発達者普通の人間だ。少なくとも、その傾向を見たことはない。だから発達障害ASDのように、常同繰り返し行動に縛られていないとは思うものの……今は、その可能性に賭けるしかなかった。
「その、お姉さんが……睦月さんの本命、とかですか?」
「それはない」
 由希奈からの問い掛けに、睦月は即答した。
「性欲の対象として見ることはあっても、恋愛云々を語りたいとは今でも思えないし。多分、だけど……ある意味異性として、見れてないんだろうな」
(そもそも、頭が上がらないしな……女相手だというのを差っ引いても)
 睦月にとって、朔夜はある意味、女性上位な考え方を叩き込んできた張本人である。しかも、幼少時の情けない過去を知っている分、下手な元恋人カノよりもたちが悪かった。

「と、いうか……本命とか、そういうのは特に、考えたことがなかったな」

 そもそも睦月自身、恋愛に明確な解答を出せているわけではない。これまでの人生で、元恋人カノは何人も居たが……自分が『睦月の女』だと示してきた人間は、たった一人だけだった。
自己肯定感の低さ不愉快な謙虚癖を直せ』
 そう言ってくる者も居たが、結局彼女にとって、睦月は『意中の相手』ではなく『人の復讐を横取りした男』でしかないのだろう。だからこそ、折を見て去ってしまったのかもしれない。
「大分前にも、別の奴と似たような話をしてたんだけどさ……本当に難しいよな、恋愛って」
「睦月さんも、そう思うんですか?」
「…………意外か?」
 相手が居ると、恋愛について詳しいと錯覚・・してしまうのは、誰もが考えてしまうことなのかもしれない。
 けれども……睦月からすれば、人類の・・・全てが・・・恋愛について理解しているとは、到底思えなかった。
「俺にも分からないよ……何が正解か、なんて」
 恋愛だろうが何だろうが、他者と関わるということは結局のところ、我儘エゴの押し付け合いに過ぎない。最初から相手を慮ることができていれば、人は最初から、争うこともなかったのだろうが。
 もっとも……法律を定めた頭の良い者達はそのことも理解した上で立案していたらしく、たとえば結婚であっても、『離婚』という逃げ道を用意する位の分別はあったのだろう。でなければ、夫婦になろうと考える人間はますますいなくなり、少子化がさらに加速することになったのは間違いない。
「俺も、由希奈と一緒なんだよ……でも、できることはちゃんとしてきたつもりだ」
「できること……ですか?」
 欄干にもたれつつ、互いに視線を合わせてから、睦月は告げた。
「自分が裏切られないように振る舞うことと……裏切ってきてもいい奴としか付き合わない、ってことをな」
「裏切られない……裏切ってきてもいい……ですか? まるで……」
 言葉を反芻し、一度言い澱んでから、由希奈は考えながら答えていく。
「まるで、相手は裏切るのが普通・・だと言ってるようにしか、聞こえないんですけれど……」
「実際、他人・・と付き合うっていうのは……そういうことなんだよ」
 味方に背を向け、敵に寝返ることを『裏切り』と言うが……その定義は、人によって違う。何を持って『裏切っていない』とするかは、人によって違うからだ。
 考え方が違うということは、それだけ裏切る基準が違う。人の善意が悪意として取られることもあれば、悪意の結果、誰かを助けることに繋がることもある。その基準を設ける為に法が制定されたものの、完璧じゃない人間に、万人が納得する基準を作り上げることはできない。
 結局のところ……相手から受ける行為に対して善か悪かを決めるのは、受けた人間の主観でしかない、ということだ。
「何が切っ掛けで敵になったり味方になったりするか分からないし、俺自身も相手やその行動によっては、態度を変えてしまうかもしれない」
 現に、一度裏切った『掃除屋勇太』を、睦月は未だに信じ切れていなかった。
「だからせめて、俺自身が堕落しないように奢らず、金や恐怖に縋らずに生きていく。そしてもし、裏切られるとしても……そうなってもいい相手としかつるまない。そう決めているんだ」
 立場や役割、分かりやすく言えば奴隷制度がそうだが……人間の意思は、簡単に消えたりはしない。でなければ、歴史の中で『反逆』や『革命』という理由を掲げた戦乱が、起きるはずはないのだから。
「人が、誰か何かを信仰するのは、その存在に縋っているからでも、その威光を恐れているからでもない……その生き様に憧れたからだ」
 普段から、関わろうとする者達に必ず言う口癖・・を告げた後、睦月は己が真意を伝えた。

「常に、誰かに『憧れられるような生き様を見せ続ける』。それが……俺にできる、唯一の・・・ことだから」



「…………」
 由希奈は静かに、睦月の言葉に耳を傾けていた。そして……自分でも・・・・、その話の内容について、じっくりと思案した。
(その、通りかもしれない……)
 現に由希奈は、友達が少なかった。いや、疎遠になりやすかったと言った方が、正しいのだろう。
 立場や障害に甘え、人付き合いコミュニケーションに不向きだからと積極的に関わろうとしなかった代償つけが回った結果だ。けれども、それ自体に後悔はない。
 唯一……荻野睦月意中の相手との関係を進める方法が分からない一点を除いて。
「今日の映画デートに付き合ってくれたのも……睦月さんにも、正解が分からないから、ですか?」
「…………まあ、そうだな」
 橋下の干上がりが目立つ川の方を向いた睦月は、由希奈の目を見られないとばかりに顔を背けたまま、視線を合わせずに答えてきた。
「別に、女に困っているわけじゃない。恋人が欲しいか、って言われると『憧れはあっても、必死になって求めるものではない』と思っている。子供は育ててみたいと考えたことはあるが……特に、結婚願望があるわけじゃない」
 睦月の、独白のような言葉は続く。
「卑猥な話にはなるが……ベッドの上で女を抱いても、一晩を共にしている人間は、数える程しかいない。相手を、完全には・・・・信用できていないからな」
 女を抱いた後は、そのまま寝ずに立ち去ることの方が多い。姫香達のように、相手を信用しきれないと気が緩めず、身体を休めることができないからだ。実際、それが原因で振られたこともある。
 睦月のその話を聞き、由希奈は改めて……同じ発達障害持ちASDなのだと理解した。
「それでも……一人は、寂しいですよね」
「……それには同意する」
 二人共、欄干から見える景色を視界に収めているはずなのに……その思考は、全く別のことを考えていた。
「一人でいることは、別に苦じゃない。むしろ人付き合いがない分、存分に好きなことができる。それでも……無性に、誰かと関わりたいと思わずにいられない時がある」
 だからこそ、睦月は『憧れられる人間』を目指したのかもしれない。
「自分から関わることが怖くて……相手に来て貰うことを、実はこっそり望んでるんだよ。情けないよな?」
「どう、なんでしょう……ただ、」
 共通認識がある為か、由希奈は、睦月の言葉を否定しなかった。
「相手を、傷付けない生き方な分……誰かに優しくできない人達よりも、素敵だと思います」
 そっと、由希奈の手が伸びた。もし、睦月の独白が真実であるならば、簡単には触れさせてもらえないだろう。
 ……本当は内心、拒絶されるのではないかと思い、恐怖していた。
 けれども……精一杯の勇気は払われることなく、睦月の手に触れ、指同士を絡ませることができた。

「睦月さん、私は…………睦月さんが好きです」

 今度は肩を寄せ、軽く寄り掛かった。
 ずっと、好きな人ができたらやってみたいと考えていた、憧れていた展開シチュエーションでもあったからだ。
「私も、恋愛そのものは分かりません。それでも今、私は……睦月さんに恋して・・・います」
「……『お勧めはしない』、そう言ったはずだぞ」
「大丈夫です。もし、愛して・・・いないと思った時は……ちゃんと、目の前から消えます」
 そう言い、由希奈は一つの事実に気付いた。
 異性と共に生きていく際、『恋』が始まりであるとするならば、『愛』は結末終わりを意味するのかもしれないと。
「でも、それまでは……睦月さんに振り向いて貰えるよう、努力させて下さい」
「……好きにしろよ」
 その由希奈の決意を、睦月は否定してこなかった。

「俺に……その想いを否定する権利は、ないからな」

 由希奈が『人間』であることを、睦月は理解していたからだ。
「それで、本題なんですけれど……」
「え? ……告白さっきのが本題じゃないのか?」
「その告白を、実現させる為の努力の話が、本題です」
 手を繋いだまま、少しだけ身を離す由希奈に合わせて、睦月もまた、振り返ってくる。
「私を、睦月さんの会社で働かせて下さい……傍に、居させて下さい」
 一度頭を下げ、真っ直ぐに見つめる由希奈。その提案に、睦月は……首を横に振った。
「残念だけど、俺が知る限り……お前にその資格はない」
「武器の扱いも、戦い方も覚えます。必要なら……誰かを殺してもみせます」
 無意識に手が離れるものの、由希奈の身体は逆に、睦月の傍から離れなかった。
「だからっ、お願いしま、す……」
 だから由希奈は肩を掴まれ、強引に距離を取らされてしまう。



 偶然、共通の目的を持つ協力者を得た為か、未だに尾行していたのだろう。睦月達が来た方角から、姫香と菜水がすごい勢いでこちらへと向かってくる。その背後では彩未が腕を組み、やれやれとばかりに首を振っていた。
 けれども、駆け付けてくる二人が心配するようなことは起こらない。それは睦月自身が、一番良く理解していた。
「あのな、由希奈……」
 人の想いを、否定するつもりはない。

「…………犯罪それ以前《・・》の問題」

「え…………?」
 だが、その規則ルールだけは、決して曲げることはできなかった。

うちの会社……MT車マニュアルの運転免許、必須なんだよ」

 本当に……犯罪それ以前の問題はなしだった。
 それでも諦めきれないのか、由希奈はどうにか対応策を提示してくる。
「えっと……偽造、とかは?」
 しかし、睦月にはその提案を退けることしかできない。
うちが求めるレベルの偽造だと、普通に免許取るよりも高くつく上に……どっちにしろ、道交法の知識と運転技術は必須だからな」
 何故なら……これは例外なく、求職希望者全員に告げてきたことだからだ。
 現に、姫香にも同様の話をして、一回断ろうとしたこともあった。ただ、次の日には飛び込み一発試験を申し込み、あっさり合格してきていたが。
 基本的に、睦月自分以外に運転させることはないのだが……緊急時には必ず必要となってくる。特に、人数の少ない個人経営の運送業だと、なおさらに。
「ちなみに、それで最低限だぞ? 他にも英語をはじめとした外国語だの運送業や車両管理の知識だの関連資格や免許だの……新人研修がない分独学で身に付けてくれないと、碌に仕事を任せられないからな」
 姫香と菜水が割り込むまで、後数十秒程。睦月は決定的な一言を最後に、話を締めた。
「そもそもの話……社会犯罪表裏有無を問わず若干経営不振気味で、まともに給料払えるか分からないんだよ。だからこれ以上、新入社員ひとの募集掛けられないから、入社するのその方法本気マジで止めて。もし免許を取得した時に景気が良かったら、ちゃんと考えるから」
 文字通り、『資格無し』の烙印を押された由希奈は言葉を無くし、乾いた笑みを漏らしながら……姉の手によって、回収されて行くのだった。
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