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118 生命(いのち)の価値(その1)
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(何だ……これは……?)
最初は、何かの見間違いだと思った。けれども、どんなに目を凝らしても、秀樹の視界を覆うのは血塗れに彩られた陸上競技場と……
「もう、まとめて吹き飛ばした方が早いな……工作班はガス管探して来い! 残りは作業続行っ!」
『へ~い!』
屈強な男達に指示を出す少女と、自らが集めた者達の死体が、生ゴミと同等の扱いを受けている光景だった。
「…………何なんだよ、これはっ!?」
結果は、散々だった。
「もう全部、終わった後だぞ……今まで何をしていたんだ?」
這う這うの体で車を走らせてきた秀樹を出迎えたのは、夜明けを眺めながら缶コーヒーを飲んでいた祖父だった。いや、開館前の美術館の傍に居たのは、その峰岸一人しかいない。
それ以前に、依頼中は荷物の運搬があるので、駐車場だけは開放されているはずだった。
「ぁ、ぃゃ……」
「偽物で良かったな。依頼は失敗だが、本物の弁償をしなくて済む」
「……ぅ」
普段、向けられるものとは異なる眼光。本物の覚悟と殺気を受けた秀樹は、車の傍で拳を握るしかなかった。
「言っておくが、荻野んとこの孫はとっくに片付けて帰ったぞ。偽物だと分かった上で……いや、依頼されたから荷物を運んだ。ただ、それだけなんだよ」
口を、挟む余裕もなかった。
「お前のことだ。ただ高速に乗って届ければいいとか、軽く見ていたんだろ? だが夜は夜で、物流配送のトラックや夜行バスといった大型車両の巣窟だ。しかも速度超過の暴走車両や、それを追い掛ける交通機動隊も出張ってくる可能性もある。おまけに……お前が乗っているのは無駄に目立つ色と音の車だ。それでどうでもいい揉め事に巻き込まれた、ってところか?」
相手のことを考えずに捲し立ててくるのとも、感情に任せて威勢を叩き付けてくるのとも違う……ただ逃げ道を封じるようにして、一つ一つ、正論で追い詰められていく。
「仕事一つ誠実に片付けられない奴が、何をやったって上手くいくものか。ちゃんと周りの声を聞いて、自分で考えないからそうなった。最初から、何度も言っているだろうが……『仕事には礼節を持って取り組め』って」
警備会社の人間にはすでに、『依頼失敗』の旨を伝えてあったのだろう。自分で運転しようと考えてか、峰岸は秀樹の肩を掴んでくると、その身を押し退けてきた。
「あれはただ、周囲に媚びればいいという意味じゃない……余計な諍いを生まない為の、処世術の一つなんだよ」
言葉が通じるからといって、意思疎通が量れているとは限らない。まったく同じ考え方をする人間自体が、珍しいのだ。ゆえに、齟齬が発生するのは致し方無いことだろう。
その真理に、社会の表も裏もない。
だからこそ、礼節という『もう一つの言語』を用いて、互いの考えを擦り合わせる必要があった。『自分の考えだけが正しい』と思っていても、それを相手が理解するとも、それに従うとも限らないのだ。
もし、この後時間があれば、峰岸は秀樹にそのことを伝えるつもりだったのかもしれない。
「…………おい、峰岸っ!?」
だが……秀樹がその言葉の意味を理解するのは、また別の機会となってしまった。
「秀樹……お前、何をした?」
少し離れた場所に車を停め、総合運動公園内にある陸上競技場に案内されたのだが、その周囲を厳つい人間達が取り囲んでいる。最初は建設業の関係者かとも思ったが、看板等で工事を通達している様子もなく、ただ周囲を人海戦術で覆っている時点で、明らかに目的が違っていた。
「もういい。知っている人間に事情を聞く……鵜飼君っ!」
峰岸が歩き出すのを、秀樹達三人は、追い駆けることしかできなかった。
秀樹の祖父が話し掛けたのは、あの『運び屋』と同年代位だが明らかに身体付きの違う、ドレッドを靡かせた青年だった。
声を掛けた峰岸の方を向いてきた、鵜飼と呼ばれた青年はその正体に気付いて一度、打ち合わせを中断してから振り返ってくる。
「あれ? 峰岸さん、たしか引退されたんじゃあ……」
「少し事情があってな。それより……」
彼の職業、そしてこの状況に覚えがあるのか、峰岸はすぐ本題に入っていた。
「……誰に、何を依頼されたんだ?」
「本当に……お前は、馬鹿孫だよ」
峰岸はただ、呻くことしかできなかった。
秀樹は眼前の光景に直視できず、いや耐え切れずに蹲って、吐き気に見舞われている。ここまで案内してくれた孫の友人二人は、もう駄目だとばかりに逃げ出そうとしていたのを『掃除屋』、鵜飼勇太の部下達に取り押さえられていた。
そして峰岸自身も、ある意味では睦月よりも顔馴染みになっている勇太に詳細を聞き、まずます頭を抱え込んでしまう。
「よりにもよって……『殺し屋』を雇うなんて」
本来であれば隠蔽の精度を高める為に、事情すら説明されないまま追い返されるところなのだが……親の代からよく依頼していた縁やある理由から、特別に中へと入れて貰えたのだ。
「……そして返り討ちに遭って、この様か」
勇太から聞いたところ、『運び屋』は最初、一般道を時速100km以上で走行し、秀樹が手を回した者達を振り切ろうとしたらしい。実際、その思惑通りになっていたのだが……そこに『殺し屋』が、文字通り横槍を入れてきたという話だ。
「まさか……『喧嘩屋』以外にも、同じ手を使う奴が居たとはな」
一通りの作業指示を義妹の理沙に任せてきた勇太がタブレットPC片手に、峰岸達の傍に寄ってきていた。
「普通の『殺し屋』なら、前金どころか依頼の時点で断りそうな条件なのに……よりにもよって、競合相手そのものが報酬に成り得たなんて偶然、結構あるんだな」
「っ!?」
秀樹は口元を拭ってから、無理に力を入れながらも、顔を上げている。
「お前は良かったな……殺されずに済んで」
勇太のあまりにも軽い態度に、秀樹は一息に立ち上がって手を伸ばそうとしたが……逆に胸倉を掴まれ、そのまま持ち上げられてしまう。
「……お前は本当に、運が良いよ」
「ぁ、ぁ……」
「いや、もしかして……『運び屋』の眼中にすら、入ってなかったんじゃないのか?」
片腕と全身、本来であれば余程の筋肉量と体重差がなければ成り立たない拘束すらも、峰岸は当然の結末だとばかりに、見上げていた。
「『運び屋』は昔っから、無駄な殺しは避けてたからな。だから羽虫でも振り払う気分で振り切られて……ほぼ全員が脱落したってところか?」
まるで見てきたかのような物言いを続ける勇太に、秀樹は(物理的な意味合いも含めて、)言い返すことができずにいた。
「そっちの『殺し屋』乗っけてた二人だって、結局は追っ払われる態で逃がして貰ったんだろう? そのことに後で気付いたからこそ、お前に敵意が向いたってところか」
本気でくだらないと思っているのだろうか、勇太は秀樹を投げ捨てるように腕を振ってきた。そのまま投げ飛ばされた先で身体を打つも、痛み以上のものが圧し掛かっているのか、立ち上がろうとしてこない。
「……で、そこの二人以外の運も知識も経験もない連中が、今死体になってるってところか」
作業現場等でよく見かける腕章を身に付けている者を基点に、数人が全体へと指示を飛ばして清掃している。血飛沫に薬品をかけ、肉片を削ぎ取り、ばら撒かれた銃弾と空薬莢だけは(磁力で集められないこともあってか)大雑把に、ゴミ袋に纏められていた。
「あのな……『殺し屋』騙そうとしたらこうなるのは、ちょっと考えれば分かるだろ? 連中それで飯食ってんだから、仕事できなきゃとっくに転職してるかくたばってるよ」
「…………ぉ」
それでも、どうにか口を開こうとしている秀樹の方へと、勇太は落としたタブレットPCを拾い上げながら振り返ってくる。
「ぉれ、は……、――大卒、で……」
「へぇ……」
秀樹の発言に、勇太は別の意味で感心してきた。
「奇遇だな……俺も同じ大学、卒業してんだよ。ちなみに法学部」
「…………は?」
学歴マウント自体、万能ではないのだ。ゆえに、通じない相手は存在する。
たとえば、自分と同等かそれ以上の偏差値を持つ学歴の相手とか。
「まさ、か……歴代卒業生の中で噂になってた、『法学部のドレッドマッチョ』って、」
「あ~……多分それ、俺だ。くそ、あいつ等と『走り屋』やる前に、もっと学友作っとくんだった」
大学の講義やゼミ以外で、キャンパス内に学生が常駐する理由はあまりない。サークル活動や自習等で施設を利用するか、教授や学友達と交流を持つとかでない限りは、大体校外で生活している。
秀樹は知らないことだが、勇太は大学生活の前半を『走り屋』の活動と、後半を会社経営との両立をしながら過ごしていた。ゼロとまではいかないが、少なくとも噂を訂正できる規模の学友を作る暇がなかったのだ。
「……で、それがどうかしたのか?」
それこそ……誰か何かを見下して足を止める暇がない程に、忙しなく。
「大学卒業程度で仕事が楽になりゃ、誰も苦労してねえよ。学生生活なんて、仕事覚える下地作る為のもんだろうが。それ以上の努力ができなきゃ、ああなるのは当然だっての」
伝統を理解するにも、革新を遂行するにも、基礎はどうしても必要となってくる。そして、実行する者は常に、能力が足りているとは限らない。
だからこそ、人は努力し続けなければならないのだ。たとえ人生を楽しもうとも、足を止める程の楽を覚えてしまえば……もはやそれは、生物としての終局だ。
「勝手に若年無業者やって自滅するならまだしも……他人の足を引っ張ったんだ。逆に蹴落とされても、文句は言えねえだろ?」
その後の勇太達、『掃除屋』の仕事に対して、秀樹は邪魔できずにいた。
いや……しなかったというのが正しいのかもしれない。そんな発想すら思い付かない程に、陸上競技場の惨状と勇太の他者を切り捨てた発言に、強い衝撃を受けたからだろう。
「しっかし……宣伝の為とはいえ、割引チケットなんて軽々しく配るんじゃなかったな。採算ギリギリじゃねえか」
勇太が情報漏洩に対して、今回だけは微妙に消極的な理由も、そこに由来していたらしい。
勇太達がガス管に細工する段階で、峰岸は秀樹を連れて、車の傍に戻って行く。
最後に勇太達がどうするのかは予想が付いていた。その為、孫の心を落ち着かせる目的も含めて、峰岸は秀樹の両親について話し始めた。
「……お前の父親は『運び屋』よりも、『車の開発』に興味を持った。俺の仕事を継がなかった理由は、ただそれだけなんだよ」
峰岸は自動販売機の缶を一つ、秀樹の足元に置いてから隣に腰掛け、紐解くように話を続けていく。
「俺が車の整備をしている時に、秀樹の父親はよく手伝いに来てくれた。機械弄りが好きなのかと思ってやらせてみれば……ある日、急に『一から車を作りたい』とか言い出してな。それから進路も就職先も勝手に決めて、今では大手自動車メーカーの開発室長だ」
そう……峰岸の息子であり、秀樹の父親でもある男は、人を見下すこと等眼中になかった。ただ、己が欲望に忠実であろうとして、結果的に高学歴となっていただけに過ぎない。
「車の開発ができればそれでいいと思っているだけに、利用しようと考える奴は後を絶たなかった。お前の母親も、元々はその内の一人だよ。で、その成果を利用して出世し、その代わりにあいつの立場を確立させる取引をした。男女の仲になったのだって、取引の延長で偶々そうなったに過ぎないんだよ」
だからこそ、仕事の話ばかりになっていたのかもしれないと、峰岸はいまさらながらに後悔していた。
「だが、今日のことで分かっただろ? ……裏社会や『運び屋』の仕事以前に、お前に足りないものは何なのか」
今回は手酷い出費になったものだが、孫の成長に繋がるのであれば、惜しくはない。
「そろそろだな……耳を塞げ」
ただ言われた通りに耳を塞ぐ秀樹を確認し、その後峰岸も掌で聴覚を絶った。
――……ドーンッ!
作為的に起こされたガス爆発により、陸上競技場そのものが粉微塵となる。後は肉片が混じった銃弾の類を纏めたゴミ袋だけ、別の場所で処分すれば跡形も残らない。
事件や事故の起きた痕跡を消し去るか別件で塗り潰し、なかったことにする。それが勇太達、『掃除屋』の仕事だった。
「……終わったか」
もう爆発は起きないと考え、峰岸は秀樹の手を引き、立ち上がらせた。
「今日はもう帰ろう。疲れただろ、っ!?」
その際に入れた力が発端とはいえ、不意の引力が原因となり、峰岸は倒れてしまう。
「…………秀樹っ!?」
気付いた時にはもう、秀樹の駆るホワイトカラーのスポーツカーは、峰岸の視界の外へと走り去っていた。
(まだだ…………)
スマホを操作し、GPSアプリを起動させる秀樹。万が一の為にと、事前に指示して忍ばせておいたのが、役に立つとは思っていなかった。
(まだ……)
けれども、今はその小さな保険に縋るしかない。
(まだ…………終わって、ないぞっ!)
でなければ……その失敗の記憶が生命尽きるその瞬間まで、脳裏にこびり付いてしまうのだから。
最初は、何かの見間違いだと思った。けれども、どんなに目を凝らしても、秀樹の視界を覆うのは血塗れに彩られた陸上競技場と……
「もう、まとめて吹き飛ばした方が早いな……工作班はガス管探して来い! 残りは作業続行っ!」
『へ~い!』
屈強な男達に指示を出す少女と、自らが集めた者達の死体が、生ゴミと同等の扱いを受けている光景だった。
「…………何なんだよ、これはっ!?」
結果は、散々だった。
「もう全部、終わった後だぞ……今まで何をしていたんだ?」
這う這うの体で車を走らせてきた秀樹を出迎えたのは、夜明けを眺めながら缶コーヒーを飲んでいた祖父だった。いや、開館前の美術館の傍に居たのは、その峰岸一人しかいない。
それ以前に、依頼中は荷物の運搬があるので、駐車場だけは開放されているはずだった。
「ぁ、ぃゃ……」
「偽物で良かったな。依頼は失敗だが、本物の弁償をしなくて済む」
「……ぅ」
普段、向けられるものとは異なる眼光。本物の覚悟と殺気を受けた秀樹は、車の傍で拳を握るしかなかった。
「言っておくが、荻野んとこの孫はとっくに片付けて帰ったぞ。偽物だと分かった上で……いや、依頼されたから荷物を運んだ。ただ、それだけなんだよ」
口を、挟む余裕もなかった。
「お前のことだ。ただ高速に乗って届ければいいとか、軽く見ていたんだろ? だが夜は夜で、物流配送のトラックや夜行バスといった大型車両の巣窟だ。しかも速度超過の暴走車両や、それを追い掛ける交通機動隊も出張ってくる可能性もある。おまけに……お前が乗っているのは無駄に目立つ色と音の車だ。それでどうでもいい揉め事に巻き込まれた、ってところか?」
相手のことを考えずに捲し立ててくるのとも、感情に任せて威勢を叩き付けてくるのとも違う……ただ逃げ道を封じるようにして、一つ一つ、正論で追い詰められていく。
「仕事一つ誠実に片付けられない奴が、何をやったって上手くいくものか。ちゃんと周りの声を聞いて、自分で考えないからそうなった。最初から、何度も言っているだろうが……『仕事には礼節を持って取り組め』って」
警備会社の人間にはすでに、『依頼失敗』の旨を伝えてあったのだろう。自分で運転しようと考えてか、峰岸は秀樹の肩を掴んでくると、その身を押し退けてきた。
「あれはただ、周囲に媚びればいいという意味じゃない……余計な諍いを生まない為の、処世術の一つなんだよ」
言葉が通じるからといって、意思疎通が量れているとは限らない。まったく同じ考え方をする人間自体が、珍しいのだ。ゆえに、齟齬が発生するのは致し方無いことだろう。
その真理に、社会の表も裏もない。
だからこそ、礼節という『もう一つの言語』を用いて、互いの考えを擦り合わせる必要があった。『自分の考えだけが正しい』と思っていても、それを相手が理解するとも、それに従うとも限らないのだ。
もし、この後時間があれば、峰岸は秀樹にそのことを伝えるつもりだったのかもしれない。
「…………おい、峰岸っ!?」
だが……秀樹がその言葉の意味を理解するのは、また別の機会となってしまった。
「秀樹……お前、何をした?」
少し離れた場所に車を停め、総合運動公園内にある陸上競技場に案内されたのだが、その周囲を厳つい人間達が取り囲んでいる。最初は建設業の関係者かとも思ったが、看板等で工事を通達している様子もなく、ただ周囲を人海戦術で覆っている時点で、明らかに目的が違っていた。
「もういい。知っている人間に事情を聞く……鵜飼君っ!」
峰岸が歩き出すのを、秀樹達三人は、追い駆けることしかできなかった。
秀樹の祖父が話し掛けたのは、あの『運び屋』と同年代位だが明らかに身体付きの違う、ドレッドを靡かせた青年だった。
声を掛けた峰岸の方を向いてきた、鵜飼と呼ばれた青年はその正体に気付いて一度、打ち合わせを中断してから振り返ってくる。
「あれ? 峰岸さん、たしか引退されたんじゃあ……」
「少し事情があってな。それより……」
彼の職業、そしてこの状況に覚えがあるのか、峰岸はすぐ本題に入っていた。
「……誰に、何を依頼されたんだ?」
「本当に……お前は、馬鹿孫だよ」
峰岸はただ、呻くことしかできなかった。
秀樹は眼前の光景に直視できず、いや耐え切れずに蹲って、吐き気に見舞われている。ここまで案内してくれた孫の友人二人は、もう駄目だとばかりに逃げ出そうとしていたのを『掃除屋』、鵜飼勇太の部下達に取り押さえられていた。
そして峰岸自身も、ある意味では睦月よりも顔馴染みになっている勇太に詳細を聞き、まずます頭を抱え込んでしまう。
「よりにもよって……『殺し屋』を雇うなんて」
本来であれば隠蔽の精度を高める為に、事情すら説明されないまま追い返されるところなのだが……親の代からよく依頼していた縁やある理由から、特別に中へと入れて貰えたのだ。
「……そして返り討ちに遭って、この様か」
勇太から聞いたところ、『運び屋』は最初、一般道を時速100km以上で走行し、秀樹が手を回した者達を振り切ろうとしたらしい。実際、その思惑通りになっていたのだが……そこに『殺し屋』が、文字通り横槍を入れてきたという話だ。
「まさか……『喧嘩屋』以外にも、同じ手を使う奴が居たとはな」
一通りの作業指示を義妹の理沙に任せてきた勇太がタブレットPC片手に、峰岸達の傍に寄ってきていた。
「普通の『殺し屋』なら、前金どころか依頼の時点で断りそうな条件なのに……よりにもよって、競合相手そのものが報酬に成り得たなんて偶然、結構あるんだな」
「っ!?」
秀樹は口元を拭ってから、無理に力を入れながらも、顔を上げている。
「お前は良かったな……殺されずに済んで」
勇太のあまりにも軽い態度に、秀樹は一息に立ち上がって手を伸ばそうとしたが……逆に胸倉を掴まれ、そのまま持ち上げられてしまう。
「……お前は本当に、運が良いよ」
「ぁ、ぁ……」
「いや、もしかして……『運び屋』の眼中にすら、入ってなかったんじゃないのか?」
片腕と全身、本来であれば余程の筋肉量と体重差がなければ成り立たない拘束すらも、峰岸は当然の結末だとばかりに、見上げていた。
「『運び屋』は昔っから、無駄な殺しは避けてたからな。だから羽虫でも振り払う気分で振り切られて……ほぼ全員が脱落したってところか?」
まるで見てきたかのような物言いを続ける勇太に、秀樹は(物理的な意味合いも含めて、)言い返すことができずにいた。
「そっちの『殺し屋』乗っけてた二人だって、結局は追っ払われる態で逃がして貰ったんだろう? そのことに後で気付いたからこそ、お前に敵意が向いたってところか」
本気でくだらないと思っているのだろうか、勇太は秀樹を投げ捨てるように腕を振ってきた。そのまま投げ飛ばされた先で身体を打つも、痛み以上のものが圧し掛かっているのか、立ち上がろうとしてこない。
「……で、そこの二人以外の運も知識も経験もない連中が、今死体になってるってところか」
作業現場等でよく見かける腕章を身に付けている者を基点に、数人が全体へと指示を飛ばして清掃している。血飛沫に薬品をかけ、肉片を削ぎ取り、ばら撒かれた銃弾と空薬莢だけは(磁力で集められないこともあってか)大雑把に、ゴミ袋に纏められていた。
「あのな……『殺し屋』騙そうとしたらこうなるのは、ちょっと考えれば分かるだろ? 連中それで飯食ってんだから、仕事できなきゃとっくに転職してるかくたばってるよ」
「…………ぉ」
それでも、どうにか口を開こうとしている秀樹の方へと、勇太は落としたタブレットPCを拾い上げながら振り返ってくる。
「ぉれ、は……、――大卒、で……」
「へぇ……」
秀樹の発言に、勇太は別の意味で感心してきた。
「奇遇だな……俺も同じ大学、卒業してんだよ。ちなみに法学部」
「…………は?」
学歴マウント自体、万能ではないのだ。ゆえに、通じない相手は存在する。
たとえば、自分と同等かそれ以上の偏差値を持つ学歴の相手とか。
「まさ、か……歴代卒業生の中で噂になってた、『法学部のドレッドマッチョ』って、」
「あ~……多分それ、俺だ。くそ、あいつ等と『走り屋』やる前に、もっと学友作っとくんだった」
大学の講義やゼミ以外で、キャンパス内に学生が常駐する理由はあまりない。サークル活動や自習等で施設を利用するか、教授や学友達と交流を持つとかでない限りは、大体校外で生活している。
秀樹は知らないことだが、勇太は大学生活の前半を『走り屋』の活動と、後半を会社経営との両立をしながら過ごしていた。ゼロとまではいかないが、少なくとも噂を訂正できる規模の学友を作る暇がなかったのだ。
「……で、それがどうかしたのか?」
それこそ……誰か何かを見下して足を止める暇がない程に、忙しなく。
「大学卒業程度で仕事が楽になりゃ、誰も苦労してねえよ。学生生活なんて、仕事覚える下地作る為のもんだろうが。それ以上の努力ができなきゃ、ああなるのは当然だっての」
伝統を理解するにも、革新を遂行するにも、基礎はどうしても必要となってくる。そして、実行する者は常に、能力が足りているとは限らない。
だからこそ、人は努力し続けなければならないのだ。たとえ人生を楽しもうとも、足を止める程の楽を覚えてしまえば……もはやそれは、生物としての終局だ。
「勝手に若年無業者やって自滅するならまだしも……他人の足を引っ張ったんだ。逆に蹴落とされても、文句は言えねえだろ?」
その後の勇太達、『掃除屋』の仕事に対して、秀樹は邪魔できずにいた。
いや……しなかったというのが正しいのかもしれない。そんな発想すら思い付かない程に、陸上競技場の惨状と勇太の他者を切り捨てた発言に、強い衝撃を受けたからだろう。
「しっかし……宣伝の為とはいえ、割引チケットなんて軽々しく配るんじゃなかったな。採算ギリギリじゃねえか」
勇太が情報漏洩に対して、今回だけは微妙に消極的な理由も、そこに由来していたらしい。
勇太達がガス管に細工する段階で、峰岸は秀樹を連れて、車の傍に戻って行く。
最後に勇太達がどうするのかは予想が付いていた。その為、孫の心を落ち着かせる目的も含めて、峰岸は秀樹の両親について話し始めた。
「……お前の父親は『運び屋』よりも、『車の開発』に興味を持った。俺の仕事を継がなかった理由は、ただそれだけなんだよ」
峰岸は自動販売機の缶を一つ、秀樹の足元に置いてから隣に腰掛け、紐解くように話を続けていく。
「俺が車の整備をしている時に、秀樹の父親はよく手伝いに来てくれた。機械弄りが好きなのかと思ってやらせてみれば……ある日、急に『一から車を作りたい』とか言い出してな。それから進路も就職先も勝手に決めて、今では大手自動車メーカーの開発室長だ」
そう……峰岸の息子であり、秀樹の父親でもある男は、人を見下すこと等眼中になかった。ただ、己が欲望に忠実であろうとして、結果的に高学歴となっていただけに過ぎない。
「車の開発ができればそれでいいと思っているだけに、利用しようと考える奴は後を絶たなかった。お前の母親も、元々はその内の一人だよ。で、その成果を利用して出世し、その代わりにあいつの立場を確立させる取引をした。男女の仲になったのだって、取引の延長で偶々そうなったに過ぎないんだよ」
だからこそ、仕事の話ばかりになっていたのかもしれないと、峰岸はいまさらながらに後悔していた。
「だが、今日のことで分かっただろ? ……裏社会や『運び屋』の仕事以前に、お前に足りないものは何なのか」
今回は手酷い出費になったものだが、孫の成長に繋がるのであれば、惜しくはない。
「そろそろだな……耳を塞げ」
ただ言われた通りに耳を塞ぐ秀樹を確認し、その後峰岸も掌で聴覚を絶った。
――……ドーンッ!
作為的に起こされたガス爆発により、陸上競技場そのものが粉微塵となる。後は肉片が混じった銃弾の類を纏めたゴミ袋だけ、別の場所で処分すれば跡形も残らない。
事件や事故の起きた痕跡を消し去るか別件で塗り潰し、なかったことにする。それが勇太達、『掃除屋』の仕事だった。
「……終わったか」
もう爆発は起きないと考え、峰岸は秀樹の手を引き、立ち上がらせた。
「今日はもう帰ろう。疲れただろ、っ!?」
その際に入れた力が発端とはいえ、不意の引力が原因となり、峰岸は倒れてしまう。
「…………秀樹っ!?」
気付いた時にはもう、秀樹の駆るホワイトカラーのスポーツカーは、峰岸の視界の外へと走り去っていた。
(まだだ…………)
スマホを操作し、GPSアプリを起動させる秀樹。万が一の為にと、事前に指示して忍ばせておいたのが、役に立つとは思っていなかった。
(まだ……)
けれども、今はその小さな保険に縋るしかない。
(まだ…………終わって、ないぞっ!)
でなければ……その失敗の記憶が生命尽きるその瞬間まで、脳裏にこびり付いてしまうのだから。
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